ニッカウヰスキー

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ニッカウヰスキー株式会社
Nikka Whisky Co.,Ltd
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 ニッカ、NIKKA
本社所在地 日本
〒107-8616
東京都港区南青山五丁目4番31号
電話番号 03-3498-0331
設立 1934年
業種 食料品
事業内容 ウイスキーブランデー焼酎チューハイなど酒類の製造
代表者 山下 弘(代表取締役社長)
主要株主 アサヒビール株式会社 100%
主要子会社 株式会社北海道ニッカサービス
株式会社仙台ニッカサービス
ニッカ製樽株式会社
ベン・ネヴィス社(イギリス法人) 他
関係する人物 竹鶴政孝
外部リンク http://www.nikka.com/
特記事項:設立時の商号は「大日本果汁株式会社」。
  
ニッカウヰスキー北海道工場

ニッカウヰスキー株式会社(にっかういすきー)は、日本の洋酒メーカー。アサヒビールグループの一員。まれに、ニッカウ井スキーと表記する場合もある。

1934年北海道余市郡余市町に会社の前身である「大日本果汁株式会社」を設立。「ニッカ」のブランドの由来は「大日本果汁」を略した「日果(にっか)」から来ている。 2001年、筆頭株主のアサヒビール株式会社が全株式を取得、アサヒビールの完全子会社となった。ニッカウヰスキーが製造・輸入する商品の販売をアサヒビールが行なっている。

目次

[編集] 歴史

寿屋(現在のサントリー)でウイスキー製造に従事していた竹鶴政孝が、よりスコットランドに近い気候の北海道で、よりよいウイスキー作りをするために退社し、資本を集めて北海道余市で創業したのが始まりである。最初期の筆頭株主は加賀証券社長の加賀正太郎。加賀は社内では御主人様と呼ばれ、創業者の竹鶴は専務と呼ばれた。

ウイスキーは製造開始から出荷まで数年かかるため、最初期は余市周辺の特産品であったリンゴを原料に、リンゴジュース(商品名は日果林檎ジュース、のちに日果林檎汁)、リンゴワイン、リンゴゼリーなどを製造・販売していた。しかし、創業者竹鶴の品質へのこだわりはリンゴジュースにも及び、高価な果汁100%ジュースしか出荷しなかったためあまり売れなかったという。

ニッカウヰスキーによれば、日果林檎ジュースは製品化された日本初の果汁100%リンゴジュースである。ただし、より正確には、壽屋(現サントリー)がそれ以前に濃縮ジュース(果汁100%を超える)を製造販売している。現在はニッカは果汁100%ジュースの製造販売は行っていない。同系列メーカーのアサヒ飲料による「バャリースアップル」に引き継いでいる。

1940年にウイスキーの出荷を開始。製品はリンゴジュースの商品名「日果」をカタカナにし、ニッカウヰスキーと名づけられた。直後にウイスキーは統制品となり、大日本果汁は海軍監督工場となった。このときは将校への配給用の酒を製造するために優先的に原料が割り当てられたため、事業の継続ができた。

1943年、竹鶴政孝が社長に就任。

大戦が終わると、他社から相次いで低質の三級ウイスキーが発売されるが、品質にこだわり、低価格商品を投入しなかったため再度経営が苦しくなる。加賀は経営上の理由から再三、三級の発売を要求。1950年と1951年に、低質の三級ウイスキー(商品名ニッカポケット壜ウヰスキー、ニッカ角壜ウヰスキー)を発売するが、原酒を当時の税法の制限いっぱいの5%ぎりぎりまで入れた。着色料も粗悪品ではなく、わざわざ砂糖を原料に自社生産したカラメルを使用したという。

1952年、ニッカウヰスキーに商号変更し、本社を東京都中央区日本橋に移転。同年、港区麻布(現在の六本木ヒルズ所在地)に東京工場を設置した。この工場は瓶詰めを行うためのものであった。余市から東京への輸送コストを抑えるのが主目的であるが、当時、ウイスキーは出荷時に課税されていたため、輸送時の破損分への課税を防ぐためにも大消費地に瓶詰め工場を置くことが必要であった。

1954年、病床にあった加賀が死期が近いことを知り、死後の株券の散逸を防ぐために他の主要株主と共に朝日麦酒(現アサヒビール)に保有全株式を売却。この時点で朝日麦酒は過半数の株を持つことになり、ニッカは朝日麦酒グループ入りすることになった。御主人様とまで呼ばれた事実上の社主の突然の行動にニッカ社内は騒然となるが、社長の竹鶴は、当時の朝日麦酒社長が知人であることから全く動じなかった。加賀は敢えて竹鶴の知人を売却相手に選んだのだと考えられている。朝日麦酒は役員1名を派遣したのみで製造には口を出さなかった。

当時、ニッカの二級ウイスキー(かつての三級ウイスキー)は他社製より高く、あまり売れていなかった。朝日麦酒から派遣された役員が、売り上げが倍になれば、品質を落とさなくても他社と同価格で販売できると竹鶴を説得。1956年、新二級ウイスキーの丸びんウヰスキー(通称、丸びんニッキー)を、業界首位の寿屋の主力商品、トリスウイスキーと同価格で発売した。積極的なセールス活動を行った結果、実際にニッカの二級ウイスキーの売り上げは1年で倍増し、ニッカの販売額も業界3位から2位に浮上した。またこれにより他社のセールス活動も激化。ウイスキー販売戦争となった。当時、洋酒ブームが起きており、ニッカ以外も含めた日本でのウイスキー消費量全体も増加した。

1959年、筆頭株主の朝日麦酒が資本投下を行い、西宮工場が竣工。1963年にはここでグレーンウイスキーが製造できるようになり、ブレンドの幅が広がった。なお、グレーンウイスキー製造設備は、1999年に仙台工場に移設された。(より正確には、竣工当時の西宮工場は朝日麦酒100%子会社の朝日酒造の工場で、ニッカとは同系列企業で社長が兼任(竹鶴政孝)というだけで直接の資本関係はない)

1964年、日本初のモルトウイスキーとグレーンウイスキーをブレンドしたウイスキー、ハイニッカを発売。翌1965年には同じく2種のウイスキーをブレンドしたブラックニッカを発売する。

ハイニッカ、ブラックニッカに対し、業界首位のサントリーも対抗製品を発売して応戦。再びウイスキー販売戦争が起こった。

1967年、東京工場を千葉県柏市に移転。

1969年には余市蒸留所に続いて2番目の蒸留所となる宮城峡蒸留所(仙台工場)が竣工。この工場の建設候補地を見学に来た際、創業者の竹鶴政孝が、この地を流れていた新川の流れを見て、突然、その水で水割りを作って飲みはじめ、その場で建設を決めたという。このとき、竹鶴はその川の名が新川ということを知らなかった。地元の人に川の名を尋ねると、にっかわという答えが返ってきたので、何故、既にニッカが工場を作ることが知られているのかと驚いたという逸話も残っている。

1989年、しばらく前に操業を停止していたスコットランドのベン・ネヴィス蒸溜所を買収。

2001年、かつてから関係の深かったアサヒビールがニッカの全株式を取得。完全子会社化し、ニッカは完全にアサヒビールグループの一員となった。

[編集] キング・オブ・ブレンダーズ

右手に大麦の穂を、左手にウイスキーのテイスティング用グラスを持つ男は、事実上、ニッカのマスコットキャラクターになっている。この男の絵は、1965年、ブラックニッカのラベルで初めて使用され、その後も数種のニッカ製ウイスキーのラベルに印刷され続けている。この男はウイスキー愛好家たちにはローリー卿と呼ばれ、17世紀の冒険家ウォルター・ローリー(w:en:Walter Raleigh)がモデルだといわれているが、2代目マスターブレンダーの竹鶴威によれば、実際のモデルはよくわからないという。また別の説によれば、19世紀、ウイスキーのブレンドの重要性を説いたW・P・ローリーであるともいわれている。2005年現在、ブラックニッカクリアブレンドのラベルは後者の説をとっている。像の向きは当初向かって右向きであったが、後に向かって左向きに変えられた。変えられた理由も不明だが、当時の広告に左、右を向いた2種類のウイスキーのボトルの顔が向き合う写真が使われており、ディスプレイ上の理由で2種類作られたもののうち片方が残ったものと考えられる。

[編集] 歴代マスターブレンダー

  • 初代 - 竹鶴政孝
  • 第2代 - 竹鶴威
  • 第3代 - 佐藤茂生

[編集] ウイスキー

国産シングルカスクウイスキー
  • 十年浪漫倶楽部 余市
  • シングルカスク余市
  • シングルカスク仙台宮城峡
国産モルトウイスキー
  • シングルモルト余市
シングルモルト余市1987が2008年WWA(※1)世界最優秀賞(WORLD'S BEST SINGLE MALT WHISKY)を受賞
  • シングルモルト仙台 ※終売品
  • シングルモルト宮城峡
  • 竹鶴
竹鶴21年が2007年、2009年WWA(※1)世界最優秀賞(WORLD'S BEST BLENDED MALT WHISKY)を受賞
  • 北海道
  • ピュアモルト
ピュアモルトブラック
ピュアモルトレッド
ピュアモルトホワイト
  • スーパーニッカ原酒 ※終売品
  • 伊達(宮城県限定)
国産ブレンデッドウイスキー
  • ザ・ブレンド
ザ・ブレンド 17年
ザ・ブレンド セレクション
ザ・ブレンド
  • ニュー・ブレンド
  • キングスランド
  • スーパーニッカ
スーパーニッカ 15年 ※終売品
スーパーニッカ
スーパーニッカ クリア ※終売品
スーパーニッカ 和味(なごみ)
  • フロム・ザ・バレル
  • G&G白ビン
  • オールモルト
  • モルトクラブ
  • ブラックニッカ
ブラックニッカ 8年
ブラックニッカ スペシャル
ブラックニッカ クリアブレンド
  • ハイニッカ
  • ニューカーム(コープブランド)

追記:蒸留所あるいはインターネットのみでの数量限定販売となる「シングルカスク 余市」は「ウイスキーマガジン」主催のウイスキーテイスティングで高い評価を得ている。 シングルカスクウイスキーとは、1つの樽から取り出してボトルに詰めたウイスキーで、そのため樽によって個性が異なり、アルコール度数も60%(普通に売られているウイスキーは40%くらい)くらいになる。1つの樽からとれるウイスキーも限られることから市場にはあまり出回らない。

また、余市と仙台の各蒸留所で使用されている蒸留機の違いから、余市のシングルカスクは力強く、仙台のそれは柔らかくまろやかである。

ニッカでは下記の4種類の樽を使用して熟成させており、それぞれが独特な個性を引き出しているため、シングルカスクではその違いを楽しむことができる。

  • 新樽(ホワイトオーク材を使用した新品の樽)
  • 活性樽(一度熟成に使用した新樽の内面を再度焦がした樽)
  • バーボン樽(バーボンの熟成に使用した樽)
  • シェリー樽(シェリー酒の熟成に使用した樽)

(※1)WWA(ワールド・ウイスキー・アワード)は、英国のウイスキー専門誌「ウイスキーマガジン」の発行元であるパラグラフパブリッシング社が主催する、世界中のウイスキーを対象としたコンペティション。2001年から2年に1度実施していた、「ザ・ベスト・オブ・ベスト」というブラインドテイスティングによるコンペティションを、07年からはWWAと名称変更して、広く市販されている製品(オフィシャルボトル)に限定し、7つの部門で1品ずつ世界最高峰を認定。7つの部門は、①シングルモルトウイスキー、②ブレンデッドウイスキー、③ブレンデッドモルト・ウイスキー(ピュアモルト)、④グレーンウイスキー、⑤アメリカンウイスキー、⑥ウイスキーリキュール、⑦ニューリリースとなっている。

[編集] ブランデー

  • ニッカブランデーX.Oデラックス
  • ニッカブランデーX.O
  • ニッカブランデーV.S.O.Pデラックス


[編集] チューハイ・缶カクテル

  • アサヒドライクーラー
  • ハイリキ
  • 旬果搾り
  • 旬果搾りナチュリア
  • ニッカシードル
※ハイリキ、旬果搾りは、旭化成が製造・発売していた商品だったが(焼酎「どんなもん大」も)、2002年に旭化成が酒類事業から撤退、アサヒビールが発売を引き継ぎ、ニッカウヰスキーが製造している。

[編集] 焼酎

  • SAZAN(甲類焼酎)
2004年発売。宮城峡蒸留所に於いて製造。
  • 一番札(本格焼酎)
  • 源氏(甲類焼酎)
  • どんなもん大(甲類焼酎)
上記3銘柄は旭化成から引き継いだ商品。
  • かのか(甲・乙混和焼酎。麦・米・芋の3種類)
  • 玄海(本格焼酎。麦、蕎麦の2種類)
  • 大五郎(甲類焼酎)
  • ダイヤ(甲類焼酎)
上記4銘柄は協和発酵(現・協和発酵キリン)から引き継いだ商品で、アサヒビールと協和発酵の合弁による「アサヒ協和酒類製造」が製造していたが、2006年1月1日にニッカウヰスキーとアサヒ協和酒類製造が合併し、ニッカウヰスキーが製造権を引き継いだ(旧協和発酵の門司酒類工場は、ニッカ門司工場として稼動中)。

[編集] 本社

  • 東京都港区南青山5-4-31

[編集] 工場

※ - 旧協和発酵→アサヒ協和酒類製造門司工場。
  • ベン・ネヴィス蒸留所(英国)※
※1989年からニッカウヰスキーが所有

工場は上記の7つだが、北海道工場と仙台工場はそれぞれ余市蒸留所(石炭を燃料とする直火焚きポットスチルを設置)、宮城峡蒸留所(ポットスチルは蒸気による加熱、また日本唯一、世界でも数少ないカフェ式連続蒸留機を設置)を併設しており、ニッカウヰスキーの中では重要な役割を持つ工場となっている。

過去には大分県日田市に九州工場があったが、合理化などで廃止され、跡地は焼酎メーカー大手・三和酒類いいちこ)の日田蒸留所として使われている。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年9月12日 (土) 11:35 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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