ハンフリー・ボガート

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ハンフリー・ボガート
Humphrey Bogart
本名 Humphrey DeForest Bogart
生年月日 1899年12月25日
没年月日 1957年1月11日(満57歳没)
国籍 アメリカ合衆国
配偶者 Helen Menken (1926-1927)
Mary Philips (1928-1937)
Mayo Methot (1938-1945)
ローレン・バコール (1945–1957)

“ボギー”ハンフリー・ディフォレスト・ボガートHumphrey DeForest "Bogie" Bogart, 1899年12月25日1月23日とする説もあり) - 1957年1月14日)は、ニューヨーク出身のハリウッド映画俳優である。日本ではしばしば「“ボガー”」と呼ばれるが誤り。

1930年に『河上の別荘』で初出演を果たして以降20年近くに渡り、ワーナー・ブラザーズの専属に近い形で俳優活動を行った。

1930年代ギャング映画の敵役を多く演じたが、40歳を過ぎて主演した『マルタの鷹』『カサブランカ』等の作品で、ハードボイルド・スターの地位を確立。後年は演技派としても活躍し、『アフリカの女王』(1951年)ではアカデミー賞主演男優賞を受賞した。

1957年に食道癌で逝去。

1940年代1950年代を代表する名優として、時代の象徴的存在に挙げられることが多い。1999年AFIが発表した「アメリカ映画スターベスト100」では男優の1位に輝いている。

目次

[編集] 生い立ち

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ニューヨークにおいて、イングランドオランダ系の血をひく外科医の父、ベルモント・デフォレスト・ボガートと画家の母、モード・ハンフリーの間に生まれる。父は厳格なプレスビテリアン、母は厳格なエピスコパリアンだった[1]

家庭が裕福だったこともあり、イェール大学へ進学するよう希望していたが、ボガートは高校を中退。1918年海軍に入隊するも、3年後に除隊。やがてブルックリンの劇場で舞台に立ち、俳優の道を志す。

[編集] 人物

ボガートはヘビースモーカーとして知られ、また酒豪でもあった。愛飲酒はドランブイスコッチウイスキーベースの薬用酒)で、飲んだ量に比例して毒舌が激しくなるといわれた。

57年の生涯の中で離婚を3度経験している。4人目、つまり最後の妻ローレン・バコールとは非常に仲がよく、彼女との間に1男1女をもうけている。バコールの自伝によると、ボガートはその死まで、妻のことを「キッド」と呼んでいたらしい。「キッド」とは、2人が初共演した映画『脱出』でバコールが演じた役名。

トレンチコートの襟を立て、紙巻きタバコをキザに咥えて吹かす」というボガートの姿を真似する人も多い。尚、正しい「ボガート・スタイル」では、指に挟むのではなく葉巻のように摘まんで持つ。

[編集] 主な主演映画

ハイ・シエラ - High Sierra (1941年)
ラオール・ウォルシュ監督。共演アイダ・ルピノ
事実上の初主演作品。当時のワーナー社の俳優が主人公「ロイ・アール」役を次々と断った為にボガートに主役が回ったものである。
マルタの鷹 - The Maltese Falcon (1941年)
ジョン・ヒューストン監督。共演メアリー・アスターピーター・ローレ
『ハイ・シエラ』の脚本家だったヒューストンの監督第1作。ダシール・ハメットの名作ハードボイルドの映画化。大ヒットした。これも他のスターに断られた役である。ボガート扮するタフで非情な私立探偵スペードのきびきびとした行動、曲者揃いの共演者たちなど、随所に見どころ多く、原作に忠実かつ切れ味の鋭い演出で評価が高い。監督の父である名優ウォルター・ヒューストンが「2秒間だけ」特別出演。
カサブランカ - Casablanca (1942年)
マイケル・カーティス監督。共演イングリッド・バーグマン
戦時の北アフリカを舞台としたメロドラマで大ヒットし、ボガートの代表作に数えられる。公開当時はアフリカ第二戦線でのカサブランカ開放とのタイミングもあって、ヘイズコードの下での国策映画という一面もあったが、1970年代になってからは懐疑的な孤立主義の主人公へ戦後世代が自分の姿を投影させるなど、単なるプログラム・ピクチャーの枠を超えた多様な評価が為されている。
脱出 - To Have and Have Not (1944年)
ハワード・ホークス監督、共演ローレン・バコール
アーネスト・ヘミングウェイの原作『持つと持たぬと』を『カサブランカ』もどきに大改変した冒険ドラマで、ボガートとバコールの出逢いのきっかけとなった。二人は翌年結婚。
三つ数えろ - The Big Sleep (1946年)
ハワード・ホークス監督、共演ローレン・バコール
レイモンド・チャンドラーの初の長編ハードボイルド小説『大いなる眠り』の映画化。邦題はクライマックスのセリフから。
1946年版とローレン・バコールとの絡みを追加した1947年版がある。
黄金 - The Treasure of the Sierra Madre (1948年)
ジョン・ヒューストン監督。共演ウォルター・ヒューストン
覆面作家B・トレイヴンの小説『シエラ・マドレの黄金』の映画化。メキシコ奥地での財宝探しの末に仲間割れしていく男達の末路を描いたシリアスな作品で、ボガートは演技派としての実力を発揮した。アカデミー賞に多数ノミネートされ、監督賞(ジョン・ヒューストン)・助演男優賞(ウォルター・ヒューストン)を父子で受賞した。
キー・ラーゴ - Key Largo (1948年)
ジョン・ヒューストン監督。共演ローレン・バコールエドワード・G・ロビンソンライオネル・バリモア
マックスウェル・アンダーソンの舞台劇の映画化。ハリケーンに見舞われたフロリダの小さなホテルを舞台に、退役軍人がギャングの大親分一味と対峙するサスペンス。寡黙なボガートを、共演のベテランであるロビンソンが喰ってしまった印象。ベティ・バコールとは最後の共演作。アル中の元歌手を演じたクレア・トレヴァーアカデミー賞助演女優賞受賞。
孤独な場所で - In a Lonely Place (1950年)
ニコラス・レイ監督。共演グロリア・グレアム
ボガートが自らのプロダクション「サンタナ・プロ」でプロデュースした異色のフィルム・ノワール。ボガートは現代で言う「ボーダー」型の異常な性格を持つシナリオライターに扮した。製作当時はヒットしなかったが、近年、ニコラス・レイへの再評価に伴って、フィルム・ノワールのジャンルにおける重要な作品として扱われるようになっている。なお共演者のグレアムはレイ監督の当時の妻だったが既に別居中で、映画完成後に離婚している。1940年代末期から1950年代初頭にかけて製作されたサンタナ・プロ作品は、本作に限らず興行的に失敗に終ったものが多い。
The Enforcer (1951年)
Bretaigne Windust監督。共演Zero Mostel
フィルム・ノワール。日本未公開。ボガートにとっての最後のワーナー作品となった。
アフリカの女王 - The African Queen (1951年)
ジョン・ヒューストン監督。共演キャサリン・ヘプバーン
1940年代末期からのハリウッドにおける赤狩りに際して、ボガートやヒューストンは左翼ではなかったが、自由主義の立場から批判的態度を取った。しかし名声ある彼らとてマッカーシー旋風には抗しきれず、ボガートは政治的発言を控えるようになり、ヒューストンはイギリスに活動の場を移す。
本作はC・S・フォレスターの冒険小説の映画化で、イギリスで製作された。難行苦行のアフリカ・ロケは、狩猟に熱中したヒューストンの脱線行動など数々の伝説を残す。ボガートは大女優キャサリン・ヘプバーンと共に、びしょ濡れ、泥まみれになりながらドイツ軍砲艦に戦いを挑むカップルを熱演。アクション映像や、アフリカの風景を捉えたカラー撮影なども好評で、ヒット作となった。おんぼろランチ「アフリカの女王」号の酔いどれ船長役で、ボガートは1951年のアカデミー賞主演男優賞を受賞している。が、実のところボガートとヒューストンは、ロケ地で酒ばかり飲んでおり、すべて酔ったまま演じ、演出されたという。出演者やロケスタッフが揃って水当たりを起こした中、この酒飲み二人だけが無事だった。
悪魔をやっつけろ - Beat the Devil (1953年)
ジョン・ヒューストン監督。共演ジェニファー・ジョーンズジーナ・ロロブリジーダ
ヨーロッパとアフリカにまたがる巨大な密輸組織を巡るハードボイルド・アクション・スリラー。監督による過去のフィルム・ノワールのセルフパロディでもあり、コメディの要素も持つ。米国においてもパブリックドメインとなった。
麗しのサブリナ - Sabrina (1954年)
ビリー・ワイルダー監督。共演オードリー・ヘプバーンウィリアム・ホールデン
オードリー・ヘプバーンが愛らしい、豪奢で楽しいコメディ。ボガートとしては珍しく、中年に至って未だ独身の朴念仁をユーモラスに演じた。若い二枚目のホールデンは「俺が、ボギーにオードリーを取られる役?」とあ然としたそうである。もっとも硬派なボガートは、軟派のワイルダーやホールデンとは、反りが合わなかったという(ワイルダーとホールデンは『サンセット大通り』での初顔合わせ以来、たいへん仲が良かった。オードリーもどちらかといえば彼ら寄りだったので、ボガートはますます不機嫌だった)。
ケイン号の叛乱 - The Caine Mutiny (1954年)
エドワード・ドミトリク監督。共演ホセ・フェラーフレッド・マクマレイ
米海軍駆逐艦での指揮権剥奪事件と軍法会議を通じ、軍隊の病巣を描き出した重厚な社会派大作。ボガートは精神に異常を来した艦長を演じ、アカデミー賞にノミネートされている。演技派としてのボガートの代表作。
裸足の伯爵夫人 - The Barefoot Contessa (1954年)
ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督。共演エヴァ・ガードナー
エヴァ・ガードナー主演で、酒場のダンサーから大女優に、そして伯爵夫人になった女の波乱の半生を描いたメロドラマの佳作。脚本家出身の才人マンキーウィッツ監督らしいユニークな作品である。ボガートはガードナーを見出した映画監督に扮して狂言回しとなり、ナレーションも務めた。ボガート最後のトレンチコート着用映画でもある。
必死の逃亡者 - The Desperate Hours (1955年)
ウィリアム・ワイラー監督。共演フレドリック・マーチ
ボガートの脇役時代の代表作に『化石の森』(1936)がある。食堂に立てこもる凶悪脱獄犯デューク・マンテーに扮したボガートは、その冷酷非情な演技で注目された。それから約20年ぶりに、同様の役柄に扮したのが本作。「アメリカの理想的な父親」であるフレドリック・マーチを相手に、彼の家に押し入った脱獄犯たちのリーダーを演じ、悪役としてのキャリアの長さを改めて観客に示した。
殴られる男 The Harder They Fall (1956年)
マーク・ロブソン監督。共演ロッド・スタイガー
フィルム・ノワール。日本未公開。ボガートの遺作となった。

その他の出演映画はen:Humphrey Bogart filmographyを参照。

[編集] パロディほか

『ボギー! 俺も男だ』(1973年)
  • ウッディ・アレンの舞台戯曲を彼自らの脚本・主演で映画化。ボガートへのオマージュに満ちたコメディ映画。
  • 原題 『Play It Again, Sam』 は『カサブランカ』が由来なのだが、厳密にはボガートはもちろん作中では誰もこの台詞は口にしていない。物真似芸人がボガートの真似をする際にこの言葉を多用したため、多くの人が「『カサブランカ』の中に登場する台詞」と誤解するにいたった。
『ハリウッドに別れを』(1975年)
『名探偵再登場』(1978)
  • ニール・サイモン脚本の全編『マルタの鷹』と『カサブランカ』のパロディ。ボガートもどきの迷探偵ルー・ペキンポーをピーター・フォークが嬉々として怪演。同じスタッフで作られた『名探偵登場』(1976)でもフォークはボガートのパロディ(こちらの探偵の名はサム・スペードならぬサム・ダイヤモンド)を演じている。
『四つ数えろ』(1982年)
  • スティーブ・マーティン主演のパロディ映画。ボガートらのハードボイルド映画を編集でつなぎ合わせて、マーティンの新作カットを押し込み一本の映画にでっちあげた。マーティンの演じる探偵のキャラクター自体もボガートの真似。
『ラスト・アクション・ヒーロー』
  • 一瞬だけ登場する。セリフは無い。

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] Video

[編集] 脚注

  1. ^ "The religious affiliation of Humphrey Bogart." Adherents.com.

最終更新 2009年10月16日 (金) 02:08 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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