ハリス・マン

ハリス・マンの最新ニュースをまとめて検索!

1971 Morris Marina
1975 Triumph TR7
1979 BL Princess 2

ハリス・マン(Harris Mann 1938年4月-)はイギリスの自動車デザイナー。1970年にBLMC(British Leyland Motor Corporation Ltd・1975年に国営化されてBL(British Leyland Motor Corporation))のチーフスタイリストに就任、1970年代後半に退職するまで、モーリス・マリーナオースチン・アレグロトライアンフ・TR7/8BL・プリンセスなどの、良く言えば個性的な、悪く言えば好悪がはっきり分かれたこの時代の同社製乗用車をデザインした。

1938年ロンドン生まれ。ウエストミンスターの技術学校を卒業し、最初にバス車体メーカー・Dupleに就職、後にレイモンド・ローウィの事務所に転じた。短期間の兵役を終えた後にルーツ・グループ(商用車のコンマーを担当)、そして英国フォードに入社した。フォードではチーフデザイナーのロイ・ヘインズの下、初代エスコート初代カプリのデザインを補佐した。

ヘインズは1967年にBMCに転じたが、その際マンを誘い、二人はともにカウリーの旧モーリス工場にあったBMCのデザインスタジオに移った。マンの最初の仕事は当時のベストセラーカー・フォード・コーティナの対抗馬として開発されていたモーリス・マリーナのデザインであった。1970年、カウリーのスタジオがオースチン系のロングブリッジ工場に統合された際にヘインズは退職、32歳のマンがBLMC乗用車のデザイン責任者となった。(ただしジャガーではウイリアム・ライオンズが、ローバーではデビッド・ベイチュがそれぞれスタイリング部門を掌握しており、統合は不完全なものであった)

BLMCで彼はまずヘインズが進めていたオースチン・アレグロのプロジェクトを引き継ぎ、続いて'Diablo'というプロジェクト名であったBL・プリンセスのデザインを行った。更にトライアンフ・TR7/8を手がけた。

マンのデザインした各車はいずれも当時のBLMC/BLが抱えていた品質上の問題もあって、マーケットには決して好評には受け入れられなかった。マンはプリンセス・TR7に見られるように極端なウエッジシェイプのデザインを好んだが、ボディ全体のプロポーションや、ディテール例えばテール部分のデザインとのマッチングなどへの配慮は十分とは言えなかった。また、彼はアレグロで四角いステアリングホイール(ブラウン管テレビのスクリーンのような形)を試みたが、これも不評でわずか2年で通常の丸型に戻された。

結局、マリーナは1980年にジョルジェット・ジウジアーロによって大幅に手直しされてモーリス・イタルに、プリンセスも1982年に前後デザインを大幅に改造して5ドアハッチバック化されたオースチン・アンバサダーとなり、TR7には1979年にオープンモデルが登場して不評だったルーフ部分の重苦しさが解消されるなど、多くの場合、マンのオリジナルデザインには彼の退職後、大幅な修正が加えられた。また、1970年代末以降に発表されたオースチン・ミニ・メトロマエストロなどのBL製新型車のデザインは後任のチーフスタイリストであるイアン・ビーチ(Ian Beech)が、デビッド・ベイチュの助言の下で行うこととなった。

退職後彼はフリーランスのデザイナーとなって、1990年代のローバー各車のMG化(ZRZSZTへのりデザイン)にも関与した。

最終更新 2009年7月5日 (日) 12:16 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【ハリス・マン】変更履歴

ご利用上の注意