ハゴイ飛行場
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ハゴイ飛行場(ハゴイひこうじょう)は、北マリアナ諸島のテニアン島北部にある飛行場。北飛行場、ウシ飛行場とも呼ばれた。現在も米軍の管理下にある。
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[編集] 歴史
[編集] 建設
1939年に日本人の囚人によって建設され、完成時は1450mの滑走路を持つ南洋諸島最大の飛行場であった。
完成後、ハゴイ飛行場は日本海軍の管理下におかれた。
[編集] 大東亜戦争(太平洋戦争)
戦況が逼迫する中、トラック島空襲に伴い1944年2月19日に第一航空艦隊に属する七六一空(龍部隊)の九六陸攻と一式陸攻40機がハゴイ飛行場に進出した。
2月22日の米機動部隊による空襲の際、七六一空は米機動部隊に対して雷撃を行ったが戦果はなく、22機が未帰還となり、さらに一式陸攻7機と九六陸攻7機が地上で撃破された。
翌2月23日にも米軍による飛行場に対する攻撃は続けられ、基地員約30名が戦死し、飛行場施設は破壊された。この攻撃による米軍機の損害は6機だったが、日本軍の航空戦力は潰滅的な打撃を受けることとなった。
その後、七六一空は内地で編成し直し、再びハゴイ飛行場に進出して哨戒任務に就いたが、3月30日、31日のパラオ大空襲に伴って、5月頃に本隊はパラオのペリリュー島に移動し、ハゴイ飛行場には一部を残すのみとなった。
6月11日から始まった米軍のマリアナ諸島侵攻の際には、新たに派遣された零戦18機(三○一空10機、三四三空8機)が迎撃に飛び立つもほとんどが未帰還となった。
七六一空も、6月13日午前3時に5機が敵艦隊攻撃のために飛び立ったが、戦果はなく1機が硫黄島に不時着、1機がテニアンの東海岸で不時着大破した他、3機が行方不明になるという結果だった。
この作戦が、ハゴイ飛行場での日本軍による最後の作戦となった。
[編集] 米軍による拡張
1944年8月3日にテニアンを占領(テニアンの戦い)した米軍は、海軍建設大隊の手によって飛行場を2日間で使用可能にし、さらに4本の8590ft(2590m)級の滑走路を建設した。
その後、ハゴイ飛行場にはB-29戦略爆撃機が大量に配備され、1944年11月以降はグアム島のアンダーセン飛行場やサイパン島のアスリート飛行場と共に日本本土空襲を行う米軍の拠点の1つなった。
[編集] 第509混成部隊
1945年5月、第509混成部隊はテニアンに進出し、原爆投下の訓練を開始した。そして、1945年8月6日に広島、8月9日に長崎への原爆投下作戦を実行した。
[編集] 現在
現在も米空軍の管理下に置かれているが軍用機をはじめとする飛行機の配備は一切なく、4本の滑走路のうち2本は緑に覆われている。
かつてのB-29発進地点には米国によって建てられた「原爆の碑」があり、碑文の内容は原爆投下を正当化したものとなっている。その他にも、飛行場附近には日本海軍の司令部や通信所、発電所、トーチカなどの建物が現存している。
米軍は時折、ハゴイ飛行場周辺を含むテニアン島北部で演習を行い、その際民間人は立ち入り禁止となる。
[編集] 交通
テニアン島内には公共交通はないが、旅行会社主催のツアーで訪れることができる。
[編集] 参考文献
井上昌巳 『一式陸攻雷撃記』 (光人社NF文庫 1998年) ISBN-7698-2212-x
[編集] 関連項目
最終更新 2009年5月13日 (水) 01:38 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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