フィアット・パンダ
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フィアット・パンダ (Panda) は、イタリアのフィアットが製造・販売する小型ハッチバック車である。
初代モデルは1980年から2003年まで、大きな変更を受けずに継続された。欧州で「Aセグメント」と呼ばれる最も小さな分類に属する乗用車である。
名称は動物のパンダに因むが、これは初代モデル開発当初の主要市場として中国が企図されていたことによる。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] 初代(1980年-1999年)
[編集] セリエ1(1980年-1986年)
オイルショックに伴い、燃費面で有利なコンパクトカーの開発が各社で行われていた1970年代、ティーポ セロ(タイプ ゼロ) と呼ばれるフィアット社内のプロジェクトを元にフィアット・126とフィアット・127の一部を置き換えるべく誕生したのが初代パンダである。全長×全幅×全高は3405mm×1510mm×1485(1535)mm。
このモデルは、当時経営状態が芳しくなかったこともあり、フィアット史上初めて、開発を全面的に外部委託した車となった。その開発を担当したのはジョルジェット・ジウジアーロ率いるイタリアのカロッツェリア・イタルデザインである。
開発、製造コストの低減のため、すべての窓を平らな板ガラスとするなど、ボディーは直線と平面による構成となったが、パッケージングの鬼才と言われるジウジアーロらしく、簡潔ながらもスペース効率にも優れたスタイリングとなった。
その結果、初代パンダはジウジアーロの最高傑作と評されることとなり、自身も「今までの中で最高の仕事」と断言している[要出典]。
1980年発売当初のラインナップはパンダ30(652cc、縦置き空冷2気筒OHVエンジン、イタリア国内専用モデル)とパンダ45(903cc、横置き水冷4気筒OHVエンジン)の2種が用意された。いずれもガソリンエンジンであった。モデル名につく数字は、当時のフィアットでの命名規則にしたがって、搭載エンジンの馬力をあらわしている。
いずれも、鉄板グリル と呼ばれる左右非対称形状のフロントグリルを備え、室内では、パイプフレームに布を張ったハンモックシート を採用していた。ボディは左右2ドア + ハッチバックの3ドアを基本とし、ハッチバックの代わりに観音開きドアを持つバンタイプも用意された。
1982年には843cc 4気筒エンジンを積むパンダ34と、45をベースとしたスーパーの2モデルが新たに設定された。このうちスーパーは45の豪華版という位置付けで、特徴的な鉄板グリルに代わり樹脂製の柵状グリルを採用されたほか、シートも一般的なものに換装された。
エンジン横置き前輪駆動車をベースとした市販車としては世界初となる四輪駆動モデル4x4(フォー・バイ・フォー)を1983年に追加。このパートタイム式の四駆システムはオーストリアのシュタイア・プフ社との共同開発によるものである。
[編集] セリエ2(1986年-1999年)
1986年には、エンジンがそれまでの3種に代わり、FIRE (Fully Integrated Robotized Engine)と名づけられた、ロボット組み立ての769ccと999ccの4気筒SOHCエンジン 、および1301ccディーゼルエンジンが採用された。
そのほかでは、従来のリーフリジッド式リアサスペンションに代わり、4x4を除き、アウトビアンキ・Y10での試用結果が良好であった独特のトーションビーム式(Ωアーム・トレーリングリンク)に変更され、スーパーで先立って採用された一般的なシート、樹脂製フロントグリルの全グレードへの拡大採用、メーター類の大型化や三角窓の廃止など、フィアットを立て直すほどの好調な販売実績を残した、パンダの利益を市場に還元するかのごとく、大規模な仕様変更となった。
また、この仕様変更に伴い、グレード名もそれまでの馬力由来の表記から、排気量由来の表記(パンダ750 / 1000)へと改められた。
これにより、従来型はセリエ(シリーズ)1、改良型はセリエ2と呼ばれるようになった。英語圏では マーク1 / 2(1型/2型)とも呼ばれている。
1991年に無段変速機(CVT)を備えたセレクタと名づけられたグレードが登場する。セレクタに採用されたベルト式CVTは、富士重工業から供給された「ECVT」である。
[編集] 姉妹車
[編集] セアト・パンダ/マルベーリャ/テッラ
初代パンダの姉妹車が、発表当時フィアットグループであったスペインの自動車会社セアトによりライセンス生産されていた。クルマにセアト版独自の特徴は無く、最も簡単なバッジエンジニアリングにより「セアト・パンダ」として販売された。
1983年、フィアットはセアトの株式を売却、ライセンス契約も失効し、フィアットベースの全セアトのラインナップも、生産を終了しなければならなくなった。パンダの生産を継続したいセアトとフィアットとの間で、車名の使用差し止めをも含む、知的所有権に関する法廷闘争にまで発展したが、セアト側がパンダの前後デザインと車名を変更することで生産継続を許され、決着を迎えた。
その結果、1987年以降、生産が終了する1998年までは「セアト・マルベーリャ」と新たな名前での販売となった。同車はデザインと名称の変更以外は最後までセリエ1パンダの設計のまま生産が続けられ、1986年以降のセリエ2にあたるモデルは存在しない。
[編集] 2代目(2003年-)
2代目パンダの元となるコンセプトカーはジンゴ (Gingo) の名で発表された。当時経営状況の良くなかったフィアットとしては心機一転、この新しい名前でデビューさせる予定であった。しかし、ルノー社からルノー・トゥインゴ (Twingo) との商標の類似を指摘され、ルノー側が提訴する構えをも見せたため、ジンゴの名は使われずパンダの名を引き継ぐこととなった。波乱含みで2003年にデビューした2代目は、この年度のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞。先代同様、四輪駆動の4x4も設定される。全長×全幅×全高は3570×1605×1635mm。ホイールベースは2300mm。4WD、1.2Lター車の場合、車重は1060kg。
ジンゴがそもそもSUV的なコンセプトで発表されたこともあって、2代目は若干背の高いフォルムとなった。前輪駆動モデルでもグレードによってはルーフレールが装備される点もSUV的である。全長/全幅は依然としてフォルクスワーゲン・ルポやシトロエン・C2などと同等であるが、これら3ドアのライバルと違いパンダは5ドアハッチバックとなる。2代目パンダは、その全量がポーランド・シロンスク県のフィアット子会社において製造されている。なお、2007年に発表されたフィアット・500も同工場で製造される。
2007年には1.4L 直列4気筒 DOHCエンジン (100ps/13.3kgm)を搭載するスポーティーモデル「100HP」を追加。
また、パンダは、2007年のダカールラリーに、「チーム・フィアット・パンダカール」にて4x4モデルで出場した。2台体制でドライバーはそれぞれ、M・ビアジオンと、B・サビーであったが、2台ともリタイアに終わっている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- フィアット・オート・ジャパンによるパンダの公式HP
- チンクエチェント博物館 フィアット・500のほか、パンダに関する貴重な展示もある。
最終更新 2009年11月11日 (水) 08:36 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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