トヨタF1

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トヨタ
参戦年度 2002 - 2009
出走回数 140
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズタイトル 0
優勝回数 0
通算獲得ポイント 278.5
表彰台(3位以内)回数 13
ポールポジション 3
ファステストラップ 3
F1デビュー戦 2002年オーストラリアGP
初勝利
最終勝利
最終戦 2009年アブダビGP
  

トヨタF1 (TOYOTA F1) は、2002年から2009年までF1に参戦していたトヨタ自動車によるF1レーシングコンストラクター。正式名称はパナソニック・トヨタ・レーシング (Panasonic TOYOTA Racing) 。

目次

[編集] 概要

トヨタがそれまでに参戦していたカテゴリである世界ラリー選手権(WRC)の拠点となっていた、ドイツのケルンにあるトヨタ・チーム・ヨーロッパToyota Team Europe)をベースにした形で2000年に発足したチーム。ケルンの施設はTMG(Toyota Motorsport GmbH)としてチームの拠点となっているが、チームの国籍登録は日本としていた。

日本における研究開発(R&D)の拠点はトヨタ自動車の東富士研究所で、他に、フランスマルセイユ近郊のル=キャステレにあるポール・リカール・サーキットをテストコースとして使用していた。

自作のシャシーでF1に参戦する日本国籍のコンストラクターとしては、60年代のホンダ、70年代のマキコジマに続いてトヨタが4チーム目であり、また、トヨタは新規参入するために4800万ドル(約57億円)という巨額の供託金を国際自動車連盟(FIA)に納めて参入した初のチームでもあった。

[編集] 歴史

[編集] F1参戦以前

TS020(1999年仕様)
TF101用RVX-01エンジン

TTEはトヨタ自動車のヨーロッパにおけるモータースポーツチームとして1975年から1999年まで世界ラリー選手権に参戦し、1990年1992年1993年1994年にドライバーズのタイトルを、1993年・1994年・1999年にはマニファクチャラーズのタイトルを獲得した。また、1998年・1999年にはル・マン24時間レースにも参戦し、1999年に2位入賞した。

こうした活動のため、トヨタ自動車はF1参戦の必要性を認めず、1991年に関連会社のトムスアラン・プロストジョン・バーナードらと共にF1参戦を試みた際にもエンジン供給を断っている(詳しくはプロスト・グランプリを参照)。

こうした従来のモータースポーツ活動で、トヨタのヨーロッパにおける販売シェアは上昇したが、更なるシェア拡大のためには十分ではないと言う結論に達することとなった。 そこで1999年にトヨタは、欧州市場におけるシェア拡大と若者に対するアピールを目的として、新たにF1世界選手権に参戦することを発表した。

従来F1界では新規参入メーカーの場合、有力なコンストラクターと組むか、買収することが勝つための常識とされていたが、トヨタはエンジンから車体設計まで全て自社製で参戦することを選択した。

2000年ヤマハ発動機と資本提携および高回転エンジン開発に関する技術提携を行い、ル・マン24時間レースで好成績を収めたTS020をテストカーとしてTMGとポール・リカール・サーキットでの研究開発が始められた。当初は2001年より参戦を開始する予定だったが、F1のエンジンレギュレーション変更などの関係で準備が遅れ、結局2002年より参戦を開始。ドライバーはアラン・マクニッシュミカ・サロが起用されたが、マクニッシュは1999年ル・マン24時間にトヨタチームで参戦したドライバーであり、また、サロは日本語でのコミュニケーション能力があるなど、このドライバー・ラインナップはマシン開発を重視したものであった。

[編集] 2001年

2001年、TS020を手がけたアンドレ・デ・コルタンツ設計によるTF101を使い、ポール・リカールを中心にテストを行っていた。 しかし、デ・コルタンツのデザインがあまりにも先鋭的であったため彼を解雇し、2001年の5月に本格参戦用のマシン開発の責任者として幾多のチームを渡り歩いたグスタフ・ブルナーミナルディから雇い入れた。このブルナーの突然の移籍は当時、驚きをもって迎えられた。彼はミナルディ在籍時にいくつものチームから誘いを受けていたが、「全体を見回しやすい小規模なチームでの仕事が好ましい」としてそれらの申し出を断り続けていた。そのため、彼がずっとミナルディで仕事をし続けると思われており、特に当時ミナルディの新オーナーとなったポール・ストッダートは、「金の力でブルナーを釣り上げていった」とトヨタに対して怒りを隠さなかった。

[編集] 2002年

参戦初年度、開幕戦オーストラリアGPで6位入賞を果たし、最初の目標をクリアした。その後もブラジルGPで6位入賞したがその後ポイントを上げることが出来ず、結局この2回の入賞に終わった。途中リタイアも多く、下位チームの一つであったミナルディよりも総合成績で負ける等、F1の世界の厳しさを味わう1年となった。コンストラクターズランキングは10位。

[編集] 2003年

TF103のステアリングホイール

ドライバーを、オリビエ・パニスクリスチアーノ・ダ・マッタと一新した。

シーズン開始直後に、トヨタF1チーム社員によるフェラーリへのスパイ疑惑事件が発生した。これは2003年のトヨタのマシン「TF103」が、前年のフェラーリのマシン「F2002」に酷似した部分があるとして問題になったもので、これら元従業員は疑惑が持ち上がった際直ちにトヨタを解雇され、2005年11月には起訴された(現在、第一審有罪判決・控訴中)。容疑者はトヨタのコンピュータから収集された証拠を突きつけられたために罪を認めたと言われているが、トヨタ側は、その後の開発は実質上トヨタが行っておりこれをフェラーリに与えることは彼らに大きなアドバンテージを与えるとして、フェラーリにソフトウェアを返却することを拒否している[1]。コンストラクターズランキングは8位。

[編集] 2004年

2004年アメリカグランプリのTF104。ドライバーはパニス

2003年12月にマイク・ガスコインがテクニカルディレクターとして加わり、2004年型車両TF104の開発に携わった。しかしながら、本来数ヶ月を要するF1マシンの開発をシーズン直前のわずかな期間で行うのはそもそも無理があり、2004年シーズンの結果はあまり芳しいものではなかった。

シーズン途中のドイツGP終了後にダ・マッタは解雇され、そのシートには中国GPまでリカルド・ゾンタが、日本GP以降はルノーから移籍したヤルノ・トゥルーリがドライブした。また、オリビエ・パニスが最終戦ブラジルGPを待たず日本GPで引退したためリカルド・ゾンタがブラジルGPをドライブした。コンストラクターズランキングは8位。

[編集] 2005年

2005年アメリカグランプリのTF105。ドライバーはリカルド・ゾンタ

新たにラルフ・シューマッハがチームに加わり、前年末から引き続きのトゥルーリという組み合わせとなった。また、ガスコインが2005年型車両TF105マシンの設計に本格的に参加し、トヨタチームの潤沢なリソースを効果的に活かしたことで、同チームにとってはそれまでで最も良いシーズンとなった。第2戦マレーシアGPでトゥルーリがチーム史上初の表彰台(2位)を獲得すると、その後もラルフと2人でポールポジション2回、表彰台計5回をはじめとしてコンスタントにポイントを獲得し、コンストラクターズランキング4位の成績を収め、大健闘といえる結果になった。

この年からジョーダン(2006年はジョーダンを買収したMF1レーシング)へのエンジン供給も行った。

[編集] 2006年

TF104 アムラックス1F(2006年)に展示

2006年は、前年の結果から好成績が期待された。しかし、タイヤをミシュランからブリヂストンにスイッチした結果、タイヤの性能をうまく発揮させることが出来ず、苦戦を強いられる事となった。

4月にテクニカルディレクターのマイク・ガスコインを解雇して体制を刷新し、モナコGPから改良型「TF106B」を投入した結果コンスタントにポイント獲得できるようになったが、大勢を覆すことはできず、コンストラクターズランキングは6位と前年に比べると期待外れの結果となった。

[編集] 2007年

2007年のバーレーングランプリTF107。ドライバーはトゥルーリ

レギュラードライバーは前年と同様ラルフとトゥルーリだったが、テストドライバーのゾンタとパニスがチームを離れ、新たにフランク・モンタニーがテストドライバー兼リザーブドライバーとして加わった。また、2007年からはウィリアムズにエンジン供給をする事となり、技術提携などを図ることとなった。

このシーズンはリタイヤが多く、また完走しても下位に終わることが多く、結局一度も表彰台に上ることなくコンストラクターズランキングは6位となった。 エンジン供給しているウィリアムズをコンストラクターランキングで常に下回り、低調なシーズンだった。

この年スーパーアグリトロ・ロッソがコンコルド協定に違反して他のコンストラクターが作ったマシンを流用しているとして、スパイカーが調停裁判を起こした、いわゆるカスタマーカー問題では、ルノーとともにスパイカーを支持した。

3年間在籍していたラルフ・シューマッハは2007年限りでF1引退、またこの年加入したモンタニーも11月にスペインのバルセロナで行われたテストを最後にチームを離れた。

[編集] 2008年

2008年はヤルノ・トゥルーリに加え、'07年GP2チャンピオンのティモ・グロックがラルフ・シューマッハにかわって加入した。サードドライバーにはトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム(TDP)のドライバーである小林可夢偉を起用した。 また、引き続きウィリアムズにエンジンを供給している。

この年は、シーズン当初からトゥルーリが速さを見せ、フランスグランプリではチームにとって2006年オーストラリアグランプリ以来となる3位入賞を果たした。フランスグランプリ前に元代表であるオベ・アンダーソン氏が交通事故死しており彼に捧げる3位表彰台となった。グロックもシーズンが進むにつれて調子を上げハンガリーグランプリでは2位入賞した。コンストラクターランキングは5位。

[編集] 2009年

2009年は引き続きトゥルーリとグロックのコンビで臨んだ。2009年の新車である「TF109」は2009年1月15日に発表され[2]、これまで行っていた新車発表会はF1界全体を覆うコスト削減への流れに合わせ、行わなかった。代わりにインターネット上で全世界に向けてTF109が発表された。

開幕戦のオーストラリアGPではリアウイングの規定不適合から予選失格となり、決勝を最後尾からスタートしながらトゥルーリが3位、グロックも4位でゴールした。マレーシアでもグロックが3位、第4戦バーレーンではチーム初のフロントロー独占、決勝ではタイヤ戦略に失敗するもトゥルーリが3位を確保し、ファステストラップをマークした。ファステストラップは他にヨーロッパGPで記録。中盤戦は不振にあえいだが、第14戦シンガポールGPではグロックが、第15戦日本GPではトゥルーリがともに2位を獲得。同時に日本GPで日本チームが表彰台に上るのは初となった。第16戦ブラジルGPでは、前戦予選で負傷したグロックに代わってリザーブドライバー小林可夢偉が出走(日本GPではグロックの代わりの可夢偉代走が認められなかったため、トゥルーリ1台でチームは決勝に臨んだ)。第17戦アブダビGPにもトゥルーリと小林のコンビで臨み、小林が6位、トゥルーリが7位入賞。この時の小林はデビュー2戦目にして2007年佐藤琢磨以来2人目となる完全日本製パッケージ(日本のコンストラクター・日本人ドライバー・日本製エンジン・日本製タイヤ)でのポイント獲得を達成している。

11月4日、一度も優勝のないまま2009年シーズンをもってF1から撤退することを発表した[3][4]。ドイツにあるTMGの施設等は売却せず、今後もヨーロッパにおけるトヨタのモータースポーツ活動拠点として利用し続ける方針も明らかにしており[5]、過去に同様にF1撤退を発表したホンダF1BMWザウバーとは異なり、チーム売却による参戦継続の可能性もほぼ消滅している。

一方で、トヨタF1は同年7月に2012年までのF1参戦継続を義務付けたコンコルド協定にサインしていることから、国際自動車連盟(FIA)はトヨタのこの決定に法的な問題がないかを改めて調査する意向を示している[6]。F1チームの連合体であるFOTA(Formula One Teams Association)は、FIA同様にトヨタの決定に「失望(Disappointment)」を表明しているが、一方で大手自動車メーカーにとって厳しい経済状況であるという事に理解を示し、この8年間にわたるトヨタF1チームの貢献と活躍を称えている[7]

トヨタの社長である豊田章男自身にとってこの決断は苦渋に満ちたものであった。社長就任前には自らドライバーとしてニュルブルクリンク24時間レースに出場するなどモータースポーツ応援推進派でも知られるが、記者会見では「社長になり立場が変わったところもあります」と口をかたく閉じた。また、記者会見に同席した専務の山科忠は「一緒に苦労してきた仲間のことが頭をよぎるんです…」と言い、男泣きした[8]

[編集] 戦績

シャーシ
エンジン
タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 ポイント ランキング
2002 TF102


トヨタRVX-02 V10

M AUS
オーストラリアの旗
MAL
マラヤ連邦の旗
BRA
ブラジルの旗
SMR
サンマリノの旗
ESP
スペインの旗
AUT
オーストリアの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
EUR
欧州連合の旗
GBR
イギリスの旗
FRA
フランスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
JPN
日本の旗
2 10位
サロ 6 12 6 Ret 9 8 Ret Ret Ret Ret Ret 9 15 7 11 14 8
マクニッシュ Ret 7 Ret Ret 8 9 Ret Ret 14 Ret 11 Ret 14 9 Ret 15 INJ
2003 TF103


トヨタRVX-03 V10

M AUS
オーストラリアの旗
MAL
マラヤ連邦の旗
BRA
ブラジルの旗
SMR
サンマリノの旗
ESP
スペインの旗
AUT
オーストリアの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
EUR
欧州連合の旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
ITA
イタリアの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
JPN
日本の旗
16 8位
パニス Ret Ret Ret 9 Ret Ret 13 8 Ret 8 11 5 Ret Ret Ret 10
ダ・マッタ Ret 11 10 12 6 10 9 11 Ret 11 7 6 11 Ret 9 7
2004 TF104 TF104B


トヨタRVX-04 V10

M AUS
オーストラリアの旗
MAL
マラヤ連邦の旗
BHR
バーレーンの旗
SMR
サンマリノの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
EUR
欧州連合の旗
CAN
カナダの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
CHN
中華人民共和国の旗
JPN
日本の旗
BRA
ブラジルの旗
9 8位
ダ・マッタ 12 9 10 Ret 13 6 Ret DSQ Ret 14 13 Ret
パニス 13 12 9 11 Ret 8 11 DSQ 5 15 Ret 14 11 8 Ret 14 14
ゾンタ Ret 10 11 Ret 13
トゥルーリ 11 12
2005 TF105 TF105B


トヨタRVX-05 V10

M AUS
オーストラリアの旗
MAL
マラヤ連邦の旗
BHR
バーレーンの旗
SMR
サンマリノの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
EUR
欧州連合の旗
CAN
カナダの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
TUR
トルコの旗
ITA
イタリアの旗
BEL
ベルギーの旗
BRA
ブラジルの旗
JPN
日本の旗
CHN
中華人民共和国の旗
88 4位
トゥルーリ 9 2 2 5 3 10 8 Ret DNS 5 9 14 4 6 5 Ret 13 Ret 15
Rシューマッハ 12 5 4 9 4 6 Ret 6 7 8 6 3 12 6 7 8 8 3
ゾンタ DNS
2006 TF106 TF106B


トヨタRVX-06 V8

B BHR
バーレーンの旗
MAL
マラヤ連邦の旗
AUS
オーストラリアの旗
SMR
サンマリノの旗
EUR
欧州連合の旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
GBR
イギリスの旗
CAN
カナダの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
FRA
フランスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
TUR
トルコの旗
ITA
イタリアの旗
CHN
中華人民共和国の旗
JPN
日本の旗
BRA
ブラジルの旗
35 6位
Rシューマッハ 14 8 3 9 Ret Ret 8 Ret Ret Ret 4 9 6 7 15 Ret 7 Ret
トゥルーリ 16 9 Ret Ret 9 10 17 11 6 4 Ret 7 12 9 7 Ret 6 Ret
2007 TF107


トヨタRVX-07 V8

B AUS
オーストラリアの旗
MAL
マラヤ連邦の旗
BHR
バーレーンの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
EUR
欧州連合の旗
HUN
ハンガリーの旗
TUR
トルコの旗
ITA
イタリアの旗
BEL
ベルギーの旗
JPN
日本の旗
CHN
中華人民共和国の旗
BRA
ブラジルの旗
13 6位
Rシューマッハ 8 15 12 Ret 16 8 Ret 10 Ret Ret 6 12 15 10 Ret Ret 11
トゥルーリ 9 7 7 Ret 15 Ret 6 Ret Ret 13 10 16 11 11 13 13 8
2008 TF108


トヨタRVX-08 V8

B AUS
オーストラリアの旗
MAL
マラヤ連邦の旗
BHR
バーレーンの旗
ESP
スペインの旗
TUR
トルコの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
EUR
欧州連合の旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
SIN
シンガポールの旗
JPN
日本の旗
CHN
中華人民共和国の旗
BRA
ブラジルの旗
56 5位
トゥルーリ Ret 4 6 8 10 13 6 3 7 9 7 5 16 13 Ret 5 Ret 8
グロック Ret Ret 9 11 13 12 4 11 12 Ret 2 7 9 11 4 Ret 7 6
2009 TF109


トヨタRVX-09 V8

B AUS
オーストラリアの旗
MAL
マラヤ連邦の旗
CHN
中華人民共和国の旗
BHR
バーレーンの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
TUR
トルコの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
EUR
欧州連合の旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
SIN
シンガポールの旗
JPN
日本の旗
BRA
ブラジルの旗
ABU
アラブ首長国連邦の旗
59.5 5位
トゥルーリ 3 4† Ret 3 Ret 13 4 7 17 8 13 Ret 14 12 2 Ret 7
グロック 4 3† 7 7 10 10 8 9 9 6 14 10 11 2 Inj - -
小林 - - - - - - - - - - - - - - - 9 6

†は規定周回数の75%を消化せずレース終了、通常の半分のポイントを加算 小林可夢偉は第16戦よりグロックに代わって参戦。

[編集] その他

  • トヨタのF1チーム設立準備から2007年6月までトヨタF1プロジェクトを率いてきた冨田務は、人事異動によりTMG会長・チーム代表職を離れ富士スピードウェイの会長に就任した。
  • 開発資金等は全チームの中でもホンダに次ぎ、フェラーリマクラーレン、と並びかなりの高額[9]と推測されることが多いが、最終的に未勝利であった。これには、ワークス6チームのうち長い歴史があるフェラーリとマクラーレンを除くと、トヨタF1だけが完全に自社で一から作ったチームだという理由が考えられる(資金力では補いきれない経験、ノウハウ、能力の不足)。撤退までに参戦していた他のワークス3チームは、BMWザウバー(旧ザウバーを05年末買収、06年からワークス参戦)、ルノーF1(旧ベネトンをルノーが00年に買収、02年からワークス参戦)、ホンダF1(ホンダが第3期F1活動を始めた00年B・A・Rホンダ時代から徐々に出資比率を上げ、06年からワークス参戦)となっている。また、2008年開幕時点でトヨタ以外にもBMWザウバー、トロ・ロッソスーパーアグリが未勝利だったが、スーパーアグリがスペインGPを最後に撤退し、BMWザウバーがカナダGPで、トロ・ロッソがイタリアGPで初優勝したため、前身チームを含めた場合に未勝利なのは2008年終了時点の参戦チームではトヨタだけとなった(前身チームを含まない場合はレッドブルフォース・インディアが未勝利)。2009年はブラウンGPが新規参戦を果たし[10]開幕時点では「唯一の」未勝利チームではなくなったものの、当のブラウンが開幕戦オーストラリアGPでデビューウィンを果たしたため再び唯一の未勝利チームとなっていた(レッドブルが第3戦中国GPで優勝したため前身チームを含めない場合フォース・インディアが未勝利)。

[編集] スポンサー

TF104 アムラックス1Fに展示(2007年現在)

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ Former Ferrari men indicted(grandprix.com 2005年11月9日記事)
  2. ^ http://f1.automoto365.com/news/controller.php?lang=en&theme=default&month=11&year=2008&nextMode=GpNewsForm&news_id=33983
  3. ^ トヨタ、F1撤退を正式発表(F1-Gate.com)
  4. ^ トヨタ、F1からの撤退を発表(トヨタ自動車プレスリリース)
  5. ^ TMG、今後はヨーロッパにおけるトヨタの活動拠点に F1チームへの売却は無し - オートスポーツWeb・2009年11月4日
  6. ^ Toyota And Bridgestone - FIA・2009年11月4日
  7. ^ Disappointment at Toyota withdrawal, but FOTA expects a better 2010 for F1. - FOTA・2009年11月4日
  8. ^産経新聞』「from Editor」〈F1をめぐる「男の涙」〉2009年平成21年)11月16日 月曜日 12版 6面。
  9. ^ ホンダF1チーム、コスト急増でF1記録更新JBpress 2008年11月19日)
  10. ^ ホンダのF1活動に関連する企業群を束ねる持株会社である「Honda GP Holdings Ltd.」社が保有するホンダF1の株式の100%をブラウン個人が買い取る形でチームが売却され、設立されたチームであるが、世界モータースポーツ協議会におけるバーニー・エクレストンの拒否権発動でテレビ放映権料を受け取れない新規参戦チームとしてエントリーとなった(しかし、新規参戦チームとして必要な預託金は免除された)。

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月21日 (土) 09:26 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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