ネルソン・ピケJr.

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ネルソン・ピケJr.
基本情報
フルネーム ネルソン・アンジェロ・タムスマ・ピケ・ソウト・マイオール
国籍 ブラジル
出身地 ドイツハイデルベルク
生年月日 1985年7月25日(24歳)
F1での経歴
車番 -
所属チーム -
活動時期 2008-2009
過去の所属チーム '08-'09 ルノー
出走回数 28
優勝回数 0
通算獲得ポイント 19
表彰台(3位以内)回数 1
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 2008年オーストラリアGP
2009年順位 19位(0ポイント)
タイトル 0
(記録は2009年第10戦終了時)

ネルソン・アンジェロ・タムスマ・ピケ・ソウト・マイオールNelson Ângelo Tamsma Piquet Souto Maior1985年7月25日 - )は、ブラジル国籍のレーシングドライバーである。

ネルソン・アンジェロ・ピケNelson Angelo Piquet)あるいは、ネルシーニョ・ピケNelsinho Piquet)とも呼ばれる。

GP2A1GP参戦時の登録名は「Nelson Piquet Junior」。F3参戦時は「Nelson A. Piquet」。フォーミュラ1参戦時の登録名は「Nelson Piquet」。

父親は3度のF1ドライバーズチャンピオンを獲得したネルソン・ピケ

目次

[編集] 出生

ドイツハイデルベルク生まれ。母はオランダ人のシルビア・タムスマ(Sylvia Tamsma)で、ピケJr.の出生直後に両親は別居するようになったため、幼児期はモナコに住み、8歳の時に父とともにブラジルへ渡った。これは母親のシルビアがピケJr.に、自分自身の父親についてよく知ること、その祖国であるブラジルと言葉(ポルトガル語)を学ぶことを望んだためである。

ブラジルにおいては、他の兄弟同様、父親が所在するブラジリア出身という扱いとなる。

[編集] 初期の経歴

1993年、ブラジルに移り住んですぐにカートレーシングを始めた。

2001年には父の経営するレーシングチームであるピケ・スポーツより南米F3に7戦のみ参戦して1勝をあげた。翌2002年には同シリーズ全17戦中16回のポールポジションを獲得すると決勝でも13勝をあげてシーズンを席巻し、チャンピオンに輝いた。

2003年よりヨーロッパへ戻ると、父ピケはピケJr.のためにやはりピケ・スポーツの名でチームを設立し、ピケJr.は同チームからイギリスF3に参戦し、6勝をあげてランキング3位。マールボロ・マスターズにも出場し、ポールポジションを獲得している。同年にはケケ・ロズベルグの息子のニコ・ロズベルグと共にウィリアムズからF1のテストドライブも経験した。

2004年にも6勝をあげ、イギリスF3では最年少となる19歳2ヶ月でチャンピオンを獲得した。この年もシーズン後にウィリアムズのテストに参加した。

2005年にはGP2への参戦を開始。ここでも父ピケは既存のレーシングチームであるハイテック(Hitech)チームに参画することでハイテック・ピケ・スポーツとし、ピケJr.は同チームに所属した。スパ・フランコルシャンのレース1では優勝をあげている。また、F1のB・A・Rチームのテストにも参加した。この年は、同じくブラジル人F1チャンピオンを親族に持つブルーノ・セナがイギリスF3への参戦を始めたため、「二世ドライバー」としてブラジルでは併せて注目を集めるようになる。

同じ2005年、9月に初めて開幕した冬季開催の国別対抗の2005-2006A1グランプリにブラジル代表として参戦。ブランズ・ハッチで行われた開幕戦でスプリントレース、フィーチャーレースを共に制し、ファステストラップまで刻むという完勝劇を見せた。その後はマシントラブルなど苦難が続き、結局ブラジルチームは総合結果6位で幕を閉じる。(ピケJr.は第8戦以降、参戦していない。最高位1位2回、2位と3位を各1回。)

2006年は引き続きGP2に参戦し、4勝をあげチャンピオン争いを展開するが、ルイス・ハミルトンに及ばず、ランキング2位で終えた。しかしながら、ハンガロリンクでのレースではポールポジションを獲得すると、レース1を優勝。レース2ではリバースグリッドとなるため、レース1の勝者が優勝することは困難であるにも拘わらずレース2も優勝し、更に両レースでファステストラップも記録するという完全勝利を飾った。以前に同一ラウンド中の2レースで連勝を達成したドライバーとしては、前年最終戦で達成したロズベルグと、2006年のニュルブルクリンクシルバーストンで達成したハミルトンがいるが、いずれもポールポジションかいずれかのファステストラップを逃している。

なお、父ピケのチームによるサポートは、元々ピケJr.がF1に参戦するまでの予定であったが、その後もブラジルのピケ・スポーツを含め、GP2などヨーロッパのレースでも参戦を継続しているとともに、GP2に参戦するチームはピケJr.自身がチーム代表を引き継いでいる。

[編集] F1での経歴

2007年ルノーチームのテストドライバーを務め、翌2008年、ルノーのレギュラードライバーとしてF1に参戦。チームメイトのフェルナンド・アロンソが度々予選でトップ10に入り込む活躍を見せる中で、自身は下位に沈むことが多く、決勝でも第7戦カナダGPまでに5回のリタイアを喫している。第8戦フランスGPでは初めて予選Q3に進出すると、決勝でも7位入賞を果たし始めてポイントを獲得した。

シーズンのハイライトは第10戦ドイツGP。予選こそ17位と下位に沈んだものの、1回のピットストップ作戦を完了した直後にセーフティカーが導入され、その後に多くのドライバーがピットインし一時は首位を走行した。最終的にハミルトンにオーバーテイクされたが、見事に2位表彰台を獲得した。

その後の8戦でも目立った活躍は見られず、逆にミスが目立ち、シーズン途中の解雇も噂された[1][2]第15戦シンガポールGPでは14周目にクラッシュを喫したが、これによりセーフティカーが導入されたことがチームメイトのアロンソに有利に働き、アロンソは15位スタートから優勝。思わぬ形でチームに貢献する結果となった。

結局予選でチームメイトのアロンソを上回ることは1度もなく、決勝でも全18戦中半分の9戦でリタイアを喫し、アロンソが2勝を含め12回の入賞を果たしたのとは対象的に、入賞5回のみにとどまった。

2009年は競争力のない車にチームメイトのアロンソと共に苦戦を強いられた。開幕戦オーストラリアGPでは、一時5位を走行したもののコースオフしてリタイアを喫した。その後のレースでも中段から下位での争いが続き、成績不振から解雇の噂が広がっていた第9戦ドイツGPでは、アロンソがファステストラップを獲得したのに対して1.5秒落ちの12番目のタイムだった。次戦第10戦ハンガリーGPには出走したが、アロンソが予選でポールポジションを獲得したにも関わらず、ピケJr.は15位に終わった。そして、このレースを最後にルノーを解雇された。

[編集] クラッシュゲート

2009年、シーズン途中にルノーを解雇された直後の8月末、先述の2008年シンガポールGPでのクラッシュがチームの指示による意図的なものだったのではないかとの噂が流れ、FIAが調査を始めた[3]。この事件の始まりは、ピケJr.本人の告発によるものであることが、後にピケJr.が7月30日にFIAに提出した供述書のコピーがメディアに流出したことで明確になった[4]。これによると、チームの首脳フラビオ・ブリアトーレパット・シモンズとピケJr.の三者間で事前に、実行する周回数や場所を打ち合わせたとされている。

そして9月4日、FIAは正式に9月21日に開催されるFIA世界モータースポーツ評議会の臨時会議にルノー首脳陣を招聘することをプレスリリースで表明した[5]。これに対しルノーは、評議会の開催までは公式な発言を行わない方針を示していたが[6]、先述の供述書や、テレメトリーデータ[7]、無線の内容[8]の流出を深刻に受け止め[9]、ピケJr.及び父ピケを相手取り、法的措置を取ることを表明した[10]。しかし9月16日、ルノーはFIA世界モータースポーツ評議会の臨時会議においてピケ父子の供述に異議を申し立てない方針を新たに表明し、合わせてブリアトーレとシモンズはチームから離脱したことが発表され[11]、事実上その罪を認めた[12]

9月21日に行われた世界モータースポーツ評議会の公聴会で、2年間の執行猶予付の参戦資格剥奪という有罪判決がルノーに下された。同時に、今回の事件を計画・指示したとして、ブリアトーレはFIAが統括する全てのモータースポーツ競技から無期限の追放処分、シモンズは5年間の追放処分となった。ピケJr.に関しては調査に協力したとして責任追及を免除された[13]

[編集] F1での年度別成績

(2009年第10戦終了時)

所属チーム 車番 ランキング 獲得ポイント 決勝最高位・回数 表彰台回数 予選最高位・回数 FL記録回数
2008年 ルノー 6 12位 19 2位・1回 1回 7位・1回 0回
2009年 8 19位 0 9位・1回 0回 10位・1回 0回
所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 WDC ポイント
2008 ルノー R28 AUS
Ret
MAL
11
BHR
Ret
ESP
Ret
TUR
15
MON
Ret
CAN
Ret
FRA
7
GBR
Ret
GER
2
HUN
6
EUR
11
BEL
Ret
ITA
10
SIN
Ret
JPN
4
CHN
8
BRA
Ret
12位 19
2009 R29 AUS
Ret
MAL
13
CHN
16
BHR
10
ESP
12
MON
Ret
TUR
16
GBR
12
GER
13
HUN
12
EUR
-
BEL
-
ITA
-
SIN
-
JPN
-
BRA
-
ABU
-

19位 0

[編集] 脚注

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[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年11月3日 (火) 01:38 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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