バイエルン・ミュンヘン
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| バイエルン・ミュンヘン | |
|---|---|
| 原語表記 | FC Bayern München |
| 愛称 | Die Bayern、FC Hollywood |
| クラブカラー | 赤 |
| 創設年 | 1900年 |
| 所属リーグ | ドイツ・ブンデスリーガ |
| 所属ディビジョン | 1部 |
| ホームタウン | ミュンヘン |
| ホームスタジアム | アリアンツ・アレーナ |
| 収容人数 | 66,000 |
| 代表者 | |
| 監督 | |
| 公式サイト | 公式サイト |
バイエルン・ミュンヘン(FC Bayern München) は、ドイツ、バイエルン州のミュンヘンに本拠地を置くサッカークラブ。
目次 |
[編集] 概要
ブンデスリーガに所属し、人気・実力ともブンデスリーガや世界のトップクラスにあるビッグクラブである。バイエルン出身のローマ教皇ベネディクト16世も、ファンクラブ会員である。
2005-2006シーズンからホームスタジアムはそれまで試合を開催してきたオリンピアシュタディオンからドイツ・ワールドカップ会場ともなったアリアンツ・アレーナへ移転。2006年1月、日本の浦和レッドダイヤモンズとパートナーシップを締結した(ちなみに、現代表取締役カール=ハインツ・ルンメニゲの実弟、ミハエル・ルンメニゲが浦和に在籍していたことがある)。
優良経営で知られ、クラブは創立以来借金をしたことがない。また、ブンデスリーガ初年度のメンバーではない。
現会長のフランツ・ベッケンバウアー、現代表取締役のカール=ハインツ・ルンメニゲをはじめ、ゲルト・ミュラー、ローター・マテウス、ユルゲン・クリンスマン、アンドレアス・ブレーメなど、ドイツサッカー史に残るビッグネームの多くが所属した。また、創設から長らく主将となった選手が全てドイツ人であったことでも知られる。しかし、2008-2009シーズンからはオランダ人のマルク・ファン・ボメルが主将を務めており、近年では補強策を始め、これまで築かれてきたこういった伝統は崩される傾向にある。
[編集] 歴史
[編集] 1970年代
この頃からフランツ・ベッケンバウアー、カール=ハインツ・ルンメニゲ、ウリ・ヘーネス、ゲルト・ミュラーといった選手たちが頭角を現す。1971-72、1972-73、1973-74シーズンにはリーグ3連覇を、1973-74、1974-75、1975-76シーズンにはチャンピオンズカップ(現:UEFAチャンピオンズリーグ)を3連覇するなど栄光を築いた。
[編集] 1980年代
1970年代の主力が抜けたが、カール=ハインツ・ルンメニゲを中心としたチームは健在であった。この頃はローター・マテウス、アンドレアス・ブレーメ、シュテファン・ロイター、ユルゲン・コーラーといった若手の台頭もあり、1984-85、1985-86、1986-87シーズンにリーグ3連覇を達成し、さらに1988-89、1989-90シーズンにも2連覇を達成した。チャンピオンズカップ(現:UEFAチャンピオンズリーグ)では決勝に進出したものの、優勝することはなかった。
[編集] 1990年代
1990年以降は監督交代などが相次ぎ、リーグ優勝から遠ざかるなどして低迷を続けた。1995-96シーズンにはUEFAカップを獲得したものの、70年代の栄光に近づいたとはとても言い難いものであった。オットー・レーハーゲル、ジョバンニ・トラパットーニといった名将を招聘したが、さしたる結果を残すことはできなかった。
1998-1999シーズンには、覇権奪回の最後の切り札として、かつて放出したシュテファン・エッフェンベルクを連れ戻し、監督にはボルシア・ドルトムントを欧州王者に導いたオットマー・ヒッツフェルトを招聘した。ヒッツフェルトは「FCハリウッド」と揶揄されたチームの改革に着手し、これまでの悪しき伝統を取り払う(ローテーションシステムを確立する)ことで、1970年代の黄金期を彷彿とさせる強さを発揮することに成功した。圧倒的な強さでリーグを制覇し、UEFAチャンピオンズリーグでは決勝に進出したものの、終盤でマンチェスター・ユナイテッドに逆転を許し、悲願の優勝には届かなかった(カンプ・ノウの悲劇)。しかし、この経験は2年後のチャンピオンズリーグでの優勝に繋がるものであった。
1999-2000シーズンは、UEFAチャンピオンズリーグにおいてレアル・マドリードに大勝するなど、ヒッツフェルトをして「ブラジル代表」と言わせるほどの高水準のサッカーを披露していた。結局、国内での2冠は達成したものの、マテウスの移籍が響いたこともあり、UEFAチャンピオンズリーグでは準決勝で敗退した。
[編集] 2000年代
2000-2001シーズンは、シャルケ04が躍進したことや格下相手に取りこぼす試合が続いた影響でリーグ3連覇は厳しいと予想されたが、終盤でシャルケ04に勝ち点で逆転し、最終節で勝利してリーグ3連覇を達成した。また、UEFAチャンピオンズリーグにおいても、バレンシアとのPK戦までもつれ込む決勝戦を制し、悲願の優勝を遂げた。
ヒッツフェルトが退任した後、フェリックス・マガトが監督に就任し2004-05、2005-06シーズンにリーグと国内カップの2冠を連覇で達成した。しかし、この頃からマガトと選手達及びフロントとの関係の悪化、相次ぐ大物選手獲得の失敗、主力であったミヒャエル・バラックをチェルシーへ放出したことなどが響いたため、2006-07シーズンは低迷を続けた。シーズン途中でマガトを解任し、ヒッツフェルトが監督に復帰したものの、リーグ優勝はおろかUEFAチャンピオンズリーグ出場権までも逃した。
この事態を重く見たフロント陣は2007年夏の移籍市場において、フランク・リベリー、ルカ・トーニ、ミロスラフ・クローゼらスター選手を次々に獲得し、バイエルンの歴史上例を見ない大型補強を敢行。開幕前にはヴェルダー・ブレーメンに大勝するなど、多くのメディアは「スーパー・バイエルン」と呼んだ。辛口のマテウスですらチームを賞賛するほど戦力は充実し、戦術の完成度も高かった。このシーズンは目標であったUEFAカップ優勝は逃したが、リーグ優勝と国内カップの2冠と、かつてブレーメンが達成したシーズン最小失点記録を更新し、オリバー・カーンの引退とヒッツフェルトの勇退に花を添える形となった。
2008-09シーズン、ユルゲン・クリンスマンを招聘した。しかし、前シーズンのような独走状態にはならず、終盤での連敗が響いたこともあり、シーズン終了を待たずにクリンスマンを解任、かつてバイエルンを率いた経験を持つユップ・ハインケスがシーズン終了まで指揮を執った。結果的にリーグ優勝は逃したものの、UEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得という最低限のノルマは達成した。
2009-10シーズン、AZアルクマールをリーグ優勝に導いたルイス・ファン・ハールが監督に就任。2009年夏の移籍市場ではマリオ・ゴメス、アリエン・ロッベンらを獲得し、レアル・マドリードなどへの移籍が注目されたリベリーの残留にも成功。一方でゼ・ロベルトや副キャプテンを務めていたルシオを放出した。
[編集] タイトル
[編集] 国内タイトル
- リーグ:21回
- 1932、1968-69、1971-72、1972-73、1973-74、1979-80、1980-81、1984-85、1985-86、1986-87、1988-89、1989-90、1993-94、1996-97、1998-99、1999-2000、2000-01、2002-03、2004-05、2005-06、2007-08
- ドイツカップ:14回
- 1956-57、1965-66、1966-67、1968-69、1970-71、1981-82、1983-84、1985-86、1997-98、1999-00、2002-00、2004-05、2005-06、2007-08
- ドイツリーグカップ:5回
- 1997、1998、1999、2000、2004
- ドイツスーパーカップ:3回
- 1983、1987、1990
[編集] 国際タイトル
- 1976、2001
- 1973-74、1974-75、1975-76、2000-01
- 1966-67
- UEFAカップ:1回
- 1995-96
* トロフェオ・サンティアゴ・ベルナベウ:3回
- 1979、1980、2002
- トロフェオ・テレサ・エレーラ:1回
- 1989
- さいたまシティカップ:1回
- 2008
- アウディカップ:1回
- 2009
[編集] 過去の成績
- 1987-1988 ブンデスリーガ1部 2位
- 1988-1989 ブンデスリーガ1部 1位
- 1989-1990 ブンデスリーガ1部 1位
- 1990-1991 ブンデスリーガ1部 2位
- 1991-1992 ブンデスリーガ1部 10位
- 1992-1993 ブンデスリーガ1部 2位
- 1993-1994 ブンデスリーガ1部 1位
- 1994-1995 ブンデスリーガ1部 6位
- 1995-1996 ブンデスリーガ1部 2位
- 1996-1997 ブンデスリーガ1部 1位
- 1997-1998 ブンデスリーガ1部 2位
- 1998-1999 ブンデスリーガ1部 1位
- 1999-2000 ブンデスリーガ1部 1位
- 2000-2001 ブンデスリーガ1部 1位
- 2001-2002 ブンデスリーガ1部 3位
- 2002-2003 ブンデスリーガ1部 1位
- 2003-2004 ブンデスリーガ1部 2位
- 2004-2005 ブンデスリーガ1部 1位
- 2005-2006 ブンデスリーガ1部 1位
- 2006-2007 ブンデスリーガ1部 4位
- 2007-2008 ブンデスリーガ1部 1位
- 2008-2009 ブンデスリーガ1部 2位
[編集] 現所属メンバー
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[編集] ローン移籍
- in
- out
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[編集] 2009-10シーズン移籍
詳細は「en:List of German football transfers summer 2009」を参照
[編集] 歴代監督
| 氏名 | 国籍 | 期間 |
|---|---|---|
| ズラトコ・チャイコフスキー | 1965-1968 | |
| ブランコ・ゼベッチ | 1968-1970 | |
| ウド・ラテック | 1970-1975 | |
| デットマール・クラマー | 1975-1977 | |
| ジュラ・ローラーント | 1977-1979 | |
| パール・チェルナイ | 1979-1983 | |
| ラインハルト・ザフティク(暫定監督) | 1983 | |
| ウド・ラテック | 1983-1987 | |
| ユップ・ハインケス | 1987-1991 | |
| セーレン・レアビー | 1991-1992 | |
| エーリッヒ・リベック | 1992-1993 | |
| フランツ・ベッケンバウアー(暫定監督) | 1993-1994 | |
| ジョバンニ・トラパットーニ | 1994-1995 | |
| オットー・レーハーゲル | 1995-1996 | |
| フランツ・ベッケンバウアー(暫定監督) | 1996 | |
| ジョバンニ・トラパットーニ | 1996-1998 | |
| オットマー・ヒッツフェルト | 1998-2004 | |
| フェリックス・マガト | 2004-2007 | |
| オットマー・ヒッツフェルト | 2007-2008 | |
| ユルゲン・クリンスマン | 2008-2009 | |
| ユップ・ハインケス(暫定監督) | 2009 | |
| ルイス・ファン・ハール | 2009- |
[編集] 歴代所属選手
詳細は「Category:バイエルン・ミュンヘンの選手」を参照
[編集] GK
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[編集] DF
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[編集] MF
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[編集] FW
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[編集] 外部リンク
| バイエルン・ミュンヘン - 現所属メンバー |
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1 レンジンク | 4 ブラーフハイト | 5 ファン・ブイテン | 6 デミチェリス | 7 リベリー | 8 アルトゥントップ | 9 トーニ | 10 ロッベン | 11 オリッチ | 13 ゲルリッツ | 15 ブレーノ | 16 オットル | 17 ファン・ボメル | 18 クローゼ | 19 バウムヨハン | 21 ラーム | 22 ブット | 23 プラニッチ | 25 ミュラー | 28 バトシュトゥバー | 30 レル | 31 シュヴァインシュタイガー | 33 ゴメス | 35 クラフト | 44 ティモシュク 監督: ファン・ハール |
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欧州クラブ協会(ECA) 創立メンバー
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最終更新 2009年11月30日 (月) 05:33 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【バイエルン・ミュンヘン】変更履歴






































