トーテムポール
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トーテムポール(英語:totem pole)は、北アメリカの太平洋岸北西部、つまりアメリカ合衆国ワシントン州北部からカナダのブリティッシュコロンビア州沿岸、およびアメリカ合衆国アラスカ州南東部にかけて住むインディアンの部族が集落の入り口などに立てる、柱状の木の彫刻である。
トーテムポールを彫る民族は、おおよそ北から順にトリンギット(クリンキット)族、ハイダ族(Haida)、シムシアン(ツィムシャン)族 (Tsimshian)、ニスガ(ニスカ)族、ギックサン族、ハイスラ族、ヘルツーク族、ニューホーク(ベラクーラ)族、クヮクヮキワク(クヮクヮカワク、クワギル、クワキウトル)族、ヌーチャーヌルト(ヌートカ)族、沿岸セイリッシュ族である[1]。
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[編集] 歴史、目的
トーテムポールの起源は明確ではない。太平洋岸北西部は雨の多い温帯雨林が広がるため木材が腐食しやすく、18世紀より古いものが残っていないためである。また、北西沿岸先住民は、トーテムポールは保存すべきものではなく、自然に朽ちはて、その地に返し、そしてまた新しく作り直すものと考えているため、入植した白人が入手し博物館などで保存を始める以前のものは、人為的に保存されることがなかったことも大きな理由である。そのころの調査隊の報告によると小さいものがわずかながら残っていたらしい。トーテムポールは屋外に独立して立つもの以前からハウスポスト、すなわち家の中の柱として存在していた。屋内の柱には婚姻や葬式などその一族の歴史、人間と動物の関わりを伝える昔話などが順次刻まれて紋章のような役割を果たしていたが、それが発展して独立し、ポトラッチなどの記念碑や墓標として屋外に建てられるようになった。単なる墓標でなく遺体を納める棺桶となっている場合もある。トーテムポールは過去に彫られたもので、あたかも遺物のようなイメージを持たれているが、トーテムポールを彫る文化は19世紀~20世紀にかけていったん衰退したが、現在再び活発になっている。
18世紀以降、これらの地に白人が入植し、旧大陸から持ち込んだ伝染病により、多くの集落で生業を営むにたる人口を失い、多くの村が放棄された。この時放棄された村から採集されたトーテムポールを新たに作り直したものが、カナダやアラスカの公園などに建てられている。
日本では、民俗学的な意味を持たない工作の課題として模倣されたものが小学校や中学校など各種学校の校庭に立てられていることがある。
[編集] 様式
トーテムポールは各種品物や動物、人の顔(あるいは仮面)など様々な要素を積み重ねた形状をしている。使われる要素やデザインは部族によって異なり、大きく二つのタイプに分かれる。
一つはアメリカ合衆国のアラスカ州南東部およびカナダのブリティッシュコロンビア州北西部のトリンギット族、ハイダ族、シムシアン族が属する北の様式で、使用する色が黒、赤、ターコイズブルー(トルコ石の青色)の三色にほぼ限られることが大きな特徴である。
南ブリティッシュコロンビア(バンクーバー島およびその近くの大陸部)、およびアメリカ合衆国ワシントン州のワカシ語(Wakashan languages)とセイリッシュ語(Salishan languages)を話すインディアン部族のトーテムポールは南の様式に属する。ワカシ語族のクワキウトル族のトーテムポールはよく知られた典型的なもので、伝説の鳥サンダーバードの彫刻や多くの色(黒、赤、白、青、緑、黄色など)を使うことを特徴としている。 伝統的な配色は、南部、北部とも、赤、黒、緑(青)の3色であり、クワキウトル族などのポールに見られる多彩な色は、白人との交易によってもたらされたものである。
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クワキウトル族のトーテムポール、ブリティッシュコロンビア州アラートベイ、1900年代 |
ギックサン族(左)とクワキウトル族(右)のトーテムポール、BC州ヴィクトリア、サンダーバード公園 |
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ブリティッシュコロンビア大学人類学博物館に再現された、トーテムポールが並ぶハイダ族の浜辺の村 |
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[編集] 注釈
[編集] 関連項目
- トーテム
- スタンレーパーク
- 超絶倫人ベラボーマン - ゲーム中、最初のステージのボスとしてトーテムポールをモチーフにした『ボスウンババ』が登場する。
最終更新 2009年10月6日 (火) 14:09 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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