ナガサキピースミュージアム
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ナガサキピースミュージアムは、長崎県長崎市の常盤地区にある、平和祈念のための博物館。特定非営利活動法人「ナガサキピーススフィア貝の火運動」が運営している。名誉館長は画家の原田泰治で、理事会長はさだまさしが務めている。
同地出身のシンガーソングライター・さだまさしは、1987年から8月6日の広島の原爆忌に「長崎から広島に向かって歌う」平和祈念コンサート『夏・長崎から』(2006年終了)を行っていたが、年1回のコンサートだけではなく、具体的に「平和の玄関口」になる場所があれば良いと考え、開館のおよそ10年も前から全国のコンサート会場でミュージアム落成の為のボランティア活動を行い始めた。2003年4月19日に開館。設計は古市徹雄。
2005年にピーススフィア発足10年を迎えた。県の土地を借りている為、入館料は無料。
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[編集] モニュメント
ミュージアムに入ると、目の前に福田繁雄が制作を手がけた五線に音符のモニュメントがある。タイトルは「宙(そら)へ」(2004年、九州地方を襲った台風の風により、高さが10メートル弱という高さのため、一度曲がってしまったが、現在は修復され、固定されている)さだが「何故、「五線に音符」がモチーフなのですか?」と尋ねると福田は「平和じゃ無くなる時、真っ先に奪われるのは音楽だからだよ」と答えたという。
[編集] 完成までの紆余曲折
当初はさだ及びピーススフィアの運営側はすぐに募金が集まり、2-3年で完成させられると見ていた。よって最初の頃(1995年頃)は、「募金額は1000円均一。それ以上は受け取りません」「長崎で作り終えたら、次は広島に作りたい」と、さだが宣言していたほどだった。
しかし、意外にリピーターが多いこのコンサートの客の特質ゆえに「1000円均一」では募金額も集まることはなく、既に数多の平和モニュメントが多く作られている長崎の地元民からも「何を今更」感が強かったため評判ははかばかしくなく、さらにこの時点で10年も続けていた「夏・長崎から」に「後乗り」してくる形で始めたこの運動に、古くから「長崎から」に参加している常連客も反発することになった。さだは「長崎から」のコンセプトとして「長崎から日本中へ、長崎から世界中へ、愛を込めて歌う。それだけで十分だ」[1]と言っていたため、ファンの中にも違和感を覚える者が多かったのである。
1998年の「長崎から」前日に、建設予定地で建設開始イベントが行われたのだが、皮肉にもそのイベントを前後した3年目ぐらいには頓挫しかけることとなった。芸能人のボランティア活動でよくありがちの、「知る人ぞ知る」という、平和運動のボランティアとごく一部のコアなさだファンしか知名度と支持を得られなかったのも大きかった。さらに、長崎県・長崎市も当初は支援する姿勢を見せていたが、市議選・県議選で支援を表明していた議員等が入れ替わり、もろ手をあげての支援というわけではなくなったという諸事情もある。
更に、ピーススフィアのボランティアも、いわゆる平和活動家よりかは、さだのファンつながりで参加してきたメンバーが圧倒的に多い「素人集団」で、初期の頃にその募金を募る方法で(開場待ちしている客に向かって、平然と「コンサート代は無料なのだから、コンサート代代わりに募金しろ」と言い放ったボランティアもいた事は、さだファンや、毎年のように「長崎から」コンサートに出向く地元民にはよく知られている)、暑いさなか開場待ちしている客とのトラブルを多く産み、コンサート後の打ち上げでボランティアとコンサート側のスタッフ、さらに打ち上げの場にいたさだまさし本人とも激しい激論が行われ(さだ本人はどちらかというとそのような半ば強制させるような空気を醸し出すスタイルは気に入らなかったと推測される。ただしボランティアの方も「さださんのために」と必死になるあまりに、客に対して結果的に心無い言動に走ってしまった事は一概に悪いとはいえない。それは組織的に未熟だったためにマニュアル等が無かった側面は否めない。後年は、さだ企画にも批判が数多く寄せられて募金箱を持つ際のマニュアルや、事前事後のミーティングも行われるようになったと言われている)、途中で初期のボランティアのメンバーが大幅に入れ替わるなど、内外でのトラブルも尽きなかった。
その後も、途中から「長崎から」のサブタイトルに「ピーススフィアコンサート」を明記したり(これに対しても批判は多かったのは否めない)、建築予定地は決定するものの(先出の、1998年の「長崎から」前日夕方には建築予定地でイベント以後、「建築予定」の看板が建てられたきりでなかなか進行しなかった)、なかなか「募金目標金額が集まらない」すなわち「モニュメントが完成しない」ことに業を煮やしたさだが、2001年の「長崎から」で、歌と歌の間のトークの際に募金箱をもってステージから降りるパフォーマンスを行った。狂喜した最前列付近の熱狂的ファンなどから多額の募金を得ることはできたが、同時に後ろの方で見ていた客からはブーイングが起き、しかもその状況がNHK-BSでの生中継で全国に映し出されてしまった。さだ本人は何度も「この募金は強制ではありません」といいつつも、半ば間接的に強制するようなこのパフォーマンスは、いかに同運動が募金面などを見ても支持が少なく、行き詰っている事を露呈する事になってしまった(このパフォーマンスはさだ本人の独断であったという。実際に当日はスタッフが何度も制止しようと試みたが、「こんなにボランティアが頑張ってるのに」とさだが強行してこのような状態になった。なおこの日だけで100万円近く募金が集まったと同日のコンサート中にさだが発表するシーンも見られた)。
さすがにさだ企画側も現地でそれを見た客はもとより、NHK-BSの生中継を見ていた視聴者・ファンからそれに対しての「あれはいくらなんでもやりすぎだ」との批判や抗議が殺到し、一時はネットを中心に、大手のさだファンサイトの掲示板等でさだ批判とピーススフィア運動の是非についての大論争に発展したりした。翌年からはNHK-BSの中継時間外(「NHKニュース7」の時間帯は中継が中断されていた)を見計らってそのようなパフォーマンスが行われたりと「配慮」も行ったが、これにより「ピーススフィア以前」の古参ファンの多くが「長崎から」ひいてはさだ本人から離れるきっかけになったのも否めない。
更に事務局が組織的に完全に未熟だったため、会計に関しては相当な丼勘定の状態で募金総額の割にはかなりの欠損金が発生し、これが後年の法改正による(1995年当時はまだ法的に存在していなかった)NPO法人化に踏み切ったという説もある。
いずれにしろ当初の予定募金額には大きく届かなかったため、その後、募金額を「1000円均一」から「1000円以上」に切り替え、かなり大幅に遅れて2003年にどうにか完成と相成ったのだった。
[編集] 今後の課題
「長崎から」が2006年夏で終了し、同運動・モニュメントの維持費に関してはもっとも募金額が集まるイベントが終了してしまった(2007年夏に広島で開催することは決定したが、その後は未定である)。現在は、さだのコンサート会場の売店の隣にブースを置いて宣伝や募金活動を行ってはいるが、草の根的に全国各地で細々とやっている同運動の関連サークルや、ごく一部の熱心なさだファンを除いて拒否反応は大きく、2001年の募金箱を降りたパフォーマンス以後はこの一連の議論に関しては、さだファンの中で「タブー」になっている側面もあるという。同様に、さだ本人の所属事務所「さだ企画」の営業面からしてみても、それほどこの運動に対しては熱心ではなく(日本の芸能界は、政治色や宗教色がつくのを忌避する傾向があり、ともすれば特定のイデオロギーに偏りがちな現在の平和運動の諸問題[2]と、もともとがさだが独断専行ぎみに勢いで始めてしまった運動で、始めてしまった以上は反対はしないが積極的に支援もしない、という複雑な感情が垣間見られる)、できれば「長崎から」終了と同時に、沙汰やみにしたいという考えがあるのも否めない(NPO法人化に踏み切ったのは、経理面の不透明さを解消するのが最大の理由の一つだろうが、さだ企画側からしてみても「いつまでたってもさだにおんぶにだっこでは(毎年無料で開催されていた「長崎から」等でかかっていた赤字等もあるため)会社的にはたまったものではない」という懸念もあると見られる)。さだ自身も、通常のコンサート・ツアーでは、(ロビーの片隅にグッズ売場と並べてブースを設けて宣伝・募金活動等を行っている事は多いが)これに関する話はほとんどしていない。
この運動は数多な有名人が賛同者として名を連ねているが、「長崎から」以外の公式の場でこの運動の発言をしたのをほとんど聞いたことがない、よってその賛同者の有名人を介してこの運動を知ることは全くないといえる(10年以上連続でゲスト出演した加山雄三を経由してこの運動に入った加山ファンなどはほとんど聞いたことはない)。つまり、この運動自体が、地方公共団体から土地等を提供されているのも関わらず、さだまさしがプロデュースする、さだファンのための、平和的モニュメントという位置づけで自己完結、悪く言えば「私物化」して留まってしまっている事が最大の問題点だと推測される。そしてNPO法人化されて以後も、(運動員の大半はさだの熱心なファンだった事がきっかけで入ってくるため)「さださんの意向は…」などと、さだ本人やさだ企画等に気がねしてしまい、なかなか意見や議論が出にくい閉塞感は変わっていない。それに関してはもともとこの運動には乗り気ではない・快く思っていない多くのさだファンからは、「それではNPO法人化した意味がないではないか」という強い批判も当然の事ながら出ている。またそれらの意見に関してはこちらの事務局にではなく、さだ企画に送ってくるファンが非常に多いのも現状である。
更に、今は「長崎から」等の余韻で熱心なさだファンが長崎を訪るなどで募金等の支援はしているが、「長崎から」が終わって以後、いつまでその熱意が続くかはさだかではないのは言うまでもない。ある意味「さださんがやっているから」というミーハー的感覚で支援・応援しているファンが大半で、ただでさえ知名度が低く、さだファンから拒否反応を示され、一部の熱心なコアなファンが支え続けるという保証はまったくないため、「長崎から」終了後にどのぐらいまでさだファン以外の知名度をあげてゆくかがポイントになると思われる。唯一、切り札となりうるのが、長崎の旅行ガイドブックに、このモニュメントが紹介される事が増えたため、旅行者が「地元・長崎を代表する、紅白歌合戦の常連の有名な歌手が作った」このモニュメントを知って訪れて知名度が若干上がってゆく事であろう。
つまり大半のファン・支援者等は「(募金が集まって)モニュメントが完成してよかったね」と一応の完結として捉えている者が多いが、実はこの運動の正念場は維持費をどう募金等で賄っていくのかという意味ではここから始まると言ってもよいのである。
[編集] 開館日・開館時間
- 午前9時30分-午後5時30分
- 夏の間(7/1-8/31日迄)は閉館時間は6時30分
[編集] 脚注
[編集] 休館日
- 毎週月曜日
- 年末年始(12/31-1/1迄)
さだまさしが毎年行っている(2006年を持って終了)「夏長崎から」コンサートの翌日は、全国から詰めかけたファンがミュージアムに行くため、ミュージアム内は人でいっぱいになる。それと同様に、さだまさしオフィシャルグッズ店「雨やどり」も人でいっぱいになる。
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年8月14日 (金) 01:41 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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