フィラデルフィア・フィリーズ

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フィラデルフィア・フィリーズ
Philadelphia Phillies
創設: 1883年
所属リーグ

ナショナルリーグ東地区

歴代チーム名
  • フィラデルフィア・フィリーズ (1890年 - )
  • フィラデルフィア・クエーカーズ (1883年 - 1889年)
歴代本拠地

収容人員: 43,500人
永久欠番
PHI, PHI, 1, 14, 20, 32, 36, 42
獲得タイトル(獲得年)
ワールドシリーズ優勝 (2回) 1980 • 2008
リーグ優勝 (7回) 1915 • 1950 • 1980 • 1983
1993 • 2008• 2009
地区優勝 (9回) 1976 • 1977 • 1978 • 1980
1983 • 1993 • 2007 • 2008
2009
ワイルドカード なし
球団組織
オーナー: デビッド・モンゴメリー他
GM: ルーベン・アマロ・ジュニア
監督: チャーリー・マニエル

フィラデルフィア・フィリーズ(Philadelphia Phillies、略称:PHI)は、アメリカMLBナショナルリーグ東地区所属のプロ野球チーム。本拠地はペンシルベニア州フィラデルフィアにあるシチズンズ・バンク・パーク

目次

[編集] 概要

シーズン成績の詳細については年度別成績一覧を参照

チーム名のフィリー(Philly)は本拠地フィラデルフィアの略称およびフィラデルフィア市民の通称。ユニフォームは、赤を基調としたストライプのユニフォームで、左袖にも背番号がついている。この袖の背番号はフィリーズ独特のものである。

1883年から存在するメジャーリーグ屈指の古豪であるがワールドシリーズの優勝は1980年が初めてである。球団創設以来、1970年代後半の黄金時代までは、ほとんどの時期を下位ですごす万年弱小球団だった。シーズン100敗は14回を数え、1930年代から40年代にかけてはメジャータイ記録となる16シーズン連続負け越しを記録している。2007年7月15日、アメリカ・プロスポーツチームでは初となる通算10,000敗を記録した。しかし近年は上位で安定しており、2004年にシチズンズ・バンク・パークが開場してからは、観客動員数でもメジャーの上位に名を連ねており、人気球団のひとつとなっている。

フィリーズは長年に渡って黒人選手の受け入れを拒んできた。フィラデルフィアの宿舎が黒人選手の宿泊拒否を通告したり、ジャッキー・ロビンソンがメジャーデビューした時、当時のフィリーズの監督や選手が、「ロビンソンが出場するなら、フィリーズ選手はフィールドに出ない」と発言し、大きな波紋を呼んだ。フィリーズで黒人選手がデビューしたのはロビンソンがデビューしてから10年後の1957年のことで、ナショナル・リーグで最も遅かった。

マスコットフィリー・ファナティックという緑色の架空の生き物で、メジャーでは最も有名なマスコットの一人である。キャラクター製作は『セサミ・ストリート』を手がけたハリソンエリクソン社。1978年4月25日に何の予告もなく何気なくスタンドに現れて以降、お茶目でいたずら好きなパフォーマンスが人気を呼び、フィリーズのマスコットとして愛され続けている。[1]

2005年シーズンより、1970年代後半から1980年代前半にかけてヤクルトスワローズ近鉄バファローズで活躍したチャーリー・マニエル監督を務めている。日本人選手では、2007年シーズン途中から終了までと2008年レギュラーシーズン終盤に井口資仁が所属、2008年シーズンにはカージナルスからフリーエージェントになった田口壮が所属した。

[編集] 球団の歴史

[編集] 球団創設~19世紀

1883年、当時スポーツ用品メーカーを経営していたアル・リーチと弁護士のジョン・ロジャースが、ナショナルリーグの新規参入球団募集の際、前年に破綻したウースター・ルビーレッグスのフランチャイズ権を取得し、「フィラデルフィア・クエーカーズ」として新たな球団を創設した。フィリーズの呼称は現在に至るまで変遷はなく、同一名球団としてはメジャーリーグで最も長い歴史を持つ。創設1年目は17勝81敗、勝率.173と散々な成績だった。翌1884年からハリー・ライトが監督に就任し、チャーリー・ファーガソン、ダン・ケーシー、チャーリー・バフィントンら有力投手を揃えチームを再建する。1880年代のフィリーズは貧打にあえいでいたが、1890年代になるとサム・トンプソンビリー・ハミルトンエド・デラハンティナップ・ラジョイエルマー・フリックといった名選手が登場し攻撃力が増し、フィリーズは常にナショナルリーグの上位に顔を出す強豪となったが、肝心の優勝争いでは首位と10ゲーム以上離されるシーズンが続いた。また19世紀のフィリーズの正捕手をしていたジャック・クレメンツは、当時から珍しかった「左投げの捕手」としても知られている。

ところが1901年にアメリカンリーグが創立し、新たに同じフィラデルフィアを本拠地とするフィラデルフィア・アスレチックス(現在のオークランド・アスレチックス)が創設されると、上記選手が次々と移籍。アスレチックスが強豪チームとして成長するのとは対照的に、主力選手を奪われたフィリーズは弱体の一途を辿る。アスレチックスへの移籍を不服としたフィリーズは州の裁判所にこの移籍の無効を訴え、ラジョイはアスレチックスで1シーズンと1試合、フリックに至っては11試合にしか出場できず、共にクリーブランド・ナップス(現在のクリーブランド・インディアンス)と再契約することになった。デラハンティはワシントン・セネターズ(現在のミネソタ・ツインズ)移籍後の1903年、ナイアガラの滝で謎の転落死を遂げている。

[編集] 初のリーグ優勝~低迷期

1911年、ピート・アレクサンダーがメジャーデビューするとチームは一気に躍進する。デビュー1年目の1911年には28勝でいきなり最多勝、1914年から1917年かけて4年連続の最多勝とチームの大黒柱となる活躍で、1915年にはフィリーズをリーグ初優勝に導く。しかし1917年限りでアレクサンダーがフィリーズを離れると、またしてもチームは長い低迷期に入る。再びリーグ優勝を遂げる1950年までに勝率5割を超えたのは1932年と1949年のわずか2シーズンのみであった。その間、1928年にチャック・クラインがメジャーデビュー。1930年代に三冠王1回、本塁打王4回などチームの主砲として活躍するが、フィリーズが上位に進出することはなかった。特に1930年代後半から1940年代前半は酷く、10年間で最下位8回、7度の100敗シーズン、勝率は3割台という有様だった。

[編集] Whiz Kidsの登場~2度目の低迷期

1940年代後半に入ると、長い低迷から脱却するためにチームは若返りを図る。ロビン・ロバーツリッチー・アシュバーンといった有望な若手選手が続々とメジャーデビュー。1949年には彼らの活躍により81勝73敗と勝率5割以上を記録し、33年ぶりに3位に食い込んだ。翌1950年には開幕から好調を維持し、首位をキープ、シーズン最終戦でのブルックリン・ドジャース(現在のロサンゼルス・ドジャース)との直接対決を制し、1915年以来となる2度目のリーグ優勝に輝いた。ニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズでは敗れたものの、若手選手を中心に快進撃を遂げたこの年のフィリーズは「Whiz Kids(神童)」と呼ばれた。しかしこの優勝も束の間、チームは再び低迷期に入る。1960年代にはリーグ優勝に貢献した選手たちが次々に退団。1958年から4年連続の最下位、1961年には23連敗という不名誉なメジャー記録を作ってしまう。1964年にジム・バニングが移籍し、チームも一時的に上位に進出するが、それ以外は目立った成績は残せなかった。この間、アスレチックスも長い低迷期をすごしており、1934年から1967年までに10度の100敗シーズン、勝率5割以上は4回のみ、通算勝率.402だった。また両リーグのシーズン100敗以上の記録を両チームが持っている(アスレチックス:16回、フィリーズ:14回)。

[編集] 初のワールドシリーズ制覇~黄金時代

1971年、老朽化していたシャイブ・パークからベテランズ・スタジアムに本拠地を移すと、同年にスティーブ・カールトンセントルイス・カージナルスから獲得、1972年にはマイク・シュミットがメジャーデビューする。カールトンは移籍初年度、チームのあげた59勝のうち27勝を稼ぎ出し、シュミットは1974年から3年連続で本塁打王に輝く。彼ら二人を投打の軸として、チームは徐々に上昇気流に乗り出す。1976年、101勝61敗という圧倒的な成績で初の地区優勝に輝くと、1978年まで3年連続で地区優勝を果たす。しかしプレーオフでは、1976年にシンシナティ・レッズ、1977年、1978年にはドジャースと対戦し、いずれも敗れてしまう。1979年、レッズからピート・ローズが加入し、1980年には4度目の地区優勝。リーグ優勝決定戦でヒューストン・アストロズを破り、30年ぶり3度目のリーグ優勝。ワールドシリーズではカンザスシティ・ロイヤルズを下し、初のワールドチャンピオンに輝いた。1970年代後半から1980年代のフィリーズはまさしく黄金時代だった。カールトン、シュミットの他、通算307本塁打のグレッグ・ルジンスキーゴールドグラブ賞8回のゲイリー・マドックスや同じく7回のボブ・ブーン、俊足攻守の遊撃手で後にフィリーズの監督も務めたラリー・ボーワら名選手が数多く所属しており、1983年に4度目のリーグ優勝を果たした際には、ローズに加え、トニー・ペレスジョー・モーガンら「ビッグレッドマシン」として知られた元レッズの主力選手も加入していた。

[編集] 新世紀~強豪球団へ

1980年代後半から1990年代前半にかけて、黄金時代を支えた選手がチームを去り、その勢いも衰える。1993年には前年最下位ながら、アストロズから移籍したカート・シリング、1番打者のレニー・ダイクストラらの活躍で地区優勝。リーグ優勝決定戦ではアトランタ・ブレーブスを下すという番狂わせを演じ、5度目のリーグ優勝に輝いたが、ワールドシリーズでは前年チャンピオンのトロント・ブルージェイズに敗れた。

1990年代後半は故障者が多く低迷していたが、スコット・ローレンボビー・アブレイユら若手選手が台頭。21世紀に入ってからは東地区の上位をキープしている。2004年、人工芝が固いベテランズ・スタジアムから天然芝のシチズンズ・バンク・パークに移転すると、同年から5年連続で地区2位以上を記録している。

2007年には7度目の地区優勝を果たすも、地区シリーズではコロラド・ロッキーズに敗れた。

2008年、2年連続で地区優勝。リーグチャンピオンシップシリーズロサンゼルス・ドジャースを4勝1敗で下し、15年ぶり6回目のナショナルリーグチャンピオンとなった。アメリカンリーグを制したタンパベイ・レイズを破り、球団史上2度目となるワールドシリーズ制覇を達成。

ライアン・ハワードチェイス・アトリージミー・ロリンズジェイソン・ワースといった強力な打撃陣を擁しており、2007年のチーム本塁打数はミルウォーキー・ブルワーズに次ぐ両リーグ2位、チーム打点はナ・リーグ1位であった。対してチーム防御率はナ・リーグ13位で良いとはいえない。本拠地であるシチズンズ・バンク・パークが打者有利の球場であることも影響しており、球団側は投手陣の負担を減らすために球場の改修工事を行っている程である。

[編集] 主な選手

[編集] 現役選手

投手

捕手

内野手

外野手

* アクティブロースター外
** 40人ロースター外

2009年9月30日更新   
[公式サイト(英語)より:40人ロースター  選手の移籍・故障情報  予想オーダー]

[編集] 殿堂入り選手


[編集] 永久欠番

[編集] 傘下マイナーチーム

クラス チーム 参加リーグ
AAA リーハイバレー・アイアンピッグス(Lehigh Valley IronPigs インターナショナルリーグInternational League
AA レディング・フィリーズ(Reading Phillies イースタンリーグEastern League
A+ クリアウォーター・スレッシャーズ(Clearwater Threshers フロリダ・ステートリーグFlorida State League
A レイクウッド・ブルークロウズ(Lakewood BlueClaws サウス・アトランティックリーグSouth Atlantic League
A- ウィリアムズポート・クロスカッターズ(Williamsport Crosscutters ニューヨーク・ペンリーグNew York-Penn League
Rookie ガルフ・コーストリーグ・フィリーズ(Gulf Coast League Phillies ガルフ・コーストリーグGulf Coast League

[編集] 脚注

  1. ^ 広島東洋カープのマスコットであるスラィリーも同じ会社の製作ということもあり、外見が酷似している。

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年11月20日 (金) 02:20 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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