トリカブト保険金殺人事件

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トリカブト保険金殺人事件(―ほけんきんさつじんじけん)とは1986年(昭和61年)に女性が沖縄県石垣市で死亡し、夫が多額の保険金を請求した事件。別名はトリカブト殺人事件

目次

[編集] 概要

1986年5月20日午後1時30分頃、C子は女性友達3人と石垣島の旅行に出かけた際、急に苦しみ出す。友人等がC子を部屋に運んでベットに寝かせたが、容体は悪化していった。

そこで、救急車の手配をしてC子さんを八重山病院に搬送したが、午後3時4分に死亡が確認された。八重山病院では死因が確定できず警察に連絡。警察が司法解剖を行った結果、「急性心筋梗塞」と診断された。

C子には保険がかけられており、総額1億8500万円の保険金が夫である神谷力に入ることになっていた。

[編集] 過去における神谷の妻2人の突然死

神谷は過去に結婚を2回しており、全て妻が突然死していた。

A子
1965年2月、A子さんと結婚。1981年7月、「心筋梗塞」で死亡。
B子
1983年10月、B子さんと結婚。1985年9月、「急性心不全」で死亡。1千万円の保険金を受け取る。

この二つの突然死については立件されていない。

[編集] 3回目の結婚とC子の突然死

B子さんが死亡して2ヵ月後、C子が勤務していた高級クラブに神谷が顔を出すようになった時、初めて顔をあわせた。その6日後に神谷はC子さんにプロポーズをする。翌年の2月13日に神谷とC子は結婚。その2ヶ月後の4月上旬までに神谷を保険金受取人にしてC子を対象に、月々の掛け金18万5150円で総額1億8500万円の保険に加入する。

5月になり、神谷は女性友達と一緒にC子を石垣島に招待する旅行を企画をした。旅行は5月19日、神谷とC子さんは那覇で一泊し、羽田から来る友人3人と翌日那覇空港で待ち合わせし、南西航空で石垣島に行く予定だった。

神谷は急遽仕事ができたからという理由で、3人を空港で出迎えた後、午後の飛行機で大阪へ戻ることになった。C子さんと3人の友人が合流したのは、11時55分頃で南西航空の機内であった。4人は石垣島へ向かい、その2時間後にC子は突然死した。

[編集] 保険金請求をめぐる民事訴訟

神谷はC子の死亡から6ヵ月後、保険会社4社に保険金支払い請求を行った。月の掛け金は18万5150円にも上っていたが、加入2ヵ月後で死亡したため、保険料の支払いは37万円だけですみ総額1億8500万円の保険金が受け取れることになっていた。保険会社はC子の死亡には疑義があるとして支払いを拒否したため、民事裁判となった。

一審では神谷側が勝訴し、保険会社側が不服として控訴。1990年10月の控訴審で、保険会社側は爆弾証言を行う。石垣市で司法解剖したD医師がC子さんの臓器や血液を保存していたが、大学病院で分析した結果、「トリカブト毒による中毒」と証言した。神谷は突然保険金支払い請求を取り下げた。

[編集] 刑事訴訟

1991年6月9日、警視庁は神谷を業務上横領の容疑で逮捕した。同年7月1日、神谷を殺人と詐欺未遂の容疑で再逮捕。

福島県の植物店の主人から「神谷にトリカブトを何十鉢も販売したことがある」という証言、横須賀の魚屋で大量のフグを購入していたという目撃情報、東京の神谷のアパートの畳からトリカブト毒が検出されるなどの状況証拠を重ねていく。

神谷はトリカブトの毒は即効性があり、C子と別れてから「2時間後」に急死していることから、自分がトリカブトで殺害することはできないと無罪を主張。しかし、その後の調査で遅効性のフグ毒をトリカブトの毒と調合することで効き目を遅くする事が可能であるということが判明。神谷の主張は崩れた。

2000年2月21日、最高裁は神谷の無期懲役を確定。状況証拠の積み重ねで有罪が確定した事件として有名な事件である。

[編集] 関連書籍

  • 坂口拓史著「トリカブト事件」(新風舎文庫)ISBN 978-4797492545
  • 山元泰生著「ドキュメント トリカブト殺人疑惑」(世界文化社)ISBN 978-4418915156
  • 神谷力著「仕組まれた無期懲役―トリカブト殺人事件の真実」(かや書房)
  • 神谷力著1995「被疑者―トリカブト殺人事件」(かや書房)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年10月30日 (金) 09:39 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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