ノート:ベトナム戦争

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[編集] アメリカ軍の敗北

> アメリカが、唯一負けた戦争
ソマリアは?
Flores 10:37 2003年7月26日 (UTC)

確かにソマリアで米軍は痛い目に会ってます。
これは局地戦での敗北で、その後米国は報道の映像による 影響などもあり、撤退という形でソマリアから手を引いて しまいました。で、これをもって米国の敗北とも言えるの ですが、、、。
これをベトナムでの敗北と同列とみなしてよいものかどう か?。規模や経緯をみるとちょっと違うのではないかとも 思ってしまいます。より詳しい方がいれば意見を伺いたい です。219.108.12.89 13:46 2003年7月27日 (UTC)

「現時点では、アメリカが大敗した唯一の戦争」に変えてみました。るがこむ 21:44 2003年8月1日 (UTC)

画像がうまく表示されてないようですが。どなかたアシストを。Mishika 2004年7月9日 (金) 07:56 (UTC)

Vietcong.jpgは出典がNational Archives and Records Administration(www.archives.gov)とのことでしたので(但し、自分の眼で確認したわけではありませんが)、英語版から転載してきました。残りの2枚については、Fair useで利用されている(著作権者の権利下にある)画像らしいので、日本語版での利用は諦めざるをえないでしょう。 --Lupinoid 2004年7月9日 (金) 09:11 (UTC)

[編集] 日本への影響

利用者:イエス・キリステ氏が「日本への影響」を「世界への影響 - 日本」のように改変した。日本中心の百科事典ではないのであるから理解する。しかし、ウィキペディア日本語版の利用者はやはり日本人が多いのであるから、この戦争が自分たちと繋がっていることを把握する為に「日本への影響」という見出しがあっても良いのではないかと思う。また、「世界への影響」とするのであれば(イエス・キリステ氏はこような修正がお好きなようであるが)、あなた自ら「ドイツへの影響」や「イギリスへの影響」を(さわりだけでも)書かれるべきだったと思う。あなたの行動には信念があるようだが、「看板のかけかえ」は物事の本質を見失うのではないか?--202.248.88.189 2006年4月13日 (木) 05:25 (UTC)


[編集] 麻薬をばら撒いたのは?

  • アメリカの損失の項で「北ベトナムが南ベトナム解放民族戦線の協力者を通じ、アメリカ兵に対して大量の麻薬をバーや売春宿などでばら撒いた」という記述がありますが、北ベトナム→南ベトナム解放民族戦線→バーや売春宿→アメリカ兵と、その長い経路にそれぞれ根拠はあるのですか? ベトナム帰還兵が米国内に麻薬を拡散させたことだけは確かなようですが。Shinobar 2006年4月21日 (金) 00:08 (UTC)
根拠が示せないのであれば、私は削除するべきだと思います。7月いっぱい様子を見て、それについて回答がないのであれば、その部分を不適切として削除するべきでしょう。--Tamachan21 2006年6月24日 (土) 14:01 (UTC)
「北ベトナムが南ベトナム解放民族戦線の協力者を通じ、アメリカ兵に対して大量の麻薬をバーや売春宿などでばら撒いた」

の文章の根拠について記述者が根拠を示さないのであれば、削除をしたいと思います。7月までご意見を求め、お返事がない場合、8月より削除とさせていただきたいのですが、ご意見お待ちします。

結局回答がなかったので、本文中の文章については根拠がないものとみなし、削除することにしました。--Tamachan21 2006年8月12日 (土) 03:38 (UTC)

[編集] 3.7ベトコンによるテロの増加 3.13フエ事件 について

 この記述についてですが、根拠となる文献はどこにあるのでしょうか。Engish版Wikipediaを参照したのですが、それに該当すると思われる文章が存在せず、また文献が示せないことに疑問を禁じえません。--Tamachan21 2006年6月24日 (土) 14:01 (UTC)

残念ながらフエ事件の虐殺は否定しようのない事実です。 フエの虐殺についての根拠ですが、NLFがテト攻勢中に引き起こしたフエ事件の存在は現在のベトナム政府ですら事実として認めている虐殺事件ですので、政治的意図による歴史事実の歪曲や抹殺を避ける意味から記載したものです。当該事件ではNLFが粛清リストを作成し、フエ市職員や消防士、警察官、教師、牧師、外国人医師等とその家族全員を虐殺しました。

ベトナム戦争-アメリカの戦争へ-1968年

NLFの名目上は「解放運動」とはいえ、南ベトナムや米軍との激しい闘争や食料や兵員が慢性的に不足する状況下では、ゆるやかな民主主義を実行するだけの余裕はNLFにはありませんでした。ましてや北ベトナムの命運を賭けた政治闘争です。それだけにNLFにとっては服従しない民衆や村落は南ベトナム軍人や警察官や資本家と同じ殲滅すべき「反動分子」とみなして粛清せざるを得ない政治的な実情があったのです。他の虐殺事件についても同様で、アメリカ軍事顧問団がベトナム民衆を強制移住させたいわゆる「戦略村」に於いても、NLFは戦略村民に対して退去を命じ、応じない村人は見せしめに殺害か最悪の場合は村落ごと無差別攻撃しています。 実際の戦争に於いては腹立たしい事実ですが、「解放軍」を自称する交戦団体が戦略上若しくは戦術上必要とあらばイデオロギー如何に関わらず、非常に残虐な戦争犯罪に及ぶ事は決して珍しい事ではありません。旧ソ連軍によるカティンの森事件や対日参戦による居留民虐殺しかり。 したがって「NLFは虐殺しない」という前提条件で事実を論じるのは、事実認識に誤りを生じる危険があります。

紹介されたサイトには「後に共産側はこの事実を認めている」とあり、匿名のあなたは「現在のベトナム政府ですら事実として認めている」とあります。しかし、その元の資料に辿れないと判断のしようがありません。googleで「フエ事件」で検索を掛けてもあまり出てきません。 中に、「 現在、ベトナムではこの事件は「タブー」となっているが、…事実である。」というものもありました。全体として評価が定まっていないという印象を持ちました。そういう場合はソースを明示することが必要です。ご紹介のサイトは(参考文献:サンデ−ア−ト社)とありましたが、その文献が分かれば、資料として挙げることはできるかと思います。Shinobar 2006年7月4日 (火) 00:49 (UTC)

フエ事件については参考文献として 原書房『ベトコン・メモワール―解放された祖国を追われて(原書名:A VIETCONG MEMOIR)』チュオン・ニュー・タン著、ISBN: 4562018011 で紹介されています。当該文献中では「現在のベトナム政府ですら事実として認めている」の記述はなく、南ベトナム共和国臨時革命政府発足当時のチュオン・ニュー・タン法務大臣(当時)、即ち著者自身が認めたものです。NLFによる民衆虐殺についての参考文献としては 『The Making of a Quagmire: America and Vietnam during the Kennedy Era』デイヴィッド・ハルバースタム著、ISBN: 007555092X に詳しく、日本語訳本としてみすず書房から『ベトナムの泥沼から』(泉鴻之・林雄一郎訳)が出版されています。 利用者:220.214.17.200 2006年7月4日 (火) 12:15 (UTC)

ハルバースタムの文献は未見ですが、参考文献として記事に挙げておくのが良いかと思います。チュオン・ニュー・タンのものは読みましたが、詳しいことは書かれていません。北側関係者でタンと同じくフランスへ亡命した、タイン・ティン『ベトナム革命の素顔』中川明子訳、めこん、 ISBN: 4839601526 が、より詳しいかと思います。解放戦線のフエ占領時に多数を逮捕、南政府軍と米軍の奪回作戦の中で退却中に、不正規に処刑されたのではないかとティンは書いています。タンは、フイン・タン・ファト臨時革命政府首相(当時)がフエで虐殺があったことを認めたうえで、解放戦線の政策でも、指令でもないと述べたと書いています。ティンは、「一人の人間ないし特定の指導レベルが、捕虜の殺害を命令したというわけではなかった」としながらも、その後も責任の処理があいまいになっていることに不満を述べています。Shinobar 2006年7月6日 (木) 09:14 (UTC)

[編集] 直接軍事介入と反ディエムクーデターについて

  • アメリカの直接軍事介入を決定したのはケネディとするのは間違っていると思います。確かに1961年から彼は軍事顧問団を送り続けましたが、1963年にはそれを再検討しています。たとえば1963年9月3日に「サイゴン政府が国民の支持を得るためにより大きな努力をしなければこの戦争には勝てない。最終的にはこれは彼らの戦争だ。勝つか負けるかは彼らにかかっている。我々は軍事顧問団を送り、武器を援助することはできる。しかしこの戦争―ベトナム人対共産主義者の戦い―で実際に戦い勝たねばならないのは彼ら自身なのだ。我々は彼らを支援し続ける用意はある。しかしベトナム国民がこの努力を支持しなければこの戦争には勝てない。私の見るところ過去二ヶ月の間にサイゴン政府は民衆から遊離してしまっている。」にテレビを通して言明しており、さらに10月31日には「今年の末までに軍事顧問団を1000人引き上げる予定である」ことを発表しています。そして11月の反ディエムクーデターの後にはマクナマラ国防長官が年内の1000人の顧問団の引き上げを再確認し、1965年までの完全撤退を発表しています。

また、1971年に63年11月の反ディエムクーデターがケネディの指示によるものだったとの情報がマスコミに流れましたが1975年に上院ウォーターゲート調査委員会はこれを否定しています。これについては同委員会でウォーターゲート事件の主犯ハワード・ハントが証言しています。  青木祐太 2006年5月29日 (月) 15:48 (UTC)

[編集] べトコンをべトミンと表記されたことについて

確かに〝べトコン〟はアメリカ側が用いた別称であり差別用語です。べトミンは、ベトナム人が用いた言葉ですが〝べトコン〟と〝べトミン〟は違います。〝べトミン〟とは、〝ベトナム独立同盟〟のことで、〝南ベトナム解放民族戦線〟のことではありません(元べトミンの兵士もいましたが)。ですから、南ベトナム解放民族戦線の正しい略称である〝NLF〟(National Liberation Front)と表記されてはどうですか? NK 2006年9月27日(水) 22:06 (UTC)

[編集] ソンミ村虐殺事件に関する修正について

ソンミ村虐殺事件の記述がノートでの議論も無いまま二転三転しています。(2006年11月25日の修正による) 私は過去に、ノートでソンミ村虐殺の首謀者が項目によって米国とも韓国とも読み取れることについて質問しましたが、それも削除されているようです(2006年11月11日の修正による)。 もし、米国もしくは韓国軍によるソンミ村虐殺が事実ではないと主張なされるのなら姑息な手段を使わずにノートにて正々堂々と主張していただければよいと思います。 何も主張せず削除しても、削除の記録は残りますのでむしろ自己の主張の正当性を失いかねません。—以上の署名の無いコメントは、222.150.37.243(会話・履歴)さんが 2007年1月2日 (火) 15:07 に投稿したものです。

 ソンミ村虐殺が「韓国軍による」という主張は初めて聞いたのですが、その根拠は何でしょうか?  ここに根拠なく「韓国軍」という名称を出すのは、印象操作であるように感じられます。—以上の署名の無いコメントは、Curtz(会話履歴)さんが 2007年1月4日 (木) 09:12 に投稿したものです。

[編集] 中立性向上のための提案

大学時代の専攻が東南アジアであったのとWikipedia:秀逸な記事の選考/第二次世界大戦-2の経験を生かして、この記事の中立性向上のための提案です。

Wikipedia:脚注より、脚注の導入と参考文献の提示を提案いたします。

戦争関連の記事というのは、歴史の一こまという側面もあり、また、近代の戦争であればあるほど、当事者も戦争を経験していることが多々あります。第二次世界大戦においても、日本、ドイツ、イタリア、アメリカ、ソ連・・・それぞれの国が加害者になると同時に被害者の側面も持っているため、えてして、主観的な叙述に陥りやすいかと思います。

ヴェトナムに関しては、古田元夫や坪井善明など著名な研究者がそろっている分野です。まずは、彼らの文章を担保に客観性を持たせることが必要ではないでしょうか。--Tantal 2007年3月31日 (土) 02:02 (UTC)

直接軍事介入と反ディエムクーデターについてにおいて指摘された問題点はジョン・F・ケネディの項からコピーペーストすることで解消しようと致しました。ジョン・F・ケネディの項では同一人物が、問題行動をしていました(ノート:ジョン・F・ケネディ#百科事典に適切でない内容の記述についてを参照)。中立性向上のために、具体的にどの項をさらに改良すべきか?を示唆し、参考文献を積極的にいれ、中立タグ除去をなるべく早くすることを提案します。--5W1 2008年1月4日 (金) 01:35 (UTC)
中立性向上というより逆にケネディ擁護に振りすぎでしょう。部下の注進を受けた結果とはいえ、ベトナムへの顧問団の増員を自分で決めたことや、顧問団の撤退後の方針についてさしたる代案を提案できなかったことは事実なのですから、一方的にジョン・F・ケネディが平和の使者の様な記述をすることには違和感があります。しかも5W1さんの過去の投稿記録を見るとケネディ擁護の投稿ばかりですね。ここはベトナム戦争という項なので、ジョン・F・ケネディの項とは違って戦争に至る流れを前後に起きた事件を含めて冷静に判断する必要があると思います。よってそのままコピーペーストすることにはあまりにも違和感があります。--Antonov USSR 2008年1月4日 (金) 02:35 (UTC)
Antonov USSRさんは新しいユーザーネームでAjtXXさん(一部伏字)と論調が似ていますが、、、ちょっと様子を見てみましょう。USSRなんて凝っていますね。こういうことでも、例の名前の公開、そして編集権の停止の理由に十分なりますので、ご注意を。まあ、たぶん別人なんですから、関係ないでしょうけど。「顧問団の撤退後の方針についてさしたる代案を提案できなかったことは事実」に関してはそもそも暗殺されたために撤退計画が止まったのであり、撤退後の方針の代案というのは言葉のトリックを含んだ不適切な表現です。そもそも何に対する代案なのか?不明です。あの時点で、どれだけ撤退後の方針について公表する必要があったのか?基本的には方針を公表する義務はまったくないかもしれません。そもそも撤退がほとんど始まっていないのだから。--5W1 2008年1月4日 (金) 11:59 (UTC)--再編集 2009年7月12日 (日) 10:05 (UTC)
Antonov USSRさんの反応がない場合、3日後に当該部分はRevertします。ノート:ジョン・F・ケネディ#百科事典に適切でない内容の記述についてでの名前公開は、ここでも同じことが起こっていることから、ある程度積極的に考えることにします。これはAntonov USSRさんの編集とは関係ないことを明記します。ご意見がある第三者からのコメントを歓迎します。--5W1 2008年1月5日 (土) 07:33 (UTC)
予告どおりUndo revision of Antonov USSR いたしました。これは私の「言葉のトリックを含んだ不適切な表現である」との指摘に応答がなかったためです。この編集は上記のように中立タグの警告に関連しています。ご意見がある第三者からのコメントを歓迎します。--5W1 2008年1月8日 (火) 00:06 (UTC)

[編集] 日本への影響

当時の政府の対応が沖縄返還へ繋がったと肯定的に淡々と評価する一方、一部の左翼陣営について否定的な情報を 提示し、「大きな非難があった」として誰の非難かも示さぬまま、対比させています。 当時ベトナム戦争の是非は一般市民レベルで広く議論されたにも関わらず、意図的に一部団体の事例を抽出して 全体を総括するやり方は明確な意図を感じます。--豪烈 2008年8月25日 (月) 17:40 (UTC)

[編集] 政治的主張とは?

前版に政治的主張が含まれているとLos688氏は主張されていますが、具体的にどの部分が該当するのか、明確に示すべきだと思われますが?--220.150.128.210 2008年12月19日 (金) 17:08 (UTC)

有意かもしれない部分はあるが、複数箇所で問題投稿がある。日本外交についての個人感想に基づく批判や同様に現代アメリカへの批判はwikipediaの方針上も受け入れられない。ブッシュが失政であったとか、日本の外交が盲従でああったとかの記載はベトナム戦争とは関連が薄く、WP:NPOVおよびWP:VWP:WINの点に反する。--Los688 2008年12月19日 (金) 17:12 (UTC)

Los688様、御指摘ありがとうございます。下記に指摘点についての考えを記しますので参照して下さい。

1.『日本外交への批判』とは『米国の反ベトナム外交に盲従していた日本は~』という部分だと思われます。

日本が反ベトナム姿勢を堅持していた時期の米国と協調して、中越戦争で戦火を交えた一方の中国に巨額の援助を行い、その結果として非民主的国家である中国が世界の一翼を担うまで成長してしまったのは歴史的事実ですので、個人感想には当たらないと思いますが、如何でしょうか?

2.『現代アメリカへの批判』との事ですが、現在の米国でベトナムへの介入(およびその手法)が正しかったと考えている米国人はほとんどいませんし、旧北ベトナムにのみ利益をもたらした状態で固定化されているインドシナ3国の現状を見れば、ベトナムへの介入が米国の国益に適った政策だった、と考える事は非常に難しい事です。

いまだに、米国のベトナム介入(およびその手法)が正しかったと主張している米国人もいますが、単に無知であるか、相当偏った視点の人物と考えられ、そうした極端な考えを殊更に特記するのは、中立性を考える上で非常に問題だと思われます。

また、私も途中で思い出したのですが、米国におけるベトナム戦争が拡がった背景には“誤った政策”によって米国の若者が死傷する事を許さない、という主張が広く支持された点がありました。見直してみると“アメリカ国内における反戦運動”の内容も、健全な民主主義=市民による政府批判の自由の存在、という観点が抜けており、もっぱら反戦運動への批判的スタンスに立った、かなり偏った視点になっているのが分かります。

中立性の視点からすれば、この部分こそ是正される必要があると思われますが、如何でしょうか?

3.『ブッシュ政権8年の失政』についてですが、つい先月に行われた米国大統領選挙を見ても、民主・共和両党の候補ともに、同政権の継承を前提に政策論争を行っています。これはなにより現時点の米国の民意が現政権を否定している事を示す証左でしょう。

勿論、近未来において『ブッシュ政権8年の功績』なる論評が出現する可能性は否定しませんが、そうした視点は出現してから考慮すれば良い事で、出現しなければ“失政だった”との評価が固定されて歴史的事実となるだけの事でしょう。

Wikipediaは未来予言書ではありませんので、現時点での事実のみを記して行くだけで良いと思いますが、如何でしょうか?--119.150.18.176 2008年12月21日 (日) 06:35 (UTC)

個人として書かれる文章としては、そのような論証は十分ありえると思います。しかし、ここはwikipediaであり、wikipediaでは中立性と検証可能性を大きく重視しています。すばらしい論証であっても、wikipedia基準に合致しなければ掲載できません。Wikipediaへ寄稿するということは非常に窮屈なことなのです。これについては、Wikipedia:なぜウィキペディアは素晴らしくないのかもお読みください。
政治に関する評価・批評については、政治宣伝の除去・中立性の獲得に特に気を使っております。『失政』などとの評価は、「あなた」が判断したことであって、あなたの判断に基づいた評価はWikipedia:独自研究は載せないに反しており掲載することができません。どうしても評価を掲載すべき必要が生じた場合は、Wikipedia:検証可能性に則り、信頼できる著作・情報源からの紹介という形をとる必要があります。あなたの考えがおかしいということとではございません。wikipedia掲載のための基準に合致していないという点の方が問題となっております。ですので、「歴史学者のA氏は○○紙上で『日本の外交姿勢はおかしい』と批判していた」と記載する方法はありえます。--Los688 2008年12月21日 (日) 06:58 (UTC)

Los688様、御指摘ならびにアドバイスありがとうございます。

Wikipediaへ寄稿するということは非常に窮屈なこと、との点につき了解しました。 ご指摘いただいた各点につき、内容を下記のように変更してみましたので、御査収下さい。

1. 『米国の反ベトナム外交に盲従していた日本は~』という部分について

『また、ベトナム戦争終結に向けたニクソン政権の外交工作により、米ソ冷戦後期になって米国に与した中華人民共和国が、米国の反ベトナム政策の強い影響下にあった日本を利用して、その資金・技術を“四つの現代化”に投入させる事に成功した。』

『日本による支援は、共産圏内で孤立し、文化大革命によって国家としての機能が麻痺していた中国の蘇生に、きわめて大きな役割を果たしたが、同時に“四つの現代化”の最重要項目であった軍事の現代化を実現させた。これが現在も続く中国軍の大軍拡への途を開き、周辺地域および軍事技術を輸出した先で軍事バランスを変化させる結果をもたらしたため、日本政府は2003年にODA大綱を改訂する事を余儀なくされた。この変化もベトナム戦争のもたらした影響として理解されるべき側面である。 』

2. 『ブッシュ政権8年の失政』という部分について

『こうした操縦され易い米国人の存在は、全世界から驚きを以って見られたが、その後こうした人々の特質を悪用したカルト的宗教団体が米国で多数誕生し多くの信者を獲得するようになった。また、そうした宗教団体のうちキリスト教原理主義系団体の多くが共和党への支援活動を通じて政治的圧力を行使するようになった事で、リアル・ポリティクスを担う共和党が、宗教的道徳に過剰な配慮を必要とするようになり、正常な政策決定に齟齬をきたす傾向を見せるようになった。

その結果が、ブッシュ政権の誕生と、誤った情報に基づくイラク戦争の開始であり、かつてのベトナム戦争をなぞるかのような軌跡を辿る事になり、2008年の米国大統領選挙では民主・共和両党の候補者が同政権の政策否定を前提とした政策論争を行った。』--119.150.17.11 2008年12月21日 (日) 07:52 (UTC)

[編集] 大規模なリバート・差し戻しについて

フリービットIP氏がしきりに復活させたがっている版は、投稿者による主観や感情移入、政治的主張、特定の立場のみへの擁護や批判、冗長な文章(関連性が薄い内容、本項の主旨を逸脱した記事の羅列など)など問題点が多すぎて、すぐには手をつけられない状態になっています。よって、一旦差し戻しをおこない、有意な部分があれば必要に応じて徐々に反映させるほうが良いと考えます。--花蝶風月雪月花警部 2008年12月27日 (土) 16:42 (UTC)

[編集] 文体について

皆さんの議論している「内容」に関することに比べれば、至極つまらないことなのかもしれませんが、 「概要」が日本語として崩壊しているのはどうにかなりませんか。 主語・述語の関係すら崩れていて、何がなんだか分かりません。

内容の公平性も大事ですが、百科事典としての「ものを調べる」という機能において「概要」の持つ意味は大きく、ここまで意味不明な文章ではこの記事自体の価値をおおきく損なうことになると思うのですが。--121.115.134.80 2009年7月8日 (水) 19:29 (UTC)

[編集] ベトナム紛争という別称について

概要の中の「宣戦布告なき戦争であるためベトナム紛争とも呼ばれる。」が要出典とされていますが、

「データベース「世界と日本」より、佐藤榮作内閣総理大臣の所信表明演説

は出典として適当でしょうか。同データベースには、「ベトナム紛争」というキーワードで11文書ヒットするものがありました。 --Adapon 2009年9月6日 (日) 05:03 (UTC)

1週間ほど待ちましたが反応ありませんでしたので、記事に追加しました。 --Adapon 2009年9月12日 (土) 12:27 (UTC)

最終更新 2009年9月12日 (土) 12:27 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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