バルト三国

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バルト三国と周辺諸国の位置関係 地図右下に見える。北からエストニア(空色)、ラトビア(灰色)、リトアニア(薄灰色)

バルト三国(バルトさんごく)は、バルト海沿岸のエストニアラトビアリトアニアの3つの国をいう。三国とも北大西洋条約機構(NATO)、欧州連合(EU)へそれぞれ加盟している。

古くから西ヨーロッパ(特に北欧諸国とドイツ)とのつながりが深い。経済開放後の北欧資本の進出は目覚しいものがあり、バブル経済化、現在は三国とも年率-10%を超える凄まじいまでの経済収縮に見舞われている。特にエストニア人はフィンランド人とは同じ人種(ウラル語族)であり、強い同種意識を持っている。

目次

[編集] 民族

エストニア人は、フィン・ウゴル系民族でフィンランド人と同じウラル語族である。一方、ラトビア人とリトアニア人はバルト系民族(バルト語族)である。ただし、リトアニアが独自の文化を築いて来たのに比べ、ラトヴィアはリヴォニアを基礎としていたため、民族の覚醒は19世紀に起こる。これらの別個の文化を共通化し、また自立化させたのは、中世以来政治的支配を行ってきた少数民族バルト・ドイツ人であった。三国とも自民族至上を掲げる排他的な民族主義が非常に強い特徴がある。

[編集] 歴史

一口にバルト三国というが、近代までは別々の歴史を歩んできている。

[編集] 近代まで

[編集] エストニア

エストニア共和国の国旗
エストニアの国旗も参照)

詳細は「エストニアの歴史」を参照

近代まではドイツ語エストラントと言う地名が主流であった。フィンランドと同じくフィン・ウゴル系民族である。ヴァイキングに侵攻を受けた後は、ロシア人や、デーン人の侵略を受ける。ドイツ騎士団に支配された事もあるが、13世紀デンマーク領有する。16世紀リヴォニア戦争が起こると、その支配はスウェーデンに帰する(エストニア公国)。この時代は、スウェーデン・バルト帝国と呼ばれた。18世紀に起きた大北方戦争の結果、ロシア帝国の支配下に入る。 

[編集] ラトビア

ラトビア共和国の国旗
ラトビアの国旗も参照)

詳細は「ラトビアの歴史」を参照

古くは先住民族としてフィン・ウゴル系民族のリーヴ人が居住していたため、リヴォニアと呼ばれた(ドイツ風にリヴラントとも言われる)。13世紀にドイツ騎士団の一組織リヴォニア帯剣騎士団によって征服される。この騎士団は、常軌を逸した侵略行為を行ったため、民族はほぼ浄化され、後発のバルト人に同化された。これ以降、リヴォニアは、ドイツ騎士団、リトアニアポーランド王国によって支配を受ける。16世紀、リヴォニア戦争の後にこの地は分断され、南部はクールラント公国となった。17世紀に北部リヴォニアは、スウェーデン領となり、バルト帝国の一州となった。この地も大北方戦争ポーランド分割の後、18世紀に南北ともロシア帝国に帰することとなった。

[編集] リトアニア

リトアニア共和国の国旗
リトアニアの国旗も参照)

詳細は「リトアニアの歴史」を参照

中世リトアニア大公国として栄える。この国は非キリスト教国家だったため、東方十字軍であるドイツ騎士団との抗争が繰り返された。しかしリトアニアはコサックの地であるウクライナポドリア)の領有に成功する。1386年、ドイツ騎士団の侵略に耐えかねたリトアニアはキリスト教を受け入れ、ポーランド王国と同盟を組む。これがいわゆるポーランド・リトアニア連合である。リトアニア人は1430年まで自立していたが、以降ポーランドとの同君連合となり、リトアニアのすべての貴族階級はポーランド文化に同化した。そして1569年ルブリン合同によって、ポーランド・リトアニア共和国という政治的統一体が誕生すると、リトアニアはその構成国の一つとなった。以降のリトアニアはポーランドと運命を共にする。1795年、第3次ポーランド分割によってポーランド・リトアニア連合が消滅した際、現在のリトアニアの大半の地域はロシア帝国に編入された。

[編集] 近代以降

三国ともロシア帝国に支配されていたが、ロシア革命ののち、1918年に三国とも独立を達成した。しかし第二次世界大戦中の独ソ不可侵条約における秘密議定書を発端としてソ連とドイツによる占領が続いた。1940年ソビエト連邦に併合され、ソビエト連邦構成共和国であるエストニアラトビアリトアニアの各「ソビエト社会主義共和国」として連邦政府の強い統制下に置かれた。1941年に始まった独ソ戦によりこの地域はナチス・ドイツの支配を受けたが、1944年から1945年にかけて再びソ連に占領された。戦後、ソ連は自らが得た戦前の旧ポーランド領の一部をリトアニアに編入し、現在に至るバルト三国の国境線が確定した。

1980年代後半、ソ連国内でペレストロイカが進展すると独立回復運動が高まり、1990年3月11日に独立を宣言したリトアニア共和国では1991年1月にソ連軍との衝突で死者が発生した。その後、ソ連8月クーデター後の8月20日にそろって再独立を実現させ、同年12月のソ連崩壊へ大きな影響を与えた。

独立後は概ね三国が共同歩調を取って親米・親西欧の経済・外交政策を展開し、2004年3月29日に三国そろって北大西洋条約機構(NATO)へ加盟した。同年5月1日には、やはり三国そろって欧州連合(EU)へ加盟した。

[編集] 統計[1]

総人口が多い都市。

バルト三国の民族(エストニア人、ラトビア人、リトアニア人)の人口が多い都市。

[編集] 余談

バルト三国は似たような名前が三国並んでいるが、北から五十音順に並んでいると覚えると覚えやすい。

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  1. ^ Baltic States - Statistics 英語版のウィキペディア記事の項目の翻訳。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月11日 (水) 09:17 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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