パリの解放

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パリの解放

1944年8月25日パリ解放後、凱旋門をフランス第2機甲師団の戦車とハーフトラックを見るため、シャンゼリゼ通りに集まったフランス人の群集
戦争第二次世界大戦西部戦線
年月日:1944年8月15日~8月25日
場所パリフランス
結果:連合軍の勝利
交戦勢力
自由フランス
レジスタンス運動
ナチス・ドイツ
指揮官
フィリップ・ルクレール ディートリッヒ・フォン・ホールティッツ
戦力
フランス第2機甲師団
レジスタンス
パリ防衛司令部他
損害
戦死 1,630[1] 戦死 3,200 捕虜 12,800[2]

第二次世界大戦におけるパリの解放(Libération de Paris)は、1944年8月19日から8月25日に行われた戦いである。ノルマンディの戦いから続く西部戦線の戦いの大きな節目であった。

目次

[編集] 背景

進軍する連合国軍がパリに近づくと同時に、パリでは8月15日パリ地下鉄フランス国家憲兵隊警察ストライキに入った。翌日には郵便局員が続いた。8月18日には、ゼネストがパリ全域の労働者に広がった。その日、全てのパリ市民が動員され、バリケードが築かれ、市民とナチス・ドイツの占領軍との間で何日か小競合いが続き、22日には最高潮を迎えた。

ヒトラーはパリを最後まで保持し、都市を破壊せよと言う命令を出していたが、ディートリヒ・フォン・コルティッツ将軍は、ルクレール指揮下のフランス第2機甲師団との激しい戦闘の後、8月25日に降伏した。同じ日、自由フランス軍の指揮官であるシャルル・ド・ゴールはサン・ドミニク通りの軍務省に戻り、そこからオテル・ド・ヴィル(Hôtel de Ville、パリ市庁舎)へ向かい、集まった市民を鼓舞する演説を行なった。

続く8月26日には、シャンゼリゼ通りで凱旋パレードが行なわれた。このパレードは、ドイツ軍の狙撃兵がまだ街中に残る中で行われた。

29日には、米第28歩兵師団によるパレードが行われた。この時には都市は既に安全な状態となっていた。アメリカ軍自由フランス軍の車両がパリの道路を進むと、喜びに満ちた群集が彼らを歓迎した。パリを解放する戦いにおいて、約1,500人のレジスタンス及び市民が犠牲となった。

以後、毎年8月25日にはパリ解放を記念する式典が開かれる。2004年の60周年記念式典では、オテル・ド・ヴィルの外で音楽に合わせて道で踊る人々の間を、当時のフランス軍とアメリカ軍を表す2種類の装甲車両による軍事パレードが行なわれた。

[編集] 余談

パリ解放後、すぐさま占領時のナチス協力者にたいする粛清・リンチが始まった。ナチス兵と付き合っていた女性達が髪をそられる映像が現在も残っている。

[編集] 参照

[編集] 関係項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月18日 (水) 12:19 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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