フォルクスワーゲン グループ ジャパン
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| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 略称 | VGJ |
| 本社所在地 | 〒441-8550 愛知県豊橋市明海町5番地10 |
| 電話番号 | 0070-800-551133(カスタマーセンター) |
| 設立 | 1983年7月(フォルクスワーゲン株式会社) |
| 業種 | 輸送用機器 |
| 事業内容 | 日本国内におけるフォルクスワーゲン車の輸入販売、市場調査・広報活動・宣伝活動、販売店開発及び支援活動他 フォルクスワーゲン車関連部品の購買 |
| 代表者 | 代表取締役社長 ゲラシモス ドリザス |
| 資本金 | 231億7,410万円 |
| 従業員数 | 315名 |
| 主要株主 | ドイツ フォルクスワーゲンAG 100%出資 |
フォルクスワーゲン グループ ジャパン 株式会社(略称VGJ)はドイツに本社を置くフォルクスワーゲンAGの100%子会社で、日本においてフォルクスワーゲングループのフォルクスワーゲンブランドの自動車を輸入販売する会社。本社、愛知県豊橋市明海町。
目次 |
[編集] 会社の変遷
1983年7月にドイツに本社を置くフォルクスワーゲン製造AG(現フォルクスワーゲンAG)の日本における輸入販売強化、組み付け用部品、材料などの調達、技術提携、情報収集、企業広報を目的として日本法人、“フォルクスワーゲン株式会社 (英文名 Volkswagen Asia Ltd.)”を東京港区南青山に設立。1989年8月に社名変更し“フォルクスワーゲン アウディ 日本 株式会社”(VAN)となる。1990年より系列の販売店をオープンしより直接的な販売にも乗り出す。1992年に愛知県豊橋市明海地区に日本で最大級の専用埠頭を有する陸揚げ、輸入整備施設を独自に投資し建設、東京港区西新橋から本社も同地に移転。1996年9月に再び社名変更し“フォルクスワーゲン グループ ジャパン 株式会社”(VGJ)となる。/
[編集] 取り扱いブランド
1983年設立時までは、フォルクスワーゲン車の日本国内における正規輸入販売はヤナセのみが扱っていた。1991年3月に日本自動車輸入組合(JAIA)に加盟。一時期ヤナセと競業したが、ヤナセは1992年末にフォルクスワーゲンおよびアウディ代理店契約を破棄し輸入販売を終了したが、2001年にアウディ ジャパンと、2005年にフォルクスワーゲン グループ ジャパンと契約し再び販売を再開した。フォルクスワーゲンAGの他社ブランド買収により、ロールス・ロイスやベントレーの日本での輸入販売業務も日本国内他社インポーターから引き継いだ。ベントレーは現在も継続している。
2000年から2007年まで8年連続で日本における輸入車シェア(乗用車の国内新車登録台数)第1位となっている。
[編集] ブランド一覧
[編集] フォルクスワーゲン
日本では、ヤナセによるフォルクスワーゲン(ビートル)の輸入から始まった。1991年にフォルクスワーゲンAGが直接資本を投入しフォルクスワーゲン アウディ 日本を設立し、一時期、輸入業者が並立したが、のちヤナセが権利を放棄し、一本化された。ヤナセは2005年よりフォルクスワーゲン グループ ジャパンのディーラーとしてフォルクスワーゲンの販売を再開している。
- 1954年-1992年:ヤナセ
- 1990年- 現在:フォルクスワーゲン アウディ 日本 (1996年9月からフォルクスワーゲン グループ ジャパン)
(1990年から1992年の間はヤナセと“フォルクスワーゲン アウディ 日本”の両社が輸入権を保持していた)
[編集] アウディ
アウディもフォルクスワーゲン同様、ヤナセにより輸入販売されていたが、フォルクスワーゲン アウディ 日本設立により併売後一本化された。1998年に、フォルクスワーゲン販売チャネルとアウディ販売チャネルの見直しがなされ、アウディ車はアウディ ジャパンとしてアウディAGが管理する体制となった。フォルクスワーゲン車との併売であったため、価格的に売りやすいフォルクスワーゲン車販売が優先されアウディ車の戦略がなかったためアウディを分離し販売チャネルも一から構築した(フォルクスワーゲンAG傘下の8ブランドがフォルクスワーゲンブランドとアウディブランドとに大きく2分割された管理体系とされるのはのちの2002年からとなる)。
- 1970年 - 1992年:ヤナセ
- 1990年 - 1998年:フォルクスワーゲン アウディ 日本 (1996年9月からフォルクスワーゲン グループ ジャパン)
- 1998年 - 現在:アウディ ジャパン
(1990年から1992年の間はヤナセと“フォルクスワーゲン アウディ 日本”の両社が輸入権を保持していた)
アウディ車の日本での輸入元および販売がアウディ・ジャパンとなって以降も、実質的な輸入業務は引き続きフォルクスワーゲングループジャパン(VGJ)でおこなわれており、VGJの埠頭から陸揚げされVGJの整備工場で輸入整備されている。
[編集] ロールスロイス
1998年、フォルクスワーゲンAGとBMWがロールスロイス(自動車会社)の買収で競い合い、フォルクスワーゲンが獲得した。これによりフォルクスワーゲンAGはロールスロイスブランドとベントレーブランドを獲得したはずだった。しかし、ロールスロイス(自動車会社)の売却元であり、別にロールスロイス(航空機)を保有していた親会社ヴィッカーズの意向によりロールスロイスブランドの使用権はのちにBMWに決定される。フォルクスワーゲンは、最終的にベントレーだけを残し、ロールスロイスの権利はBMWに売却する。
フォルクスワーゲン グループ ジャパンは、事業部としてロールスロイス&ベントレーモーターカーズジャパン(代表ティム・マッキンレイ)を設け、ロールスロイスとベントレーを販売していた。
「ロールス・ロイス」も参照
- 2001年まで:コーンズ & カンパニーリミテッド
- 2001年 - 2003年:フォルクスワーゲン グループ ジャパン(ロールスロイス&ベントレーモーターカーズジャパン事業部)
- 2004年以降:ロールスロイス モーター カーズ リミテッド(ロールスロイス日本法人)
- 販売代理店はコーンズ・アンド・カンパニーリミテッド
[編集] ベントレー
ベントレーのみとなって以降のフォルクスワーゲン グループ ジャパンの事業部はベントレーモーターズ ジャパン(代表ティム・マッキンレイ)となった。
- 2001年まで:コーンズ & カンパニーリミテッド
- 2001年 - 現在:フォルクスワーゲン グループ ジャパン
- ロールスロイス&ベントレーモーターカーズジャパン事業部
- 現在はベントレーモーターズ ジャパン事業部
現在、コーンズ & カンパニーリミテッドはベントレーモーターズ ジャパンの正規ディーラーとなっている。ベントレー車の発表はコーンズ & カンパニーリミテッドのベントレー青山ショールームが使われることが多い。
[編集] 役員
- 1983年8月‐1994年:代表取締役社長 溝口靖人 (バンドー化学より転身。のちに豊橋創造大学教授)
- 1983年8月‐1998年:代表取締役副社長、フォルクスワーゲン・アジア・パシフィック東京事務所代表 ロバート H. ヤンソン (1980年からVWAG日本地区代表、のち独立 ヤンソン・アンド・アソシエイツ代表)
- 1994年3月 - 1998年: 代表取締役社長 佐藤満(ホンダから就任。のちゼネラルモーターズジャパン社長)
- 1997年 代表取締役副社長 ウド・シュルケ(前フォルクスワーゲンリーシングGmbH社長)
- 1998年 - 2001年: 代表取締役社長 ピーター・アンソニー・ノッカー
- 2001年7月1日 - 現在: 代表取締役社長 梅野 勉 (ホンダ(オーストラリア法人社長など)を経て入社し副社長から昇格)
- 2006年1月8日 - 代表取締役副社長 ツェーノ・ケルシュバウマー
[編集] 部門・施設
愛知県豊橋市に本社機構を置き、東京にオフィスをもつ。本社のインポートセンターでは車両整備、車両技術、車両物流、管理部門、東京オフィスには、マーケティング、広報、営業、ディーラー開発等の部門をおく。
[編集] 豊橋地区
- 車両物流部門:ディーラーからの受注へ対応し、車両の物流を担当。
- 技術・アフターセールス部門:サービス技術員のスペシャリスト育成のためのトレーニングセンターを要し、講習、研修をおこなう。
- 車両技術部門:認証取得した車は、新車整備工場(VPC:Vehicle Preparation Center)で、日本の法規・仕様に対応するよう点検、整備をおこなう。この新車整備工場は2000年にISO14001を取得。VPCで整備・点検ならびに完成検査を行った後、カーサイロとVGJがよぶ完全自動の立体自動車倉庫に保管される。14層(階)の立体倉庫で収容台数は5,352台。オートメーション・カートラック・システムとよぶ入出庫システムがあり能力は1時間に約120台。2004年には環境対応のため輸送車両のガードワックスを廃止しリサイクル可能なフルボディカバー(FBC)とした。
- 部品部門:輸入車には安定した部品の供給が求められているため、インポートセンター内に自動化されたCPD (中央部品倉庫)とよばれる部品用の自動倉庫を設置し、6万品目の収納が可能。
- 専用岸壁:自動車関連企業の輸出入が多くおこなわれている三河港に位置し、国内輸入業者として唯一の自社専用岸壁を保有している。専用ヤードから直接新車整備工場へつながっている。
[編集] 販売車種一覧
以下は年代別の販売車種の一覧で店頭発売日順。日本のみで企画された販売促進のための特別仕様車についてはその名称と限定台数も記している。
[編集] ヤナセ時代
フォルクスワーゲンが日本に資本投入する以前はヤナセが長年にわたりフォルクスワーゲンを浸透させてきた。以下には日本におけるフォルクスワーゲン販売の代表的車種のみ掲載している。
詳細は「ヤナセ」を参照
- 1954年:フォルクスワーゲン(「かぶとむし」とよばれた)
- 1975年2月:ゴルフ、フォルクスワーゲン・シロッコ
- 1977年日産とサンタナプロジェクト検討開始。サンタナはパサートセダン
- 1980年4月:初代ゴルフ カブリオ:1993年までの累計輸入数4000台超
- 1981年:ジェッタ:累計輸入数約4000台
- 1982年:サンタナプロジェクトを発足
[編集] フォルクスワーゲン株式会社
[編集] フォルクスワーゲン アウディ 日本
- 1990年4月:3代目パサート セダン(サンタナ後継)
- 1990年8月:コラード(シロッコ後継)
- 1992年4月:3代目ゴルフ
- 1992年5月:ヴェント 累計輸入数約3万7000台
- 1993年11月:バナゴン 累計輸入数約1860台
- 1994年4月:2代目ゴルフカブリオ (3代目ゴルフベース)
- 1995年6月:ゴルフワゴン:バリアントを、ワゴンとして導入。アウトドアブームの波に乗り1999年までに累計約3万5000台
- 1996年8月:ポロ、RJCインポート・カー・オブ・ザ・イヤー受賞
[編集] フォルクスワーゲン グループ ジャパン
- 1997年5月:ミニバンシャラン、1998年までの累計輸入台数1550台
- 1997年8月:4代目パサート
- 1998年8月:4代目ゴルフ
- 1999年2月:4代目ゴルフカブリオレ
- 1999年9月:ニュービートル
- 1999年10月:ボーラ
- 2002年3月25日:ベントレー・アルナージ Rの予約注文受付開始(ロールスロイス&ベントレーモーターカーズジャパン事業部)
- 2002年4月:ベントレー・アルナージ T(ロールスロイス&ベントレーモーターカーズジャパン事業部)
- 2002年5月:パサート W8 - フォルクスワーゲンブランドでの高級路線を日本で展開開始
- 2002年5月:ゴルフ R32 (4ドアモデル400台限定)
- 2002年6月14日:ポロ 4代目前期型
- 2002年7月:ロールスロイス最終モデルを販売。シルバーセラフ1台のみ、希望小売価格2970万円、およびパークウォードリムジン1台のみ、希望小売価格3490万円(ロールスロイス&ベントレーモーターカーズジャパン事業部)。
- 2002年10月1日:特別仕様車 ゴルフ イクセプト(Exzept)
- 2002年10月28日:最終生産のコンチネンタルT販売発表。限定3台。希望小売価格3995万円。
- 2003年2月1日:特別仕様車 ゴルフ アインス(Eins)。1500台。
- 2003年5月10日:ルポ GTI
- 2003年5月24日:特別仕様車 ゴルフワゴン XP。500台。
- 2003年6月:ニュービートル カブリオレ
- 2003年7月5日:特別仕様車 ルポ コスタ。500台。
- 2003年8月23日:フォルクスワーゲン輸入50周年記念モデル ゴルフ L(エル)および、L Plus(エルプラス)。
- 2003年9月2日:トゥアレグ
- 2003年10月3日:特別仕様車 ゴルフワゴン シュトラーセ。500台。
- 2003年10月3日:ゴルフワゴン GT
- 2003年11月7日:特別仕様車 パサートワゴン アクティーフ。500台。
- 2004年1月31日:特別仕様車 ポロ アベニーダ。1500台。
- 2004年4月:ゴルフ トゥーラン、2004-2005 インポート・カー・オブ・ザ・イヤー受賞
- 2004年5月:5代目ゴルフ、2004-2005 インポート・カー・オブ・ザ・イヤー受賞
- 2004年9月10日:特別仕様車 ゴルフワゴン フライハイト。500台。
- 2004年10月2日:特別仕様車 ニュービートル サルサ 発売5周年キャンペーンモデル。赤のボディと赤と黒のシート。475台。
- 2004年11月12日:パサート、パサートワゴン 新ラインアップ
- 2005年1月14日:特別仕様車 ポロ ヴィアッジョ。1500台。
- 2005年2月11日:特別仕様車 ゴルフワゴン アインス。750台。
- 2005年4月5日:特別仕様車 ニュービートル。ホワイトバージョン/ブラックバージョン。400台。
- 2005年4月9日:特別仕様車 ニュービートル カブリオレ ダークフリント。120台。
- 2005年5月14日:特別仕様車 ゴルフ トゥーラン XE。500台。
- 2005年6月4日:ゴルフ GTI
- 2005年6月21日:特別仕様車 ポロ SE(Summer Edition) キャンペーンモデル1500台
- 2005年7月12日:トゥアレグ W12 スポーツ
- 2005年9月3日:ポロフェイスリフト
- 2005年9月:ゴルフGTI DSG(ドライバー ステアリング リコメンデーション)、パドルシフト、坂道発進アシスト機能追加モデル
- 2005年10月1日:ニュービートル/ニュービートル カブリオレのデザイン変更
- 2005年11月5日:ゴルフ プラス
- 2005年12月20日:ポロ GTI
- 2006年1月25日:5代目ゴルフ R32
- 2006年2月7日:ジェッタ(ボーラ後継)
- 2006年4月11日:パサート ヴァリアント
- 2006年5月13日:ゴルフ トゥーラン 装備一部変更
- 2006年6月3日:ニュービートル クレム 特別仕様車
- 2006年7月25日:パサート ヴァリアント V6 4MOTION
- 2006年8月24日:トゥアレグ シュトルツ内外装装備一部変更
- 2006年9月2日:ポロ、1.6 スポーツライン、1.4 トレンドライン
- 2006年9月2日:クロスポロ
- 2006年10月1日:トゥアレグ W12 エクスクルーシブ
- 2006年10月31日:イオス:フォルクスワーゲン初の電動リトラクタブルハードトップ
- 2006年10月31日:ポロ 1.4 コンフォートライン:装備を充実させながら、価格を引き下げたモデル
- 2007年1月:ゴルフGT TSI
[編集] マーケティング
[編集] 施策
- 1997年1月:ウェブサイト「フォルクスワーゲン ワールド」を開始。ドメインvwj.co.jp。
- 1999年4月:イサイズとのインターネット経由での販売経路を模索
- 2000年11月からブランドキャンペーンを開始
- 2001年1月からフォルクスワーゲンが全世界で展開している店舗CIを導入
- 2002年4月:ウェブサイト名を"Volkswagen Interactive"とし、ドメインをwww.volkswagen.co.jp に変更
- 2002年9月:インターネットラジオ 「VWeb Radio」(ヴィーウェッブ レディオ)を開始(~2006年3月)
- 2006年5月から7月の3か月間フォルクスワーゲン ”真価を体感!“ 試乗キャンペーンを実施
- 2007年1月から3月まで、7年連続輸入車シェアトップ達成を記念して、“Thanks7 キャンペーン”を実施
[編集] イベント
ユーザーイベント フォルクスワーゲン フェスト:「フォルクスワーゲン」をより身近に感じてもらうためにVGJが主催するフォルクスワーゲン車所有者のためのイベント。
- 第1回:2000年8月 - ツインリンクもてぎ
- 第2回:2001年9月 - 富士スピードウェイ
- 第3回:2002年9月 - 富士スピードウェイ
- 第4回:2004年5月 - ツインリンクもてぎ
- 第5回:2006年7月 - ツインリンクもてぎ
モーターショー出品
- 2005年11月の第4回 大阪モーターショーでポロGTI、パサートワゴン、ジェッタ(以上参考出展車両)ゴルフGTI、ゴルフ プラス、トゥアレグを展示。
[編集] モータースポーツ
レース運営組織、フォルクスワーゲン・トロフィー・アソシエィション(VTA)が主催するレース
- フォルクスワーゲン レーシングカップ 1999年
- ワンメイクレース
- ニュービートル カップ ジャパン 2000年
- ルポ GTI カップ ジャパン 2003年、2004年
- ゴルフ GTI カップ ジャパン 2005年、
- フォルクスワーゲンレーシング サーキットトライアル
- 2003年、ソニー・コンピュータエンタテインメント制作子会社のポリフォニー・デジタルがプレイステーション2用ゲームソフトグランツーリスモ3の筑波サーキット版としてルポGTIカップを素材にしたドライビングスキル トレーニングソフト『グランツーリスモ ルポカップ トレーニングバージョン』を制作。ルポ GTI カップ参加者全員にソフトが配布され、プレイステーション2本体とステアリングコントローラが貸与された。
[編集] スポンサー
[編集] スポーツ
- サッカー:2001年からジュビロ磐田のスポンサーとなり、2002年9月からはユニフォームパンツの広告スポンサーとなりフォルクスワーゲンロゴが左腿部分に入った。2005年で終了した。
- 野球でのKONAMI CUP アジアシリーズ2005での最優秀選手賞受賞者にフォルクスワーゲン「ニュービートル」1台を提供。
- 国際卓球オープン アジア地区大会のタイトルスポンサー、日本大会「フォルクスワーゲンオープン・荻村杯」協賛
[編集] その他
- フォルクスワーゲン全車種担当の広告代理店は、ファロンが2006年以降担当している。
- フジテレビジョン製作、岩井俊二監督の1995年の映画Love Letterで“フォルクスワーゲンアウディ日本”として製作協力している。
[編集] ディーラー
フォルクスワーゲン アウディ 日本が直接販売に乗り出すために、「ファーレン」という名称をつけ日本各地の既存の自動車ディーラーをベースにフォルクスワーゲンのディーラー網を構築した。関東地区ではジヤクス(JAX)を傘下にしヤナセ撤退後の関東地区を補充し、ファーレン東京とした。1992年5月からはトヨタ自動車が自社ディーラーでDUOでフォルクスワーゲンとアウディを販売した。1998年12月アウディ ジャパンの設立により、フォルクスワーゲンとアウディの販売は分離されたが、ディーラーのなかには、新たにアウディ ジャパンと契約しアウディのディーラーを別途設立することで、企業体としてはフォルクスワーゲンとアウディの販売を継続したところもある。2001年1月からの新CI導入と同時に、ファーレンの名称がフォルクスワーゲンに変更された。すべてが変更されたわけではなく、一部では引き続きファーレン名で活動しているところがある。2002年時点ではファーレンが99拠点、DUOは143拠点だった。
「DUO (フォルクスワーゲンディーラー)」も参照
- 1999年4月:リクルートのイサイズ経由で顧客をファーレンとDUOのディーラー網へ誘導することにより5年後には販売の25%をインターネット経由からとしたいと考えた[2]が、これは実現しなかった。2005年、ヤナセがヤナセヴィークルワールドでディーラーとして復帰。
[編集] イベント
- フォルクスワーゲン ディーラー パフォーマンス コンテスト:1995年の「第1回:サービス技術コンテスト」からはじまるディーラーにおける日常業務の習熟度を競い合うコンテスト。当初はそれぞれ別のコンテストだったが2005年から一本化し、サービステクニシャン部門、セールス部門、アドバイザー部門に分かれて競われる。新車検討、購入、アフターサービスの各フェーズにおいて、正規ディーラーのCS(顧客満足)向上を目指しておこなわれている。
- Volkswagen Sales Talk Cup:ディーラーのセールススタッフを対象とした育成とモチベーション アップを図る。1999年より開始。
- フォルクスワーゲン アフターセールス技術コンテスト:メカニック部門、サービスアドバイザー部門、パーツ部門
[編集] 年表
[編集] 1950年代
- 1953年:ヤナセがフォルクスワーゲンを輸入し、1954年から正式な販売権(日本全国販売権)を取得し販売していた。
[編集] 1980年代
- 1983年7月:フォルクスワーゲン株式会社を東京に設立する。[3]
- 1983年:VWブランド輸入累計20万台
- 1984年:日産自動車がサンタナの生産販売を開始した。
- 1989年8月:“フォルクスワーゲン アウディ 日本株式会社”(略称:VAN)に社名変更する。輸入販売権を取得。[4]
- 1989年:VWブランド輸入累計30万台
[編集] 1990年代
- 1990年2月:千葉県千葉市に本社を置く株式会社ファミリーの松戸店がファーレン松戸店となりファーレン店第1号となる。
- 1990年4月:愛知県豊橋市にインポートセンター建設用地を取得。
- 1990年8月:バンズ ファイナンス 株式会社設立。オートローン、オートリース、クレジットカードの発行・運営、ディーラー向けファイナンス業務。
- 1990年11月:系列販売店をオープン。この時点では店舗名はファーレンに統一されていなかった。
- 1991年3月:“フォルクスワーゲン アウディ 日本株式会社”は日本自動車輸入組合(JAIA)に加盟し、フォルクスワーゲン車の輸入を開始する。この時期はヤナセも正式輸入業者であり併売されていた。
- 1991年4月:専用埠頭への入港開始。フォルクワーゲンAG、トヨタ自動車、フォルクスワーゲン アウディ 日本の販売提携合意。
- 1991年:VWブランド輸入累計40万台
- 1992年5月:愛知県豊橋市に本社を移転。アウディ車の輸入も開始する。トヨタがフォルクスワーゲン・アウディ車販売店鋪DUOをオープン。ヤナセ、ファーレン、DUOの3販売チャネルとなる。
- 1992年12月:ヤナセはフォルクスワーゲンの輸入販売を終了しアフターサービスのみ継続した。「ファーレン店」とトヨタ系の「DUO店」の2販売チャネルとなる。
- 1992年12月:バブル崩壊で赤字となっていたジヤクス(JAX)の株の過半数を取得しヤナセの撤退で穴が開いた関東地区のディーラー網を拡充する。このときジヤクスはルノーを輸入販売するインポーターだった。
「フランス・モーターズ」も参照
- 1993年5月:インポートセンター本格操業
- 1993年:販売拠点100店舗
- 1995年:VWブランド輸入累計50万台
- 1996年4月:VAN累計10万台
- 1996年9月:“フォルクスワーゲン グループ ジャパン 株式会社”と社名変更する。
- 1996年:販売拠点200店舗
- 1997年1月:ウェブサイト「フォルクスワーゲン ワールド」を開始。ドメインvwj.co.jp
- 1997年12月:アウディAGによるファーレン東京株式会社の公開買付を実施
- 1997年:VWブランド輸入累計60万台。VAN/VGJ累計20万台(含むアウディ)。
- 1998年2月:ファーレン東京株式会社の公開買付終了しアウディAGが88.55%の株式を取得。
- 1998年4月1日:ファーレン東京がアウディ ジャパン 株式会社に商号変更し業務開始。アウディ車販売は分離される。別途、ドイツフォルクスワーゲングループ100%出資の販売会社が新たにファーレン東京として設立され、以前のファーレン東京株式会社の業務内容は営業譲渡され、全販売拠点並びに全従業員を引き継ぎ、営業を開始する。
- 1998年4月:フォルクスワーゲン アウディ パーツセンター(VAPC)を設立する。認定中古車制度開始。
- 1998年12月:アウディAGがアウディ ジャパンの全株式を取得する。
- 1999年:林文子がビー・エム・ダブリュー東京新宿支店長からファーレン東京の社長に就任し、バブル時に投資した不動産の借入が本業を圧迫していたファーレン東京を1年後に黒字にした。
[編集] 2000年代
- 2000年:VWブランド輸入累計70万台。VAN/VGJ累計30万台(含むアウディ)。
- 2001年1月1日:ファーレン東京がフォルクスワーゲン東京株式会社に社名変更。
- 2001年1月:ヤナセがアウディジャパンと契約しアウディ車販売を再開。
- 2001年1月:ロールスロイス&ベントレーモーターカーズジャパン事業部(のちベントレー モーターズ ジャパン)が東京オフィスで営業開始
- 2001年:ロールスロイス&ベントレーモーターカージャパン事業部販売台数90台
- 2002年:ロールスロイスとベントレーの輸入を開始。以前はコーンズ & カンパニーリミテッドが扱っていた。ロールスロイスはBMWとの関係で2003年で終了し、2004年からロールスロイスモーターカーズリミテッドに移る。ベントレーは継続。[5]
- 2002年1月1日:価格改定
- 2002年4月:ウェブサイト名を"Volkswagen Interactive"とする
- 2002年9月:インターネットラジオ 「VWeb Radio」(ヴィーウェッブ レディオ)を開始
- 2002年10月:アウディ ジャパンはヤナセとの合弁でヤナセアウディ販売株式会社を設立
- 2002年12月27日:ドメイン名をvwj.co.jpからvolkswagen.co.jpにドメイン名変更
- 2002年:国内年間新車登録台数過去最高の61,121台を記録
- 2003年1月31日:ベントレーモータース ジャパン事業部が、コンチネンタルGTを日本でプレビュー
- 2003年:VWブランド輸入累計90万台。7月23日VAN/VGJ累計50万台(含むアウディ)。
- 2003年:日本販売50周年を記念。
- 2003年9月:純正部品・アクセサリーの保証期間を従来の1年から延長し2年保証とする
- 2005年:ヤナセが100%子会社「ヤナセヴィークルワールド株式会社」を2004年に設立し、フォルクスワーゲン グループ ジャパン との契約の元でフォルクスワーゲン車の販売を再開した。
- 2005年6月:VWブランド輸入累計100万台。豊橋インポートセンターで記念式典を開催。
[編集] 参考・注記
- ^ い ろ は に ほ 日本自動車輸入組合(JAIA) 資料室 - インポーターの変遷
- ^ Japan Internet Report No. 37 April 1999
- ^ [1]には設立年月日として1983年(昭和58年)7月(フォルクスワーゲン 株式会社)
- ^ [2]には、「フォルクスワーゲングループジャパン株式会社は、フォルクスワーゲングループの日本法人として、フォルクスワーゲンAGの100%出資のもとで1989年に設立されました。」と上記と異なる記述もある。
- ^ [3]
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年8月4日 (火) 01:11 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【フォルクスワーゲン グループ ジャパン】変更履歴

