パブロ・コントレラス

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パブロ・コントレラス
名前
本名 パブロ・アンドレス・コントレラス・フィカ
ラテン文字 Pablo Andrés Contreras Fica
基本情報
国籍 チリの旗 チリ
生年月日 1978年9月11日(31歳)
出身地 サンティアゴ
身長 181cm
体重 78kg
選手情報
在籍チーム ギリシャの旗 PAOKテッサロニキ
ポジション DF
背番号 15
代表歴
1999- チリの旗 チリ 47 (1)
Template(ノート 解説)サッカー選手pj
オリンピック
男子サッカー
2000 サッカー

パブロ・コントレラスPablo Andrés Contreras Fica1978年9月11日 - )は、チリサンティアゴ出身のサッカー選手PAOKテッサロニキ所属。チリ代表である。ポジションはDF(センターバック)。

目次

[編集] クラブ経歴

CSDコロコロ

CSDコロコロの下部組織出身。1997年にプロデビューし、チリ代表出場50試合超を誇るセンターバックのペドロ・レイエスの指導の下、1歳年上のダビド・エンリケスと名コンビを組んだ。レイエスがフランスのAJオセールに移籍した後の2シーズンは37試合に出場し、クラウスーラ1997と1998の2度のチリ・プリメーラ・ディビシオン制覇に貢献した。

ASモナコ

1999年、フランスのASモナコに移籍した。まだ21歳であったが、1999-2000シーズンのリーグ・アントロフェ・デ・シャンピオン(スーパーカップ)制覇の重要な要素であった。モナコでは1999-2000シーズンにUEFAカップ、2000-01シーズンにUEFAチャンピオンズリーグに出場した。しかし2001年1月、EU圏内枠を得るために偽造のイタリアのパスポートを私用していたことが発覚した。パリの裁判所は3万ユーロの罰金と2年間の出場停止処分をコントレラスに課した。

CAオサスナ

フランス国内ではしばらくプレーできなくなったため、アルゼンチンのラシン・クラブにレンタルに出され、そこで8試合に出場した。2001年6月にはスペインのセルタ・デ・ビーゴに完全移籍する可能性があったが、CAオサスナにレンタル移籍した。2001-02シーズンは31試合に出場して1得点したが、17位で降格を逃れた。

スポルティング・リスボン

オサスナは下位に沈んだが、コントレラスのプレーはポルトガルの強豪スポルティング・リスボンの目に留まり、2002-03シーズンはレンタル移籍することになった。リーグ戦では30試合に出場して2得点した。モナコ時代以来2度目のUEFAチャンピオンズリーグ出場を果たしたが、予選3回戦でインテル・ミラノと対戦して敗退した。コントレラス自身はホーム&アウェーの2試合ともに先発出場した。

セルタ・デ・ビーゴ

2003年、スペインのセルタ・デ・ビーゴに移籍した。セルタは前のシーズンに4位でUEFAチャンピオンズリーグ予選出場権を獲得していた。グループリーグは主に控えだったが、ACミランアヤックス・アムステルダムと同居した難しいグループを2位で勝ち進んだ。決勝トーナメント1回戦でアーセナルFCと対戦した。終盤にホセ・アントニオ・レジェスに対するファールで2枚目のイエローカードを受け、退場となった。UEFAチャンピオンズリーグでは健闘したセルタだったが、リーグ戦は19位に終わり、セグンダ・ディビシオン(2部)への降格が決定した。しかし2004-05シーズンは2位ですぐさまプリメーラ・ディビシオン(1部)に昇格した。このシーズンにはポジションを掴み、その後2シーズンに渡ってポジションを維持した[1]。2005-06シーズンは6位でUEFAカップ出場権を獲得した。しかし2006-07シーズンはまたもやセグンダへの降格が決まった。2度目のセグンダでは監督に構想外とみなされ、2007年中にわずか3試合の出場機会しか与えられなかった[1]。2008年1月、セルタとの契約を解除した。

PAOKテッサロニキ

2008年1月、ポルトガルに戻ってSCブラガと6ヶ月間の契約をした。その間に13試合に出場した。同年6月、セルタ時代のチームメイトであるジシス・ヴリーザスがテクニカルディレクターを務めていた縁でギリシャのPAOKテッサロニキと2年間の契約をした。

[編集] 代表経歴

1999年2月17日、グアテマラ戦でチリ代表デビューした。同年のコパ・アメリカでは4位入賞した。2000年のシドニーオリンピックでは銅メダルを獲得し、コントレラスは大会のベストディフェンダーのひとりに数えられた。2002年の日韓ワールドカップと2006年のドイツワールドカップの南米予選に参加したが、どちらの本大会にも出場は叶わなかった。

コパ・アメリカ2007での事件と出場停止

コントレラスのキャリアの中で悪い時期が2007年のコパ・アメリカの大会中に訪れた。レイナルド・ナビア、ホルヘ・バルディビア、ロドリゴ・テージョホルヘ・バルガスアルバロ・オルメーニョはホテルで事件に巻き込まれた。ホテルのスタッフが、チリ代表選手が酒を飲んでバカ騒ぎし、食べ物を投げつけ、ホテルの備品を壊していたことを訴えたのである。この事件の後、チリはブラジルに1-6の大差で敗れた。ネルソン・アコスタ監督が辞職した後、関係したすべての選手にチリサッカー連盟から20試合の出場停止処分が下された[2]。10試合の出場停止が経過した後、オルメーニョを除く選手たちは、彼らの行いを認めて謝罪する文書にサインした。残りの10試合が終わると、マルセロ・ビエルサ新監督の下で代表の重要な選手のひとりに戻り、南アフリカワールドカップ予選に出場している。2008年10月にはワールドカップ予選で初めてアルゼンチン代表を破ったが、その試合でもコントレラスはフル出場している[3]。チリ代表の敗北は1916年から始まり、この試合前までの35戦で0勝9分26敗という有様だった。

[編集] 所属クラブ

2001 →アルゼンチンの旗 ラシン・クラブ (loan)
2001-2002 →スペインの旗 CAオサスナ (loan)
2002-2003 →ポルトガルの旗 スポルティング・リスボン (loan)

[編集] タイトル

チリの旗 CSDコロコロ
チリ・プリメーラ・ディビシオン Clausura1997, 1998
フランスの旗 ASモナコ
リーグ・アン 1999-2000
トロフェ・デ・シャンピオン 1999-2000
チリの旗 チリ代表
シドニーオリンピック 2000 銅メダル

[編集] 脚注

  1. ^ BDFutbol.com
  2. ^ AFP BB News (2007.7.12). "チリ代表の6選手に出場停止処分". 2009.8.1 閲覧。
  3. ^ FIFA.com

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年9月4日 (金) 19:43 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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