ナイジェリア
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- ナイジェリア連邦共和国
- Federal Republic of Nigeria
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(国旗) (国章) - 国の標語 : Unity and Faith, Peace and Progress
(英語: 統一と信頼、平和と前進) - 国歌 : 起て同胞、ナイジェリアの呼び出しに遵って

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公用語 英語 首都 アブジャ 最大の都市 ラゴス 独立
- 日付イギリスより
1960年10月1日通貨 ナイラ (₦)(NGN) 時間帯 UTC +1(DST: なし) ccTLD NG 国際電話番号 234
ナイジェリア連邦共和国(ナイジェリアれんぽうきょうわこく)、通称ナイジェリアは、アフリカ西部に位置する連邦共和制国家である。北にニジェール、北東にチャド湖を挟みチャド、東にカメルーン、西にベナンと国境を接する。南は大西洋のギニア湾に面し、かつては「奴隷海岸」と呼ばれた。首都はアブジャ。最大の都市はラゴス。イギリス連邦加盟国。
アフリカ最大の人口を擁する国であり、乾燥地帯でキャラバン貿易を通じてイスラム教を受容した北部と、熱帯雨林地帯でアニミズムを信仰し後にヨーロッパの影響を受けキリスト教が広がった南部との間に大きな違いがある。また、南部のニジェール川デルタでは豊富に石油を産出するが、この石油を巡って内戦や内紛が繰り返されるなど、国内対立の原因ともなっている。
目次 |
[編集] 国名
正式名称は英語: Federal Republic of Nigeria (- nījĭr'ēə)。通称 Nigeria。
日本語による表記は、ナイジェリア連邦共和国。通称、ナイジェリア。
国名、周辺の地域名はラテン語で「黒」を意味するnigerに由来している。ニジェール (Niger) とナイジェリア(Nigeria) は本来は同じ地域を指しているが、旧宗主国を異にする両地域が別々に独立した際に、現在のように別の国を指すこととなった。
[編集] 歴史
詳細は「ナイジェリアの歴史」を参照
紀元前5世紀から2世紀にかけて、国土の中央部のジョス高原において土偶で知られる初期鉄器文化であるノク文化が繁栄した。
9世紀頃、国土の南東部、ニジェール川の三角州の付け根付近にあたるイボ=ウクゥにおいて青銅器製品を多量に伴うすばらしい王墓が造られた。この地方では、イボ族その他イビビオ族のように指導者のない集団による人口の多い村々のネットワークが、アフリカ固有の平等主義と民主主義の概念によって管理されていた。10世紀 - 15世紀頃に、国土の南西部には、青銅製などのすばらしい彫刻で知られるイフェ王国と、ソープストーンの塑像で知られるエシエ文化が栄えた。これらの大胆なフォルムの彫刻は後に19世紀ヨーロッパに紹介され、20世紀美術に多大な影響を与えた。14世紀から18世紀にわたって南部にベニン王国が繁栄した。彼らは15世紀末に来航したポルトガル人から銃を取り入れ軍事力と王権を強化した。
密林によって外部の文化から阻まれた南部と異なり、北部ではキャラバン交易を通じ北アフリカから物資や文化の伝播があり、イスラム教を受容した。チャド湖周辺には12世紀から13世紀ごろアフリカのキャラバン交易路の利益と軍事力でカネム・ボルヌ帝国が全盛を迎えた。この王家は19世紀まで続いた。また同じくチャド湖の西方にハウサ諸王国・都市国家群が繁栄し、なかでも19世紀にはフラニ族のイスラム神学者ウスマン・ダン・フォディオが都市国家ゴビールで改革運動を開始したが、国から追い出されると遊牧生活のフラニ族たちと協力してジハードを起こし、ソコトの街を首都に、北部一帯にフラニ帝国(ソコト・カリフ国)を建国した。
[編集] 植民地時代
17世紀から19世紀を通じて、ポルトガル人、イギリス人を主体とするヨーロッパの貿易商人たちが、アメリカ大陸へ送る奴隷の増加に伴い海岸に多くの港を建設し、彼らはナイジェリアの海岸部を「奴隷海岸」と呼んだ。19世紀にはイギリス軍が奴隷売買を禁止し、商品貿易に取ってかわられた。1886年にイギリス政府はジョージ・トーブマン・ゴールディ卿らによる貿易会社を「王立ニジェール会社」とし諸特権を与え、ナイジェリア一帯の支配を開始した。19世紀末にベニン王国は周囲のハウサ、ヨルバの王国もろともイギリスに滅ぼされて、ナイジェリアは植民地化された。1903年にはフラニ帝国も滅亡し、イギリスとフランスに分割された。1901年ニジェール会社は北部ナイジェリア保護領と南部ナイジェリア保護領の二つの保護領に再編成され、1914年一つの保護領に統合された。
[編集] 独立以降
留学生たちを中心に第二次世界大戦前から独立への動きはあったが、第二次大戦後民族主義運動が高まり、1960年、それぞれが広範な自治権を有する北部州・西部州・東部州の3地域の連邦制国家として、完全独立を果たす。独立時は、イギリス女王を国家元首として頂く英連邦王国であったが、1963年に連邦共和国憲法を制定し、大統領制に移行した。それと同時に、西部州から中西部州を分割し、全4地域になる。
1966年、軍部によるクーデターが勃発、ゴウォン軍事政権樹立。連邦政府への中央集権化を図るため、地方を12州に再編。1967年、東部地域の有力民族であるイボ族がビアフラ共和国を建国し独立を宣言したことを受け内戦(ビアフラ戦争)になるが、1970年、イボ族の敗北で終結。
1975年、軍の民政移行派(オルシェグン・オバサンジョ、ムハメド将軍らを含む)によるクーデターが成功し、1976年ムハメド将軍は暗殺され、1977年、オバサンジョは最高軍事評議会議長に就任、新憲法を制定、1979年、大統領選挙でシェフ・シャガリが当選し、文民大統領が誕生した。しかし、多くの国民は民政化後かえって汚職や経済が悪化したと感じた。
1983年の次回選挙でオバフェミ・アウォロウォが勝ったにもかかわらず、ムハンマド・ブハリ将軍ら軍政派によるクーデターで再び軍政に戻る。彼は経済再生を約束したが、強圧的な体制を敷きかえって経済は悪化した。1985年再度クーデターが起きイブラヒム・ババンギダ将軍が実権を掌握。彼は最初人権を重視すると約束したが次第に圧制に移行した。また為替自由化などの経済改革はナイジェリアの通貨暴落を招き、何度もクーデター未遂を引き起こした。
1990年の新憲法で1992年の大統領選挙が約束され、疑問視されつつも実現したが、ババンギダは不正があったと主張しやり直させた。1993年6月の再選挙で実業家モシュード・アビオラが勝利しまたもババンギダは不正を主張したが、8月引退し一旦文民出身の側近に政権を任せた後、その3か月後の1993年11月、1980年代の2回のクーデターにもかかわったとみられるサニ・アバチャ将軍が実権を掌握した。
サニ・アバチャは1998年の民政移管を約束したが、その一方で政党や集会、出版を弾圧し、多くの政治家や民主運動家や政敵を牢獄に送り、ナイジェリアに圧政を敷き新憲法制定を延ばし続けた。彼はアフリカ随一の地域大国らしく振舞うべく、リベリアの長い内戦を終わらせ民政移管するプロセスに助力し、軍によるクーデターが起こった際はただちにリベリアに軍を派遣し文民政権を守った。これによってアバチャにナイジェリアの民政移管を期待したものもいたが、1998年やっと約束どおり告示された大統領選挙では候補者はアバチャ一人だけであった。しかし選挙直前にアバチャは心臓麻痺で死去した。後を継いだアブドゥルサラミ・アブバカールの政権のもと、1999年に新憲法が制定され、民政へ移行。かつてのクーデター軍人オルシェグン・オバサンジョが、初の民主的選挙で、大統領に当選した。2003年の選挙でも再選した。しかし彼は民主派の希望でもあった司法長官ボラ・イゲが2001年に暗殺された件にかかわったといわれるほか、ナイジェリアの汚職と腐敗が彼の時代になって最悪になったといわれ、国民の感情は好悪半ばしている。オバサンジョは腐敗政治家を次々逮捕しているが依然政府の腐敗は深刻で、多くの頭脳流出を招いている。
2006年、オバサンジョ大統領の3選を可能にする憲法改正が否決され、2007年2月、アブバカル副大統領が大統領選挙の候補者名から除外され、4月、アブバカルの立候補を最高裁が容認した。2007年4月23日、選挙管理委員会は大統領選挙で、国民民主党のウマル・ヤラドゥアが当選したと発表したが、国際選挙監視団は不正投票があったとして有効性を疑問視している。2007年8月14日、ナイジェリアの中央銀行は2008年の8月から100ナイラを1ナイラとするデノミネーションを実施する事を発表した。
[編集] 政治
詳細は「ナイジェリアの政治」を参照
大統領を国家元首とする連邦共和制国家であり、大統領は行政府の長として実権を有する。大統領は民選で任期4年。三選禁止。
議会は、二院制。上院は、全109議席。各州3議席、連邦首都地域から1議席。代表議院(下院)は、346議席。任期はいずれも4年で、両院同日選挙。
サハラ砂漠以南のブラックアフリカでは南アフリカ共和国に並ぶ軍事大国であり、現在では平和維持軍等に期待が寄せられている。
[編集] 地方行政区分
詳細は「ナイジェリアの州」を参照
ナイジェリアは連邦制を採用しており、36の州 (state) と連邦首都地区(Federal Capital Territory) によって構成される。
- アビア州 (Abia)
- アダマワ州 (Adamawa)
- アクワ・イボン州(Akwa Ibom)
- アナンブラ州(Anambra)
- バウチ州 (Bauchi)
- バイエルサ州 (Bayelsa)
- ベヌエ州 (Benue)
- ボルノ州(Borno)
- クロスリバー州 (Cross River)
- デルタ州 (Delta)
- エボニ州(Ebonyi)
- エド州(Edo)
- エキティ州 (Ekiti)
- エヌーグ州 (Enugu)
- ゴンベ州 (Gombe)
- イモ州(Imo)
- ジガワ州 (Jigawa)
- カドナ州 (Kaduna)
- カノ州 (Kano)
- カツィナ州 (Katsina)
- ケビ州 (Kebbi)
- コギ州 (Kogi)
- クワラ州(Kwara)
- ラゴス州 (Lagos)
- ナサラワ州 (Nassarawa)
- ナイジャ州 (Niger)
- オグン州 (Ogun)
- オンド州 (Ondo)
- オシュン州 (Osun)
- オヨ州 (Oyo)
- プラトー州 (Plateau)
- リヴァーズ州 (Rivers)
- ソコト州 (Sokoto)
- タラバ州 (Taraba)
- ヨベ州 (Yobe)
- ザムファラ州 (Zamfara)
[編集] 地理
詳細は「ナイジェリアの地理」を参照
[編集] 経済
詳細は「ナイジェリアの経済」を参照
ブラックアフリカで最初にOPECに加盟を果たし、経済規模はアフリカ有数である。
世界有数の産油国であり、肥沃な土壌ではトロピカルフルーツや野菜の生産が盛んだったが、総歳入の71%を石油に頼る過度の石油依存により、カカオを除く在来の農業は衰退。さらに政治の腐敗、放漫財政とオイルブーム後の巨額の累積債務のため、経済は低迷を続けている。
国内の市場そのものは大きいのだが、国民の大多数が貧困に苦しんでいるため、購買力が低く市場を生かしきれない。最大都市ラゴスはアフリカ最大級の大都市だが、集まる人口に既存の都市機能が追いつかず、渋滞によりバス・タクシーなど交通機能は麻痺寸前になっている。地方との交通網は、1980年代以前は、かつての宗主国であるイギリスが敷設した鉄道網が機能していたが、インフラの維持に手が回らず荒廃、多くは自動車やトラック輸送に転換されている。こうした傾向は、ラゴスを始めとした都市の渋滞に拍車をかけることから、政府は鉄道の近代化プロジェクトに着手。中国からの借款や韓国企業への油田権益の供与などにより資金を融通。中国企業との協力で、ラゴス州レッキー半島にレッキー自由貿易区を設置、現在建設を行っている。2006年からは、ラゴスやポートハーコートから各都市への鉄道網の再整備に乗り出している。
英語による学校教育の水準は高く、また電子機器やプログラミングなどに関する教育も盛んであるが、高度な教育を受けた学卒者たちの多く(4分の1以上)は失業状態にある。そのため、多くの若者が不法移民輸送や麻薬密輸ほか、インターネットカフェから世界中にスパムを配信するインターネット詐欺(いわゆる「ナイジェリアの手紙」詐欺)など犯罪にかかわる状態があるという。その他、暴力犯罪でもヨハネスブルグ、ナイロビ等とならび評判が悪い。オバサンジョ政権は、詐欺・経済犯罪や暴力組織の壊滅にむけ、世界各国の捜査機関と協力しながら努力している。
[編集] 国民
詳細は「ナイジェリアの国民」を参照
ナイジェリアはアフリカ最大の人口を擁する国家であり、アフリカの総人口の1/5~1/4がナイジェリアに居住する。250以上の民族/部族が居住する。北部のハウサ人およびフラニ人が全人口の29%、南西部のヨルバ人が21%、南東部のイボ人が18%。以下、イジョ 10%、カヌリ 4%、イビビオ 3.5%、チヴ 2.5%など。民族紛争が相次いできたため現在では州が細分化されている。少数民族には苦難が続いている。
[編集] 言語
ナイジェリアでは方言を含め521の言語が確認されているが、現存するのは510であると考えられている。議会や官庁で使用される公用語は旧支配者の言語である英語であり、多数派であるハウサ語、イボ語、ヨルバ語の使用のみが認められている。初等教育では各部族の母語によって授業が行われるが、高等教育においては英語のみを使用。言語の面でも少数民族の権利が侵される事態となっている。
[編集] 宗教
主に北部ではイスラーム教が、南部ではキリスト教が信仰され、その他土着のアニミズム宗教も勢力を保っており、内訳はイスラーム教が5割、キリスト教が4割、土地固有の伝統信仰が1割となっている。北部はムスリム地区である。スンナ派ムスリムが主流で、シーア派ムスリムはほとんど居なかったが、イランがナイジェリアで支持団体を通じてシーア派とイスラーム革命思想の布教を行い、現在は200万人のシーア派ムスリムが存在する。[2]
独立後、キリスト教とイスラーム教が対立する宗教間紛争が多く起こった。 1982年にはカノでモスクの近くに大聖堂を建てる計画に反対して暴動が、1986年にはババンギダ軍事政権がイスラム諸国会議機構の正式メンバーになることを秘密に決定していたことが発覚し教会やモスクの破壊が続いた。さらに、1987年のカドナ州の暴動では19人の死者、数千人の負傷者がでた。また1990年にはクーデター未遂が起こり、1991年にはカツィーナ、バウチで暴動、1992年カドナ州ザンゴン・カタフで暴動が起こった。2002年は25%以上がキリスト教であるカドナ州でシャリーアを導入するか否かで抗争が起きた[3]。
[編集] 教育
2003年の15歳以上の人口の識字率は約68%である。[4]
主な高等教育機関としてはナイジェリア大学(1955年)、イバダン大学(1948年)、ラゴス大学(1962年)などが挙げられる。
[編集] 文化
[編集] 音楽
フェラ・クティに代表されるアフロ・ビートが生まれた国である。
[編集] 文学
「アフリカ文学」も参照
代表的な作家としては、アフリカ初のノーベル文学賞受賞作家となったウォーレ・ショインカ(1986年受賞)をはじめ、チヌア・アチェベ、ケン・サロ=ウィワ、エイモス・チュツオーラ、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェなどが挙げられる。
[編集] 世界遺産
ナイジェリア連邦共和国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が2件存在する。詳細は、ナイジェリアの世界遺産を参照せよ。
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スクルの文化的景観 - (1999年、文化遺産) |
オシュン=オショグボの聖なる木立 - (2005年、文化遺産) |
[編集] 祝祭日
[編集] ナイジェリア出身の人物
詳細は「ナイジェリア人の一覧」を参照
- イブラヒム・アッボーラ・ガンバリ(国際連合事務次長、国際連合事務総長特別顧問)
- アキーム・オラジュワン(バスケットボール選手)
- オーガスティン・オコチャ(サッカー選手)
- ホーガン・バッセイ(ボクサー。元世界フェザー級チャンピオン。)
- サミュエル・ピーター(ボクサー。世界ヘビー級チャンピオン。)
- ボビー・オロゴン
- アンディ・オロゴン
[編集] 脚註
[編集] 参考文献
- 戸田真紀子『アフリカと政治 紛争と貧困とジェンダー』御茶の水書房、2008
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 政府
- ナイジェリア連邦共和国政府 (英語)
- 在日ナイジェリア大使館 (日本語)(英語)
- 日本政府
- 日本外務省 - ナイジェリア (日本語)
- 観光
- ナイジェリア - ウィキトラベル
- ナイジェリア政府観光局 (英語)
- その他
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最終更新 2009年9月4日 (金) 19:29 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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