フォード/シムカ・ヴデット
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フォード/シムカ・ヴデット(Ford/Simca) Vedette)はフランス・フォードおよびその吸収合併先のシムカが1948年から1961年まで生産した大型乗用車である[1]。
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[編集] 概要
[編集] フォード・ヴデット(1948-54)
1948年のパリサロンに登場。
フェンダーを車体に一体化させた、1949年型マーキュリーを小型化したような車体はフォードのアメリカ本社側によるデザインであり、サスペンションも49年型マーキュリー同様に、前輪ウィッシュボーン式独立懸架、後輪縦置き半楕円リーフスプリング支持の固定軸とされて、米欧を通じたフォード車の近代化を反映した。
一方エンジンは戦前からフランス・フォード車(マットフォード)に搭載されていたサイドバルブV型8気筒2158ccのいわゆる「フラットヘッド」Flatheadエンジンが搭載された。
ボディスタイルは4ドア・ファストバックセダン、4ドアセダンのルーフと後窓部分をオープンに出来る「サンライナー」、2ドアのクーペとカブリオレが用意された。1950年と1952年にはマイナーチェンジを受け、1952年の変更ではファストバックスタイルを取りやめて準ノッチバック型の形態に変更、フロントガラスが1枚物となり、3923ccエンジンを持つ上級モデル・「 Vendôme」と、5ドアワゴンの「Abeille」が追加された。
改良は重ねられたものの、仏フォードの主力工場であったポワジー工場は、戦災で大きな被害を受けていたため復興が遅れ、ヴデットの各部分は多くの下請工場で生産されたことから、その品質はなかなか安定しなかった。また、大規模なストライキも頻発し、売れ行きも期待を下回るものであった。このため、フォード本社はついにそのフランス拠点を売却することになった。
同時期に小型車のシムカ・アロンドで成功し、生産拠点の拡充を急いでいたシムカの創業者アンリ・ピゴッツィ Henri-Theodore Pigozziがこれに応じた。シムカは開発が進んでいたヴデットの新型車の製造権も獲得し、ヴデットは引き続き生産された。ドイツ・オランダ・スウェ-デンなど一部の輸出先では、その後も1956年頃までフォードブランドのまま販売された。
後期モデルは1954年の映画「現金に手を出すな」に、ジャン・ギャバン扮する主人公の老ギャングの愛車として登場した[2]。
[編集] シムカ・ヴデット(1954-61)
1954年6月にフォード・フランスを買収したシムカは、直ちにヴデットを開発が進んでいた新型にモデルチェンジし、シムカのブランドで発売した。
新型車はよりオーソドックスな4ドア・ノッチバックのセダンで、同時期のアメリカ製フォード車によく似た、典型的なアメリカ資本メーカーの欧州生産車のスタイルとなった[3]。エンジンは依然としてFlatheadと呼ばれたサイドバルブ式V8が用いられ、排気量2351cc(課税馬力13CV)で2バレルキャブレターを装着し、最高出力は80馬力であった。
画期的であったのは前輪サスペンションで、ジェネラル・モーターズからフォードに転じた技術者アール・マクファーソン(Earl S. MacPherson)が発明し、今日でも広く用いられている「マクファーソン式ストラット独立サスペンション」が初めて採用された。このコンパクトなサスペンションシステムは、イギリス、西ドイツにおける欧州フォード車に次ぐ採用であり、当時では進んだ設計と言える。
アロンドでの成功を受けて、シムカはヴデットでもグレード別に様々なサブネームを付けて販売した。ベーシックモデルはシムカ・トリアノン(Trianon)、その上はヴェルサイユ(Versailles)、最上級モデルはレジェンス(Régence)と呼ばれた。スライディング式のガラスサンルーフが「Vistadome」の名でオプション設定されていたことが当時としては斬新であった。シムカとなってから販売も徐々に増加し、フォード時代の日産150台は250台ペースにまで増加した。
シムカはアメリカ式にヴデットのニューモデルへの小変更を毎年行った。1956年には5ドアワゴンの「マーリイ(Marly」が追加され、セダンもナンバープレート取付方法変更、 珍しいペダル式のウインドーウオッシャーの追加、トリップメーターや上級モデルへの座席のセンタアームレストの追加などが行われた反面、トリアノンはバンパーガードや窓枠のモールが廃止されて簡素化された。1957年には自動クラッチのオプション設定やステアリング・ブレーキの改良が行われ、外観もバッジ類などが変更された。
1957年4月からはヴデットの車体にアロンド用の1300cc4気筒エンジンを搭載した廉価版・アリアーヌ(Ariane)が発売されていたが、10月にはV8エンジンを搭載した「アリアーヌ・8」が追加され、「トリアノン」と交代した。
1958年にはボディデザインが一新され、アメリカ車の流行を追って大きなテールフィンが採用され、フランス車としては例外的に、一層アメリカ車的な雰囲気を強めた。エンジンは84馬力に強化されたが、依然旧式なサイドバルブ式であった[4]。ただし、アリアーヌとアリアーヌ8は新ボディには移行せず、そのまま1963年に1300/1500が登場するまで生産された。
新ボディとなってグレード別のサブネームは新しくなり、「ヴェルサイユ」は「ビューロー(Beaulieu)」、「レジェンス」は「シャンボール(Chambord)」となった。ワゴンは引き続き「マーリイ」と呼ばれた。
1959年には「Rush-Matic」と呼ばれる自動変速機が選択可能となった。このオートマチックは自動変速する「Rush」モードと、手動変速の「Road」モードが切り替え可能という、当時としてはユニークなものであった。また、最上級モデルとして「プレジデンス(Présidence)」が追加された。これはコーチビルダーのアンリ・シャプロンが製作するスペシャルモデルで、ヨーロッパ初の自動車電話や、コンチネンタル・マウントのスペアタイヤを備えていた。その後も小変更を受けつつ、1960年秋に「ビューロー」は中止されたが、その他の車種は1961年夏まで生産された。
[編集] 生産台数
シムカとなってからの毎年の生産台数は下記の通りある。
- 1955年 - 42,439台
- 1956年 - 44,836台
- 1957年 - 17,875台
- 1958年 - 28,142台
- 1959年 - 15,966台
- 1960年 - 13,914台
- 1961年 - 3,813台
合計で173,288台となるが、ブラジルではその後も生産続行され、シムカがクライスラー傘下に入るとシムカ・エスプラナーダと改名して1969年まで作られた。
アリアーヌは1963年までに166,363台が生産された。
1950年代の日本にもヴデットはシムカの輸入代理店の国際興業によって輸入され、ハイヤーや社用車などにも用いられていた。
[編集] 脚注
- ^ Vedette は、日本の文献では「ヴァデット」と表記される場合もある。
- ^ これを見た主人公の相棒が「新車かい?」と問う台詞もあり、主人公の金回りの良さが、当時のフランスでは比較的高価なクラスの自動車であるヴデットを買えることで示唆されている。劇中、強奪された金塊に関わる深夜の駐車場での名シークエンスでは、ギャバンがトランクリッドを開くくだりも見られる。
- ^ このデザインは当時の日本の自動車メーカーにも影響を与えた。1957年にデビューした最初のプリンス・スカイラインのサイドビューは、このモデルとその廉価版「アリアーヌ」のそれに酷似しているとして、同車が輸出され初めてパリサロンに出展された際に、フランスのジャーナリズムから批判を浴びた。
- ^ フォードは保守的な社風があり、本国アメリカでも1932年に開発されたサイドバルブ式の3.6リッター初代V8エンジンに長く固執していた。1935年からは2.2リッター級の小型V8も廉価版として投入したが、1941年にはアメリカ本国の廉価版エンジンを直列6気筒に変更し、排気量増大で延命されていた主力の初代大型V8も、1954年にY-ブロックと呼ばれたOHVの新型V8エンジンに置き換えられている。一方、シムカは1950年代後期以降も新しい多気筒エンジンを開発せず、合併前のフォード設計の小型サイドバルブV8を出力増強のみで使い続けた。
最終更新 2009年7月18日 (土) 08:19 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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