トーマス・ジェファーソン

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トーマス・ジェファーソン
Thomas Jefferson
トーマス・ジェファーソン

アメリカ合衆国
3代大統領
任期: 1801年3月4日1809年3月4日
副大統領: アーロン・バー(1801 - 05)
ジョージ・クリントン(1805 - 09)

出生: 1743年4月13日
バージニア州シャドウェル
死去: 1826年7月4日
バージニア州モンティチェロ
政党: 民主共和党
配偶: マーサ・ウェイルズ・スケルトン・ジェファーソン(Martha Wayles Skelton Jefferson

トーマス・ジェファーソン (Thomas Jefferson), 1743年4月2日ユリウス暦)/4月13日グレゴリオ暦) - 1826年7月4日)は、第3代アメリカ合衆国大統領。首都ワシントンD.C.で就任演説をおこなった最初の大統領である。

カタカナ表記では /er/ を長母音にして「ジェファーソン」とすることが多いが、実際は短母音で発音は「ジェフソン」に近い。

1775年、大陸会議に参加し独立宣言起草委員としてアメリカ独立宣言を起草した。初代大統領ジョージ・ワシントンのもとで初代国務長官をつとめ、次の大統領ジョン・アダムズの代には副大統領をつとめている。のちジェファソニアン・リパブリカン党 (現在の民主党) を創立。大統領在任中にミシシッピ川以西のルイジアナフランスから買収し西部発展の礎を築いた。

英仏戦争に巻き込まれることを避け、出航禁止法を制定し、対外貿易を停止させた。

目次

[編集] 生い立ちと経歴

ジェファーソンはピーター・ジェファーソン(1708年3月29日 - 1757年8月17日)およびジェーン・ランドルフ(1720年2月20日 - 1776年3月31日)の息子としてヴァージニア州に生まれた。両親は共にヴァージニアに入植して何世代も経た家族の出であった。彼は1760年、17歳の時にウィリアム・アンド・メアリー大学に入学し、大学教育を2年間受けた。

独立宣言の採択後はバージニアに帰り、法制改革(長子相続制等やバージニア信教自由法の成立)に尽力。1769年にはバージニア州アルベマール郡の代議員に選出され、26歳で初めて政治的な地位を得た。1784年から5年間革命勃発直後までフランスに滞在。1785年からは駐仏大使としてフランス革命勃発直前のフランス社会をつぶさに観察し、農民の犠牲の上に成り立っていることを強く感じたという。

[編集] 内閣

2006年発行の5セント硬貨
職名 氏名 任期
大統領 トーマス・ジェファーソン 1801–1809
副大統領 アーロン・バー 1801–1805
  ジョージ・クリントン 1805–1809
国務長官 ジェームズ・マディスン 1801–1809
財務長官 サミュエル・デクスター 1801
  アルバート・ギャラティン 1801–1809
陸軍長官 ヘンリー・ディアボーン 1801–1809
司法長官 レヴィ・リンカーン 1801–1804
  ロバート・スミス 1805
  ジョン・ブレッキンリッジ 1805–1806
  シーザー・オーガスタス・ロドニー 1807–1809
郵政長官 ジョセフ・ハーバーシャム 1801
  ギデオン・グレンジャー 1801–1809
海軍長官 ベンジャミン・ストッダート 1801
  ロバート・スミス 1801–1810


[編集] 指名した最高裁判所判事

  • ウィリアム・ジョンソン - 1804
  • ヘンリー・ブロックホルスト・リヴィングストン - 1807
  • トーマス・トッド - 1807

[編集] 大統領職後

ジェファーソンは1826年7月4日にバージニア州で83歳で死去した。奇しくも前大統領であるジョン・アダムズも同じ日にマサチューセッツ州で死去している(なお、7月4日はアメリカの独立記念日でもある)。[1]

[編集] 人物

 →自身が記した墓碑のデザインに忠実に作られたためでは?  (Courtesy of the Library of Congress, American Memory, The Thomas Jefferson Paper Series 1. より)

  • 1795年頃、ジェファーソンはジェファーソンの輪 (Jefferson disk) あるいはホィール暗号と呼ばれる多表式の暗号機を発明した。それは26枚の円盤があり、円盤の縁には1枚ごとにランダムな順でアルファベットが刻まれている。この暗号機の原理は後に再発明されて米軍の暗号機 M-94 となった。
  • 近年の研究からユダヤ系である可能性が指摘されている。[1]
  • アメリカ合衆国5セント硬貨・2ドル紙幣に肖像画が用いられている。
  • 多くの歴史家はジェファーソンを歴代大統領の中で最も優れた人物の一人として考える。ジョン・F・ケネディ1962年ホワイトハウスへ49人のノーベル賞受賞者を招いた席で「私はこの今日お集まりいただいたみなさまが、ホワイトハウスにかつて集められた最も秀逸な才能と知識の集大成だと思います. . . トーマス・ジェファーソンがここで一人で食事をした時を除いては」と挨拶した。
  • 建築家としても知られ、ヴァージニア州シャーロッツビルの自邸モンティチェロをはじめ、リンチバーグにある別邸ポプラ・フォレスト(Poplar Forest)とリッチモンドのヴァージニア州議会議事堂(Virginia State Capitol)を設計した。モンティチェロはヴァージニア大学とあわせて世界遺産として登録されている。
  • 公的には奴隷制度を非難する一方で、ジェファーソン自身が187人の奴隷を所有していたとの記録が残っている。また黒人は白人よりもあらゆる点で劣っており、二つの人種が一つの国家のもとで平等に暮らすことはできない[2][2] [3]との意見を表明する一方で妻の死後に奴隷のサリー・ヘミングスを終生愛人とし、数人の非嫡出子をもうけた疑いが濃厚であるため、偽善的だとの見方もある。なおジェファーソンの研究者は、ジェファーソンが奴隷を所有し続けたのは莫大な借財をかかえていて奴隷を解放できなかったためと考えている。[4]
  • 奴隷制度には反対していたが、「白人は、黒人に比して、肉体と知能の両面において優っている。」と主張するなど、人種差別的な発言を残している。こうした発言は、黒人科学者ベンジャミン・バネカーらの反発を招いた。

[編集] 名言

  • 「情報は、民主主義の貨幣である。」
  • 「怒りを覚えたら、十数えよ。ひどく怒りを感じたら、百数えよ。それでも駄目なときは、千数えよ。」
  • 「遅延は失敗に勝る。」
  • 「理性と自由な探求のみが、誤信に対して有効である。」
  • 「自由の木は、愛国者と独裁者の血で洗わなければならない。」

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  1. ^ ジョン・アダムスの臨終の言葉は、「トーマス・ジェファーソンはまだ・・・」であった。最後の部分はほとんど声になっていなかったが、「生きているか」と語ろうとしたと言われている。
  2. ^ Notes on the State of Virginia Query 14
  3. ^ Flawed Founders by Stephen E. Ambrose.
  4. ^ Herbert E. Sloan, Principle and Interest: Thomas Jefferson and the Problem of Debt (2001) pp. 14–26, 220-1.
  • シャノン・ラニアインタビュー 『大統領ジェファソンの子どもたち』千葉茂樹訳、ISBN 47949-660-8-3、 晶文社、2004年、241項。

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
官職
先代:
パトリック・ヘンリー
バージニア州知事
1779年 - 1781年
次代:
ウィリアム・フレミング
先代:
ジョン・ジェイ
アメリカ合衆国外務長官
アメリカ合衆国国務長官
1789年9月26日 - 1793年12月31日
次代:
エドムンド・ランドルフ
先代:
ジョン・アダムズ
アメリカ合衆国副大統領
1797年3月4日 - 1801年3月4日
次代:
アーロン・バー
先代:
ジョン・アダムズ
アメリカ合衆国大統領
1801年3月4日 - 1809年3月4日
次代:
ジェームズ・マディスン
外交職
先代:
ベンジャミン・フランクリン
フランス駐箚アメリカ合衆国全権公使
1785年3月10日 - 1789年9月26日
次代:
ウィリアム・ショート


pnb:تھامس جیفرسن

最終更新 2009年10月17日 (土) 08:48 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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