バブラム・バッタライ

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バブラム・バッタライBaburam Bhattarai, 1954年5月26日 - )はネパール革命家政治家。現在、プラチャンダ内閣財務大臣ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)の理論的指導者としてNo.2を長らく務めたが、2009年1月12日、ネパール共産党統一毛沢東主義派の結成により、序列はNo.4となった。

2008年4月、ネパール制憲議会議員に当選。 元首相でネパール会議派クリシュナ・プラサド・バッタライとは別人物。

目次

[編集] 生い立ち

バッタライはネパール西部ガンダキ県(Gandaki)ゴルカ郡ベルバス村に中流下層の小作農の家庭に生まれた。バッタライの出身であるバウン(ブラーマン)は、司祭カースト(知識人カースト)であり、伝統的に自らの「知能」「知的優位性」を誇る傾向がある。バッタライもそのような文化的環境で育った。マオイストの指導者の多くが、貧しい人民から徴収した資金で師弟を英国の大学等に留学させている。そのような「教育熱心さ」にも、彼らの「知識人カースト」としてのこだわりが伺われる。

ゴルカ郡ルインテルのアマール・ジョティ・ジャナタ中学を卒業。

中流下層とはいえ、カーストは最高位カーストであるバウン(ブラーマン)である。

1970年のSLC試験を全国1位でパスし、トリブバン大学建築学科に進学。さらにインドジャワハルラール・ネルー大学に留学、1977年に「全インド・ネパール留学生協会」を創設する。1986年Ph.Dの学位を取得した。学位論文は後に「ネパールの低開発と地域の構造―マルクス主義的分析」として出版された。

[編集] 政治活動

  • バッタライが政治活動を始めたのはインド留学中のことであり、ネパール共産党マサル派(地下政党)の活動家となる。
  • 1990年のネパール民主化運動のなかで統一国民運動のスポークスマンとして活躍する。統一国民連合は統一左翼戦線に対抗して作られた極左系の政党連合で、制憲議会の招集を強く求めた。
  • 1991年マサル派からネパール共産党(統一センター派=地下政党)に合流する。
  • 統一センター派の議会における公然組織、ネパール統一人民戦線の議長となる。
  • 1994年統一センター派が分裂するとプラチャンダが指導する分派(後に「毛沢東主義派」を名乗る)に属した。そして、その公然組織・統一人民戦線のリーダーとなる。(プラチャンダは地下で活動していた。)
  • 1995年プラチャンダらとネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)を結成。
  • 1996年、バッタライら3人、統一人民戦線の名で40か条の要求をデウバ首相に提出。拒否されると「人民戦争」(ネパール内戦)を開始した。
  • 2001年ネパール王族殺害事件が起きると、新聞紙上に「事件はギャネンドラ国王が、アメリカとインドの同意の下に行ったもの」とする記事を発表。
  • 2005年、バッタライはプラチャンダ議長と論争し、プラチャンダ議長への権力集中に反対。プラチャンダの肖像をマルクスや毛沢東の肖像と並べて掲げることを中止するよう要求。[1]これに対し,プラチャンダ議長はバッタライを一般党員まで降格、妻のヒシラ・ヤミは党籍剥奪された。[2]しかし同年6月にはバッタライおよびヒシラ・ヤミの地位は回復した。
  • 2006年政府との間で包括的停戦協定が結ばれる。
  • バッタライは一時、党の国際部門の長や、中央人民政府組織委員会の萌芽となるネパール統一革命人民委員会議長を務めた。
  • 2008年4月10日ネパール制憲議会選挙では、ゴルカ第2選挙区で46,272票を獲得し、会議派、UMLを抑え圧勝した。

[編集] 近況

現在の議会主義的、現実主義的路線など、毛沢東派がとってきた政治路線の大部分をバブラム・バッタライが率いてきた。プラチャンダもそれに乗る形で柔軟路線を歩んでいる。そうした中、強硬派のバーダルキランらはバッタライ路線を批判している。共産主義に戻るべきだというのがその内容である。毛派部内は現実主義と、強硬路線の対立が激しくなっている。[3]

2008年8月22日プラチャンダ内閣財務大臣として入閣。[4]

2009年2月6日、プラチャンダ内閣の閣僚として初めて公式に訪日、日本政府関係者等と会談、大分県広島県を訪問。[5]

2009年3月2日統一毛派を代表して、145条からなる新憲法草案を発表。[6]

[編集] 関連項目

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  1. ^ http://www.edu.nagasaki-u.ac.jp/private/tanigawa/npl/n-comment/2005b.htm
  2. ^ http://www.nikkanberita.com/search.cgi?d=200503
  3. ^ カトマンズ・ジャーナル 7月8日
  4. ^ Nepalnews.com Aug.21 2008
  5. ^ http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/hodokan/hodo0902.html
  6. ^ http://www.nepalnews.com/archive/2009/mar/mar02/news05.php

[編集] 外部リンク


最終更新 2009年8月4日 (火) 13:33 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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