ニューディール政策
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ニューディール政策(−せいさく、New Deal)は、アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトが世界恐慌を克服するために行った一連の経済政策。新規まき直し政策とも呼ぶ[1]。それまでアメリカの歴代政権が取っていた古典的な自由主義的経済政策(政府は市場には介入せず、経済政策も最低限なものにとどめる)から、政府がある程度経済へ関与する社会民主主義的な政策へと転換したものであり、第二次世界大戦後の資本主義国の経済政策に大きな影響を与えた。世界で初めてケインズの理論を取り入れたと言われる。
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[編集] 概要
ルーズベルトは1933年3月4日に大統領に就任すると、翌日には日曜日にもかかわらず「対敵通商法」に基づき国内の全銀行を休業させ、ラジオ演説で1週間以内に全ての銀行の経営実態を調査させ預金の安全を保障することを約束し、銀行の取り付け騒ぎは収束の方向に向かった。
更に議会に働きかけて矢継ぎ早に景気回復や雇用確保の新政策を審議させ、最初の100日間でこれらを制定させた[2]:
- 緊急銀行救済法
- TVA(テネシー川流域開発公社)などの公共事業。
- CCC(民間資源保存局)による大規模雇用。
- NIRA(全国産業復興法)による労働時間の短縮や超越論的賃金の確保。
- AAA(農業調整法)による生産量の調整。
- ワグナー法「全国労働関係法」労働者の権利拡大。
対外的には保護主義貿易から自由主義貿易に転じ、大統領権限による関税率の変更や外国と互恵通商協定を結ぶ権限が議会で承認された。変わったプロジェクトとしては公共事業促進局の実施する対数表プロジェクト (Mathematical Tables Project) があり、同プロジェクトにおいて対数表の精度向上の試みが行われた。これは弾道計算や近似計算の精度向上に寄与し、第二次世界大戦時の米軍の着弾命中精度の向上やマンハッタン計画における爆縮レンズ(ZND理論)に影響を与えた。
[編集] 政策に対する賛否
これらの政策によって1930年代中ごろには経済に回復の兆しが現れたが、いち早く均衡財政へ回帰しようとする動きから、政策後退が起きたために1930年代後半には危機的な状況へ陥り、政策のいくつかが最高裁で違憲判決が出た[3]。法政大学経済学部教授の飯田隆は『図説 西洋経済史』で、「ニューディール政策は計画的なアメリカ経済の立て直しの方策ではなかった」と主張。後年には「場当たり的で一貫性に欠けていて、行うべきではなかった」と経済学者に酷評されていたことを紹介している。一連の政策をもってしても失業者は急激に減少せず失業率は高いままで推移し、雇用も実質GNPも目立った変化は見られなかったとしている。
以後、本格的な景気の回復は第二次世界大戦による軍需の増加を待たねばならなかった。実際、1941年の第二次世界大戦参戦以降は軍需の増大によってアメリカ経済は完全に恐慌以前の水準に回復した。このため、ニューディール政策が成功したのかどうかについては賛否が分かれている。
近年では太平洋戦争が無くても成功したのではないかという意見と、最初から太平洋戦争の開戦が無ければ成功しえない政策であったという意見が対立し、議論の対象になっている。
[編集] 注釈
- ^ “New Deal”とは、トランプゲームなどで親がカードを配り直すことを言い、それに例えて政府が新たな経済政策を通じて国家の富を国民全体に配り直すことを意味している。
- ^ これ以降、新大統領が「最初の100日間で何をするか」というのが大統領選挙における最も重要な公約となった。
- ^ 河村哲二『現代アメリカ経済』有斐閣では、NIRAやAAAが公正競争を阻害するとする判決が出た、と書いている。
[編集] 関連事項
最終更新 2009年10月21日 (水) 01:29 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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