パラリンピック

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パラリンピックParalympic Games)とは、国際パラリンピック委員会(International Paralympic Committee、略称IPC)が主催する身体障害者を対象とした世界最高峰のスポーツ競技大会。オリンピックと同じ年に同じ場所で開催される。2004年アテネ大会から夏季オリンピックと共同の開催組織委員会が運営する。

目次

[編集] 概略

戦争で負傷した兵士たちのリハビリテーションとして「手術よりスポーツを」の理念で始まった。

もともと、IOCとは全く関係がなく、オリンピックとは開催地が異なっていたが、ソウルオリンピック以後、オリンピック開催後に同じ場所でパラリンピックを開催することが義務付けられるようになった。2008年の北京大会からはオリンピック委員会との関係は強固なものとなる。

「パラリンピック」(Paralympic)の名称は、半身の不随(paraplegic)+オリンピック(Olympic)の造語だが、半身不随者以外も参加するようになったため、1985年から、平行(Parallel)+オリンピック(Olympic)で、「もう一つのオリンピック」と解釈することになった。

オリンピックと違いパラリンピックには障害の度合いに応じた階級が存在する。たとえば、肢体などの障害の場合は「LW」や「LC」等の競技ごとの記号+度合いを数字で表す。障害種は「運動機能障害」「脳性麻痺」「切断など」「視覚障害」がある。現在は聴覚障害者・知的障害者・精神障害者はパラリンピックには出場ができない。

シンボルカラーは赤・緑・青。それぞれ、赤色が心、緑色が身体、青色が精神を表している。

「パラリンピック」は、国際パラリンピック委員会の登録商標である。各国にパラリンピック委員会を設け、商標の保全を義務付けている。日本においては、厚生労働省の外郭団体である財団法人日本障害者スポーツ協会の内部組織として、日本パラリンピック委員会を設立。パラリンピックの商標保護に務めるとともに、パラリンピック日本選手団の派遣事業を行っている。日本国内においてパラリンピックの文言を使用するためには、財団法人日本障害者スポーツ協会の承認を必要とし、オフィシャルサポーターと呼ばれるスポンサー契約を結ぶ必要がある。

[編集] 歴史

20世紀初頭から、散発的な障害者のスポーツ大会は記録されているが、パラリンピックの起源とされているのは、1948年7月28日ロンドンオリンピック開会式と同日に、イギリスのストーク・マンデビル病院で行われたストーク・マンデビル競技大会とされる。

ストーク・マンデビル病院は、第二次世界大戦脊髄を損傷した軍人のリハビリのための科が専門にあり、ドイツから亡命したユダヤ系医師ルートヴィヒ・グットマンの提唱により、この日、車椅子の入院患者によるアーチェリー競技会が行われた。この競技会は当初、純然たる入院患者のみの競技大会であったが、毎年開催され続け、1952年には国際大会となり、第1回国際ストーク・マンデビル競技大会が開催された(参加国はイギリスとオランダの2カ国)。

1960年には、グットマンを会長とした国際ストーク・マンデビル大会委員会が組織され、この年のオリンピックが開催されたローマで、国際ストーク・マンデビル競技大会が開催された。この大会は現在、第1回パラリンピックと呼ばれている。

第2回大会は、1964年にこの年の夏季オリンピックが開催された東京で、国際ストーク・マンデビル競技大会との2部構成で行われた。1部が国際ストーク・マンデビル競技大会として、第2部は全身体障害者を対象にした日本人選手だけの国内大会として行われた。これらの大会は現在、両者を合わせてパラリンピック東京大会と呼ばれている。

パラリンピックもオリンピック開催同一都市で行うことは、東京大会でいったん中断し、この後の国際大会は車椅子競技者のための国際ストーク・マンデビル競技大会のみが行われていた。1972年ハイデルベルク大会は同一国での大会であった。1976年モントリオールオリンピックの年、国際ストーク・マンデビル競技連盟と国際身体障害者スポーツ機構との共催でトロント大会が開催された。なお1984年ニューヨーク・アイレスベリー大会は当初は全大会が同一国で開催予定であった。また、1976年から冬季大会が始まり、第1回はスウェーデンエーンシェルドスピークでの大会であった。

この間、国際オリンピック委員会は、これらの大会にオリンピック類似の名称を使うことに難色を示していたため、それぞれの大会で呼ばれていた「パラリンピック」という名称は、どれも愛称で正式名称ではなかった。しかし、1985年、国際オリンピック委員会は、パラリンピックという呼称を用いることを正式に認めた。開催時に既に「パラリンピック」と呼ばれていた大会は、この次の1988年ソウル大会からであり、この大会はオリンピック組織委員会がパラリンピックに直接関わる初めての大会ともなり、この大会からは再び夏季オリンピック開催都市が夏季パラリンピックも開催されるようになった。なお、冬季大会が冬季オリンピックと同一都市で開催されるようになるのは1992年アルベールビル冬季大会からである。

1989年には国際パラリンピック委員会が設立され、これ以後、継続した大会運営が行われるようになった。国際パラリンピック委員会の本部は、ドイツボンに置かれている。

2000年シドニーオリンピック時にIOCIPCとの間で正式に協定が結ばれた。オリンピック開催都市でオリンピックに続いてパラリンピックを行うことと、IPCからのIOC委員を選出すること。これらのことが両者間で約束され、オリンピック開催都市でのパラリンピック開催は正式に義務となった。

2001年にはIPCとIOCは、パラリンピックとオリンピックの連携について、スイスのローザンヌで合意文書に調印した。2008年夏季大会2010年冬季大会からIOCはパラリンピックについて運営・経済両面においてIPCを支援。また、パラリンピックの構成や保護を強化するとともに、パラリンピック競技大会の組織委員会はオリンピックの組織委員会に統合されることになった。

[編集] 「文化」か? 「福祉」か?

日本では、JOC文部科学省管轄のスポーツ機関であるが、JPC厚生労働省管轄である。ゆえにパラリンピックはオリンピックと同様の「スポーツ」であるとするより、リハビリテーションの延長上にある「医療」「福祉」により振興を図る大会であると見られてきた経緯がある。

しかし、回を重ねるごとに「競技性」が高まり、選手の間から「競技」としての取り組みが行われている。国際的にはすでに競技スポーツとしてのレベルアップが進んでおり、日本もこれに挑む選手および関係者を中心とし「競技スポーツ」としての強化が図られている。国際的には競技の最高峰の祭典として、オリンピックとの統合に向けた取り組みが国際パラリンピック委員会と開催地のオリンピック、パラリンピック委員会の間で進行している。国際社会、国内での現状をかんがみ、パラリンピックにおける競技スポーツの振興は、福祉だけでなく「スポーツ文化」全体の発展につながる「文化」としての理解と支援が求められている。

[編集] パラリンピックの問題点

ソウル大会より、オリンピックと同一の開催地になってからパラリンピックが注目されるようになった。パラリンピックが注目されることによって、障害者スポーツが広く認知されたり、メダルをいくつも取るスター選手が現れたりするなど障害者スポーツの発展には貢献したが、同時に問題も発生し始めた。

問題が発生する主な原因は、オリンピックと同様に、パラリンピックもメダルを取れるかどうかで注目度が全く違うことにある。つまり、メダルを取ればその選手や所属する国の名誉となることは当然であり、そしてさらに選手にスポンサーが付きやすくなったり、報奨金が貰えたりするなど、選手の競技環境や生活環境が大きく向上する。競技スポーツとしての発展の経緯であると同時に、オリンピックが抱える諸問題を障害者スポーツも抱えることになる。

以下に代表的な問題点をいくつか挙げる。

ドーピング
ドーピングはオリンピックと同様、パラリンピックでも発生している。パラリンピック選手には障害に応じて薬を使用する必要のある選手が多く、これらの薬の中にドーピング検査に反応するものがあるため開催期間中は薬が使用できず障害の様子が変化して苦しむ選手もいる。
機具
パラリンピックでは、車椅子義足などの機具を使う競技がある。最先端の機具はスポーツ医学人間工学機械工学材料工学などを駆使してオーダーメード製作がなされていて、軽く、扱いやすく、体にフィットするようになっている。このため、これらの機具は高額になってしまうが、このような機具を買えるのは経済的に豊かな選手のみであり、結果的に途上国よりも先進国の選手が有利になってしまいがちである。
クラス分け
パラリンピックでは、障害の度合いに応じて階級を分ける。障害のクラス分けがあるために、100メートル競走の金メダルは男女合わせて10個以上にもなる。このため、メダルの価値が1個のみと比べて低くなってしまうという見方がある。
そこでメダルを少なくするために、近い障害部位の間で階級を統廃合するという動きがある。しかし、階級を統廃合すると障害部位で有利不利が出来てしまう(例:水泳においては、両足麻痺者と両足切断者が競ったら、両足切断者は両足が無い分だけ水の抵抗が軽減されたり体重が軽くなって有利になってしまう)。「競技の公平」と「メダルの価値」、パラリンピックは難しい選択を突き付けられているとも言える。2006年トリノ大会では、メダルの数を減らすため、障害の度合いによってポイントが加算された選手が競い、総合得点で競うルールが採用された。
障害偽装
2000年シドニー大会男子バスケットボール知的障害クラス金メダルスペインチームに障害者を装った健常者がいた事が発覚し、2002年ソルトレイク大会から知的障害者クラス[1]を実施しないことになった。これは、IPC加盟団体である、INAS-FID国際知的障害者スポーツ連盟が障害の選手資格の基準を再度明らかにし、各国のNPC(国内パラリンピック委員会)とも調整を行わなければ、パラリンピックへの復帰は難しいという状況を明らかにした。これから先の大会で実施するかどうかは、その都度、各国NPCの競技運営のモラル次第という厳しい結果となった。

[編集] 実施競技

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[編集] 過去の大会

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[編集] 開催予定

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  1. ^ 知的障害者の競技は、IPC加盟団体である、INAS-FID国際知的障害者スポーツ連盟によるワールドカップが競技ごとに開催されているほか、日本国内 の大会では、知的障害のクラスも一緒に大会が行われている。この他、INAS-FIDとは別に、知的発達障害の競技大会としてスペシャルオリンピックスが実施されている。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年10月4日 (日) 19:24 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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