ハンナラ党
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ハンナラ党(大いなる国党)
한나라당(ハンナラダン)(Grand National Party) |
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|---|---|
ハンナラ党の中央党舎(党本部)
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| 代表最高委員[1] | 鄭夢準 |
| 成立年月日 | 1997年11月21日 |
| 本部所在地 | ソウル市永登浦区汝矣島洞14-31漢陽ビル |
| 国会議席数 |
168 / 296 (57%)
(2009年11月2日現在) |
| 政治的思想・立場 | 保守、新自由主義、右派 |
| 公式サイト | 한나라당 |
| シンボル | ハングルの‘ㅎ’を形象化 |
| 国際組織 | 国際民主同盟 |
ハンナラ党(ハンナラとう、1997年11月21日~)は、1997年に結成された韓国の保守政党。2008年2月に就任した李明博韓国大統領の与党である。ハン・ナラは「大いなる国」または「一つの国」という意味。李明博(イ・ミョンバク)政権発足直後の国会では、前盧武鉉政権与党であるウリ党の後身政党である統合民主党に次ぐ第二党だったが、2008年4月9日の総選挙で勝利し、院内第一党の座を4年ぶりに奪還した。
目次 |
[編集] 概要
盧泰愚(ノテウ)・金泳三(キム・ヨンサム)政権で与党だった民主自由党の流れをくむ新韓国党と、金大中が結党に関わりソウル市長を務めた趙淳(チョ・スン)が率いていた民主党[2]が1997年11月21日に合同し「ハンナラ党」になった。国会に議席を所有し、且つ現存する政党の中では一番長い歴史を持っている政党でもある[3]。ちなみにロゴは2004年から使用されているもので、ロゴのデザインは「(人間の)躍動性と韓民族の統一意思を抽象化したもの」[4]である。
政治思想としては軍事政権の流れを汲む親米保守系議員が多く、直近の18代総選挙直後に新聞社が當選者に実施した理念性向に関する質問調査では89名が中道保守、12名が保守と回答している[5]。そのため比較的知日的とされ、前の盧武鉉政権を左翼と呼び対立していた。支持地盤は民主正義党→民主自由党→新韓国党時代から一貫して韓国南東部の嶺南(釜山・大邱、蔚山、慶尚北道・慶尚南道)地方。
党内は、2007年の大統領候補予備選挙で候補者の座を争った李明博大統領に近いグループ(親李)と朴槿恵元代表に近いグループ(親朴)の2大グループに大きく分けられ、両グループの葛藤が指摘されている。
[編集] 1997年・2002年大統領選挙での敗北
結成直後の1997年の大統領選挙では、当時の最大野党である新政治国民会議(国民会議)の金大中候補に僅差で敗北し、ハンナラ党は与党の地位から転落した。その後、2000年の総選挙において院内第一党の地位を維持し、2002年の地方選挙でソウル市長に李明博が当選するなど勝利を収めたが、同年12月の大統領選では前回に引き続いて立候補した李会昌が僅差で、新千年民主党(国民会議の後身政党)の盧武鉉候補に敗れる結果となった。
[編集] 盧武鉉大統領弾劾訴追と17代総選挙
2004年3月12日に盧武鉉大統領のウリ党支持発言や不正資金問題などを理由に大統領弾劾訴追案を国会に提出し、可決させたが、これによって支持率を大幅に減らしてしまい、崔秉烈(チェビョンヨル)代表(当時)は退任することになった。起死回生を狙うべく3月23日に臨時党大会を開き、保守層に人気のある朴正煕元大統領の娘である朴槿恵(パク・クネ)を新しい代表に選出した[6][7]。その結果、2004年4月の第17代総選挙では、第一党の座こそウリ党に譲り渡したが、党の地盤である慶尚道で健闘したこともあり獲得議席は121議席と、議席減を最小限に抑えることができた。
[編集] 2007年大統領選挙での勝利
2004年4月の総選挙後、盧武鉉政権の経済政策などに対する批判を背景に、翌2005年4月30日に行われた補欠選挙では6選挙区で全勝、つづいて10月26日に行われた同じく補欠選挙でも4選挙区全てで議席を獲得した上で、2006年の統一地方選挙では首都圏地域区で全勝するなど圧勝し、着実に党勢を回復させつつ次期大統領選へ向け地歩を固めた。そして、2007年12月19日に行われた大統領選挙で、与党・ウリ党から改編した新党である大統合民主新党の鄭東泳(チョン・ドンヨン)候補らに圧倒的大差をつけて李明博が大統領に当選した。そして、翌年の2008年2月25日に正式に大統領に就任し、10年ぶりに与党に復帰した。
[編集] 18代総選挙での辛勝と親朴系議員の復党・入党
李明博が大統領に就任した直後に行われた4月9日の総選挙では、李明博と大統領候補の座を巡って争った朴槿恵元代表に近い親朴派の議員の多くが党公薦を得られず、このことに反発した議員が新党・親朴連帯や無所属で出馬する事態となった。そのため党の強固な地盤である慶尚道で伸び悩み、当初予想されていた180議席近くの大勝には至らなかったが、ソウル市を含む首都圏で支持を伸ばし、過半数(150議席)を上回る153議席(地域区131議席+比例区22議席)を獲得し、勝利した。選挙後、米国産牛肉の輸入再開を強行したことに対する李明博大統領への批判が高まった影響で、6月に行なわれた広域自治体議員及び基礎自治団体長と議員を選出するための補欠選挙で敗北[8]した。 7月3日に行なわれたハンナラ党代表選挙で鄭夢準(チョン・モンジュン)を破って代表に当選[9]した朴熺太(パク・ヒテ)代表は、4月の総選挙で公認を外され、親朴連帯や無所属で選挙を戦って当選した朴槿恵元代表に近い議員の無条件復党を認めることを正式決定[10]し、同月16日に親朴連帯や無所属の議員19人がハンナラ党に入党した[11]。これにより、国会における議席数は152人から171人に増え、国会で安定多数を確保する運びとなった。
[編集] 2009年再補選の結果不振
2009年4月、5選挙で行われた国会議員再選挙では、民心の動向を計れる意味において重要な地域である首都圏の仁川広域市富平区乙選挙区で民主党候補に、ハンナラ党の強固な地盤である慶尚道の蔚山広域市北区と慶州市でも進歩新党候補と親朴系無所属候補に破れ、全敗した。同年10月に行われる国会議員再選挙に出馬するため朴熺太代表が、9月7日に代表の座を退き、後任の新たな代表には、昨年7月の党大会で行われた代表選挙で次点だった鄭夢準最高委員が党憲・党規に基づいて就任した。その鄭代表が就任後の10月に行われた国会議員選挙では、慶尚南道梁山市で朴熺太が当選するなど、2箇所での勝利に留まり、民主党に惜敗する結果となった。
11月20日には、党結成12周年の記念式が行われ、趙充旋(チョ・ユンソン)報道官が「ハンナラ党は中道保守の代弁者としての場所を守り続けて来た。中産層を堅固にし庶民と交わる、頼もしい政党」になると述べたが、党内における親李系と親朴系の対立や、世宗市の建設問題などで党内葛藤が続いている中での式となったため、簡素に行われた[12]。
[編集] 党指導部
| 代表最高委員 | 鄭夢準(정몽준) | |
|---|---|---|
| 院内代表 | 安商守(안상수) | |
| 党最高委員 | 許泰烈(허태열 ) | |
| 孔星鎭(공성진) | 朴順子(박순자) | |
| 宋光浩(송광호) | 朴載淳(박재순) | |
出典:ハンナラ党公式ホームページの「중앙당직자(中央党職者)」より 。アクセス方法は「Home 사람들>중앙당>중앙당직자(人々>中央党>中央党職者)」。
| 代表者名 | 在任期間 | |
|---|---|---|
| 日本語 | ハングル | |
| 趙淳 | 조순 | 1997年11月~1998年8月 |
| 李会昌 | 이회창 | 1998年8月~2002年4月 |
| 徐清源 | 서청원 | 2002年4月~2003年5月 |
| 崔炳烈 | 최병렬 | 2003年6月~2004年3月 |
| 朴槿恵 | 박근혜 | 2004年3月~2006年6月 |
| 姜在渉 | 강재섭 | 2006年7月~2008年7月 |
| 朴熺太 | 박희태 | 2008年7月~2009年9月 |
| 鄭夢準 | 정몽준 | 2009年6月~現在 |
- 出典:アジア経済研究所編『アジア動向年報』各年版とハンナラ党ホームページの「걸어온 길(歩んできた道)」。尚、総裁権限代行と代表権限代行については省略した。
[編集] 綱領および政策
以下にハンナラ党綱領の項目を挙げておく、綱領の具体的中身と政策を知りたい場合はハンナラ党ホームページ→「한나라당」→「한나라 소개(ハンナラ(党)紹介)」→「정강,정책(政綱、政策)」、の順でたどり着けるので、そちらを参照されたい。
- 第1条.未来志向先進政治
- 第2条.大きい市場と小さな政府の活気に満ちた先進経済
- 第3条.公正で透明な市場秩序
- 第4条.まじめで正直な人がより良く暮らせる国
- 第5条.働き口があり、中産層が厚い国
- 第6条.科学技術強国と情報福祉社会
- 第7条.福祉体制を取り揃えた影が無い国
- 第8条.両性平等社会
- 第9条.国際的分業と地域特性に即した地方化
- 第10条.安全で楽な国
- 第11条.品格高い文化大国
- 第12条.教育立国と人材大国
- 第13条.持続可能な親環境社会
- 第14条.一緒に生きてゆける共同体
- 第15条.家族の価値を重視する社会
- 第16条.実用主義外交の追及
- 第17条.堅固な安保体制の確立
- 第18条.韓半島(朝鮮半島)統一への努力と統一後の備えについて戦略確立
[編集] 大統領選挙及び総選挙での成績
[編集] 大統領選挙
| 年 | 月日 | 大統領選挙 | 候補者 | 得票数 | 得票率 | 当落 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1997年 | 12月17日 | 1997年大韓民国大統領選挙 | 李会昌 | 9,935,718 | 38.7 | 落選 |
| 2002年 | 12月19日 | 2002年大韓民国大統領選挙 | 李会昌 | 11,443,297 | 46.59 | 落選 |
| 2007年 | 12月15日 | 2007年大韓民国大統領選挙 | 李明博 | 11,492,389 | 48.7 | 当選 |
[編集] 総選挙
| 年 | 月日 | 代 | 議席数 | 得票率 (比例代表[13]) |
|---|---|---|---|---|
| 2000年 | 4月13日 | 第16代総選挙 | 133 | 39.0% |
| 2004年 | 4月15日 | 第17代総選挙 | 121 | 37.5% |
| 2008年 | 4月9日 | 第18代総選挙 | 153 | 37.48% |
[編集] 年表
| 年 | 月日 | 出来事 |
|---|---|---|
| 1997年 | 11月21日 | 与党新韓国党と第三党の野党統合民主党が合同、ハンナラ党を結成。初代総裁に趙淳、大統領候補 に李会昌を指名。 |
| 12月18日 | 大統領選挙、李会昌候補、新政治国民会議の金大中候補に敗れる(韓国憲政史上初の与野党間の政権交代)。 | |
| 1998年 | 4月2日 | 国会議員補欠選挙。慶尚道の4選挙区で全勝 |
| 4月10日 | 党大会で趙淳総裁、李会昌名誉総裁を再任 | |
| 6月4日 | 第2回全国同時地方選挙。広域自治団体長6名、広域議会議員440名、基礎自治団体長74名が当選。慶尚道地域で強さを発揮した。 | |
| 7月21日 | 国会議員補欠選挙。補欠選挙が行われた7選挙区中、4選挙区で勝利 | |
| 8月4日 | 趙淳総裁が辞任(翌5日に李基澤副総裁が、総裁代行となる) | |
| 8月31日 | 李会昌が同党の総裁に就任 | |
| 2000年 | 2月28日 | ハンナラ党を離党した議員が新党「民主国民党」発起人大会を開催。新党代表に趙淳が就任(翌月8日に結成大会) |
| 4月13日 | 第16代総選挙。133議席を得、国会内第一党を維持 | |
| 2001年 | 10月25日 | 国会議員補欠選挙。補欠選挙が行われた3選挙区全てで全勝 |
| 2002年 | 2月28日 | 朴槿恵副総裁、李会昌総裁の党運営に反発して離党を表明(後に復党) |
| 4月15日 | 大統領選挙に立候補するため総裁の座を退いた李会昌に代わり、徐淸源(ソ・チウォン)が代表最高委員(代表)に選出される。 | |
| 5月10日 | この日行われた全党大会で、李会昌前総裁を同党の大統領候補に選出した | |
| 6月13日 | 第3回全国同時地方選挙。ソウル特別市で李明博が当選するなど広域自治団体長11名、広域議会議員467名、基礎自治団体長140名が当選して圧勝。 | |
| 8月8日 | 13選挙区で行われた国会議員補欠選挙において、11名が当選して圧勝。国会の過半数137議席を上回る139議席となった。 | |
| 12月19日 | 大統領選挙。2度目の出馬となった李会昌候補、新千年民主党(民主党)の盧武鉉候補に僅差で敗れる。 | |
| 2003年 | 4月24日 | 国会議員補欠選挙。3選挙区の内、2選挙区で当選。 |
| 6月26日 | 新たな党代表に崔秉烈を選出 | |
| 2004年 | 3月12日 | ハンナラ党、民主党と共に盧武鉉大統領の弾劾訴追案を国会に提出。賛成多数で可決。 |
| 3月23日 | 臨時党大会、朴正煕の長女である朴槿恵を新代表に選出 | |
| 4月15日 | 第17代総選挙。121議席を確保、第二党に後退 | |
| 2005年 | 10月26日 | 国会議員補欠選挙が行われた4選挙区すべてで、ハンナラ党候補が当選 |
| 2006年 | 2月20日 | 群小政党に転落した保守政党の自由民主連合を吸収 |
| 5月31日 | 第4回全国同時地方選挙。広域自治団体長12名、広域議会議員557名、基礎自治団体長155名、基礎議会議員1,622名が当選して圧勝 | |
| 7月11日 | この日行われた党大会の代表選挙で、姜在渉(カン・ジェソプ)が代表に当選 | |
| 10月25日 | 9選挙区で行われた国会議員補欠選挙で4名当選 | |
| 2007年 | 4月25日 | 3選挙区で行われた国会議員補欠選挙で1名当選 |
| 8月20日 | ハンナラ党全党大会。候補者指名選挙の開票結果発表、李明博前ソウル市長が総得票率49.56%で 候補者に指名される。 |
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| 12月15日 | 大統領選挙。李明博候補が次点の大統合民主新党の鄭東泳候補に大差をつけて当選。 | |
| 2008年 | 4月9日 | 第18代総選挙。ハンナラ党は過半数(150議席)を上回る153議席を確保、4年ぶりに第一党を回復。 |
| 7月3日 | 党代表選挙。朴熺太が鄭夢準を抑えて新代表に当選。 | |
| 7月16日 | 4月の総選挙で公認を外された親朴連帯や無所属当選者19名がハンナラ党に入党。 | |
| 2009年 | 4月29日 | 国会議員再選挙。再選挙が行われた5選挙区全てで敗北[14]、当選はソウル特別市議会議員補欠選挙における1名に留まった。 |
| 9月7日 | 10月に行われる国会議員再選挙に出馬するため、朴熺太代表が代表の座を退き、後任の新たな代表に昨年7月の代表選挙で次点だった鄭夢準代表最高委員が就任[15]。 | |
| 10月28日 | 京畿道水原市など5箇所で国会議員再補選。慶尚南道梁山市など2箇所での勝利に留まり[16]、3勝した民主党に惜敗した。 | |
| 11月20日 | ハンナラ党結成12周年の記念式。 |
聯合ニュース及びアジア経済研究所編『アジア動向年報』(アジア経済研究所)各年度版を参考にして作成した。
[編集] 主な出来事
2008年7月16日、汝矣島の党本部で開かれた最高委員会議で、許泰烈最高委員は対馬も韓国領である旨を主張した[17]。
[編集] 脚注
- ^ 通称は「代表」
- ^ 1995年、金大中が政界復帰して新党(新政治国民会議)を結成したことで第一野党の座から転落した民主党と市民団体が結成した改革新党が統合して結成された統合民主党が1996年6月に党名を「民主党」に改称したものである。そのため、2008年当時の民主党とは別個の政党である(ただし、同党出身の一部政治家は、2008年当時の民主党にも参加している)。
- ^ 現在国会に議席を有している主要政党の創党日は、民主党は2008年7月6日に統合民主党から党名を改称。民主労働党は2000年1月30日、自由先進党は2008年2月1日に結成された。尚、過去に存在した政党の中で一番長い歴史を持っている政党は、第三共和国・第四共和国における与党の民主共和党(1963年~1980年)である。
- ^ 당 로고의‘정치학’- 소나무 vs.사람 (党ロゴの‘政治学’-松の木VSひと)2009年9月2日付中央日報本国版(韓国語)
- ^ 『東亜年鑑 2009』東亜日報、449頁の表「18대 국회의원 정당별 이념 성향」(18代国会議員政党別理念性向)。수도권 당선자 66.2%가 “보수적”… 전국 평균보다 높아(首都圏當選者66.2%が“保守的”全国平均上回る)2008年4月15日付東亜日報。
- ^ 「36年ぶり女性党首に選ばれたハンナラ党の朴槿惠代表」2004年3月24日付朝鮮日報
- ^ 「ハンナラ党代表に朴槿惠氏 36年ぶり女性党首」2004年3月23日付朝鮮日報
- ^ 「与党ハンナラ党惨敗=地方再・補選」2008年6月10日付朝鮮日報
- ^ 「朴ヒ太氏、ハンナラ党の新代表最高委員に選出」2008年7月3日付聯合ニュース
- ^ 「親朴議員全員を無条件復党へ、ハンナラ党が結論」2008年7月10日付聯合ニュース
- ^ 「ハンナラ党171議席、親朴議員ら19人復党・入党」2008年7月16日付聯合ニュース。なお親朴連帯の比例代表選出議員は、手続きの関係上合流しなかった。
- ^ ハンナラ党が結成12周年、難題を前に団結呼びかけ-2009年11月20日付聯合ニュース
- ^ 第16代は地域区の得票率
- ^ 「再選・補欠選挙に「無所属」突風、与党は完敗」2009年4月30日付聯合ニュース
- ^ 「ハンナラ党朴代表が辞任、新代表は鄭夢準最高委員に」2009年9月7日付聯合ニュース
- ^ 民主党3勝・ハンナラ党2勝、国会議員再・補選-2009年10月29日付聯合ニュース
- ^ 「「対馬も韓国領」ハンナラ党で強硬発言が続出」2008年7月16日付聯合ニュース
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年11月23日 (月) 15:43 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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