フジロックフェスティバル
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フジロックフェスティバル (FUJI ROCK FESTIVAL) は、1997年に創始され、現在は、毎年7月下旬または8月上旬に新潟県湯沢町の苗場スキー場で行われる日本のロック・フェスティバルである(主催はスマッシュ)。「フジロック」という略称および愛称において一般に広く呼称されている。
日本のロック・フェスティバルの先駆けであり、広大な会場に国内外200組以上のミュージシャンが揃う日本最大規模の野外音楽イベントである。なおその名の由来でもあり、実際に富士山近辺(山梨県天神山スキー場)で開催されたのは97年の第1回のみだが、その後も名称は変わらず「フジロックフェスティバル」のままである。ロゴマークも富士山をあしらったものが使われている。
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[編集] 概要
「ロック」フェスと銘打っているが、実際はロックのみならずポピュラー音楽全般から民族音楽までを広く網羅しあらゆる音楽を包括したフェスティバルである。ちなみに大小複数のステージにて演奏が同時進行で行われるため、同じ年の開催においてすべての出演者を見ることはできない。
会場は周囲を山林に囲まれた大自然の中にあるため単にライブを観賞するだけではなく、森林浴やキャンプといったアウトドアを満喫する行楽イベントという意味も含めた「フェスそのものを楽しむ」ために来場する客も多い。それが会場の和やかで落ち着いた雰囲気を形作り、その居心地の良さに惹かれた多くのリピーター(いわゆるフジロッカー)を獲得しているといわれる。ゆえにロックフェスでありながら40~50代の中年層客も多く、逆に10~20代前半の若者は他のフェスに比べると若干少ないのが特徴でもある。これはチケット代に加え、会場までの移動費や宿泊費を考えた場合に10~20代には決して安い額ではないというのも理由として考えられる。出演するアーティストもそれらに合わせ、他の国内ロックフェスティバルに比べるとよりコアでジャンルレスな音楽ファン向けが多い傾向が見られる。
またフジロックは世界一クリーンなフェスを標榜しており、ゴミの分別やポイ捨て防止などの取り組みがよく行き届いていると評判である。このコンセプトに賛同するミュージシャンは多く、治安の良さや客の節度ある態度など総合的な運営の安定感から世界のフジロックと海外から高い評価を得ている。
[編集] 交通アクセス
会場の苗場スキー場までは最寄のJR越後湯沢駅から(開催期間中のみ)出ている無料送迎バスでも約1時間の距離の山間部にあり、自転車や徒歩での入場は非常に困難である。電車を利用しない者の大半はバイクや自家用車で来るが会場直結の駐車場に車をとめるのに必要な駐車券はすぐに売り切れるため、券の獲得競争率が高まっている。
また会場のある湯沢町周辺は冬場のスキー客のためにホテルやペンション、旅館、民宿など多くの宿泊施設があるが開催期間の前後はその大半がフジロック客で満室状態になるため、例年、駐車券の獲得以上に宿泊先の確保が熾烈である。特に会場に直結している苗場プリンスホテルはその利便性の高さに加え出演アーティストを始めとするフジロック関係者の宿泊先として一部貸し切られているため、一般客向けの客室は少なくなっており毎年競争率は非常に高い。
[編集] 会場
演奏ステージの数は回を重ねるごとに増え続けており現在は主なものだけで7つ(グリーンステージ、ホワイトステージ、レッドマーキー、フィールドオブヘブン、オレンジコート、ジプシーアバロン)あるほか、観客数が数十人規模の小ステージも多数ある。さらに会場内を見下ろして東西に進む世界最長のゴンドラ「ドラゴンドラ」にも乗ることができる。また、メインのグリーンステージ以外は観客が一定数を越えると安全のため入場制限がかけられることがある。
会場内には各ステージごとに多くの飲食店が出店しており、苗場食堂をはじめとする「オアシス」といった屋台ブースには毎年出店している常連の店や名物料理も生まれつつある。さらにテントの設営区画も設けられており会場宿泊も可能となるが、単純な野宿は禁止されている(詳しくは下記の「キャンプ・サイト」項を参照)。また、夜にはカジノやバーがオープンする。当然だが未成年者は入ることが出来ない。
ちなみにその日の日程が終了すると、レッドマーキーとオアシス以外のエリアはすべて立ち入り禁止となる。そのため開催期間中の中日であっても夜遅くまで会場内に居座ることはできない。レッドマーキーなども午前4~5時には閉演する。開場は朝の9時以降となる。
以下、主なエリアを入場ゲートから近い順に記す。
- レッドマーキー - 入場ゲートから最も近いフジロック唯一の屋内ステージ。勢いある新進気鋭のバンドを中心にハイテンションなライブが展開され、観客の盛り上がりはフジロックでも随一である。日付が替わる深夜から早朝まではクラブハウスとしてDJパフォーマンスが夜通し行われ、その日の日程が終了してもなお踊り足りないフジ夜遊び組のたちのレイブパーティー会場と化す。
- オアシス - ここだけでおよそ30以上の屋台が出店している総合飲食エリア。その中にある苗場食堂ではサプライズライブやDJプレイ、大道芸、サイン会などのミニ・イベントが催される。料理とお酒を交えた交流空間として、またレッドマーキーとともに深夜まで立ち入り可能なエリアとして常に賑わっている。
- グリーンステージ - 収容人数は4万人以上のメイン野外ステージ。毎年世界のビッグアーティストが登場し、記憶に残る数多くのショーを披露してきたフジの象徴。ゆるやかな傾斜が続くステージ後方は多くの人が寝そべったり腰掛けたりするリラックススペースと化しており、のんびりと音楽を聴くことが出来る。ただし、夕方以降はオールスタンディングとなる。
- ホワイトステージ - 2番目に大きい屋外ステージ。通好みのラインナップが多く、実力派のバンドによる圧巻のパフォーマンスが繰り広げられることから「裏メイン」とも呼ばれる。収容人数は1万5千人ほど。どこからともなくシャボン玉が飛んでくる演出もホワイトの風物詩である。
- アバロン - 山の斜面を利用したエリアでNGOテントやマッサージテントが設置され、ときたまフリーマーケットやワークショップが開かれる。その中にある小さなステージが「ジプシーアバロン」で、アコースティックライブが披露されることが多い。
- フィールド・オブ・ヘブン - 国籍も世代も超えたヒッピーな雰囲気で溢れ、多彩な音楽とピースフルなムードから最も「フジらしい」エリアとも呼ばれる。そのため固定客が多い。日が暮れてからは幻想的なイルミネーションで彩られフジの夜を演出する。
- オレンジコート - 1番奥に位置するステージ。ジャズ系やラウンジ系のミュージシャンが多く出演するが、基本的にジャンルレスな音楽で終日溢れている。初日の夜のみパーティーイベント「オールナイト・フジ」が開かれ、朝までクラブ空間に変貌する。
- ザ・パレス・オブ・ワンダー - 入場ゲート前にあるテント施設で、チケットがなくても入ることが出来るフリーエリア。巨大なオブジェに囲まれたテントでは怪しげな大道芸が行われ、カジノやバーといった大人の夜遊び施設が揃う。隣接するブース「ルーキー・ア・ゴー・ゴー」(以前はLevi's NEW STAGE)は、一般公募から選ばれた無名のインディーズバンドがプレイするステージ。夜間行われ、駆け出しバンドの実力が試される登竜門として定着している。かつてはくるりやASIAN KUNG-FU GENERATION、サンボマスターもここで演奏した。
[編集] キャンプ・サイト
苗場プリンスホテル後方、スキー場の広大な斜面を利用して会場宿泊客のためのテント設営エリアが設けられている。毎年、約1万7000人がここでテントを張って宿泊している。女性専用ゾーンやトイレ、シャワー設備、キャンプに関する相談所や食事処も完備されている。もちろんキャンプサイト券を購入した客のみ利用可能。ちなみにテントを建てやすい平らな地面の立地はすぐに埋まるため、初日以降から来てキャンプサイト宿泊を考えている客には少々不利である。また開催期間中はスコールなど荒天が多く、キャンプ初心者にはあまり望ましい宿泊手段とはいえない。
[編集] 前夜祭
初日の前夜には地元の人たちとの交流を深め、共に盛り上がる恒例の前夜祭が開かれる。盆踊り、抽選会、大食い大会といったベタな夏祭りイベントもフジの開幕とあってかなりの盛り上がりをみせる。最後は打ち上げ花火大会でフェスティバルの成功祈願と開会が宣言される。他にもレッドマーキーが開放され、DJ達によるオープニングパーティが催され時には出演バンドによるサプライズライブが行われることもある。過去に少年ナイフやBRAHMAN、ザ・クーパー・テンプル・クロースなどが前夜祭ライブを行っている。
[編集] 主な出演者/歴史
一番上に表記されているバンド名が、ヘッドライナー(グリーン・ステージ)である。以下、他のステージの出演者も含む。
[編集] 1997年
会場:山梨県富士天神山スキー場地区(台風の影響などの混乱により2日目は開催せず)
| 1日目(7月26日) | 2日目(7月27日) |
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1997年に、富士山のふもとの天神山スキー場で初めて開催された。2日間の予定であったが、台風の直撃により1日目から豪雨に見舞われる。会場内で雨をしのげる場所は少なく雨や寒さに対する備えが不十分な参加者が多かったこともあり、体力を奪われて倒れる者が続出。幸いにも死者はでなかったものの、会場は後に語り草となるほどの惨状を呈した。会場へのアクセス道路は一本しかなく、駐車車両などによる渋滞によって交通はマヒ状態となり、移動に多くの参加者が徒歩で数時間も歩いた。トイレもない道路では多くの人々が周辺の私有地に立ち入って用を足したり、別荘地内で勝手にキャンプをしたりと会場周辺も混乱を極めた。2日目は朝から晴天となったものの、警察、地元自治体などからの要請や会場とその周辺の荒廃により、これ以上のイベント続行は不可能と判断した運営側が全てのプログラムを中止。日本初の野外ロック・フェスティバルは、あえなく崩壊した。また駅と会場を結ぶ送迎バスが機能しなかったことにより駅や荒天の会場で数時間にわたり立ち往生を余儀なくされたこと、案内スタッフが少数かつ不親切であったことなど多くの課題を残し、フェスの運営にも批判が集中した。
そんな壮絶な状況下の初日、ボーカルのアンソニーが腕を骨折したまま猛烈な暴風雨の中で敢行されたレッド・ホット・チリ・ペッパーズのライブは今や伝説と化している。
[編集] 1998年
会場:東京都豊洲地区・東京ベイサイドスクエア
| 1日目(8月1日) | 2日目(8月2日) |
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前年度の批判を受け主催のスマッシュは翌年(1998年)、会場を一転して東京の豊洲地区に変更して開催する。前年の失敗を踏まえて会場へのアクセスや救護体制などが改善され、成功を収めた。中でも中止となった昨年のリベンジを期すべくヘッドライナーとして戻ってきたプロディジーの爆発的パフォーマンスは凄まじく、火がついたようなクラウドの盛り上がりはフジの歴史でも最大級のピークを記録した。
だがやはり2ステージのみの会場であることから多くの観衆が一ヶ所に密集する状態は避けられず、特にthee michelle gun elephantのステージではモッシュ過多による圧死危険のために何度か演奏が中断された。その際、チバユウスケの「危ない奴は周りが助けてやろうぜ。絶対死ぬなよ!」とのMCは主客が共に手探りで作り上げる段階にあった日本のロックフェス黎明を印象付けるものであった。そうした2年間の試行錯誤を経て、やはり会場は東京ではなく「自然の中でのロックフェス」という当初のコンセプトに回帰する結論に達した。
[編集] 1999年
会場:新潟県苗場スキー場地区(以降は当地にて開催されている)
| 1日目(7月30日) | 2日目(7月31日) | 3日目(8月1日) |
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翌1999年には、夏期の集客を目指した苗場プリンスホテルと地元の浅貝地区が開催地として協力することとなり、会場は新潟県の苗場スキー場に再度変更された。英国のグラストンベリー・フェスティバルを参考に再び大自然の中での開催となったが、参加者の雨や寒さに対する意識が向上したことや、苗場・浅貝地区は周辺に一般住民がほとんど居ない山間部の独立した地域ということもあり、大きな問題は起こらず成功のうちに終了した。これ以降は、毎年苗場での開催に落ち着くようになった。開催期間も1999年以降は3日間となっている。
初の苗場開催となったこの年、話題をさらったのは2日目のヘッドライナーを務めたブラーであった。ベスト収録のヒット曲を次々と披露するという、近年では絶対にないセットリストによって会場は興奮の坩堝と化した。さらに初日にはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの乾坤一擲の熱演とそれに応える観衆のビッグ・ポゴが夜のグリーンを揺るがし、同時刻のホワイトではアンダーワールドがそのキャリアでも屈指の呼び声高いパフォーマンスを演じた。
加えて3夜連続でヘヴンのトリを張ったフィッシュを始め、ZZトップやジョー・ストラマーといったレジェンドたちの好演も苗場での初年度を大いに飾った。
[編集] 2000年
| 1日目(7月28日) | 2日目(7月29日) | 3日目(7月30日) |
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2000年は、1日目と2日目のトリを日本人バンドが務めるという後にも先にも唯一の試みが行われた。初日のトリを務めたBLANKEY JET CITYは同年5月に解散を表明しておりラスト・ツアー終了後の出演となったため、実質これがラスト・ライブとなった。好評ではあったが、以後は他に日本人主体のロックフェスがいくつか誕生したこともあり従来通り海外のアクト中心のスタイルを優先させることで落ち着いている。
2日目トリのミッシェルの裏では今は亡き3人組でのランDMCが降雨のホワイトを圧巻のフックで掌握し、その勇姿を日本のオーディエンスの前に刻んだ。
[編集] 2001年
| 1日目(7月25日) | 2日目(7月27日) | 3日目(7月28日) |
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ニール・ヤング、オアシス、エミネムがヘッドライナーを勤めた2001年は、取材に訪れた海外プレス群から「様々なフェスのヘッドライナーが一つのフェスに集まっている。これは最強のラインナップだ」と絶賛され、後に「世界のフジ・ロック」と呼ばれるきっかけとなった。特に以降のフジのブリティッシュ志向が高まるキッカケともなる、トラヴィス~マニック・ストリート・プリーチャーズ~オアシスというUKロック・アンセムのトップランナーを揃えた初日グリーンの流れは未だに評判が高い。一方で3日目のグリーンにはUSの実力派をヘッドラインにすえる好対照のラインナップを実現させるなど、総じて若手から大御所までを取り揃えた「史上最高のラインナップ」と後々まで評されることが多い年となっている。
そんな中でトピックとなったのはニール・ヤングが好演するその裏のホワイト、実に14年ぶりの来日となったニューオーダーの一大パーティに多くの観衆が詰めかけ苗場で最初の大規模な入場規制が敷かれたことであった。
[編集] 2002年
| 1日目(7月26日) | 2日目(7月27日) | 3日目(7月28日) |
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2002年は、初年度に台風の中ライブを行ったレッド・ホット・チリ・ペッパーズのリベンジ出演が目玉であった。同じく出演していたジョージ・クリントンをサプライズゲストに招き充実のパフォーマンスで会場を沸かせた。さらに今やフジの名物のケミカル・ブラザーズがついにヘッドライナーとして出演。エレクトロニック・ビートが夜の苗場に鳴り渡るトランシーな光景は後に彼らのライヴDVDに収められる程であり、数多いケミカル・ブラザーズの公演でも最高峰の瞬間として自他共に認知される名演であった。さらにスピリチュアライズドがブラス隊からパーカッションまでを大動員した圧倒的なサイケ・アンサンブルをホワイトに繰り広げ、フェス音響とは思えない抜群のサウンド・エスケープを実現させた。
そんな中でベストアクトと絶賛された新星ザ・ミュージックは、後々まで語り草となる程に強烈なその抜群のパフォーマンスによって日本での評判を確固たるものにした。
[編集] 2003年
| 1日目(7月25日) | 2日目(7月26日) | 3日目(7月27日) |
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2003年はビョークとマッシヴ・アタックのスピリチュアルなステージが苗場の山間に展開され、アンダーワールドは観客をトランス状態へ陥れた。ちなみに、この年は初のチケット完売を達成し、入場者数を10万人の大台に乗せた。さらに会場の最深部として、フィールド・オブ・ヘブンの先に新たにオレンジコートが登場した。これによってほぼ現在の会場体裁となり、さらなる多様な音楽を展開するようになった。
この年、2日目レッドのトリが予定されていたザ・コーラルのキャンセルを受け前日のグリーンに出演したザ・ミュージックが急遽ピンチヒッターで2日連続の登場となり急ながら見事にレッドのトリを務めた。この出来事によって以降のフジでは、他の出演者がキャンセル組の「穴埋め代打」を行うという「前例」が確立することになる。
[編集] 2004年
| 1日目(7月30日) | 2日目(7月31日) | 3日目(8月1日) |
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2004年は実験的な試みとして、チケットは3日通し券のみで販売が行われた(結果的に継続されることはなかった)。この年は初日のホワイトのトリを務めたベースメント・ジャックスと3日目のレッドマーキーのトリを務めたアッシュが、それぞれフジの歴史に残る圧倒的なパフォーマンスを披露して各誌からベストアクトと絶賛された。また再結成を果たしたピクシーズや昼間14時台にしてグリーンを満杯にしたフランツ・フェルディナンドも話題を集めた。2日目のフィールド・オブ・ヘブンではジャック・ジョンソンが兄貴分のベン・ハーパー、盟友ドノヴァン・フランケンレイターとの豪華な共演で観客を魅了した。最終日はモリッシーの出演キャンセルによって、急遽、ザ・ホワイト・ストライプスが実質上のヘッドライナーを任されるという一幕もあった。なお当初ヘッドライナー務めるはずだったモリッシーの枠にはチャーミング・メンというザ・スミス(解散するまでモリッシーがフロントマンを務めていたバンド)のトリビュートバンド(=そっくりさん)が起用され、フジの珍事件の一つとして語られている。その一方で、深夜のオアシス~レッドまでの道すがら偶然その場に居合わせた一般客を巻き込んで即興のマーチング・パレードを繰り広げたオゾマトリのゲリラ・ライブは主客一体となったフェス・ケミストリーとして語り草となった。
また、初日にはグリーンステージにてジャパニーズ・ロック史の中でも重要なバンドの1つであるルースターズが17年振りにオリジナル・メンバーで再結成。ケジメとなるラスト・ライブを行った。
[編集] 2005年
| 1日目(7月29日) | 2日目(7月30日) | 3日目(7月31日) |
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2005年はこの年世界で一番のアルバム売り上げを記録したコールドプレイを準トリに据え、貫禄のフー・ファイターズをヘッドライナーに起用するという贅沢な初日に始まりベックとファットボーイ・スリムを揃え2003年以来のチケット完売となった2日目、モービー・ニュー・オーダー・プライマル・スクリームのエレクトロ・ロック勢揃いぶみで実質トリプル・ヘッドラインを形成したグリーンステージにマーズ・ヴォルタ~シガー・ロスの流れで動と静の音楽宇宙と化したホワイトステージを擁した3日目とこれまでにない充実のラインナップが実現した。また第1回のフジに観客として参加して以来、1999年の初出演から徐々にステージ・アップしてきたくるりがついに念願のグリーン進出を果たし万感のコメントを残した。
[編集] 2006年
| 1日目(7月28日) | 2日目(7月29日) | 3日目(7月30日) |
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記念すべき10回目を迎えた2006年はフジ史上最速でのヘッドライナーに抜擢されたフランツ・フェルディナンドが大きく話題となり、トリ前に出演しこれまたフジの常連となったジェットとともに大いに会場を盛り上げた。かたやシザー・シスターズはホワイトを巨大ダンスホールへと変貌させ、入場規制がかかったレッドマーキーでは、クーラ・シェイカーの再結成を祝福すべく詰め掛けたブリットポップ期リアルタイマー達とともに涙モノのステージが展開された。そんな中、ベスト・アクトとの呼び声高いスーパー・ファーリー・アニマルズは特設スクリーンをフル活用した映像演出とそのパラレルサウンドによって苗場の最終夜をサイケ空間に染め上げ最後にスクリーン画面に表示したメッセージ字幕「ありがとう! みんなお疲れ!」のピースフルな光景はフェスならではフジならではの感動的ハイライトとなった。来場者はこれまでで最多の13万に達し、ロックフェスが日本に根付いてきたことをうかがわせるアニバーサリー・イヤーとなった。
[編集] 2007年
| 1日目(7月27日) | 2日目(7月28日) | 3日目(7月29日) |
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2007年は天候に恵まれたこともあり、期間中はヘヴン~オレンジといった会場最深部が例年になく混雑したことが特徴的な年であった。通好みのライブ巧者たちが数多く登場した中でも、ベスト・アクトの呼び声高いジョン・バトラー・トリオとバトルスの超絶バンド・アンサンブルは大きな反響を呼んだ。他方、貫禄のステージングを披露したジャーヴィス・コッカーやそれぞれ真昼間のグリーンをダンス天国に変貌させたミーカと!!!の好演も光った。オーシャン・カラー・シーン~ファウンテンズ・オブ・ウェインの流れで大きなシンガロングに包まれた初日レッドや2日目のホワイトに史上最多の観客を動員したアッシュのステージも盛況を博した。5度目のケミカル・ブラザーズの裏では、ジュノ・リアクターによる壮大なブードゥー・パーティが異様な盛り上がりをみせ、キャンセルとなったフィッシュボーンの代打としてオレンジのトリを務めたフェルミン・ムグルサも会心のパフォーマンスを演じた。
しかし、話題の中心はなんといっても実に23年ぶりの来日となるザ・キュアーであった。日付を跨ぎ深夜にまで及んだフルタイム・セットで入魂のパフォーマンスを披露し、キュアーの直前に超満員の中で演奏したミューズとともに一大ロックオペラ劇場を築き上げた。
[編集] 2008年
| 1日目(7月25日) | 2日目(7月26日) | 3日目(7月27日) |
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2008年は、3日目大トリの忌野清志郎が病気のため急遽キャンセル。また忌野清志郎の代打として2日連続のプライマル・スクリームが発表されたが、この発表に便乗するかのように開催直前まで「交渉中」として伏せられていた3日目グリーンステージのその他のヘッドラインまで同じく前日出演組のThe Birthdayとエイジアン・ダブ・ファウンデーションで補填するという発表を行ったため参加者から強い不信感の声が上がり、主催スマッシュのブッキングに関しても様々な意見や憶測が飛び交った。
しかしながら、開催期間はそんな喧騒とは無縁の至高の音楽で溢れた。17年ぶりの来日が実現しグリーンステージを15分にも及ぶ轟音で包んだマイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、その裏のホワイトで繰り広げられたギャラクティックの客演3MCを駆使した一大グルーヴ・セッション~3部構成で2時間半にも及んだブーツィー・コリンズ・バンドの故ジェームス・ブラウン追悼パーティまで濃密絢爛なファンク祭りも盛況を博した。加えて突然の降雨により急遽セットリスト変更という劇的なシチュエーションを実現させたトラヴィスや新旧ファンの大合唱に包まれたイアン・ブラウン、フロントマンのクレイグ・ニコルズの復活に沸いたザ・ヴァインズなど、各所で見事なパフォーマンスが展開された。またホワイトに加え深夜のクリスタルパレスにも登場したゴーゴル・ボールデロはベストアクトにふさわしい圧巻の盛り上がりをみせ、ハード・ファイやエイジアン・ダブ・ファウンデーションと共に強烈なレベル・ミュージックを苗場に轟かせた。
[編集] 2009年
| 1日目(7月24日) | 2日目(7月25日) | 3日目(7月26日) |
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好天続きであった近年から一転、開催期間の苗場は常に雨雲が停滞する不安定な空模様に翻弄された。前夜祭からの豪雨に終日見舞われた初日、会場を流れる河川の増水と足場のぬかるみ拡大等により、恒例のオールナイト・フジが中止に追い込まれ、映画上映・岩盤スクエアのイベントも取り止めとなった。 しかしながら、久々のそんな過酷な環境の中でも、寒雨対策へ十分な装備と高い意識で臨む大多数のオーディエンスにあっては各地で多くの感動を呼んだ。
初日のホワイトでは、ニューオーリンズのR&Bの巨匠ネヴィル・ブラザーズが豪雨のさなか、他の追随を許さない圧倒的な演奏力とパフォーマンスで流石の存在感を見せつけた。 パブリック・エナミーはフレイヴァー・フレイヴ不在の中でも度肝を抜くビート・ショウを見せ、他にも降りしきる雨をものともしないポール・ウェラーによるキャリア横断の大熱演、3日目正午の晴れ間に強烈な一撃を見舞ったストリート・スウィーパー・ソーシャル・クラブ、4日間で10回以上と会場中至る所を演奏して回ったレーヴェンの楽隊行進は日々反響を増し、日本勢でも抱腹絶倒の力技で「アウェイ」をホームに変えてしまった筋肉少女帯や雨が引いた黄昏のホワイトを優しく幻想的に包み込んだ高橋幸宏など、初出演陣による抜群の好演が光った。最終日には中止を味わった97年第1回を経て以来のウィーザーが登場したが、このヘッドライナーを凌駕する凄まじい盛り上がりを現出させたベースメント・ジャックスの大団円の前にクロージング史上最高の評も尽きなかった。
また2日目グリーンにおいて、同年5月に亡くなった忌野清志郎を追悼する呼びかけの下、1夜限りの「スペシャル・メッセージ・オーケストラ」が急遽結成され、仲井戸麗市、Char、泉谷しげる、CHARA、UA、Leyona、トータス松本、甲本ヒロト&真島昌利、YO-KING、浜崎貴司などが顔をそろえた。ライブ終盤には、生前のライブ映像と当日の演奏をシンクロさせる演出が行われ、「キング・オブ・フジロック」こと忌野清志郎は“最後のフジロック出演”を果たした。
[編集] 参考情報
- 混み具合にもよるが通常、入場ゲートから1番奥のステージまでは徒歩で30分ほどかかる。
- ステージ間でかなりの距離を置いているため、他ステージの音はほとんど気にならない。
- しかし2003年の開催に於いてグリーンステージトリのビョークが静謐な音を奏でる中、ホワイトステージトリのイギー・ポップの「下品な」爆音がグリーンステージまで届きビョークを憤慨させたとの逸話が残っている。
- ある程度ステージによってパフォーマンスの種類をそろえているので、違うジャンルの曲を聞きに移動する際は余裕を持って移動することが望ましい。
- 真夏とはいえ、山間部を会場としているために夜は防寒対策が必要。また、なにより開催期間中はほぼ100%の確率で雨が降るため防寒対策以上に雨具の携帯は必須である。もちろん傘を差す行為は周りの迷惑であるので禁止されており、カッパ類の着用が常識である。
- 降雨に伴い歩道(もちろん砂利道)も泥で非常にぬかるむため、履物に関しても留意が必要である。ちなみに、常連フジロッカーの足元は長靴というスタイルで定着している。
- 1997年~2007年までの11年間はWOWOWによってその年のフジロックのライブ模様が約1ヶ月後にオンエアされる。およそ1アーティストにつき1~3曲収録される。たいていレッドのトリ、ホワイトの準トリは2曲以上、グリーンのトリと準トリ・ホワイトのトリは3曲以上、その他の時間帯およびステージは各アーティスト1曲のみの収録が慣例となっている。しかし、局や編集者の趣向などにより特定のバンドに力が注がれた構成になったりすることが稀にある。直近では2007年のオンエアがいい例でレッドのトリ(ファウンテンズ・オブ・ウェインとクラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤー)をわずか1曲、各日のホワイトのトリと準トリ群を1、2曲収録に留め代わりに「ブンブンサテライツの1日」などと称した複数の小コーナーおよび当人へのインタビューとライブ映像含め、ブンブンサテライツ関連を計40分も収録した。2008年からはフジテレビNEXTが放映を行っている。
- オフィシャルメディアのInterFMでは、毎年フジロックからライヴ音源を生中継でオンエアーしている。また、フジロック開催後も頻繁に音源をオンエアー。
- 2006年にスタートした韓国のペンタポート・ロック・フェスティバルは、フジロックと連動したラインナップを形成していた。しかし2009年、同フェスを運営する企業間に対立が起こりフェス団体は分裂。ブッキング交渉を担当していた側の団体がペンタポートを脱退しフジと同種のコンセプトの下、スキー場という山間立地に「ジサン・バレー・ロック・フェスティバル」(Jisan Valley Rock Festival)を立ち上げてフジロック'09と連動したラインナップを形成、開催時期もペンタポートと同日程でぶつける対決姿勢を打ち出した。ちなみに、後に残ったペンタポートではブッキングが難航を極め、デフトーンズ以外目立った洋楽バンドを招聘することが出来ず、ほとんどの出演者を韓国のミュージシャンで埋めるラインナップに終始し、さらに規模を縮小しての開催という危機的事態に直面している。
[編集] 関連項目
[編集] 参考
FRFヒストリー http://www.fujirockfestival.com/history/
[編集] 外部リンク
- FUJI ROCK FESTIVAL(公式サイト)
- InterFM(オフィシャルメディア)
- FUJI ROCK FESTIVAL '09特集(on recommuni)
最終更新 2009年11月1日 (日) 16:46 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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