ヒーローズ (韓国プロ野球)
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| ヒーローズ | |
|---|---|
| 各種表記 | |
| ハングル: | 히어로즈 |
| 片仮名: (現地語読み仮名) |
ヒオロズ |
| 英語: | Heroes |
| ヒーローズ | |
| 創設年度 | 2008年 |
|---|---|
| 所属リーグ | |
| 韓国野球委員会 | |
| 歴代チーム名 | |
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| 本拠地 | |
| 木洞野球場 | |
| 収容人員 | 14,500人 |
| 縁故地 | ソウル特別市 |
| 永久欠番 | |
| なし | |
| 獲得タイトル | |
| 成績(タイトル以外) | |
| Bクラス(1回) | |
| 2008 | |
| 球団組織 | |
| オーナー | 李章碩(イ・ジャンソク、センテニアル・インベストメント社長) |
| 運営母体 | センテニアル・インベストメント |
| 監督 | 金始眞(キム・シジン) |
ヒーローズ(Heroes)は、韓国のプロ野球チーム。縁故地(ホームタウン)はソウル特別市。2008年に創設された、現在韓国プロ野球で最も新しいチーム。
韓国の民間タバコ会社であるウリ・タバコが3年300億ウォンで命名権を取得し、2008年から3年間は「ウリ・ヒーローズ」の名で活動することになった。しかし、シーズン中の球団運営の迷走でウリ・タバコがメインスポンサーの権利を放棄すると宣言したことなどにより、球団の今後は不透明となっている。そして、オリンピック休みの直後、スポンサーのウリ・タバコの要請により、スポンサー名を外すことを決定。他の冠スポンサーを探すまで、「ヒーローズ」の名称で活動することが決定した。
目次 |
[編集] 概要
現代ユニコーンズは1998年以降4度の韓国シリーズ優勝の華麗な実績を誇っていたが、親会社の現代グループはグループの分割相続による規模の縮小および経営不振に苦しんで野球団を経営する余力を失いつつあった。それでも、当時のオーナーであった鄭夢憲(チョン・モンホン)現代グループ会長が球団経営の意欲を持って球団を保持し続けた。しかし、2003年8月鄭夢憲オーナーが経営不振のプレッシャーに耐えきれず投身自殺したことで、グループ内部で球団を顧みるものが無くなり、系列分離された元現代グループ所属の傍系企業の支援で延命する状態に陥った。そこで、現代グループは2005年5月、球団売却交渉を韓国野球委員会(KBO)に要請した。しかし、農協との交渉が明らかになった2007年1月以降3度の売却交渉に失敗して、そのまま球団の空中分解および韓国プロ野球のリーグ縮小に発展しかねない事態に陥った。
そこに、2008年1月30日、外資系投資会社センテニアルインベストメントが、KBOに加入金120億ウォンを支払い、スポンサーを募集し球団名を売却するネーミングライツ方式によって、現代ユニコーンズに代わる新球団を創設することとなった。選手構成の面から見て、事実上現代ユニコーンズを引き受けているが、ユニコーンズの親会社であるハイニックス半導体に支払う売却代金を省くためと、同時に2007年KBOが資金難に陥っていた現代に融資した131億ウォンの負債を返済する義務を負わないため、一旦同球団を解散させてから新球団を設立する形を取った。これで、公式的に球団そのものは継承されていないことになり、三美スーパースターズ時代から累積された現代ユニコーンズの各種球団通算記録も、2007年シーズン限りで現代の解散とともに途切れることになった。
現代の選手の保有権は既存球団の合意によって新球団に譲渡されることとなって、これによって新球団は現代所属選手への優先交渉権を確保した。しかし、2008年2月4日にセンテニアル社はメインスポンサー決定より先に、新球団の新監督にLGツインズなどで監督経験のある李廣煥(イ・グァンファン)やその他のコーチを任命し、危機的状況を選手とともに過ごした現代の金始眞(キム・シジン)監督は1年余りで監督の座を追われた。金始眞監督には新球団のコーチの座を用意していたが、彼に従ったユニコーンズ出身のコーチ陣は受け入れられないことになったので、金始眞もコーチ職就任を辞退した。また、センテニアル社は現代の選手、コーチ陣、フロントの職員などの全員雇用を保証しなかったため、現代の選手は新球団との契約を拒否する姿勢を見せた。
だが、韓国野球委員会の仲裁などにより現代の選手は全員新球団で雇用されることとなったため、2月14日から李廣煥監督らの指揮の下、海外キャンプが中止となった元現代の選手たちは済州島でキャンプに入った。また現代のコーチ陣も8名が新球団へ移籍したが、金始眞元監督はKBOの役職に就いた。2月19日にはKBO理事会で正式にセンテニアル社の新球団加入が認められた。
2月21日にはセンテニアル社が新球団のメインスポンサーが、韓国初の完全民間資本によるタバコ会社「ウリ・タバコ」になったと発表し、28日には新球団の名称が「ウリ・ヒーローズ」に決定した。ウリ・タバコはセンテニアル社と2008年から2010年までの3年間、総額300億ウォンでスポンサー契約を結んだ。これによってウリヒーローズは2008年シーズンから、現代ユニコーンズに代わって韓国プロ野球に参加している。本拠地はソウル市南西部の木洞野球場となった。
財閥系の大企業が出資して球団を経営し、大幅な赤字が当然とされてきた従来の韓国プロ野球と違い、黒字経営を目指すため韓国プロスポーツ史上初となるネーミングライツによる経営方式が注目されている。しかし2008年6月末まで支払うべきだったKBOへの加入金120億ウォンの一部24億ウォンの支払いを先延ばししようとした。
その背景としては、メインスポンサーのウリたばこがスポンサー料を払わなかったことがある。そして同社は2008年7月メインスポンサーの権利を放棄すると宣言し、その後加入金未払い騒動などにより企業イメージの低下がはなはだしいため、KBOへ企業名の球団名への使用禁止を求めた。それを受けて翌8月末からチーム名は「ヒーローズ」となった。
初年度となった2008年シーズンは、最終年度の2007年は6位だった現代をほぼそのまま受け継ぎさしたる補強もしなかったため、序盤のうちに上位争いから脱落しLGツインズと最下位争いを続け、7位に終わった。また2008年10月、現代ユニコーンズ最後の監督だった金始眞が新監督に就任し、巻き返しを図ることになった。一方で新メインスポンサーが見つからないため資金難は解消されず、翌11月主力投手の張洹三を三星ライオンズへ、現金30億ウォンに無名の選手1名をつけてもらってトレードしようとした。だがこのトレードは他球団からの反対が強く、KBO(韓国野球委員会)によって規約違反であるとされ無効となり、球団の今後が不安視されている。
一方、ヒーローズは2008年12月末までの支払期限だったKBOへの加入金120億ウォンのうち、24億ウォンを前回とは違って12月上旬に納付するほか、所属選手への大幅な年俸の引き上げと海外でのキャンプの実施など、お金に厳しいというイメージの脱却に努めている。2009年6月末までが支払期限だった加入金の一部の36億ウォンも予定通り支払い、メインスポンサーこそ不在だが、複数の小口のスポンサーをつけることによって、以前より資金難の球団というイメージは薄れつつある。
[編集] 歴代監督
- 李廣煥(イ・グァンファン、2008)
- 金始眞(キム・シジン、2009- )
[編集] 主な在籍選手
[編集] 投手
- 13 張洹三(チャン・ウォンサム)
- 北京五輪野球韓国代表の左腕投手。2008年シーズン後、現金30億ウォンと無名の投手を代償に三星ライオンズにトレードされた。しかし、ヒーローズの創設の前提のひとつであった「創設から5年間は選手を金銭トレードで出さない」という約束を破ったとして、韓国野球委員会からトレードが承認されなかったので、ヒーローズに戻された。コミッショナーの裁定によってトレードが取り消されたのは初めての出来事である。2009年WBCでも韓国代表にも選ばれ、2次ラウンド順位決定戦の日本戦に先発した。
- 21 馬一英(マ・イリョン)
- 張洹三とともに投手ローテーションの二枚看板として働く左腕投手。2009年のWBCのエントリー候補。
1999年の2次ドラフトで解散直前のサンバンウル・レイダースに指名されたが、入団直後現代ユニコーンズにトレードされた。当時経営難に陥ったレイダーズの立場を利用して、現代が金銭トレードを条件に上位指名権を持っていたサンバンウル側に彼を指名してもらったのが実情である。韓国プロ野球ではドラフトの指名権のトレードは認められていなかったが、指名して入団させた新人のトレードを制限するルールがなかったため、このように変則的な形を通して事実上のドラフトの上位指名権のトレードを行った。この件は、当時韓国プロ野球で論議の対象になり、以後このような形のトレードは認められないことになった。 - 30 金守経(キム・スギョン)
- 1998年に高卒新人としてデビュー、新人王を獲得してチームの初優勝に貢献。現代時代からエース候補として期待が集められ、2000年は18勝で最多勝利のタイトルを獲得するなど着実に成長してきたが、ここ数年間は故障で出番が減っていた。
- 41 黄斗聖(ファン・ドゥソン)
- 先発とリリーフを問わずに使える便利屋として手薄になった投手陣にとって貴重な存在になった。2009年WBCのエントリー候補で、1次ラウンドの韓国代表最終エントリーに残ったが、開幕前の強化試合で四球を連発し不安視されたため、開幕直前で除外された。
- 51 趙容浚(チョ・ヨンジュン)
- 現代時代は独特の握りから繰り出すスライダーを武器に抑えとして活躍。2002年に新人王を受賞し、2004年韓国シリーズでは7試合に登板して3セーブでMVPを獲得。しかし、最近は肘の故障で出番が減り、2006年から1軍登板がないまま現代ユニコーンズ解散を迎えた。2008年シーズン前、保有権がヒーローズに渡された時、現代時代と比べて大幅の削減された年俸提示に反発してヒーローズと契約せずに、任意引退の身分として2008年シーズンをリハビリに費やした。2008年シーズン終了後、ヒーローズに現役復帰。2009年シーズンには4年ぶりの1軍登板を果たした。
[編集] 捕手
- 2 金東洙(キム・ドンス)
- 2008年シーズン終了現在、野手では現役最年長のベテラン捕手。韓国プロ野球全体でもハンファ・イーグルスの宋津宇に次いで2番目で、2009年シーズン、韓国プロ野球史上初の実働20年を記録した野手になった。1990年入団で彼と同期入団はSKワイバーンズの投手曺雄天(チョ・ウンチョン)しか残っていない。2009年からコーチ兼任に。
[編集] 内野手
- 3 黄載鈞(ファン・ジェギュン)
- 1987年生まれのチーム期待の若手。主にサードを守り、同年の若手の姜正浩(カン・ジョンホ)と三遊間を組む。
- 10 李崇勇(イ・スンヨン)
- 一塁手としては長打力は劣るが、チャンスに強いバッティングで太平洋ドルフィンズ時代からチームに貢献。太平洋ドルフィンズの最後の生き残りとして、チーム内部ではリーダー格の存在である。
- 16 姜正浩(カン・ジョンホ)
- 1987年生まれのチーム期待の若手。2008年ショートのレギュラーに定着し、同年の若手の黄載鈞(ファン・ジェギュン)と三遊間を組む。内野ならどこでも守れる器用さがある。
[編集] 外野手
- 1 田埈昊(チョン・ジュンホ)
- 俊足のベテラン外野手。2008年6月7日、韓国プロ野球史上初の2000試合出場を記録。また、同年9月11日は個人通算2000本の安打も記録(2人目)して、史上初の2000試合出場、2000本安打を記録。2008年終了現在、韓国プロ野球個人通算最多盗塁および最多三塁打記録保持者。
- 24 クリフ・ブランボー
- 元オリックス・バファローズ。2003年から04年まで現代ユニコーンズに在籍、04年には首位打者となる活躍でチームの韓国シリーズ2連覇に貢献。2005年から06年までオリックスでプレーした後、2007年現代に復帰、ヒーローズへ移籍後も主に指名打者として活躍し、4番を任されている。
- 25 宋志晩(ソン・ジマン)
- 2006年WBC韓国代表。長打力があり、走攻守そろった大型外野手として長年活躍。
- 29 李宅根(イ・テックン)
- 北京五輪野球韓国代表。初戦の米国戦の9回裏代走として出場し、サヨナラの得点を挙げた。打率3割を超える中距離のアベレージヒッター。
- 33 ダグ・クラーク
- AAA通算48発の助っ人。アメリカ人。2008年はハンファ・イーグルスに在籍し、2009年にヒーローズへ移籍。
[編集] 在籍した主な選手
- 鄭成勲(チョン・ソンフン)
- (在籍年度2008)
- 現代在籍時からサードのレギュラーとして活躍。フリー・エージェント宣言を通して2008年オフLGツインズに移籍。
- 2006年WBC韓国代表の予備エントリーメンバーだったが、1次ラウンドの台湾戦で金東柱が試合中に負傷退場し、その代役として抜擢された。
- 高津臣吾
- (在籍年度2008)
- 球団史上初の日本人選手。2008年シーズン途中入団して、約3ヶ月間活躍した。チームが低迷したため、セーブのチャンスがなかなか回ってこなかったが、それでも1勝0敗8セーブ、防御率0.86と立派な成績を残した。
- しかし、シーズン後球団は打線の補強のためダグ・クラーク外野手と契約したため、1球団2人までの外国人枠の関係で退団となった。
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年9月10日 (木) 01:10 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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