フランク・ランパード

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フランク・ランパード
名前
本名 フランク・ジェームズ・ランパード・ジュニア
愛称 鉄人、ランプス
ラテン文字 Frank Lampard
基本情報
国籍 イングランドの旗 イングランド イギリス
生年月日 1978年6月20日(31歳)
出身地 ロンフォード(ロンドン
身長 183cm
体重 90kg
選手情報
在籍チーム イングランドの旗 チェルシー
ポジション MF
背番号 8
利き足 右足
代表歴2
1999– イングランド 74 (20)
2. 2009年9月9日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

フランク・ランパードFrank James Lampard Jr.1978年6月20日 - )は、イギリスロンドン出身のプレミアリーグチェルシーFC所属のサッカー選手。ポジションはMF。愛称はランプス。


目次

[編集] 経歴

[編集] 少年期

1978年6月20日、父フランク・シニア、母パットの間に生まれる。裕福な家庭に育ち、学業も優秀であった。またクリケットでも地元の代表チームに選抜されている。パブリックスクールであるブレントウッド・スクールを卒業。

[編集] クラブ

チェルシーでのランパード(2007年)

1995年ウエストハム・ユナイテッドでキャリアをスタート。その後スウォンジー・シティにレンタル移籍する。復帰後はあまり活躍できずにいたが徐々に頭角を現していき、1998-99シーズンは全試合に出場する。そして1999年イングランド代表にも招集され着実に成長していく。しかし、ウエストハムでは数シーズンに渡って経験を積むが、伯父のハリー・レドナップが監督、父親のフランク・ランパード・シニアがコーチであったために、調子が悪いときには批判のターゲットとなっていた。ファンから愛されず、またレドナップ、フランク・シニアが不明確な理由でクラブから解雇されてしまい、自身の環境転換の為に2001年夏に移籍金1100万ポンド(約24億円)でチェルシーFCへ移籍する。移籍後はセンターハーフとしてすぐにレギュラーを獲得。毎シーズン10ゴール以上記録するなど、中心選手として活躍する。2005年にはバロンドールFIFA最優秀選手賞共にロナウジーニョに次ぐ第2位の得票数を獲得。イングランド代表の同僚でリヴァプールスティーヴン・ジェラードと並び、世界最高のセンターハーフの1人とも評されている。

イングランド代表GKのデイビッド・ジェームズが保持していたプレミアリーグの連続試合出場記録を更新、2005年12月28日マンチェスター・シティ戦でウィルス性疾患のため遂に欠場するまで、足掛け4年・164試合連続出場という大記録を樹立した。この期間、ランパードはミッドフィールダーという消耗の激しいポジションで怪我をしなかっただけでなく、累積警告による出場停止もなかった。前記録保持者がGKであったことからも、いかにこの記録が偉大かが伺える。

モウリーニョ監督の「国内選手にクラブを引っ張ってほしい」との方針から、チェルシーでは副キャプテンを務める。2006-07シーズンでは故障がちなジョン・テリーに代わって、多くの試合でキャプテンマークを巻いている。

2008年のシーズンオフにはモウリーニョ率いるインテルへの移籍が噂されたが、最終的にはチェルシー残留を選んで5年契約を結び、チェルシーでキャリアを終える意向を明らかにした[1]

[編集] 代表

1999年10月10日ベルギー戦でデビューを果たす。デビュー後しばらくは目立った活躍をすることはできず、2002年日韓ワールドカップではメンバー選考から外されてしまう。しかし、、チェルシーの躍進とともに自身もコンスタントに代表で出場機会を得るようになると、ユーロ2004ではレギュラーとして出場し、準々決勝で敗退するが、自身は3ゴールを記録する活躍を見せた。大会ベスト11にも選出された。

2006年ドイツワールドカップ予選では5ゴールを挙げるなど、イングランド代表をドイツへ導く活躍を見せた。しかし、本大会ではフリーの場面でボレーシュートを蹴り損なうなどベストコンディションには程遠く、準々決勝敗退後は批判に晒された。 しかし、最近では徐々に調子を取り戻し現在のイングランド代表のセンターハーフとしてジェラードを凌ぐ活躍を見せている。

[編集] プレースタイル

殆ど怪我をしない丈夫な身体で、また心臓が普通の人より一回り大きい為スタミナの強さは誰もが認める武器である。ディフェンス力に加え、センターハーフとしての高い状況判断能力と非凡な展開力が持ち味である。また周りを生かすプレーだけでなく、自ら積極的にゴール前に進出しフィニッシュまで持っていく事もできる。身体を活かしたヘディング、力強く正確なシュート、ドリブルも上手くゴール前での存在感はFWも顔負けである。クラブではFKからも多くの得点を上げており、枠内に蹴り込まれる無回転のミドルシュートは強烈である。PKにも自信を持ち、吹かす事は、ほとんどなくプレッシャーのかかる場面でも確実に決めている。代表では2006 FIFAワールドカップ予選からここ一番でのPK失敗が目立っていたベッカムに代わり、PKキッカーを務めている。

[編集] 人物

ランパード(2007年)

[編集] エピソード

  • 一番恥ずかしかった思い出は15歳のときに、ウェストハムのユースチームの試合に出るために学校を休み、翌日、校長室に呼び出されたことであるという。それ以来、サッカーのために学校を休むようなことは二度としなかった。
  • 2008年4月、母親のパット・ランパードが病に倒れ、リーグ戦を欠場して看病にあたっていたランパードだったが、24日に母は他界。その精神的なショックから、30日のチャンピオンズリーグ準決勝セカンドレグのリヴァプール戦を欠場するとの見方もされていたが、練習に復帰して気丈に振る舞うとクラブ初のファイナル進出をかけた重要な一戦にも出場、見事なパフォーマンスを発揮してスルーパスでドログバの先制弾をアシストするのみならず、PKの場面ではプレッシャーのかかる中で冷静に決めた。PKを沈めた瞬間には左腕の袖下に隠していた喪章に口づけし、感極まった表情で天国の母にゴールを捧げた。

[編集] 所属クラブ

ユース
シニア
  • 1994年-2001年 イングランドの旗 ウェストハム・ユナイテッド
→1995年-1996年 イングランドの旗 スウォンジ・シティ (loan

[編集] 獲得タイトル

[編集] 個人成績

所属クラブ シーズン 所属リーグ イングランドの旗 リーグ FAカップ リーグカップ UEFA主催 期間通算
出場数 得点 出場数 得点 出場数 得点 出場数 得点 出場数 得点
スウォンジ 1995–96 ディヴィジョン2 9 1 0 0 0 0 0 0 9 1
ウェストハム 1995–96 プレミアリーグ 2 0 0 0 0 0 0 0 2 0
1996–97 13 0 1 0 2 0 0 0 16 0
1997–98 31 5 6 1 5 4 0 0 42 9
1998–99 38 5 1 0 2 1 0 0 41 6
1999–00 34 7 1 0 4 3 10 4 49 14
2000–01 30 7 4 1 3 1 0 0 37 9
チェルシー 2001–02 37 5 8 1 4 0 4 1 53 7
2002–03 38 6 5 1 3 0 2 1 48 8
2003–04 38 10 4 1 2 0 14 4 58 15
2004–05 38 13 2 0 6 2 12 4 58 19
2005–06 35 16 5 2 1 0 9 2 50 20
2006–07 37 11 7 6 6 3 12 1 62 21
2007–08 24 10 1 2 3 4 12 4 40 20
2008–09 37 12 8 3 2 2 6 3 53 20
ウェストハム通算成績 148 24 13 2 16 9 10 4 187 39
チェルシー通算成績 284 83 36 16 27 11 70 20 417 130
キャリア通算成績 441 108 49 18 43 20 80 24 613 170

[編集]

  1. ^ Lampard agrees new Chelsea deal

[編集] 外部リンク


最終更新 2009年11月23日 (月) 09:54 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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