ピウス2世 (ローマ教皇)
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ピウス2世(Pius II 1405年10月18日-1464年8月14日)は、ルネサンス期のローマ教皇(在位1458年-1464年)。本名はアエネアス・シルウィウス・ピッコローミニ(Aeneas Silvius Piccolomini, イタリア語:Enea Silvio Piccolomini)。
シエナ出身で、シエナの大学で学ぶ。もともと人文主義者の代表的な人物で、詩人、歴史家として高名であり、神聖ローマ帝国に仕え、皇帝の側近、外交家としても知られていた。教皇エウゲニウス4世(1431年-1447年)時代のバーゼル公会議(1431年-1445年)に神聖ローマ帝国の宰相として参加し、教皇派と公会議首位派の対立を収束させるべく尽力した。その後、聖職者となる。カリストゥス3世の死後、教皇に選ばれ、ピウス2世を名乗る。
1459年、枢機卿ヨハネス・ベッサリオンの尽力を得てヨーロッパ諸国に呼びかけ召集したマントヴァ教会会議で、オスマン帝国に対する十字軍遠征を提唱する。消極的な神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ3世に対してはかなり強硬な態度で参加を迫ったにも拘わらず、彼をはじめ応じる君主・国は殆どなかった。1463年、十字軍を提唱する教書を再び発表、1464年には十字軍の出発地として決定されたアンコーナに赴くが、同年8月に逝去。直ちに遠征は中止された。
シエナ共和国にある故郷の町(コルシニャーノ、のち教皇の名に因んで「ピッコロミニ」と改称)を理想の都市にしようと考え、1459年、フィレンツェの建築家ベルナルド・ロッセリーノに設計を依頼する。これによってピオ2世広場、ピッコロミニ宮殿(1469着工)などが造られ、ルネサンス建築の並ぶ都市が生まれた。(トスカナの宝石ともいわれる小さな都市で、現在は世界遺産に登録されているピエンツァ歴史地区)
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最終更新 2009年11月1日 (日) 22:15 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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