ビワハヤヒデ

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ビワハヤヒデ
1994年4月24日(天皇賞・春)
品種 サラブレッド
性別
毛色 芦毛
生誕 1990年3月10日
Sharrood
パシフィカス
母の父 Northern Dancer
生国 日本福島県桑折町
生産 早田牧場
馬主 (有)ビワ
調教師 濱田光正栗東
競走成績
生涯成績 16戦10勝
獲得賞金 8億9767万5000円
  

ビワハヤヒデ日本競走馬種牡馬である。半弟クラシック三冠馬ナリタブライアン、重賞を1勝したビワタケヒデがいる。馬名の由来は「ビワ」は馬主の冠名で「ハヤヒデ」は「速」さに「秀」でるようにとの願いからつけられた[1]

主要勝ち鞍:菊花賞天皇賞(春)宝塚記念など。16戦10勝(内GI3勝)2着5回

※年齢は旧表記(数え年)

目次

[編集] 戦績

[編集] 3歳・4歳時代

1992年9月に3歳の時にデビューし、2着に1.7秒の大差をつけて圧勝する。続くもみじステークス、デイリー杯3歳ステークスを共にレコードタイムで快勝する。1番人気に支持されたGI朝日杯3歳ステークスではエルウェーウィンに競り負けたが翌年のクラシックの有力候補として3歳戦を終えた。

1993年、4歳初戦に陣営はメンバーが手薄な共同通信杯4歳ステークスを選択。しかし前を走るマイネルリマークを捕らえることができず、前走に続いて僅差で敗れる。次走の皐月賞トライアル若葉ステークスからはそれまで騎乗していた岸滋彦が降ろされ、名手・岡部幸雄を鞍上に迎えて、勝利を収めた。

クラシック初戦の皐月賞では一旦は先頭に立つもののゴール直前にナリタタイシンの強襲をうけ2着。続く東京優駿(日本ダービー)でも悲願の日本ダービー制覇を狙う柴田政人騎乗のウイニングチケットに敗れ、ここでも2着となった。

有力馬は秋のGIに体調を合わせるため夏シーズンに放牧に出されることが多いが、調教師の濱田はあえてビワハヤヒデを厩舎に残し徹底的に鍛え上げることにした。初戦の神戸新聞杯ではネーハイシーザーに1馬身1/2差をつけ勝利。本番の菊花賞でも直線入口で抜け出して他馬を寄せ付けず、ステージチャンプに5馬身差をつけてのレコードタイムで悲願のGI制覇を成し遂げた。続く有馬記念では、トウカイテイオーの「奇跡の復活」と称された激走の前に2着と敗れたが、GI1勝、2着3回の実績が評価され、安田記念天皇賞(秋)を制したヤマニンゼファーを抑えて年度代表馬に選ばれた。

[編集] 古馬時代

1994年、古馬になると4歳春の時のような勝負弱さを完全に克服する。緒戦の京都記念を7馬身差で快勝し、京都競馬場の改修工事のため阪神競馬場で実施された天皇賞(春)でも直線でナリタタイシンに詰め寄られながらも再度突き放すレースぶりで1馬身1/4差をつけて優勝。宝塚記念もほぼ持ったままでレコードタイム勝ちを収める。秋初戦でもオールカマーで4歳時のライバル、ウイニングチケット以下に1馬身3/4差をつけて優勝、秋のGIシーズン、さらには有馬記念でのナリタブライアンとの兄弟対決に向けて最高のスタートを切った。

しかし、1994年10月30日史上2頭目の天皇賞春秋連覇を目指して臨んだ天皇賞(秋)でネーハイシーザーの5着に敗北、生涯で初めて連対を外した。レース終了後、競走中に屈腱炎を発症していたことが判明し、引退を余儀なくされる。なおこの屈腱炎が敗因の直接的なものであったかは不明。

結局、翌週の菊花賞を制して三冠馬となったナリタブライアンとの兄弟対決が実現することはなかった。現役最後の年となったこの年は年初からの二つのGIを含む重賞4連勝が評価されJRA賞最優秀5歳以上牡馬(部門名は当時)に選出された。

[編集] 競走成績

年月日 競馬場 競走名


オッズ
(人気)
着順 騎手
距離(馬場) タイム
(上り3F
タイム
勝ち馬/(2着馬)
1992 9. 13 阪神 3歳新馬 14 3 4 6.9(2人) 1着 岸滋彦 53 芝1600m(良) 1.38.3(不明) -1.7 (テイエムシンザン)
10. 10 京都 もみじS 10 7 8 2.3(1人) 1着 岸滋彦 53 芝1600m(良) 1.34.3(不明) -0.2 (シルクムーンライト)
11. 7 京都 デイリー杯3歳S GII 9 8 8 1.7(1人) 1着 岸滋彦 54 芝1400m(良) 1.21.7(不明) -0.3 (テイエムハリケーン)
12. 13 中山 朝日杯3歳S GI 12 6 7 1.3(1人) 2着 岸滋彦 54 芝1600m(良) 1.35.5(35.5) 0.0 エルウェーウィン
1993 2. 14 東京 共同通信杯4歳S GIII 9 1 1 1.3(1人) 2着 岸滋彦 57 芝1800m(良) 1.48.7(34.9) 0.0 マイネルリマーク
3. 20 中山 若葉S OP 8 8 8 1.3(1人) 1着 岡部幸雄 56 芝2000m(良) 2.00.9(35.7) -0.3 (ケントニーオー)
4. 18 中山 皐月賞 GI 18 8 18 3.5(2人) 2着 岡部幸雄 57 芝2000m(良) 2.00.3(35.4) 0.1 ナリタタイシン
5. 30 東京 東京優駿 GI 18 4 7 3.9(2人) 2着 岡部幸雄 57 芝2400m(良) 2.25.6(36.3) 0.1 ウイニングチケット
9. 26 阪神 神戸新聞杯 GII 9 1 1 1.6(1人) 1着 岡部幸雄 56 芝2000m(良) 2.02.9(35.0) -0.2 ネーハイシーザー
11. 7 京都 菊花賞 GI 18 4 7 2.4(1人) 1着 岡部幸雄 57 芝3000m(良) 3.04.7(34.5) -0.9 ステージチャンプ
12. 26 中山 有馬記念 GI 14 8 13 3.0(1人) 2着 岡部幸雄 55 芝2500m(良) 2.31.0(35.3) 0.1 トウカイテイオー
1994 2. 13 阪神 京都記念 GII 10 6 6 1.2(1人) 1着 岡部幸雄 59 芝2200m(稍) 2.16.8(37.0) -1.1 (ルーブルアクト)
4. 24 阪神 天皇賞(春) GI 11 8 11 1.3(1人) 1着 岡部幸雄 58 芝3200m(稍) 3.22.6(36.5) -0.2 (ナリタタイシン)
6. 12 阪神 宝塚記念 GI 14 8 13 1.2(1人) 1着 岡部幸雄 56 芝2200m(良) 2.11.2(35.0) -0.8 アイルトンシンボリ
9. 18 中山 オールカマー GII 8 8 8 1.2(1人) 1着 岡部幸雄 57 芝2200m(重) 2.14.5(35.4) -0.3 (ウイニングチケット)
10. 30 東京 天皇賞(秋) GI 13 2 2 1.5(1人) 5着 岡部幸雄 58 芝2000m(良) 1.59.1(35.1) 0.5 (ネーハイシーザー)

[編集] 引退後

2008年10月30日(日西牧場にて撮影)

引退後は種牡馬となり、ビワハヤヒデが3歳からレコードタイムを出すなど活躍していたことからも期待されたが、ズブい長距離馬が多く重賞優勝馬が出なかった。ちなみに3歳クラシック時に本馬と共に三強と呼ばれたウイニングチケットナリタタイシンも種牡馬としては失敗に終わり、3頭とも早々に種牡馬引退を余儀なくされた。代表産駒は、京都2400mのコースレコードホルダーであるサンエムエックス。

2005年をもって種牡馬生活を引退、その後は門別町にある日西牧場で余生を過ごしている。

[編集] エピソード

  • ビワハヤヒデ・ナリタタイシン・ウイニングチケットのクラシックを分け合った同期生について、3強と称された。その頭文字を取ってBNWとも。しかし、3強とはいっても競走成績などからビワハヤヒデの実力が抜きん出ていると考えるファンが多い。
  • ビワハヤヒデの主戦騎手といえば岡部幸雄だが、岡部は当初「(同世代のお手馬の)クエストフォベストの方が強い」と言って、濱田からの騎乗依頼を断っていた。それとは逆に、ビワハヤヒデの素質に惚れ込んだ武豊は、濱田に自分を騎乗させて欲しいと何度も頼み込んだが、その願いは果たされることは無かった。やがてクエストフォベストが故障し、岡部はビワハヤヒデ、武はナリタタイシンの主戦となり、この年のクラシックを闘って行く事となる。
  • 新馬戦デビュー時から赤いメンコを付けていたが、神戸新聞杯以降のレースから外して戦いに臨んだ。そのため、ビワハヤヒデは顔が大きくて不細工だという声が上った。しかし、実際には顔が白く、体がグレーで顔が目立ち大きく見えるだけであるが、現在の繁用先の日西牧場の厩務員によると「それでも顔は大きい方」とのことである。
  • 天皇賞・春の実況では、その前の週に弟・ナリタブライアン皐月賞を優勝していたため、「弟に次いで兄貴も強ーい!!」 と実況された。詳しくは杉本清の項目を参照
  • 2歳秋に牧場の牧柵に激突し、右前肢ヒザ下の管骨付近の皮を10cmほど木でえぐる事故を起こす。しかし、幸いにも中スジには到達しておらず大事には至らなかったが、わずかでも事故の箇所がずれて腱を損傷していたら競走生命を絶たれていた。今も傷痕が残っている。
  • 生産牧場が「福島県桑折町早田牧場(本場)」となっているが、育ったのは弟ナリタブライアンと同じ新冠支場である。これは当初、母パシフィカスが産気付くのが予定より早く、新冠支場まで間に合わないと判断されて急遽福島の本場で出産する事になったからである。そのため現役当時、福島ではビワハヤヒデの事を指して「半田山(早田牧場本場はこの山の中腹にある)の馬」と呼ぶ人もいた。
  • 新馬戦からオールカマーまでの15戦すべてで連対しておりこれはシンザンに次ぐJRAの連続連対記録となっている。

[編集] 主な産駒

[編集] 血統表

ビワハヤヒデ血統 グレイソヴリン系Nasrullah5×5=6.25%(父内))

*シャルード
Sharrood
1983 芦毛
Caro
1967 芦毛
*フォルティノ
Fortino
Grey Sovereign
Ranavelo
Chambord Chamossaire
Life Hill
Angel Island
1967 鹿毛
Cougar Tale of Two Cities
Cindy Lou
Who's to Know Fleet Nasrullah
Masked Lady

*パシフィカス
Pacificus
1981 鹿毛
Northern Dancer
1961 鹿毛
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Pacific Princess
1973 鹿毛
Damascus Sword Dancer
Kerala
Fiji Acropolis
Riffi F-No.13-a

[編集] 脚注

  1. ^ ちなみにアバンティーから発売されたビワハヤヒデのぬいぐるみに付属していた馬名由来のメモには「冠名の『ビワ』と生産のお世話になった人にちなんで命名」ともあったが、後にシールで張り替えられ、上記のようになっていた

最終更新 2009年11月4日 (水) 10:33 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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