ドイツ連邦軍

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ドイツ連邦軍
Bundeswehr
ドイツ連邦軍の主権紋章(主権マーク)
創設 1955年11月12日
再組織 1990年10月2日(統一後の再編成)
派生組織 ドイツ連邦陸軍
ドイツ連邦海軍
ドイツ連邦空軍
連邦軍装備総監部
連邦軍衛生本部
指揮官
最高司令官 (平時)国防大臣 カール=テオドール・ツー・グッテンベルク
(有事)第8代首相 アンゲラ・メルケル
国防大臣 第15代国防大臣 カール=テオドール・ツー・グッテンベルク
司令官 第14代国防総監 ヴォルフガング・シュナイダーハン陸軍大将
総人員
兵役適齢 17歳から、9ヶ月間
徴兵制度 徴兵制良心的兵役拒否が認められている)
-適齢総数 18,917,537人 17–49(2005)、年齢 15-49
-実務総数 15,258,931人 17–49(2005)、年齢 15-49
-年間適齢
到達人数
497,048人 (2005)
現総人員 約250,000人
財政
予算 311億[1]ユーロ
軍費/GDP 1.3% (FY06)
産業
国内供給 ラインメタル
PSM
ブローム・ウント・フォス
マン
ヘッケラー&コッホ
関連リンク
歴史 冷戦
ユーゴスラビア紛争
対テロ戦争
階級 ドイツ軍の階級
  

ドイツ連邦軍Bundeswehr:(De-Bundeswehr-pronunciation.ogg listenヘルプファイル)はドイツ連邦共和国の陸軍、海軍、空軍および連邦軍装備総監部、連邦軍衛生本部の総体を指す。

目次

[編集] 構成

ドイツ連邦共和国基本法により最高指揮権は平時にあっては国防大臣、戦時は首相に移る。

  • 陸軍Heer
  • 海軍(独:Deutsche Marine
  • 空軍(独:Luftwaffe
    • (三軍共通)連邦軍装備総監部(統合後方支援軍、独:Streitkräftebasis、2000年の連邦軍改革で三軍に共通する兵站通信憲兵・教育など後方支援任務を統合)
    • (三軍共通)連邦軍衛生本部(統合衛生部隊、独:Zentraler Sanitätsdienst、2000年の連邦軍改革で三軍の医療部隊を統合して、共通の医療部隊を形成)

ドイツ徴兵制度があり、満18歳以上の男子は兵役義務がある[2]良心的兵役拒否も申請することができる。この場合に代替義務 (Zivildienst)として病院、老人介護施設等の社会福祉施設で兵役義務と同じ期間だけ社会貢献する。

ドイツ連邦軍の兵力は25万人で、うち5万人は、最低9ヶ月間の兵役に就いている18歳から25歳の徴兵された兵士である。兵士以外の軍属は7万5千人にまで削減される予定になっている。

1975年以来ドイツ連邦軍内に女性軍人が配属されているが、当初は医療部隊への配属にとどまっていた。ある女性軍人はこれを不服として裁判に訴え、欧州司法裁判所2000年、女性がこれまで以上により幅広い役割を軍隊内で果たすよう認めるべきであるという判決を下した。結果2001年より、女性軍人は連邦軍内のあらゆる任務に制限なく就けるようになったが、徴兵制の対象にはなっていない。連邦軍には1万3千人の女性が平和維持活動や他の作戦行動などあらゆる軍務についており、その他多くの女性が予備役となっている。

一方、ある男性が「男性に対してのみ兵役を強制することは男性差別であり、憲法違反だ」として訴訟を起こしたが、憲法裁判所は男性に対してのみの徴兵制は合憲だという判決を出した。また、ある男性が、たまたま運悪く、徴兵の対象者に選ばれて出頭を求められた際に、徴兵制自体を不服として裁判を起こした例では、「現在のドイツではごく一部の男子のみが対象になっており、徴兵制の精神である、あらゆる国民が平等に国防の責任を負担するという機能は失われており、徴兵に服する必要は無い」という判例も出ており、その結果、徴兵の対象者に選ばれても自由に拒否できる状態になっている。

[編集] 歴史

[編集] 冷戦期(1955年-1990年)

ドイツ連邦共和国(西ドイツ)は1955年再軍備を開始した。

第二次世界大戦に敗戦したドイツは完全に武装解除され、連合国の命令でいかなる種類の再軍備計画も禁止されていた。小規模な国境警備隊機雷の掃海部隊があったが、国軍は設置されず、占領下ドイツの国防には連合国の内の4カ国、アメリカ合衆国イギリスフランスソビエト連邦の各軍が責任を持っていた。

しかし、朝鮮戦争後の西側諸国東側諸国の間の緊張の高まりによってドイツ非武装化政策に変化が生じた。ソ連の下でドイツ民主共和国がすでに密かに再軍備を行ったことで米英仏も西ドイツの再軍備の検討を解禁した。1950年に新しい西ドイツ軍創設のための基本構想の策定が始まり、コンラート・アデナウアー初代連邦首相ラインラント=プファルツ州のヒンメロート修道院(en)にホイジンガー、シュパイデルなど旧ドイツ国防軍の将軍15名を集め、再軍備の技術的な可能性を検討させた。専門委員会の検討の結果、西ドイツの新しい軍の基本構想が固まった。これに基づき、国会議員テオドーア・ブランク (Theodor Blank) が新国軍の設置準備を進めた。これゆえ連邦国防省の前身を「ブランク局(Amt Blank)」と呼ぶ。しかし、旧軍出身の15名の専門委員に新国軍の設置準備に参画することは求めなかった。ナチスに汚された旧国防軍の伝統との決別を明確に示した。ドイツ連邦軍には軍服や階級についてもプロイセン色はわずかしか残っていない。

旧国防軍の装甲兵大将であった自由民主党のリベラル派政治家ハッソ・フォン・マントイフェルが新しい国軍に Bundeswehr (連邦軍)の名を提案し、ドイツ連邦議会において承認された。そして初代連邦軍総監には国防軍時代にロンメル元帥の参謀長であったシュパイデル将軍が就任した。ナチスドイツ時代は Wehrmacht (国防軍)といわれていた。

連邦軍衛生本部の車両

米英仏の三カ国間にはドイツ再軍備に関して意見の相違もあった。特にフランスは20世紀の独仏関係史に鑑み、西ドイツの再武装に対して難色を示した。フランスは、アメリカの進めるドイツ再武装と NATO 加盟案に対し、超国家的な汎ヨーロッパ軍を構成する欧州防衛共同体構想を打ち出し、1952年に西ドイツを含む西欧各国間で調印された。しかし主権を侵されることをよしとしないド・ゴール主義者たちの反対により1954年に当のフランス議会で否決され、批准に至らなかった。結果、フランスも西ドイツの再軍備とNATO加盟を認めた。

連邦軍はゲルハルト・フォン・シャルンホルストの200回目の誕生日に当たる1955年11月12日に正式に誕生した。ドイツ連邦共和国基本法の修正後、西ドイツは1955年にNATOのメンバーとなり、1956年には18歳から45歳までの全男子国民に兵役義務が導入された。

冷戦の間、ドイツ連邦軍は NATO の中央ヨーロッパ防衛の主力となり、三軍あわせて49万5千人の兵力と17万人の文民職員を抱えていた。陸軍は12個師団からなる3つの軍団で構成され、戦車装甲兵員輸送車で重武装していた。空軍は戦術戦闘機多数を所有し、NATO の統合防空軍(NATINAD)の一部をなしていた。海軍はバルト海防衛を受け持ち、北海の増援軍や補給船の護衛をし、ソ連のバルト艦隊の封じ込めを行った。

[編集] ドイツ再統一後

ポーランドにおけるNATOの訓練でHK G36を構えるドイツ兵。2004年

1990年ドイツ再統一後、東西ドイツ政府と米英仏ソ連合国との「ドイツに関する最終規定条約」(別名「2プラス4条約」)により、ドイツ連邦軍は37万人まで削減された。かつての東ドイツ軍である国家人民軍は解散し、その兵員の一部と軍備のごく一部が連邦軍に引き取られた。

約5万人の国家人民軍兵士は1990年10月2日に連邦軍に吸収された。増えた5万人分は、徴兵されている兵士や短期の志願兵が兵役期間の満了を迎えることで速やかに削減された。国家人民軍にいた多くの将校(将軍提督を除く)は2年以内に限定した雇用契約を交わして日常の任務を続けた。連邦軍に移った兵士は個人の適性と経験によって、新規の雇用契約と新規の階級を受け取った。多くの軍人は国家人民軍時代より低い階級を受け入れている。

しかしながら、一般的に「軍隊の統合(Armee der Einheit)」のスローガンの下で進められているドイツ国軍の統一過程は、大きな成功でありドイツ社会の他の分野における統一の手本と受けとめられている。

不要となった連邦軍や国家人民軍の機材が廃棄された。装甲車両や戦闘機は国際的な監視の下で解体されている。艦船は船舶解体スクラップにされるか、バルト三国インドネシアなどに売却された。インドネシア共和国国軍は国家人民軍のさまざまな艦船39隻を受け取っている。また、国家人民軍の装甲兵員輸送車がトルコ軍に売られ、トルコ東南部(独立を目指すクルド人との紛争地帯)で運用されていることが議論の的になったこともある。

国連の平和維持活動・人道援助活動やNATOの域外軍事行動へのドイツ連邦軍の参加、ドイツの多国籍軍参加に関連し、ドイツ国外での作戦行動や援助活動が増加したことを受け、2000年には大規模な機構改革が行われた。兵站・通信・憲兵など、各軍の後方支援任務および医療任務を軍中央に統合し、連邦軍装備総監部連邦軍衛生本部が誕生した。特に多くの国の軍隊では医療活動は各軍が個別に行っているため、医療の統合は前例の少ないものである。

ドイツ連邦軍は、国の経済力を反映し、NATO内部のみならず世界でも有数の先進の技術力や補給力を誇っているが、国防予算は削減傾向にあり、国防費のGDP比はNATOでも最低である。 アメリカとニュークリア・シェアリングを行っているので核開発に予算をかけることなく核抑止を可能としている。

[編集] 任務

「不朽の自由」作戦に参加したドイツ軍のブレーメン級フリゲート艦「カールスルーエ」がソマリア沖で難民の乗った船を保護している

ドイツ連邦軍はNATO軍の一員としてヨーロッパ防衛義務を負う。連邦軍の任務は基本法の87条aに規定されており、活動が許されるのは「防衛」のみとされている。

しかし1990年以降、国際情勢が東西対立から全体的な不安定状態へと変化しており、ドイツ軍はその対応が問われることになった。特に1991年湾岸戦争で、多国籍軍に資金面のみで参加し人的参加しなかったことは国外から批判を浴びた。1994年の連邦憲法裁判所での判例で、基本法の「防衛」とはドイツの国境を守るだけでなく、危機への対応や紛争防止など、世界中のどこであれ広い意味でのドイツの安全を守るために必要な行動を指すと定義が拡大され、さらにドイツ連邦議会の事前承認によりNATO域外への派兵が認められた。かつての連邦国防相、ペーター・シュトルック(Peter Struck)の定義によれば、ドイツを守るためにはアフガニスタンヒンドゥークシュ山脈であっても軍を出すことは必要となる。

こうしたことから、1990年代以降、ドイツ連邦軍はNATOや欧州連合、国際連合の一員としてドイツ国外でPKOなどの作戦を行うことが増えている。例えばカンボジアUNTACボスニア・ヘルツェゴビナ欧州連合部隊(EUFOR)、コソボKFORアフガニスタン国際治安支援部隊エチオピアエリトリアソマリアスーダンコンゴ民主共和国レバノンなどの軍事作戦や平和維持活動に派兵している。一方で犠牲者の数も50人を超えており、さらに多くの負傷者やPTSDに苦しむ元兵士もいる。

[編集] 伝統

かつてドイツには、ヴァイマル共和政下のライヒスヴェーアナチス・ドイツ時代のヴェーアマハトなどの軍隊があった(ドイツ軍を参照)。しかし、ドイツ連邦軍は自らをこれらの後継組織とはみなしておらず、プロイセン軍など以前のあらゆるドイツの軍隊の伝統も引き継いでいない[3]。現在のドイツ連邦軍の公式な「伝統」は、大きく次の3つに基づいている。

ドイツ連邦軍の国籍マーク(主権紋章)としては、旧国防軍の採用していた幅が同じの黒十字(バルケンクロイツ)ではなく、黒十字の先端が末広がりのタッツエンクロイツ(de)を採用した。

第二次大戦で「人道に反する犯罪行為」を拒否しえなかった理由として挙げられた、上官の命令に絶対服従(忠誠宣誓)という伝統は否定され、戦後のドイツ基本法及び軍人法には“軍人もまた市民であり基本権を保持する”という規定(軍人法第17条)、「抗命権」及び発動された場合の不利益処分(降格など懲戒)禁止が明文規定されている(軍人法第11条)。また労働組合的性格も持つ職場団体「軍人連盟」、反戦軍人の会「ダルムシュタット・シグナル」(日本で言えば反戦自衛官)が構成されている。

[編集] 脚注

  1. ^ tagesschauBundestag winkt Etat 2009 durch
  2. ^ 連邦軍発足当初は、志願兵制を導入していたが、1956年1月東ドイツヴァルシャヴァ条約機構(WTO)加盟を期に、同年7月一般兵役義務法が制定され、18歳以上の男性に12ヶ月間の兵役が課せられることになった。1962年には兵役期間は18ヶ月間に延長された。岩間陽子『ドイツ再軍備』(中央公論社)P.311、『カラー世界史百科 増補版』(平凡社)P.535
  3. ^ 第二次世界大戦後、冷戦が激しさを増す中でソ連・東欧諸国の西ヨーロッパへの浸透を恐れた米・英・仏各国は、東西に分割統治されていたドイツの統合を断念し、東側陣営へ対抗する強力な防壁として西ドイツを独立・再軍備させる方針を確定した。しかし、第二次大戦以前の伝統的な帝国軍隊の復活は再びヨーロッパの脅威となり、西ドイツの民主主義体制を脅かす危険性があったため、過去の伝統に縛られない新しい軍隊の創設が不可欠の条件とされた(米・英・仏を中心とする西側諸国の要求であり、さらには西ドイツ世論の要求でもあった)。そのために、志願兵制を基本とする防衛関連法を整備し、ドイツ連邦共和国基本法の改正によって軍の統帥権を政府および議会が掌握する体制を築き上げたのである。またドイツ連邦軍は、1955年の発足と同時に北大西洋条約機構(NATO)へ、翌56年には西ヨーロッパ連合(WEU)へ加盟し、集団安全保障の枠組みの中で行動を規制されているという点でも、伝統的なドイツ軍とは異なっている。岩間陽子『ドイツ再軍備』(中央公論社)P.271-280

[編集] 文献

  • 松隈徳仁(著)、『西ドイツの再軍備とデモクラシー:平和と戦争の研究 II』、有斐閣、1969年
  • 岩間陽子(著)、『ドイツ再軍備』、中央公論社、1993年、ISBN 4-12-002227-7

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


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最終更新 2009年11月12日 (木) 07:52 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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