ナチス左派
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ナチス左派とは、ドイツの国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)において社会主義を強調していた党内左派グループを指す。「革命的ナチス」とも呼ばれる。グレゴール・シュトラッサー、オットー・シュトラッサーのシュトラッサー兄弟がその代表者とされた。また、エルンスト・レームもナチス左派の協力者であった。
ヨーゼフ・ゲッベルスも生粋のナチス左派であり、アドルフ・ヒトラーに味方した後も、元共産党員として忌まれていたローラント・フライスラーの法相推薦や対ソ和平の提案(マルティン・ボルマンが却下)など左派の名残があり続けた。また、ハインリヒ・ヒムラーもグレゴールの秘書を務めていた経歴を持ち、SA隊員だった時は他の隊員同様、レームに深く心酔していた(離党して養鶏農家を始めようか迷い、シュトラッサーに相談していたエピソードがある)。
政策的には反ユダヤ主義よりも社会主義に関心が強かった。ナチス左派は、独自の労働組合も組織し、特に北部に強い基盤をもっており、勢力伸張のために財界・資本家との提携に前向きであったヒトラーには批判的であった。
ヒトラーはナチスの左翼的側面を大衆にアピールするため、彼らと団結していたが、政権掌握前後からは彼らにヒトラーへの忠誠を強い始める(例としては、挨拶を、彼らが行っていた「ハイル・ドイチュラント(ドイツ万歳)」から「ハイル・ヒトラー」に変えさせた)。そしてその延長として古参者を粛清した。この背景にはレームが率いる突撃隊の素行が市民から不評であったことや国防軍との軋轢、また一般労働者だけでなく会社役員や管理職も組合員とした官製御用組合・労働戦線の議長になったグレゴールが労働者寄りの態度を取ったことで、ヒトラーの支持基盤である財界から嫌われたことが原因とされている。
1931年にヒトラーとの確執からオットー・シュトラッサーが離党、1934年には長いナイフの夜事件により、レーム、グレゴール・シュトラッサーら象徴的人物が粛清されてから反ヒトラー的な左派は影を潜めたが、一部はヒトラー勢力に加わり、影響力を保持した。
[編集] 関連作品
- 粛清直前のシュトラッサーが、同じく危うい立場のレームに共闘を持ちかけるフィクション
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最終更新 2009年5月18日 (月) 19:19 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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