フォーミュラ・ニッポン
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全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(Japanese Championship Formula Nippon)は、1996年(平成8年)から日本で開催されている自動車レースの1カテゴリー。JAF略称はJAF-F3000(2010年からは「FN」に変更される[1])、レース格式は国際。フォーミュラカー(オープンホイール)を使用した四輪レースで、日本最高峰かつ独自のカテゴリーである。
“日本一速い男 決定戦”とも呼ばれ、レース専門誌やファンの間では「Fポン(エフポン)」・「FN(エフエヌ)」などと略される。
目次 |
[編集] 概要
日本レースプロモーション(JRP)を運営母体とし、日本自動車連盟(JAF)公認の下、全日本F3000選手権を引き継ぐ形で1996年にスタートした。
当時、国際F3000がレギュレーション変更によりワンメイク化されたのに対し、国内レース関係者はこれを良しとせず、発足当初は従来のF3000レギュレーションを継続。1999年より新しい国際F3000の安全基準のみを取り入れ、車両規則は独自のレギュレーションを規定した。
シリーズの運営母体であるJRPは、フジテレビが大株主で[2]、設立以来フジテレビから社長が派遣されシリーズ運営を行ってきたが、2004年7月に大規模な役員の入れ替えが行われ、ツインリンクもてぎ取締役(当時)の野口幸生が社長、元F1ドライバーの中嶋悟が会長にそれぞれ就任した。なお2008年10月現在、JRPの大株主にはフジテレビの他に本田技研工業[3]がいる。
[編集] マシン
- 発足当初は旧全日本F3000を受け継ぐ形で、レイナード、ローラ、童夢がシャシーを供給していたが、JRPがフォーミュラ・ニッポン専用マシンの供給を打診したところ、1999年より、ローラ、レイナード、Gフォース(現 パノス)の3メーカーが専用シャシーの供給を開始した。しかし、ローラとGフォースの戦闘力不足もあってレイナードの実質ワンメイク状態へと年を経るごとに変化した。
- ところが2002年にレイナードが倒産したため、2003年からローラのワンメイクとなり、3年毎にシャシーが更新されることになった。2006年はシャシー更新の年に当たり、引き続きローラ製の新型シャシー「 FN06(B06/51)」が使われることになった。この「FN06」は、前年度まで使用されていた「B351」の正常進化形であり、モノコックについては変更部が認められないものの、新エンジンの搭載に伴う出力の増大と低重心化に対応して各ユニットを再設計している。
- また、これまで変速にはシーケンシャルシフトが採用されていたが、走行時に「FN06」のステアリング操作が極端に重くなることや、よりハイレベルな攻防を可能にするため、2009年に予定されていたパドルシフト(ザイテック社製)の導入を2008年に前倒した。
- 2009年からは後述の通り、スウィフト・エンジニアリング社製のシャシー「FN09(017.n)」が導入される。
- 旧全日本F3000と同様に3,000cc V型8気筒(9,000rpmでリミッターが作動)がそのまま用いられ、無限(現 M-TEC)のMF308、コスワースのDFV(一時期ACも使用された)、ジャッドのKVなどが当初は使用されたが、コスワースとジャッドは2年足らずで淘汰されてしまった。その結果、1999年 - 2005年までは無限MF308の事実上ワンメイクとなっていた。
- しかし、その無限MF308も供給を続ける事が困難になってきたため、2006年からトヨタとホンダが、インディ・レーシング・リーグ(IRL)用のエンジンをベースとした専用のエンジンを設計(3,000cc V8は変わらず、リミッターの設定は10,300rpmに引き上げられた)及び供給することとなった。
- 2006年から2008年のエンジン使用勢力図は、日産系のIMPUL等がトヨタエンジンを選択したり、トヨタ系の新規参入チーム(TOM'SやINGING 等)が増えた事もあって、トヨタエンジンを使用するチームが多数派を占めている。なお、各チームは3年間同一メーカーのエンジンを搭載することに決められている。成績面においては、2007年シーズン序盤までは特に燃費面でトヨタエンジンの優位が目立ち、結果として上位の成績をトヨタユーザーが独占する状態になっていたが、シーズン中盤からはホンダエンジンを搭載するNAKAJIMA RACINGの巻き返しが見られた。
- 2009年シーズンからはSUPER GTのGT500クラスと基本設計を同じくする3,400ccのエンジンがトヨタとホンダから供給された[4]。また、レブリミットを一時的に10,700rpmまで引き上げるオーバーテイクボタンが導入された。
- 初年度はブリヂストンと横浜ゴムが供給していたが、レース費用低減を図るため翌1997年からのワンメイク化が決定。コンペティションの結果、ブリヂストンが独占供給することとなった。尚、現在はレギュレーションでタイヤメーカーは1メーカーのみと定められている。
- 土曜日の予選から日曜日決勝までに一人のドライバーが使えるタイヤはドライ、ウェット各4セットずつと定められている。ドライタイヤにはスタンダードコンパウンドとソフトコンパウンドの2種類があり、ツインリンクもてぎ以外ではスタンダードが供給される。なお、2007年シーズン途中に2008年スペックのタイヤが前倒しで供給され、耐久性、グリップともに向上したタイヤが用いられることとなった。
- ウェットタイヤは1パターンのみであるが「ステルスパターン」と呼ばれる溝により、磨耗が進むと路面との接地面積が増え、インターミディエイト的な使用も可能となる。
[編集] チーム名
シリーズ発足に際し、多くのファンに親しみを持ってもらうために全エントラントは、従来使っていたエントラント名や車名(スポンサー+マシン)ではなく、野球やサッカーで一般的な“チーム名”を使用することになった。これはレース界で初の試みである。
[編集] 2009〜2011 JRP中期計画
JRPは、2007年8月26日に「2009〜2011 JRP中期計画報告会」を開催し、2009年以降の基本方針および新規導入車両を発表した。これはシリーズのさらなる活性化を目指して、新たな取り組みを開始するものである。
- 基本方針
-
- 世界から目標とされるシリーズの構築
- ファンの満足度アップとなる、最も面白いレースの提供
- 新シャシー、新エンジンの導入
- 新規レースの調査・研究(市街地レース、オーバルレース)
- ハイブリッド、水素、バイオエタノールなどの環境に配慮したエンジンの研究
- 大会数は最大で国内10戦・海外1戦とし、パシフィックエリア開催を目指す
- 車両(スウィフト・エンジニアリング社製)
-
- 日本独自のカテゴリーとして、今までにない斬新なデザインの追及(先進性と変化)
- よりスリリングなレース展開が可能な車両
- 最低3年間使用可能な安全性と耐久性の確保
| FN09(新型車両) | FN06(現行車両) | 備考 | |
|---|---|---|---|
| 全長 | 4,775mm | 4,667.5mm | |
| ホイールベース | 3,000mm | 3,000mm | |
| 車両最大幅 | 2,000mm | 1,800mm | 車両中心線からタイヤ外側まで実測で1,000mm以内 |
| 車体最大幅 | 1,600mm | 1,450mm | ウイングを除く、ボディワークの最大幅 |
| フロントウイング幅 | 1,800mm | 1,450mm | |
| リヤウイング幅 | 1,220mm | 1,000mm | |
| 車両重量 | 670kg | 666kg | ドライバー搭乗時 |
| 燃料タンク容量 | 115リットル | 135リットル | 車体サイドに設ける給油口から給油可能な最大値 |
| ミッション | リカルド社製6速 | ヒューランド社製6速 | 共にパドルシフト |
| ブレーキ | PFC社製6ピストン | ブレンボ社製4ピストン | |
| フロントタイヤ | 235/55R13 | 235/55R13 | |
| リヤタイヤ | 340/620R13 | 340/620R13 | |
| 安全基準 | 2006年F1に基づく | 2002年インターF3000に基づく |
- エンジン
-
- より多くのエンジンメーカーが参加しやすいレギュレーションを確立する
- 現状の音量規制を遵守し、且つ、より魅力のある音を追求する
- 目標出力600hp以上
- 3.4リッター、V型8気筒
- 最低重量120kg
- 3レースで使用できるエンジンは1基とする
- オーバーテイクボタンの搭載
| 新型エンジン | 現行エンジン | 備考 | |
|---|---|---|---|
| 排気量 | 3,400cc | 3,000cc | |
| 出力 | 600/hp+α | 550/hp | |
| 気筒数 | V型8気筒 | V型8気筒 | バンク角90° |
| 吸気 | 自然吸気 | 自然吸気 | |
| 重量 | 120kg | 127kg | エアボックス、エアフィルター込み |
| 回転数制限 | 10,700rpm | 10,300rpm | |
| 回転数制限方式 | ECU | ECU |
上記の2009年シャシー及びエンジンのスペックを見る限り、ハード面での大幅なパフォーマンスアップが期待される。また、エンジンに関しては2009年からのSUPER GTのGT500クラスと基本設計は同じものを使用する。
[編集] レース形態
2000年からレース途中のタイヤ4輪交換を義務付ける事で、レース中のエンターテイメント性を高め、チームとドライバーにはレース戦略の構築を求めるようになった。2003年からローラのワンメイクになるにあたり、レース距離は変えずに「再給油」を導入したが、レース途中で再給油せずにレースを走りきってしまう場合があったため、2004年からレース距離をそれまでの200kmから伸ばし、さらに2005年からはF1とほぼ同じ「300km」とした。これにより無給油でレースを走りきれないようになったはずだったが、実際には無給油で走りきってしまうチームが続出した。また、ピット作業の人数を制限したこと、後にタイヤ4輪交換の義務を無くしたことで、前後いずれかのみ、または左右いずれかのみの2本を交換する事でピットインの時間を短くする戦略も生まれた。
2004年にはマレーシア(セパンサーキット)で初の海外戦を行ったが、現地のオーガナイズに問題が多く、通常国際格式で行われるはずのレースがなぜか準国際格式で行われたほか、レースの賞金の支払を巡るトラブルも発生した。2005年もセパンでのレース開催を予定していたが、現地オーガナイザーとの交渉が決裂し開催は中止されている。2000~2002年にはスカラシップとしてアジアのドライバーをシリーズに招き入れるなどの制度を実施していたが、その試みは3回のみで中断している。
2007年にはレース距離を最短230kmから最長300kmまで幅を持たせたり、ピットインの義務づけをなくしたりとレースにバラエティをもたせる試みがなされた。また第3戦ツインリンクもてぎではスペシャルステージ制の予選が行われた。
2008年は、第5戦(鈴鹿サーキット)と第6戦(ツインリンクもてぎ)と第7戦(富士スピードウェイ)で2レース制を採用。2レース目のグリッドは第1レースの上位8台がリバースグリッド、9位以下は第1レースの着順のままとなる。また2レース制の導入によりポイントシステムが変更された。予選システムに関してはF1でも採用されているノックアウト方式の予選が採用された。
2009年は参戦コスト抑制を目的に大会日程を3日間から2日間に短縮。前年採用した2レース制やリバースグリッドは採用せず、レース距離も最長250kmに短縮された。なお、予選は前年同様ノックアウト方式であるが、エントリー数の減少もあって予選順位の配分が変更された。
[編集] 運営に関する論議
これまでの全日本F2及び全日本F3000は、中嶋悟、鈴木亜久里、片山右京といった日本人だけでなく、エディ・アーバインやハインツ=ハラルド・フレンツェンなど多数のF1ドライバーを輩出したカテゴリーであったが、ヨーロッパ(FIA)との地理的な関係や、複数のシャシーメーカーとタイヤメーカー(ブリヂストン、横浜ゴム、ダンロップなど)が使用されるなど、規格は欧州的でも日本独自の世界観があったため、1996年からの新F3000レギュレーション移行に難色を示す参加チームが続出したことが「フォーミュラ・ニッポン構想」の発端である[要出典]。
しかし、日本独自のレギュレーションと興行の必要性については、おおよその一致が見られたものの細部については激烈な議論が交わされ、後々までその遺恨が尾を引いた。
- 旧F3000レギュレーションを尊重し、各チームのマネジメント力、エンジニア力の競争を重視する。そうしないと「競争性」が失われるか、コスト上昇の一途をたどるばかりである。また、若いドライバーの育成はモータースポーツ文化の醸成のためには必要であり、これを支援する。(ノバエンジニアリング・森脇基恭など)
- この際、各チームがそれぞれのコンストラクト力を競う形にし(その方がマネジメント力、エンジニア力も培われる)、クルマの競争を前面に出す。「日本のクルマ」が競わないから、モータースポーツ文化が根付かない。(童夢・林みのるなど)
といった主張がみられ、概ね前者が主流となり、後に童夢はシリーズから撤退した。
また、「ドライバーやバトルは高レベル」と評されるものの、興行としては現在に至るまで苦戦続きで、1戦当たりの観客動員数(JAF発表による)も2000年の平均42,340人から2008年には平均27,112人にまで減少しており[5]、観客数の長期低落傾向には依然歯止めがかかっていない。
フジテレビは「フォーミュラ・ニッポン構想」を支援し、特に「スタードライバーの創出」に力を注いだ。特に初年度は、当時大きな期待を寄せられていた高木虎之介のチャンピオン獲得を大いに煽っていたきらいがあり、「偏向報道」のレッテルを貼られた。ドライバー育成重視については「ドライバーを育成しても、残留して同レースを盛り上げることをしないわけだから(特に初期はF1やチャンプカー・IRL等へのステップアップを奨励していた)、ドライバーばかりに目を向けての運営には無理がある」との批判がある[要出典]。
近年では、当カテゴリーを経由してF1にステップアップする者が激減し、F1直下のカテゴリとしてGP2がステップアップ機能を大きく発揮している。また、佐藤琢磨や中嶋一貴らのように海外に活動拠点を移し、トップフォーミュラを目指す日本人ドライバーが続出していること(実際トヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム(TDP)のように、自動車メーカー自身が海外へのドライバー派遣を積極的に推し進めている)、さらにSUPER GTの興隆が著しいことなどから、2009年以降の大幅な運営方針の変更が行われることとなった。
[編集] スポンサー
[編集] シリーズパートナー
シリーズを支援する企業を“シリーズパートナー”と呼び、初年度には6社が名を連ねた。しかし、経済状況の悪化やシリーズの人気低迷もあって2007年には2社にまで減少。2008年より3社となった。
- ブリヂストン(1996年 - )
- ホンダ(1996年 - )
- ポニーキャニオン(1996年 - 1997年)
- マイルドセブン(日本たばこ産業、1996年 - 2000年) ※2000年の第1戦のみ「キャビン」
- ミリオンカード(1996年 - 2002年) ※2002年は「UFJカード」
- 神奈川クリニック(1996年)
- 鹿島建設(1997年 - 2006年)
- ウイダーinゼリー(森永製菓、2000年 第6戦 - 2002年)
- トヨタ(2008年 - )
[編集] シリーズサポーター
2005年より“シリーズサポーター”と呼ばれる企業が新たに支援に加わっている。
- 奥の松酒造(2005年 - 2007年)- 同社のスパークリング日本酒「奥の松 純米大吟醸FN」が、2000年- 2007年まで表彰式のシャンパンファイトに使用された。
- オートバックス(2006年 - 2008年)
- 人気酒造(2008年 - )- 2008年から同社のスパークリング日本酒「人気一 スパークリング純米大吟醸」が表彰式に採用された。
[編集] 冠スポンサー
1997年のシリーズ後半(第6 - 10戦)にプレイステーションが冠スポンサーとなり、シリーズ名称が「全日本選手権プレイステーション フォーミュラ・ニッポン」となった。なお、シリーズが発足して以降、冠スポンサーが付いたのはこの時のみである。
- プレイステーション(ソニー・コンピュータエンタテインメント、1997年 第6 - 10戦)
[編集] テレビ中継
1995年に全日本F3000の全戦放映権を得たフジテレビが、フォーミュラ・ニッポン移行後も引き続き全戦放映権を持ち、2005年まで同系列で決勝当日の深夜に録画中継を行っていた。しかし、視聴率の低迷からフジテレビとJRPは、地上波での全戦録画中継を2005年限りで打ち切ることで合意。代わりにモータースポーツに関する総合情報番組として『モタ・スポ!』を開始し、その中でフォーミュラ・ニッポンに関する情報を扱った。
CS放送(スカパー!、スカパー!e2)やケーブルテレビでは、J SPORTSによる決勝の生中継が行われ、2005年まではフジテレビの地上波テレビ中継用の実況音声が用いられていたほか予選も中継されていたが、フジテレビの地上波中継打ち切りに伴い、2006年からはサーキットの場内FM放送「Pit-FM」などの実況音声を用いる形に変更され、予選の中継も廃止された(2008年現在は決勝の中継の直前に予選ダイジェストが放送されている)。この他、フジテレビ739では2004年から2008年3月まで専門情報番組『フォーミュラ・ニッポンTV』、BSフジでは2007年から『Fナビ!』が放送されている。
2007年は現地映像をJ SPORTSのスタジオで受け、実況・解説を付けるスタイルをとっていた。そのため解説者が中継のない土曜日の予選を現地で観戦した場合、日曜日はサーキットを離れてスタジオに入っていた。2008年は現地での実況・解説に戻り、解説は光貞秀俊が全戦を担当した。
2009年はJ SPORTSによる決勝中継(生中継5戦、同日録画中継3戦)の他に、テレビ東京の『激走!GT』でも全戦の模様を取り上げた。
[編集] その他
[編集] イメージソング
様々なアーティストの楽曲が、シリーズ毎のイメージソングとしてテレビ中継で使用され、サーキットでミニライブが行われることもあった。2005年以降、イメージソングは制定されていない。
- 大和撫子スーパースター/B'dash (1996年)
- DANSICK/BRANDIE (1997年)
- Hi/B'z (1998年)
- YOU MAY DREAM/GLAY (1999年)
- せつなさよりも遠くへ/SIAM SHADE (2000年)
- You'll be the champion/TUBE (2001年 - 2003年)
- Wheel of fortune/T.M.Revolution (2004年)
[編集] イメージガール
- 1996年 (「フォーミュラ・ニッポン・ガールズ」と呼ばれた)
- 川嶋美代子、白川展子、萩原圭、渡辺由紀
- 1998年
- 2003年
- 佐藤愛
- 2004年
- 竹之内ゆりあ、丹治さやか、永井めぐみ、長谷川希
- 2005年
[編集] 歴代チャンピオン
| 年 | ドライバーチャンピオン (所属チーム) |
チームチャンピオン |
|---|---|---|
| 1996年 | (X-JAPAN Racing Team Le Mans) |
X-JAPAN Racing Team Le Mans |
| 1997年 | (SHIONOGI TEAM NOVA) |
SHIONOGI TEAM NOVA |
| 1998年 | (LEMONed Racing Team Le Mans) |
LEMONed Racing Team Le Mans |
| 1999年 | (PIAA NAKAJIMA RACING) |
PIAA NAKAJIMA RACING |
| 2000年 | (PIAA NAKAJIMA RACING) |
PIAA NAKAJIMA RACING |
| 2001年 | (excite TEAM IMPUL) |
TEAM 5ZIGEN |
| 2002年 | (PIAA NAKAJIMA RACING) |
PIAA NAKAJIMA RACING |
| 2003年 | (TEAM IMPUL) |
TEAM IMPUL |
| 2004年 | (DoCoMo TEAM DANDELION RACING) |
mobilecast TEAM IMPUL |
| 2005年 | (arting RACING TEAM with IMPUL) |
mobilecast TEAM IMPUL arting RACING TEAM with IMPUL |
| 2006年 | (mobilecast TEAM IMPUL) |
mobilecast TEAM IMPUL |
| 2007年 | (mobilecast TEAM IMPUL) |
mobilecast TEAM IMPUL |
| 2008年 | (LAWSON TEAM IMPUL) |
LAWSON TEAM IMPUL |
| 2009年 | (NAKAJIMA RACING) |
NAKAJIMA RACING |
[編集] 関連項目
- モータースポーツ
- フォーミュラ3000
- 全日本F3000選手権
- フォーミュラ2
- 全日本F2000選手権
- 全日本F2選手権
- 全日本F3選手権
- 日本人ドライバー一覧
- ドライバー一覧
- 日本のサーキット一覧
- フォーミュラチャレンジ・ジャパン
[編集] 脚注
- ^ JAFモータースポーツニュース No.193
- ^ http://qoe.jp/file/ES0000CQ7
- ^ HondaグループWebサイトのレジャー・教育関連および新分野に、JRPが関連会社として記載されている。
- ^ ただしホンダは、2009年のSUPER GTではこのエンジンは使用しない方針を明らかにしている。
- ^ 『Racing On』(ニューズ出版)2008年12月号 p.97
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年11月3日 (火) 04:50 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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