ニコラ・ディ・リエンツォ

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ニコラ・ディ・リエンツォ(Nicola di Rienzo,1313年頃-1354年10月8日)は、14世紀半ばのイタリアローマの政治家。名前についてはコーラ・ディ・リエンツォ(Cola di Rienzo)あるいはリエンツィ(Rienzi)とも表記する。生年についても1314年という説もある。本名ニコロ・ガブリーニ(Nicolo Gabrini)。

ローマで貧しい居酒屋の子として生まれた。ほぼ独学で高い人文主義的教養を身につけ、やがて公証人となった。その後、アヴィニョン捕囚教皇クレメンス6世への使節となって同地に赴き、クレメンス6世の知遇を得た。

当時、ローマではオルシーニ家コロンナ家を中心とした貴族寡頭政治が行われていたが、リエンツォは1347年5月20日に民衆を扇動して蜂起し、貴族階級の中心だった元老院議員たちを追放した。同年8月15日にローマ市民に推されて護民官に就任した。(コーラ革命)

しかし彼は次第に専制的手法をとるようになり、そのためにローマ市民の反感を買った。その後、当初彼を支持した教皇クレメンス6世と対立したため後ろ盾を失い、12月15日に護民官を辞職してローマから逃亡。カール4世のもとに亡命したがそこでも追放され、教皇庁に逮捕されてアヴィニョンに幽閉された。

1354年8月、リエンツォは教皇インノケンティウス6世により許されてローマに帰還し、市民層の根強い人気を背景に復権を図った。しかし同年10月8日、暴徒によって議会で殺され、死体を市中に引きずり回された。41歳(40歳とも)だった。

彼はイタリア統一の理想を掲げ、ペトラルカら同時代人に大きな影響を与えた。リエンツォの生涯は、後にワーグナーの歌劇『リエンツィ』(1840年完成)に題材を提供している。

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最終更新 2009年11月14日 (土) 07:35 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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