フェニックス・サンズ

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フェニックス・サンズ
創設 1968年
チーム史 フェニックス・サンズ
(1968 - )
アリーナ USエアウェイズ・センター
本拠 アリゾナ州フェニックス
チームカラー 紫、オレンジ
チームロゴ 不死鳥のような形の炎に覆われたバスケットボールの上にPHXの文字。
ヘッドコーチ アルビン・ジェントリー
オーナー ロバート・サーバー
優勝歴 0回
ファイナル進出 2回(1976年, 1993年)
地区優勝 5回(1981年, 1993年, 1995年, 2005年, 2006年, 2007年)
  

フェニックス・サンズPhoenix Suns)は、アリゾナ州フェニックスに本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。ウェスタン・カンファレンス、パシフィック・ディビジョン所属。

日本で初めて公式戦を行なったチーム(対ユタ・ジャズ)である。

目次

[編集] 歴史

サンズは1968年に拡張チームとしてリーグに加わった。初年度は16勝66敗とリーグ最下位に終わり、翌シーズンは39勝まで勝ちを増やしたものの勝ち越すことはできなかった。3年目以降は勝率5割を前後する平均的なチームとして数年を過ごした。初期のサンズではコニー・ホーキンズディック・バン・アースデールらがスター選手だった。

42勝40敗と凡庸な成績で終わった1975-76シーズンは、サンズにとって記念すべきシーズンとなった。プレイオフを勝ち進み、地区決勝で前年優勝していたゴールデンステート・ウォリアーズを4勝3敗で下し、NBAファイナルへ進出。8年目のチームであるサンズは名門ボストン・セルティックスと優勝を争った。

[編集] 1976年のファイナル第5戦

設立8年目で初めてサンズが進出した1976年NBAファイナル第5戦は、今もしばしばリーグ史上最高の名勝負に挙げられる。古豪ボストン・セルティックスのホームアリーナボストン・ガーデンで同年6月4日に行われたこの試合は延長3回にも及ぶ激戦だった。この時点でシリーズ成績は2勝2敗のタイであり、勝ったチームが優勝に王手をかける重要な試合だった。

試合は規定時間48分を同点で終え、延長に入った。しかし5分の延長でも勝負がつかず、二度目の延長を迎えた。

二度目の延長も残り4秒となった時点で、サンズは1点リードした。ボールを持ったセルティックスのジョン・ハブリチェックはコートを駆け抜けシュートを放ち、逆転。セルティックスが勝ったと考えたボストンのファンがコートに溢れ出す事態となった。

審判は試合がまだ1秒残っていると判断し、ファンが観客席に戻されるとサンズボールから再開となった。ここでサンズのポール・ウェストファルはもう残されていないタイムアウトを敢えて請求。サンズのテクニカルファウルとなり、セルティックスにフリースロー1本が与えられた。セルティックスはフリースローを沈め点差は2点となったが、サンズはコート中央からボールを入れられることになった。

インバウンズパスを受けたサンズのガー・ハードがシュートを決め、三度目の延長が決まった。既に両チームとも主力選手の多くがファウルアウトしており、延長3回では普段控えの選手が活躍した。試合は128対126でセルティックスの勝利となった。試合終了後、選手たちは疲労のため立ち上がれないほどだった。

二日後に行われた第6戦をセルティックスが制し、サンズの初優勝はならなかった。NBAファイナルで延長3回にまで入ったのはこの時が初めてであり、17年後のNBAファイナルでもサンズは延長3回の試合を経験した。この二つの試合はNBAファイナル史上最長の試合と2番目に長く続いた試合である。

その後のサンズは数シーズンに渡り勝率5割を越える中堅のチームだった。1980年には55勝27敗、翌1981年には57勝25敗とリーグでも屈指の勝ち星をあげたが、プレイオフでは勝ち残れなかった。以降は次第に勝率が落ち、1973年以来チームを率いてきたジョン・マクリードヘッドコーチが1986年に退いた。

[編集] バークレーの獲得

80年代後半、サンズはヘッドコーチが定着せず成績もリーグ下位に留まっていたが、チーム初期のヘッドコーチでもあったコットン・フィッツシモンズが1989年に再びヘッドコーチに就くと、サンズは次第に西地区有数の強豪へと成長していった。1988年にトレードでやってきたケビン・ジョンソンはチームを牽引し、同じ年にドラフトで指名されたダン・マーリーも次第に中心選手となっていった。

フィッツシモンズに代わり70年代にチームのエースだったポール・ウェストファルがヘッドコーチに就いた1993年、トレードでチャールズ・バークレーがサンズに加わった。このシーズン、サンズは当時チーム史上最多の62勝20敗をあげ、バークレーはMVPに選ばれた。17年ぶりにNBAファイナルに進出したサンズは、3連覇を狙うシカゴ・ブルズと対戦。サンズはホームコートアドバンテージを得ていたものの、2勝4敗で優勝はならなかった。

[編集] キッドの時代

以降数シーズンのサンズは西地区で上位のチームだったが1996年には41勝41敗と勝率5割、この年バークレーはトレードでチームを去った。同年ドラフトでスティーブ・ナッシュを指名したものの活躍の機会は少なく、1998年にはトレードされた。この時期サンズの中心として活躍したのは、同じく96年にトレードでチーム入りしたジェイソン・キッドだった。サンズの勝率は数年に渡り6割を越え、1999-2000シーズン前に加入したアンファニー・ハーダウェイとの「バックコート2000」は話題を呼んだが、キッドは妻への暴行が批判され、2001年にはチームを離れた。

キッドとのトレードでサンズに加わったのはステフォン・マーブリーだったがチーム成績は伸び悩んだ。2003-04シーズン中にはマーベリーをトレードに出し、マイク・ダントーニをHCに迎えるなど、チーム改革に乗り出した。

[編集] ナッシュの2年連続MVPとラン&ガンオフェンス

2004-05シーズンには、かつてトレードに出したスティーブ・ナッシュを再び獲得。ダントーニ体制のもと、ナッシュ、ショーン・マリオンアマレ・スタウダマイアーを中心としたラン&ガンオフェンスはリーグを席巻するようになる。ナッシュを獲得したばかりの2004-05シーズンには62勝20敗の成績で一気にリーグ首位に駆け上がり、ナッシュはMVPを獲得した。プレーオフでもカンファレンス決勝まで勝ち上がるも、サンアントニオ・スパーズの前に敗退する。以後、サンズはこのスパーズに苦杯を舐めさせ続けられることになる。

翌2005-06シーズンにはスタウダマイアーがひざの故障のためシーズンをほぼ全休するも、ボリス・ディアウがスタウダマイアーの代行を行い、昨年の成績にやや劣るがサンズは好調を維持した。最終的にはディアウはMIP(最も成長した選手)を受賞し、ナッシュは2年連続でMVPを獲得。ナッシュの2年連続MVPの快挙はポイントガードとしてはマジック・ジョンソン以来である。プレーオフでは再びカンファレンス決勝まで勝ち上がるも、ダーク・ノビツキー率いるダラス・マーベリックスの前にスタウダマイアー不在が響き敗退し、ファイナル制覇が打ち砕かれた。

2006-07シーズンにはスタウダマイアーが復帰し、リアンドロ・バルボサがサンズ史上4人目となるNBAシックスマン賞を受賞した。シーズン中には15連勝と17連勝をし、予想通りの好調を見せ、サンズは61勝21敗の好成績を収めた。そしてプレーオフでは一回戦でマーベリックスがウォーリアーズに敗退したため、サンズがファイナル進出優勢と言われた。奇しくもカンファレンス準決勝で再びスパーズと対戦。このシリーズではナッシュの負傷、スタウダマイアー、ディアウの出場停止処分など数々の不幸がサンズを襲い、サンズは再びスパーズの軍門に降った。一説にはダントーニの浅いローテンションが仇となり、スターターを除けばあまり試合をこなしていない選手だけだったので、一気にチームとして弱まったと言われている。

2007-08シーズン中にはマリオンをトレードに出し、代わりにシャキール・オニールを獲得。移籍当初オニールにより、ラン&ガンオフェンスのスタイルが崩れると懸念されていた。大型トレード後初めの9試合、サンズは3勝6敗となり、首位から落ち、周りからトレードが失敗したと非難される。しかし、オニールとサンズのオフェンススタイルがうまく噛み始め、レギュラー・シーズンの間スパーズとの対戦成績を3勝1敗(オニール移籍以来2勝)に収め、満を持して初のファイナル制覇に向けて勝負に出た。何かの因縁かのようにプレーオフ1回戦でまたスパーズに対戦することになった。しかし、ディフェンスの弱さを露呈したサンズは再びスパーズに勝つことは出来なかった。シーズン中にダントーニのオフェンス重視とスティーブ・カーGMのディフェンス重視の方針に摩擦が起き、互いの関係に亀裂が生じたと報道された。プレーオフ敗退後、チーム戦略の違いからダントーニはサンズの環境に限界を感じ、新天地を求め始めた。会議を重ね、カーはダントーニを引きとめようとした。しかし最終的にサンズはダントーニにオファーが来ているシカゴ・ブルズニューヨーク・ニックスとの交渉の許可を与え、ダントーニはサンズの監督を辞退し、ニックスの監督に就任することを決めた。

[編集] シーズンごとの成績

Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率

シーズン  % プレーオフ 結果
フェニックス・サンズ
1968-69 16 66 .195
1969-70 39 43 .476 ディビジョン準決勝敗退 レイカーズ 4, サンズ 3
1970-71 48 34 .585
1971-72 49 33 .598
1972-73 38 44 .463
1973-74 30 52 .366
1974-75 32 50 .390
1975-76 42 40 .512 カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
サンズ 4, ソニックス 2
サンズ 4, ウォリアーズ 3
セルティックス 4, サンズ 2
1976-77 34 48 .415
1977-78 49 33 .598 1回戦敗退 バックス 2, サンズ 0
1978-79 50 32 .610 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
サンズ 2, ブレイザーズ 1
サンズ 4, カンザスシティ 1
ソニックス 4, サンズ 3
1979-80 55 27 .671 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
サンズ 2, カンザスシティ 1
レイカーズ 4, サンズ 1
1980-81 57 25 .695 カンファレンス準決勝敗退 カンザスシティ 4, サンズ 3
1981-82 46 36 .561 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
サンズ 2, ナゲッツ 1
レイカーズ 4, サンズ 0
1982-83 53 29 .646 1回戦敗退 ナゲッツ 2, サンズ 1
1983-84 41 41 .500 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
サンズ 3, ブレイザーズ 2
サンズ 4, ジャズ 2
レイカーズ 4, サンズ 2
1984-85 36 46 .439 1回戦敗退 レイカーズ 3, サンズ 0
1985-86 32 50 .390
1986-87 36 46 .439
1987-88 28 54 .341
1988-89 55 27 .671 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
サンズ 3, ナゲッツ 0
サンズ 4, ウォリアーズ 1
レイカーズ 4, サンズ 0
1989-90 54 28 .659 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
サンズ 3, ジャズ 2
サンズ 4, レイカーズ 1
ブレイザーズ 4, サンズ 2
1990-91 55 27 .671 1回戦敗退 ジャズ 3, サンズ 1
1991-92 53 29 .646 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
サンズ 3, スパーズ 0
ブレイザーズ 4, サンズ 1
1992-93 62 20 .756 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
サンズ 3, レイカーズ 2
サンズ 4, スパーズ 2
サンズ 4, ソニックス 3
ブルズ 4, サンズ 2
1993-94 56 26 .683 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
サンズ 3, ウォリアーズ 0
ロケッツ 4, サンズ 3
1994-95 59 23 .720 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
サンズ 3, ブレイザーズ 0
ロケッツ 4, サンズ 3
1995-96 41 41 .500 1回戦敗退 スパーズ 3, サンズ 1
1996-97 40 42 .488 1回戦敗退 ソニックス 3, サンズ 2
1997-98 56 26 .683 1回戦敗退 スパーズ 3, サンズ 1
1998-99 27 23 .540 1回戦敗退 ブレイザーズ 3, サンズ 0
1999-00 53 29 .646 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
サンズ 3, スパーズ 1
レイカーズ 4, サンズ 1
2000-01 51 31 .622 1回戦敗退 キングス 3, サンズ 1
2001-02 36 46 .439
2002-03 44 38 .537 1回戦敗退 スパーズ 4, サンズ 2
2003-04 29 53 .354
2004-05 62 20 .756 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
サンズ 4, グリズリーズ 0
サンズ 4, マーベリックス 2
スパーズ 4, サンズ 1
2005-06 54 28 .659 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
サンズ 4, レイカーズ 3
サンズ 4, クリッパーズ 3
マーベリックス 4, サンズ 2
2006-07 61 21 .744 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
サンズ 4, レイカーズ 1
スパーズ 4, サンズ 2
2007-08 55 27 .671 1回戦敗退 スパーズ 4, サンズ 1
2008-09 46 36 .561  
通算勝敗 1860 1470 .559
プレイオフ 122 135 .477

[編集] 主な選手

[編集] 現役選手

フェニックス・サンズ ロースター
選手 その他
Pos # Nat 名前 身長  体重
F 17 アメリカ合衆国の旗 ルイス・アムンドソン (Louis Amundson) 2.06 m ( 6 ft 9 in) 102 kg (225 lb) 
G 10 ブラジルの旗 リアンドロ・バルボサ (Leandro Barbosa) 1.91 m ( 6 ft 3 in) 92 kg (202 lb) 
F 55 アメリカ合衆国の旗 アール・クラーク (Earl Clark) 2.06 m ( 6 ft 9 in) 102 kg (225 lb) 
G 2 スロベニアの旗 ゴラン・ドラジッチ (Goran Dragic) 1.93 m ( 6 ft 4 in) 82 kg (180 lb) 
F 5 アメリカ合衆国の旗 ジャレッド・ダドリー (Jared Dudley) 2.01 m ( 6 ft 7 in) 102 kg (225 lb) 
F/C 8 アメリカ合衆国の旗 チャニング・フライ (Canning Frye) 2.11 m ( 6 ft 11 in) 111 kg (245 lb) 
SF 32 アメリカ合衆国の旗 テイラー・グリフィン (Taylor Griffin) 2.01 m ( 6 ft 7 in) 109 kg (240 lb) 
SF 33 アメリカ合衆国の旗 グラント・ヒル (Grant Hill(C) 2.03 m ( 6 ft 8 in) 102 kg (225 lb) 
C 15 アメリカ合衆国の旗 ロビン・ロペス (Robin Lopez) 2.13 m ( 7 ft 0 in) 116 kg (255 lb) 
PG 13 カナダの旗 スティーブ・ナッシュ (Steve Nash(C) 1.91 m ( 6 ft 3 in) 81 kg (178 lb) 
G/F 23 アメリカ合衆国の旗 ジェイソン・リチャードソン (Jason Richardson) 1.98 m ( 6 ft 6 in) 102 kg (225 lb) 
F/C 1 アメリカ合衆国の旗 アマーレ・スタウダマイアー (Amare Stoudemire) 2.08 m ( 6 ft 10 in) 113 kg (249 lb) 
SF 29 アメリカ合衆国の旗 アランド・タッカー (Alando Tucker) 1.98 m ( 6 ft 6 in) 93 kg (205 lb) 
ヘッドコーチ

アメリカ合衆国の旗 アルビン・ジェントリー (Alvin Gentry)


記号説明
  • (C) キャプテン
  • (FA) フリーエージェント
  • * 故障者

外部リンク

更新日:2009-9-24


[編集] 年代別主要選手

太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人

1960年代

1970年代 (プレイオフ進出:3回 ファイナル進出:1回)

1980年代 (プレイオフ進出:7回)

1990年代 (プレイオフ進出:10回 ファイナル進出:1回)

2000年代 (プレイオフ進出:6回)

[編集] 永久欠番

[編集] 日本人プレイヤー

[編集] コーチ、その他

[編集] 歴代ヘッドコーチ

  • ジョン・カー (John Kerr) (1968-69/1969-70)
  • ジェリー・コランジェロ (Jerry Colangelo) (1969-70)
  • コットン・フィッツシモンズ (Cotton Fitzsimmons) (1970-71/1971-72)
  • ビル・ヴァン・ブレダクロフ (Bill Van BredaKloff) (1972-73)
  • ジェリー・コランジェロ (Jerry Colangelo) (1972-73)
  • ジョン・マクリード (John MacLeod) (1973-74/1986-87)
  • ディック・ヴァン・アースデイル (Dick Van Arsdale) (1986-87)
  • ジョン・ウェッツェル (John Wetzel) (1987-88)
  • コットン・フィッツシモンズ (Cotton Fitzsimmons) (1988-89/1991-92)
  • ポール・ウェストファル (Paul Westphal) (1992-93/1995-96)
  • コットン・フィッツシモンズ (Cotton Fitzsimmons) (1995-96/1996-97)
  • ダニー・エインジ (Danny Ainge) (1996-97/1999-00)
  • スコット・スカイルズ (Scott Skiles) (1999-00/2001-02)
  • フランク・ジョンソン (Frank Johnson) (2001-02/2003-04)
  • マイク・ダントーニ (Mike D'Antoni) (2003-04/2007-08)

[編集] 殿堂入り

[編集] 日本での公式戦

  • 1990年11月に、ユタ・ジャズと共に来日し東京体育館で公式戦2試合を行なった。アメリカのスポーツにおいて北米以外で行われた初めての公式戦だった。ケビン・ジョンソンとトム・チェンバースが共に1試合平均28.5得点を叩き出したが、対戦成績は1勝1敗の5分に終わった。

[編集] チーム記録

フェニックス・サンズのチーム記録

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月15日 (日) 22:53 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【フェニックス・サンズ】変更履歴

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