| パトリック・エムボマ(写真右) |
 |
| 名前 |
| 本名 |
アンリ・パトリック・ンボマ・デム |
| 愛称 |
浪速の黒豹、ボマちゃん |
| カタカナ |
パトリック・エムボマ |
| ラテン文字 |
Henri Patrick MBOMA Dem |
| 基本情報 |
| 国籍 |
カメルーン
フランス |
| 生年月日 |
1970年11月15日(39歳) |
| 出身地 |
カメルーン・ドゥアラ |
| 身長 |
185cm |
| 体重 |
85kg |
| 血液型 |
O型 |
| 選手情報 |
| ポジション |
FW |
| 利き足 |
左足 |
| 代表歴 |
| 1995–2004 |
カメルーン |
56 (33) |
| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
パトリック・エムボマ(Henri Patrick Mboma Dem、1970年11月15日-)は、カメルーン出身の元同国代表サッカー選手。
唇を閉じて「ンボマ」と発音するのが正しいが、フランス時代に誤って「M'moma」と綴られたため「エムボマ」と呼ばれるようになったとされる。
[編集] 来歴
カメルーン、ドゥアラ生まれ。2歳の時に家族と共にフランスに移住したためフランスとの2重国籍。
パリのスタード・ドゥレストでキャリアをスタート、後にパリ・サンジェルマンに移籍。1993年/1994年シーズンには3部リーグのシャトールーに貸し出され、ここでは29試合出場17得点と活躍。パリ・サンジェルマンに戻るも出番には恵まれず、1995年/1996年シーズンには1部リーグのメスに貸し出される。
1997年にJリーグのガンバ大阪に移籍。圧倒的な個人能力を発揮し、28試合出場25得点の大活躍、強烈な存在感を示した。「浪速の黒豹」と呼ばれ、応援スタンドには「神様 仏様 エムボマ様」の垂れ幕が踊った。ベルマーレ平塚戦では驚異的なリフティングシュートを決めた。エムボマを抑えることのできるDFは日本には存在せず、元日本代表の中田英寿は「あんなやつがサッカーやっているなんて反則だよ(それほど衝撃的だった)」とコメントしており、元日本代表の秋田豊は「(フランスワールドカップで対戦した、かつてイタリア・セリエAで得点王になったこともある元アルゼンチン代表)ガブリエル・バティストゥータよりもJリーグで対戦したエムボマのほうが凄かった」とコメントしている。これと並行するように、エムボマはカメルーン代表でもエースとしてフランスW杯・アフリカ予選で活躍した。1998年に行われたFIFAワールドカップ・フランス大会にもレギュラーとして出場するが、この時はチーム事情によりボランチとしての出場であったため、グループリーグ最終試合での得意のヘッドによる1得点のみにとどまってしまった。
1998年/1999年シーズンからは再びヨーロッパに舞台を移し、イタリア・セリエAのカリアリやパルマ、イングランド・プレミアリーグのサンダーランドでもプレイするが、個人能力の高さがあだとなったか、イタリアでは戦術になじめず、その影響からか、イングランドでもついに本領を発揮することはできなかった。しかし、カメルーン代表としては着々とキャリアを積み、2000年にはシドニーオリンピックにオーバーエイジで出場し金メダルに導く、またアフリカ年間最優秀選手賞も受賞。代表の兄貴分として、サミュエル・エトオをはじめ後輩選手にも慕われた。
2002年FIFAワールドカップ日韓大会にも出場。しかし、直前に両足踵を痛めてしまい、3試合1得点と、本来の動きを取り戻せないまま、1次リーグ敗退に終わった。2003年からはJリーグの東京ヴェルディ1969でプレー。今度は公募により制定された愛称「ボマちゃん」で親しまれる。スピード等、体力の衰えは感じられたものの、持ち前のテクニック、強力なミドルシュートは健在で、経験を生かしたプレーで、多くのDFを圧倒した。
2004年のアフリカ選手権では得点王も獲得している。2004年シーズンは、膝の古傷が完治せず、途中出場が続くようになり、当時の監督オズワルド・アルディレスと関係がこじれてしまう。結局、ヴェルディを退団し、ヴィッセル神戸に移籍するものの、最後まで本来の輝きを取り戻せなかった。
2005年は度重なる故障のため4試合出場0得点と精彩を欠き、5月16日に惜しまれながらも現役を引退した。
現在は、カメルーン代表のアドバイザーを経て、実業家として会社を経営。また、2008年1月にはMF鈴木規郎がフランスのクラブチーム、アンジェに短期留学した際のコーディネイターを務めるなど、FIFA公認代理人としての活動もしている。
[編集] 所属クラブ
- →1992-1994
LBシャトールー *レンタル移籍
- →1995-1996
FCメス *レンタル移籍
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 |
| 年度 |
クラブ |
背番号 |
リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
| フランス |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
フランス杯 |
期間通算 |
| 1990-91 |
パリSG |
|
ディヴィジョン・アン |
0 |
0 |
|
|
|
|
|
|
| 1991-92 |
パリSG |
|
ディヴィジョン・アン |
0 |
0 |
|
|
|
|
|
|
| 1992-93 |
シャトールー |
|
ディヴィジョン・ドゥ |
19 |
5 |
|
|
|
|
|
|
| 1993-94 |
シャトールー |
|
全国選手権 |
29 |
17 |
|
|
|
|
|
|
| 1994-95 |
パリSG |
|
ディヴィジョン・アン |
8 |
1 |
|
|
|
|
|
|
| 1995-96 |
メス |
|
ディヴィジョン・アン |
17 |
4 |
|
|
|
|
|
|
| 1996-97 |
パリSG |
|
ディヴィジョン・アン |
8 |
1 |
|
|
|
|
|
|
| 日本 |
リーグ戦 |
ナビスコ杯 |
天皇杯 |
期間通算 |
| 1997 |
G大阪 |
9 |
J |
28 |
25 |
5 |
4 |
1 |
0 |
34 |
29 |
| 1998 |
G大阪 |
9 |
J |
6 |
4 |
- |
- |
6 |
4 |
| イタリア |
リーグ戦 |
イタリア杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 1998-99 |
カリアリ |
9 |
セリエA |
13 |
7 |
|
|
|
|
|
|
| 1999-00 |
カリアリ |
9 |
セリエA |
27 |
8 |
|
|
|
|
|
|
| 2000-01 |
パルマ |
70 |
セリエA |
20 |
5 |
|
|
|
|
|
|
| 2001-02 |
パルマ |
70 |
セリエA |
4 |
0 |
|
|
|
|
|
|
| イングランド |
リーグ戦 |
FLカップ |
FAカップ |
期間通算 |
| 2001-02 |
サンダーランド |
7 |
プレミア |
9 |
1 |
|
|
|
|
|
|
| リビア |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 2002-03 |
アル・イテハド |
|
|
0 |
0 |
|
|
|
|
|
|
| 日本 |
リーグ戦 |
ナビスコ杯 |
天皇杯 |
期間通算 |
| 2003 |
東京V |
9 |
J1 |
23 |
13 |
3 |
3 |
3 |
0 |
29 |
16 |
| 2004 |
東京V |
9 |
J1 |
12 |
4 |
5 |
4 |
- |
17 |
8 |
| 神戸 |
9 |
J1 |
6 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
6 |
2 |
| 2005 |
神戸 |
9 |
J1 |
4 |
0 |
0 |
0 |
- |
4 |
0 |
| 通算 |
フランス |
ディヴィジョン・アン |
35 |
6 |
|
|
|
|
|
|
| フランス |
ディヴィジョン・ドゥ |
19 |
5 |
|
|
|
|
|
|
| フランス |
全国選手権 |
29 |
17 |
|
|
|
|
|
|
| 日本 |
J1 |
79 |
48 |
13 |
11 |
4 |
0 |
96 |
59 |
| イタリア |
セリエA |
64 |
20 |
|
|
|
|
|
|
| イングランド |
プレミア |
9 |
1 |
|
|
|
|
|
|
| リビア |
|
0 |
0 |
|
|
|
|
|
|
| 総通算 |
235 |
97 |
|
|
|
|
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[編集] 経歴
- Jリーグ初出場 - 1997年4月12日 Jリーグ1st第1節 vsベルマーレ平塚@万博
- Jリーグ初得点 - 1997年4月12日 Jリーグ1st第1節 vsベルマーレ平塚@万博
[編集] 獲得タイトル(代表・クラブ)
[編集] 獲得タイトル(個人)
[編集] その他
- 父親は、カメルーン代表のGKであった。
- ガンバ大阪時代、親会社・松下電器のパナソニック乾電池のCMモデルを務めたことがある。
- 好物は関西風うどん、寿司。
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アフリカ年間最優秀選手賞 |
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| 1970年代 |
70 サリフ・ケイタ | 71 イブラヒム・サンデー | 72 シェリフ・スレイマン | 73 ティシメン・ブワンガ | 74 ポール・ムキラ | 75 アーメド・ファラス | 76 ロジェ・ミラ | 77 タラク・ディアブ | 78 カリム・アブドゥル・ラザク | 79 トーマス・ヌコノ
|
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| 1980年代 |
|
|
| 1990年代 |
|
|
| 2000年代 |
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| 1970年から1994年までは『フランス・フットボール』誌が選出。1992年以降、アフリカサッカー連盟(CAF)によって選出。 |
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