ハンザ同盟
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ハンザ同盟(はんざどうめい)は、中世後期に北ドイツを中心にバルト海沿岸地域の貿易を独占し、ヨーロッパ北部の経済圏を支配した都市同盟である。
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[編集] 概要
「ハンザ」は古高ドイツ語。標準ドイツ語では 「ハンゼ」(Hanse)と呼ばれる。古高ドイツ語「ハンザ」は「団体」を意味し、もともと都市の間を交易してまわる商人の組合的団体のことを指した。
ハンザ同盟の中核を占める北ドイツの都市は神聖ローマ帝国の中で皇帝に直接忠誠を誓う帝国都市であり、相互に独立性と平等性を保つ緩やかな同盟だったが、経済的連合にとどまらず、時には政治的・軍事的連合として機能した。しかし同盟の中央機構は存在せず、同盟の決定に拘束力も弱かったので、政策においてはそれぞれの都市の利害が優先された。
リューベック、ハンブルク、ブレーメンなどかつてのハンザ同盟の中心都市は「自由ハンザ都市」を称して中世以来の都市の自由をうたっており、21世紀の現在もなおハンザ同盟の遺風を残している。
[編集] 歴史
ハンザ同盟の発祥は12世紀にまで遡ることができる。この頃、ドイツを中心に国際的な都市間交易に従事する交易商人による「ハンザ」があらわれ、団体構成員の交易特権を得るための運動を行った。ハンザ商人たちは自身の所属する都市においては都市参事会などへの参加を通じて政治に参加する有力市民であり、彼らの相互援助の都市間ネットワークを通じて都市間で条約が結ばれることにより、都市のハンザも形成されていった。その中心となったのが、1159年にザクセン公のハインリヒ獅子公によって建設されたリューベックだった。
リューベックはハンブルクと商業同盟を結び、またゴトランド島などバルト海沿岸に進出して東方植民によりこの方面の各都市に散らばっていたドイツ商人の組合の主導権を握った。1358年には都市そのものが商人ハンザの組合に加入することで外地商人の組合である商人ハンザと、商人の本国都市の同盟である都市ハンザが統合され、ドイツ・ハンザ(Deutsche Hanse)、すなわちハンザ都市同盟が成立した。
ドイツ商人の商業活動の広がりに応じてハンザ同盟の商館の置かれる範囲は拡大し、西はイングランド(イギリス)のロンドンから東はルーシ(ロシア)のノヴゴロドまで広がった。同盟はロンドンとノヴゴロドに加えてフランドルのブルッヘ(ブリュージュ)、ノルウェーのベルゲンの4都市を「外地ハンザ」と呼ばれる根拠地とし、その勢力はヨーロッパ大陸の内陸から地中海にまで及んだ。同盟に加盟する都市は、ドイツ人の広がりを反映して必ずしもドイツ都市に限られず、15世紀の最盛期には加盟都市は200を越えた。
ハンザ同盟の加盟各市は十数名程度の市参事会によって統治され、遠隔地交易で財をなしたハンザ商人が参事会を構成する都市貴族として寡頭支配を行った。同盟全体の重要な意志決定は年に1度、リューベックにおいて行われるハンザ会議において審議された。
ハンザ同盟の扱う交易品としては、ブリュッヘを通じて貿易されるフランドルの織物のほか、バルト海のニシンが重要である。毎年、夏から秋にかけてのニシン漁期になると北ドイツの各ハンザ都市から北欧に向けてニシン買い付けの商船隊が派遣され、年間数十万トンのニシンが塩漬けにされてヨーロッパ各地に輸出された。またドイツ騎士団領からは木材、琥珀、ポーランド王国からは穀物、ロシア方面からは黒貂、熊、リスなどの毛皮が輸出された。
政治的・軍事的連合としてのハンザ同盟は、1370年、1435年の2度にわたってデンマークとの戦争に勝利して諸特権を認めさせた。しかし15世紀にはカルマル同盟を結んで北欧諸国を統合したデンマークに敗れてバルト海の覇権を失った。
同じ15世紀には、ヤギェウォ朝ポーランド・リトアニア連合と、ポーランド王国が庇護したプロシア連合加盟諸都市の政治経済の繁栄が最盛期を迎え、これらに対するハプスブルク家と神聖ローマ帝国の支持による、それまでバルト海東岸と南岸を支配していたドイツ騎士団の弱体化、北ドイツで勢力を伸ばした領邦君主による自領内都市への圧迫などの外圧が重なって都市のハンザ脱退が続き、同盟は衰退していった。また国王、ブルゴーニュ公による国家的支援を受けたイングランド、ネーデルランドの商人が北欧へ進出してハンザ同盟の商圏に食い込みハンザ同盟の独占体制を脅かしたことは、同盟の存在意義を揺るがした。
16世紀には大航海時代によってヨーロッパの商圏の中心軸がバルト海・地中海から大西洋・北海に移ったことが大きく影響し、この世紀の終わりにはハンザ同盟は実質上ほとんど活動を停止していた。
そして、17世紀の三十年戦争による領邦国家の成立がハンザ同盟の存続に終止符を打った。わずか8都市が代表を送るのみに終わった1669年のハンザ会議を最期に同盟は機能を完全に失い、実質上終焉した。
ただし、ハンブルクとブレーメンだけは自立性を保ち、現在のドイツでも単独の州としてそれぞれ「自由ハンザ都市ハンブルク」「自由ハンザ都市ブレーメン」を正式名称として、かつてのハンザ同盟の名残を現在に伝えている。
また、文久年間(1862年)、幕府が開港延期交渉のために使節団を欧州に派遣した際、ハンザ同盟から外交を結ぶべく外交的接触を受けている。しかし、その後、北ドイツ連邦が設立されハンザ同盟がそれに属したため、ハンザ同盟からの直接の接触はその後行われていない。
1980年にオランダのズヴォレで「新」ハンザ同盟が結成され、311年ぶりにハンザ会議が開催された。この同盟は、ハンザ同盟本来の目的である加盟都市の貿易推進の他に、文化交流・観光誘致も目的とするまことに現代風の呑気なものとなった。加盟都市はかつてのハンザ同盟の加盟都市が原則であるが、ハンザ同盟の商館を設置した都市であれば新規加盟も可能とした。折りしも冷戦が終結しバルト海の東西を分かっていた政治的障壁が消滅したため、加盟都市は増え現在では175都市を数えている。ハンザ会議は毎年開催されるが、開催地は加盟都市の持ち回りとなっている。会議とはいっても、実際は文化フォーラムのごときもので、会議期間中は中世をしのぶ文化展示や催し物・パレードが行われ、町はお祭りとなる。
[編集] 主なハンザ同盟都市
[編集] 北欧
[編集] ロシア
[編集] バルト海東岸
- ヴァルミエラ(ヴォルマール)
- ヴィリャンディ(フェリーン)
- ヴェンツピルス(ヴィンダウ)
- カウナス(カウエン)
- クライペダ(メーメルブルク)
- クルディーガ(ゴールディンゲン)
- タリン
- タルトゥ(ドルパート)
- ツェーシス(ヴェンデン)
- ナルヴァ
- ペルヌ(パルヌ、ペルナウ)
- リガ
[編集] ポーランド
[編集] ドイツ
- ヴィスマール
- エッセン
- オスナブリュック
- カルマール
- キール
- グライフスヴァルト
- ゲッティンゲン
- ケルン
- ゴスラー
- シュトラルズント
- デュースブルク
- デュッセルドルフ
- ドルトムント
- ハノーファー
- ハレ
- ハンブルク
- ヒルデスハイム
- ブクステフーデ
- ブラウンシュヴァイク
- ブランデンブルク
- フランクフルト・アン・デア・オーダー
- ブレーメン
- マグデブルク
- ミュンスター
- ミンデン
- リューネブルク
- リューベック
- ロストック
[編集] 低地地方
[編集] 関連項目
- 自由ハンザ都市
- 帝国自由都市
- ルフトハンザドイツ航空
- ハンザ (小惑星)
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年8月5日 (水) 15:19 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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