ニコライ・マルコ

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ニコライ・マルコNikolai Malko, 1883年5月4日 ウクライナのセマキ - 1961年6月23日 シドニー)はソビエト連邦出身の指揮者

[編集] 生涯

ペテルブルク音楽院にてニコライ・リムスキー=コルサコフニコライ・チェレプニンなどに師事した後、ミュンヘンでフェリックス・モットルの下で特にリヒャルト・ワーグナーを研究。その後ペテルブルクマリインスキー劇場で指揮者として活動。1925年からレニングラード音楽院の教授としてエフゲニー・ムラヴィンスキーなどの指揮者を育てた。また、1926年から1929年までレニングラード・フィルハーモニー交響楽団の常任指揮者も務めた。

ディミトリー・ショスタコーヴィチの『交響曲 第1番』・『第2番「十月革命に捧げる」』、ニコライ・ミャスコフスキーの『交響曲 第5番』の世界初演を指揮した。『ショスタコーヴィチの証言』においては、ショスタコーヴィチに慇懃な口調で、ヴィンセント・ユーマンスの『二人でお茶を』の編曲をそそのかした張本人として揶揄されている。

スターリン体制になるまでにいち早く西側に渡り、デンマーク国立放送交響楽団の指揮者を務めた。戦後はフィルハーモニア管弦楽団を指揮してEMIへ録音を行い、1955年2月にはEMI正規の初のステレオ録音であるプロコフィエフの『交響曲第1番「古典」』 、『交響曲第7番 「青春」』、組曲「3つのオレンジへの恋」をレコーディング。1957年から1961年まではシドニー交響楽団の首席指揮者に就任して、しばしばオーストラリアイギリスで録音活動を行なった。1959年には東京交響楽団に招かれて来日している。

最終更新 2009年10月25日 (日) 15:55 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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