ハルウララ
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| ハルウララ | |
|---|---|
| 品種 | サラブレッド |
| 性別 | 牝 |
| 毛色 | 鹿毛 |
| 生誕 | 1996年2月27日 |
| 父 | ニッポーテイオー |
| 母 | ヒロイン |
| 生国 | 日本(北海道三石町) |
| 生産 | 信田牧場 |
| 馬主 | (有)信田牧場 →横山貴男 →(株)エムエイオフィス |
| 調教師 | 宗石大(高知) |
| 厩務員 | 藤原健祐 |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 113戦0勝 |
| 獲得賞金 | 112万9000円 |
ハルウララ(1996年2月27日 - )は日本の元競走馬。レースに力が及ばず連戦連敗があまりに続いたため却って人気を呼び、ハルウララブームを巻き起こした。
目次 |
[編集] 生涯
1996年、三石町歌笛にある信田牧場で誕生。買い手がつかず、信田牧場が自ら所有する形で競走馬となる。
高知競馬場の宗石大厩舎に入厩し、1998年11月17日に同競馬場でデビューを飾るも、5頭立ての5着に敗れた。その後は大きな故障をする事も無く毎月1回から2回のペースでコンスタントに出走し続けたが、4年以上もの間一度も勝利を挙げることはなかった。
デビュー以来の連敗が80を超えた2003年6月頃からマスコミに取り上げられるようになり、経営難の小さな地方競馬で負けても負けても懸命に走り続ける「負け組の星」として全国的な知名度と人気を獲得、「ハルウララブーム」と呼ばれるブームが巻き起こった(ブームの詳細については後述)。2004年5月23日には109連敗を記録し、161連敗のハクホークインに次いで連敗記録2位になった。
2004年9月、「引退レースに備えて休養をとらせる」という馬主・安西美穂子の意向により栃木県内へ移送されたが、移送などの是非を巡る一連の騒動に巻き込まれたため、当初2005年3月とされた引退予定は延期が繰り返され、結局、一度も高知競馬場に戻ることなく2006年10月1日付けで競走馬生活を引退した。
この引退により、ハルウララの連敗記録は113でストップ。この記録は休養前には歴代2位であったが、休養中の2005年9月にトサノカオリが114連敗を達成したため、引退時点では歴代3位となった。その後も、各地で「第二のハルウララ」たちが出現して114連敗以上を記録したため、歴代「ベスト」5からも陥落した。
2007年4月に千葉県勝浦市内で「M.A.ホースセラピー」の馬として一般公開予定だったが、予告なしに延期された。その後も馬主から公式な情報はリリースされていないが、2008年3月に写真週刊誌が「セラピー用の馬としてこれまでのべ500人の不登校児と触れ合った」との馬主のコメントを報じている。 (なお、M.A.ホースセラピーは、一般的な「ホースセラピー」とは別種のセラピーである。詳細については#現在のハルウララを参照)
2009年11月現在、北海道新ひだか町の牧場で繁殖馬となるべく準備が進められている。[1]。
[編集] ハルウララブーム
[編集] 高知新聞の報道
そもそもの発端は高知競馬のアナウンサーである橋口浩二が、高知新聞記者の石井研に、連敗を重ねるハルウララの存在を紹介したことであった。2003年6月13日、同紙夕刊「金曜フリースペース」にてハルウララの特集記事が組まれた。最初の報道では「負け続ける競走馬をいつかは勝たせようと一生懸命サポートするスタッフと挑戦し続ける競走馬」という内容であった。
[編集] マスコミの報道が相次ぐ
特集記事掲載を受けて、高知県競馬組合の広報・吉田昌史が県内のマスコミに広報資料を配布。これがきっかけとなって同年7月23日に毎日新聞の全国版がハルウララの記事を掲載した。
ブームの火付け役となったのがフジテレビのテレビ番組「情報プレゼンター とくダネ!」である。7月23日の同番組の冒頭で小倉智昭が前出毎日新聞の記事を紹介したのを期に、多くの新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどがハルウララについて取り上げるようになり、最終的には日本のみならずアメリカ・カナダ・ドイツなど海外のマスコミでも報道されるに至った。
[編集] ブームの到来
当初は「負け続ける競走馬をいつかは勝たせようと一生懸命サポートするスタッフと挑戦し続ける競走馬」という報道であったが相次ぐ報道の中、いつしか競走馬だけにスポットがあたり、ハルウララは負けても負けても懸命に走り続ける「負け組の星」として全国的な知名度と人気を得るに至った。名前の覚えやすさ、のどかさも人気の要因になったと思われる。以下、ブーム下の主な現象について記述する。
[編集] 馬券がお守りに
ハルウララの単勝馬券を、「当たらない」に引っ掛けて、交通安全のお守りにする人や、リストラ防止のお守りにする人が数多く現れた。こうした動きを受けて、高知県競馬組合は2003年9月からハルウララが関連する馬券にスタンプを押すサービスを開始した。
[編集] 関連グッズ
ブームの盛り上がりを受けて、各種ハルウララグッズが製作された。
- 歌
公式応援歌やブームに便乗したものなど、さまざまな関連歌が発売された。
- ハルウララの詩(うた)―ただ、ひたすらに―(堀内佳、スターター吉田)※公式応援歌。99戦目のレース実況入り
- ガンバッテるんだ!(嶋大輔)
- YOSAKOIウララ~ハルウララのテーマ~(リストラーズ)
- ハルウララ賛歌(宮川大助)※106戦目のレース実況入り
- 春うらら(古田三奈)※発売は2000年だが、ハルウララ人気に便乗して再発された。
- 走れ、ハルウララ/ウララの気持ち(春風えり)
- 書籍
- 『走って、負けて、愛されて。-ハルウララ物語』(重松清、河野利彦、平凡社、2004/01) - ISBN 4582824439
- 『高知競馬のハルウララ』(吉川良、源草社、2004/01) - ISBN 4906668356
- 『またも負けたか100連敗-負けるが勝ち!ハルウララ物語』(岡本弘、アクス、2004/02) - ISBN 4901681206
- 『1回ばぁ、勝とうな-ハルウララから学ぶこと』(菊池俊、日本エディターズ、2004/03) - ISBN 4930787351
- 『土佐の高知はハルウララ』(櫻井忍・文、岩合光昭・写真、オーエス出版、2004/04) - ISBN 4757302266
- 『ハルウララ POSTCARDBOOK』(岩合光昭・写真、オーエス出版、2004/04) - ISBN 4757302274
- 『ハルウララ』(那須田稔・文、小坂茂・絵、ひくまの出版、2004/05) - ISBN 4893173227
- 『ありがとうのたま-ハルウララ物語』(芝風太・文、川口正彦・絵、リピート山中・歌、アスク、2004/08) - ISBN 4901681249
- その他
- お守り
ブラッシングの際に抜けたたてがみや尻尾の毛が入ったお守り。馬券と同様、交通安全のお守りとして人気があったが動物愛護団体から虐待であるとクレームがついたため製造を中止し、ヒノキ材でつくった絵馬に切り替えた。
なお日本中央競馬会(JRA)の騎手・後藤浩輝は、競馬ブックOnlineのコラムにおいて、「毛を切るのはダメなのに、一頭の勝つ見込みの少ない馬を無理に酷使することは容認するのか」と動物愛護団体を非難した。
- ぬいぐるみ
高知県競馬組合公認のものと、馬主公認のAVANTY製のものとがある。
- ハルウララステッカー
高知県交通安全協会が会員向けに製作した交通安全のステッカー。
- ハルウララ米
- ハルウララ焼酎
宝酒造が発売。ボトルにハルウララの写真が使用されている。
- 写真付き駅入場券
JR四国が2004年3月から5月にかけて発売した。
- 切手シート
日本郵政公社とサポートKRA(高知競馬の関連団体)が共同で発売した。
- ハルウララブラ
トリンプが発売したブラジャー。正式な名称は「トリンプ頑張れ!ハルウララブラ」。一部にハルウララの毛を使用している。製作のみで発売はなし。
- その他
ハルウララTシャツ、キーホルダー、携帯ストラップ、帽子など
[編集] 入場者数・馬券売上額の増加
ブームの影響を受け、ハルウララが出走する当日の入場者数・出走レースにおける馬券の売上額は大幅に増加した。以下、主な記録を記述。
- 2003年12月14日
ハルウララが100戦目のレースに出走。入場者数5074人。単勝馬券売上額301万円(高知競馬場史上最高額(当時))。ハルウララ出走レース全体の馬券売上額1578万。
- 2004年1月3日
入場者数8200人(高知競馬場史上3番目)。単勝馬券売上額591万円(高知競馬場史上最高額(当時))。1日の総馬券売上額1億1300万円(高知競馬場史上2番目(当時))。
- 2004年1月12日
入場者数2300人。出走レース全体の馬券売上額1050万。1日の総馬券売上額約7500万円。
- 2004年3月22日
ハルウララに武豊が騎乗。入場者数13000人(高知競馬史上最高)。ハルウララ単勝馬券売上額1億2175万1200円。ハルウララ出走レース全体の馬券売上額5億1162万5900円(1レースの馬券売り上げとして高知競馬場史上最高額)。1日の総馬券売上額8億6904万円(高知競馬場史上最高額)。
- 2004年4月18日
入場者数約2500人。ハルウララ単勝馬券売上額106万円。1日の総馬券売上額約7100万円。
- 2004年8月3日
妹のミツイシフラワー、弟のオノゾミドオリとともに出走。全国の地方競馬場で馬券が発売され、ハルウララの出走レースだけで約7900万円の売上を記録した。
[編集] 「ハルウララ」を冠する個人協賛競走
2003年9月7日に出走した高知競馬第4競走はハルウララの競走馬名を冠する個人協賛競走「頑張れ!!ハルウララ・陽香特別」として行われた。以後、同様の個人協賛競走は8競走行われている。同年12月14日、100戦目となる出走競走では33の個人・団体が名乗りをあげ、結局共同出資という形で「ハルウララ100戦記念特別」が行われた(結果は9着)。
[編集] 映画「ハルウララ」
2004年2月末に映画化が決定。森川時久監督。主な出演者は渡瀬恒彦、賀来千香子、高知東生、忍成修吾、七海まい。同年8月末から9月にかけて高知県内でロケが行われた。映画は2005年4月から高知県内の映画館で上映され、同年6月には愛知万博でも特別公開されたが、ハルウララの引退を期に予定されていた全国公開は騒動に伴う引退予定の度重なる延期の影響を受けて実現せず、インターネット上での公開(2007年6月)、DVDの発売(2008年3月)に留まっている。
また、2004年12月12日には映画を記念して高知競馬場内に常設ギャラリー「ハルウララ・インザムービーギャラリー」がグランドオープン(プレオープンは同年10月11日)。ギャラリー内には撮影で使用した小道具やハルウララの等身大模型、馬房のセットなどが展示されている。
[編集] 宗石厩舎が第19回龍馬賞を受賞
2004年11月、高知県の地域活性化に貢献したとして宗石厩舎が第19回龍馬賞を受賞した。
[編集] 「ハルウララ」商標出願登録
出願は2004年3月。出願人が当時馬主になって間もない株式会社エムエイオフィス(代表取締役はエッセイストの安西美穂子)であり、同社がハルウララを無償譲渡されていた経緯があったことから、倫理的な観点から非難が巻き起こった。
なお、同社が新たにハルウララのオーナーとなった経緯について、後にハルウララ移送に関与する競馬評論家の白井透は調教師サイドからの強い要望に同社のオーナーである安西美穂子が応えたとするが、高知新聞は安西のほうから調教師に接近したとしている。後者の裏付けとして、同社のオーナー就任に際して、競馬組合が安西に「迷惑はかけない」との念書を書かせたという事実が明らかにされている(季刊高知23号)。
[編集] 生産者はブームに困惑
ブームの最中、ハルウララを生産した信田牧場の経営者信田義久は取材に対して「うれしくもない。高知競馬存続のための話題づくりに過ぎないのでは」と冷めた反応を見せた。その理由として、ハルウララが人気を得ようとも生産者としては負け続けた馬を生産したとしか評価されないことを挙げた[2]。ハルウララは負け続ける事にその存在価値があり、メディアにより勝つ事が許されない馬にされた事も原因している。
[編集] ブームが頂点に達する(2004月3月22日)
2004年1月下旬、ハルウララに中央競馬のナンバーワンジョッキーである武豊が騎乗する計画が浮上した。具体的には同年3月22日に高知競馬場で行われる交流重賞「黒船賞」に武豊が騎乗する予定(出走予定馬はノボトゥルー)があったため、当日交付される地方競馬の一日免許を活用してハルウララへの騎乗を依頼しようと高知県競馬組合が働きかけたところ、武豊の承諾を得たというものであった。その後、ノボトゥルーが中東の国際レースドバイゴールデンシャヒーンに選出され、一時は3月22日の武豊の高知来場が危ぶまれたものの、最終的にはノボトゥルーは同レースを辞退して黒船賞へ出走することとなり、武豊騎乗が実現した。ハルウララに武豊ということで大いに話題となり、武自身も記者会見等ではハルウララに対してリップサービス的なコメントも発していたが、自身の日記においては「あくまでもレース当日はノボトゥルーに乗るのが楽しみ」と強調した。
3月22日当日、高知競馬場には全国各地からツアーなども含めて大勢の客が押し寄せた。開門前に3000人の来場客が集まり、開門を予定よりも30分以上早めた。来場者の数は最終的には13000人以上にのぼり、高知競馬場史上初となる入場制限が行われた。ハルウララの馬券を購入するファンのために設置された「ハルウララ記念単勝馬券購入専用窓口」には、最大で5時間待つ者が現れるほどの行列ができた。
ハルウララが出走した第10競走「YSダービージョッキー特別」を生中継した毎日放送のテレビ番組「ちちんぷいぷい」の視聴率は、同番組史上最高となる瞬間最高視聴率19.9%、平均視聴率12.0%を記録した。レースの結果は11頭立ての10着に終わり、連敗記録を106に伸ばす事となったが、レース後武豊が通常は勝ち馬が行う「ウイニングラン」を行い、場内からは拍手と声援が飛んでいた。
この日の競走は、ハルウララの馬券が初めて全国の地方競馬場と一部の中央競馬の馬券売場で販売され、多くの客がハルウララの馬券を買い求め、前述のように高知競馬史上最高の売上額を記録した。
なお、武豊はこの日の騎乗について、オフィシャルホームページの日記において『あまりにも異常な騒がれ方で、正直なところ辟易としている、また生涯を通じて未勝利の馬がGIを勝利した馬よりも注目を集めることはどうにも理解しがたい』とし、過熱するブームに対する違和感を表明した。また、高知競馬関係者から当時のレースがハルウララの引退レースであるという説明を受けていたことも明かした。
[編集] ブームに翳り
3月22日の開催後、ハルウララが出走する開催日において必ずしも好調な観客動員数、馬券売上額を記録しなくなった。5月5日には妹のミツイシフラワーとともに出走し、当日は祝日でもあったが馬券売上額が前年比でダウン。同月23日には観客動員数が2000人を割り込み、馬券売上額も目標額を下回った(1日の総売上額約5500万円)。
[編集] 引退を巡るトラブル
[編集] 引退発表
2004年8月3日、高知競馬場で「ハルウララ・チャレンジカップ」と題された特別レースが組まれ、ミツイシフラワー(高知)、オノゾミドオリ(兵庫)の兄弟馬3頭の直接対決が実現。また、このとき安西美穂子と宗石大調教師が出席して記者会見が開かれ、2005年3月をもって競走馬生活を引退する予定であることが発表された。
[編集] 馬主サイドによる栃木への移送
2004年9月15日、リフレッシュのために放牧に出すという馬主サイドの意向により、ハルウララが馬運車に乗せられ、栃木県黒磯市内にある競走馬訓練施設「那須トレーニングファーム」へ移送された(移送を巡る詳細については#ハルウララ移送を巡る問題を参照)。移送後ファンによって高知への復帰を嘆願する署名活動が行われ、さらにそうした動きとは別に高知競馬への復帰を求める「ハルウララを守る高知の会」が結成された。
[編集] 復帰未定のまま登録抹消
マスコミは移送後、2005年春頃まではハルウララが高知競馬場へ戻る時期などについて報道を続けていた。しかし、2005年3月とされていた引退の日程が延期され、その後馬主サイドによってハルウララの引退に向けて日本中央競馬会に支援を求める趣旨の「ハルウララ一勝プロジェクト」が立ち上げられるも、引退に関する具体的な日程はなにひとつ決まらない中、やがてハルウララの動向はほとんど報道されなくなり、高知競馬でも話題にならなくなった。
詳細は後述するが、2006年10月1日、NARが関係者に対して現役続行の意志確認を行い、必要な手続きが行なわれない場合は制度によって登録を抹消すると通告した。だが、結局手続きは行なわれず同年10月12日午前0時をもって正式に登録が抹消された(書類上の扱いとしては10月1日の登録抹消)。
なお、ハルウララが移送された「那須トレーニングファーム」場長の広田修司によると、馬主サイドは「高知競馬クラスなら勝たないとおかしいレベルまで仕上げ」たものの「レースに復帰させず、突然どこかに持って行ってしまった」といい、これに関して広田は「人間の都合で愛玩動物のように扱われ、可哀相」と述べている[3]。
[編集] 現在のハルウララ
馬主は2006年10月に千葉県勝浦市の保養施設にて「ホースセラピー開校記念パーティー」を開催し、11月には引退競走馬の再利用促進とセラピー活動を実施するためのNPO法人「おうちへ帰ろうクラブ」(代表:安西美穂子)設立を申請した。2007年1月にはハルウララがセラピーホース(M.A.ホースセラピー)になるための訓練を受けているとマスコミに報じられるなど、所有馬を用いたM.A.ホースセラピーの事業計画を用意周到に進めていたかに見えたが、2007年2月に立ち上げた「M.A.ホースセラピースクール」の公式サイトは二度と更新されることなく放置され、3月にはNPO法人設立申請が却下され、4月予定のM.A.ホースセラピースクール一般公開も実現しなかった。
しかし、10月には「おうちへ帰ろうクラブ」の設立再申請が内閣府に認証され、2008年3月、FLASH誌に「これまでのべ500人の不登校児と触れ合った」と馬主が述べたとする記事が掲載された。
なお、このM.A.ホースセラピー(「M.A.」は馬主のイニシャル)は騎乗を伴うものではなく、騎乗などを通じて心身の回復を図るホースセラピーとは別種のセラピーである。また、活動実績や学術論文が豊富なホースセラピーと違って、M.A.ホースセラピーにはそれらが一切ない。一部報道だけでなく、馬主自身も「M.A.」を付さない「ホースセラピー」などという表現を用いることがあるため、注意が必要である。
実際、馬主からM.A.ホースセラピーを教育に活用するよう提案されて現地に赴いた勝浦市の教育長は、「ただ、ハルウララを見て触っただけという印象」とコメントしており、M.A.ホースセラピーの効果を疑問視している[4]。
また、馬主はこの教育長に自著の絵本購入と子供たちへのクリスマスプレゼントとしての配布を要請して断られており、自著や実績のないセラピーの客寄せパンダとしてハルウララを利用しているのではないかという批判もある[5]。
こうしてセラピー馬として過ごしていたハルウララだったが、2009年夏に「子供を産ませてあげたい」との馬主の意向で北海道新ひだか町の牧場に移送され、繁殖牝馬として、2010年春にも種付けの予定となっている。
[編集] ハルウララブームの残したもの
ブームの大きさに比べてあまりに静かな終焉ではあったが、今でも日本中で「ハルウララ」という単語が「連敗」の代名詞として扱われており、全国規模だったブームの痕跡が窺える。
また、競馬界においても、ハルウララの記録「連敗」を更新した馬たちが「第二のハルウララ」としてニュースで取り上げられ、園田競馬でそれらの馬同士の対戦が組まれるなど、その影響力は決して小さくない。
[編集] ハルウララ移送を巡る問題
[編集] 移送そのものを巡る問題
前述のとおり、2004年9月15日、ハルウララは馬主の用意した馬運車に乗せられて栃木県黒磯市内にある競走馬訓練施設「那須トレーニングファーム」へ移送された。
当日午前10時頃に馬運車を伴って安西美穂子・白井透以下馬主側の関係者が高知競馬場に現れ、宗石調教師らに移送する旨を伝え、約2時間から3時間におよぶ押し問答の末に移送がなされたわけであるが、やりとりの詳細や移送に至る経緯については、馬主サイドと調教師サイドの見解とが大きく食い違っている。
- 調教師サイドの主張
- そもそも放牧をするべきであるかどうかを巡って対立しており、8月末に話し合いを行う予定であった。
- 9月15日当日も移送に反対したが、馬主サイドから「馬はオーナーのもの。妨害するなら警察を呼ぶ」といわれたことを受けて同意した。
- 引退レースまでの間は高知競馬場でレースに使う予定であった。休養をとるにしても競馬場内で行うべきである。
- 移送に必要な事務手続きすら行われていない。
- 今すぐにでも預託契約を解除したいほどだ。
- 馬主サイドの主張
- ハルウララの移送は2005年3月の引退に向けたリフレッシュ放牧のためである。
- 当初9月13日に移送することで合意しており、それと引き換えに映画への出演を許可した。移送の準備が間に合わず、15日の移送となった。
- 宗石調教師は10月に移送するものだ思っていたと移送に反対したが、協議の結果最終的には合意に達した。
- 「警察を呼ぶ」という言葉については、もしかしたら馬主サイドの人間が口を滑らせたのかもしれない。
- 放牧の期間は未定。
このうち移送時の事務手続きについては、日本経済新聞記者の野元賢一からは、『競走馬の移動の際に携行すべき「健康手帳」は、移送後も宗石調教師の手元にあり、後日に黒磯へ郵送された。必要な書類の受け渡しもない移送を、安西は「合意の上」と主張している』という指摘がなされている。
なお、放牧の直前期にハルウララのグッズの販売について、馬主サイドの代理人から高知県競馬組合の関連団体に対して経理や契約内容の開示を求める配達証明郵便が届いており、グッズ販売を巡る対立が放牧の背後にあるという指摘もなされている。
また、馬主側の「ハルウララ一勝プロジェクト」に至るまでの一連の行動は、高知からの移送の現場にも立ち会った競馬評論家・白井透の著作「ハルウララ日記」の内容に沿ったものであり、白井の影響も大きかったと推測されている。
[編集] 移送後に生じた問題
ハルウララが移送された後に発生した、ハルウララに関連する問題について記述する。
[編集] 血液検査問題
馬主サイドは移送後に複数回の血液検査を実施。その結果からハルウララには疲労が蓄積しているとし、休養放牧のための移送を正当化した。しかし移送前と移送後のデータの比較がないなどの問題点が指摘され、さらに「ハルウララを守る高知の会」のメンバーが、血液検査に携わった獣医師から、馬は元気なので高知に返すべきであると馬主サイドに進言したという証言を得たとするなど、馬主サイドの主張には疑問が投げかけられている。
[編集] 「ラストラン PRIDE-ハルウララ物語-」出版計画
2004年12月1日、安西美穂子が携帯サイト 「チャクチャク・エンタメ」において、移送に至る経緯やハルウララの近況について綴ったエッセイの連載を開始。安西は同連載を2005年1月12日に世界文化社から出版する予定であるとしていたが、立ち消えに。
[編集] 新高崎競馬応援団イベント出演計画
廃止が決定した高崎競馬の復興に向けて活動中であった新高崎競馬応援団が、2005年1月4日に主催するイベントに安西美穂子がハルウララを引き連れて来場すると発表。安西はハルウララは疲労が蓄積しているために休養中であるという見解をとっていたため、行動が矛盾しているとファンの激しい反発を呼んだ。
応援団のブログには非難のコメントが多数寄せられ、招聘計画は中止となり、かわりに宗石調教師と安西との会談の場が提供されることとなった。会談の結果、同年3月21日の引退レースに備えて近日中にハルウララを高知競馬場へ戻すことが決定したが、その後引退レースの実施は延期された。
[編集] 能力検定問題
地方競馬においては、一定期間以上実戦から離れている馬がレースに復帰する際には、事前に能力検定競走(能検)という模擬レースに出走して基準タイムを上回るタイムで走破して合格する必要がある。
高知競馬においては最後の出走から150日以上出走申し込みがない場合、能力検定が課される。ハルウララの場合2004年12月28日午前11時が出走申し込みの期限であったが、申し込みはなされなかった。期限を迎えた当時、安西美穂子は「高知県競馬組合と話し合いたい」としており、話し合いによって能力検定を回避する意向を示したが、同組合はハルウララだけを特別扱いすることはできないという見解を示した。
高齢である上にそもそも競走能力が低いハルウララが能力検定に合格することは困難であることから、同馬は実質的に引退に追い込まれているとする見解もあった。
[編集] 「ハルウララ基金」設立問題
2005年8月、安西美穂子が「ハルウララ基金」の設立を表明。その趣旨は、集められた資金をもとにハルウララに全国の地方競馬場を巡業させ、財政難に陥っている地方競馬場を救うというものであった。
しかし、この発表は高齢馬を全国巡業に使役することに対する道義的非難を喚起し、さらにハルウララの移送によって高知競馬が財政面の基盤を失ったことが改めてクローズアップされることとなり、エムエイオフィスが運営するハルウララ公式応援サイトの掲示板、および当時「ハルウララ応援団長」を名乗り、公式応援サイトにおいて基金の発起人であるとされていた森田健作の公式サイト掲示板に批判的な書き込みが数多く寄せられる事態となった。まもなく両掲示板は閉鎖され、森田は公式サイト上でハルウララ基金と無関係である旨を表明するに至った。2006年7月には、ハルウララ公式応援サイト自体も閉鎖された。
[編集] 問題の結末
さまざまな問題点は何一つ解決されないまま、2006年10月1日付で、ついにハルウララの競走馬登録が抹消された。抹消理由は「時効」。
地方競馬では、一定の期間にわたって出走が無い状態が続いた馬については自動的に競走馬登録を抹消する制度が設けられており、この様な形で登録抹消となった馬は抹消理由について「時効」として処理される。この時効による抹消までの期間などの規定の詳細は競馬場毎に多少異なるが、高知も含む多くの地方競馬場で1-2年程度に設定されている。また、1年以上出走していない競走馬については、毎年4月と10月の2回、馬主など関係者に出走を継続する意思の有無について確認し、出走意志がある場合、所定の手続きを行なう必要がある。だが、ハルウララはこの出走継続の手続きが行なわれず、登録が自動抹消となったものであった[6]。
登録抹消当時、馬主サイドは「高知で引退式だけでも」との意向を示し、調教師サイドも同様の意向を示していた。だが、2年にもわたる不出走が続いた末の時効による競走馬登録の自動抹消である上、一連のトラブルで競馬場サイドにも敬遠される事になったか、それは実現することなく、ハルウララは「ホースセラピー」用としての調教をするという理由で、放牧先の栃木県黒磯市から千葉県勝浦市に移送された。
この移送について、那須トレーニングファームの場長は、依頼されてハルウララを勝てるように仕上げたのに、馬主がレースにも復帰させず突然連れ去ったとし、「人間の都合で愛玩動物のように扱われ、可哀相」と批判した。(週刊新潮)
このように、最後まで馬主の意向と周囲の折り合いが付かないまま、連戦連敗で人気を得たはずのハルウララが2年も休養した挙句、事実上の「時間切れ」で競走馬生活の幕引きをするという、ファンを置き去りにした形で移送騒動は結末を迎えた。
結局、ハルウララはトラブルによって身動きできない内に「過去の馬」となってしまい、「M.A.ホースセラピー」用の使役馬への転向のニュースもあまり報道されないほどに人気が低下、馬主の安西美穂子も著作の刊行が途絶えるなど評価を落とし、特に競馬エッセイストとしてはインターネット上などで強烈なアンチが発生するなど、ハルウララの馬主であった事が現在ではかえって大きな瑕疵になってしまっている。また、高知競馬場もハルウララ後の有効なプランも立てられぬまま再び廃止の危機に陥るなど、関係者全てに大きなダメージを与えただけに終わった。
[編集] 血統表
| ハルウララの血統 リファール系/パーソロン4×4=12.50% Northern Dancer4×4=12.50% | |||
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父
ニッポーテイオー 1983 鹿毛 |
*リイフォー Lypheor 1975 黒鹿毛 |
Lyphard | Northern Dancer |
| Goofed | |||
| Klaizia | Sing Sing | ||
| Klainia | |||
| チヨダマサコ 1977 鹿毛 |
*ラバージョン Lover John |
Damascus | |
| Evening Primrose | |||
| ミスオーハヤブサ | *パーソロン | ||
| ワールドハヤブサ | |||
|
母
ヒロイン 1991 鹿毛 |
*ラッキーソブリン Lucky Sovereign 1974 鹿毛 |
Nijinsky | Northern Dancer |
| Flaming Page | |||
| Sovereign | Pardao | ||
| Urshalim | |||
| ピアレスレデイ 1979 鹿毛 |
テスコボーイ Tesco Boy |
Princely Gift | |
| Suncourt | |||
| イーストサイド | *パーソロン | ||
| ミスハクリユウ F-No.12 | |||
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
- 地方競馬
- 高知競馬場
- 負け組
- オグリキャップ - オグリキャップのパチンコ台にハルウララが出演している。
- ハローキティ - 同キャラクターが印刷されたメンコを着用。報道によりハルウララブームが巻き起こったことをきっかけに、高知競馬とサンリオが正式に手を組み、関連グッズ(キティがハルウララに騎乗したぬいぐるみやストラップ等)が販売された。
- たいようのマキバオー- ハルウララと同じく高知競馬場のアイドル馬「ヒノデマキバオー」が主人公の漫画作品。
- 読売ジャイアンツ - 2005年に「弱くて人気があるものの代表格」として、渡辺恒雄が「巨人・楽天・ハルウララ」と並び称した。
- 東北楽天ゴールデンイーグルス - 同上。
[編集] 参考文献
- 「懸命走る!!ハルウララ」 高知新聞、2003年-
- 「ハルウララまとめページ」 2003年11月13日-
- 野元賢一 「祭りは終わった-ハルウララの移送を巡って」 サラブnet、2004年9月21日
- 「馬券日記オケラセラ-ハルウララ問題」 2003年12月17日-
- 「ハルウララブームに学ぶ」 四国新聞、2004年3月7日
- 「ダメ馬『ハルウララ』は『馬肉』にされてしまった!?」 (「週刊新潮」2008年5月1・8日ゴールデンウイーク特大号 p73)
[編集] 外部リンク
- 「ハルウララ」 高知競馬オフィシャルサイト内
- ハルウララ 公式ホームページ - 馬主サイドによる運営
- ハルウララインタビュー(インタビュー形式に編集した取材記事) 講談社MouRa内
- おうちへ帰ろうクラブ :: e法人 by 東京ボランティア・市民活動センター
- ハルウララまとめページ - 血統の森
- "ウララ一勝プロジェクト" 安西美穂子氏の起死回生策? - 馬券日記 オケラセラ
最終更新 2009年11月21日 (土) 22:52 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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