フランス空軍

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フランス空軍の国籍マーク

フランス空軍(Armée de l'air française)はフランス国防省に属するフランス共和国空軍である。フランス軍の4つの軍事組織(フランス陸軍フランス海軍、フランス空軍、フランス国家憲兵隊)のうちの一つ。約65,000人が所属している。

目次

[編集] 組織

[編集] 軍令機関

  • 空軍参謀本部(l'état-major de l'Armée de l'Air、EMAA)

[編集] 主要部隊

  • 航空国防軍事総司令部(Le Commandement de la défense aérienne et des opérations aériennes、CDAOA)
  • 戦略航空軍事司令部(Le Commandement des Forces aériennes stratégiques、CFAS)

[編集] 主要機関

  • 航空戦闘隊(Le Commandement de la Force aérienne de combat、CFAC)
  • 航空統制隊(Le Commandement de la Force aérienne de projection、CFAP)
  • 航空監視通信情報隊(Le Commandement air des systèmes de surveillance, d'information et de communications、CASSIC)
  • 国防安全保障隊(Le Commandement des forces de protection et de sécurité de l'Armée de l'Air、CFPSAA)
  • 空軍士官学校(Le Commandement des écoles de l'Armée de l'Air、CEAA)

[編集] 通常兵力

現在、国内は北方と南方の二方面隊に分かれている。その他に、海外部隊がある。

  • 北方航空方面隊(la région aérienne nord、RAN)
  • 南方航空方面隊(la région aérienne sud、RAS)

[編集] 海外部隊

[編集] 歴史

[編集] 航空隊誕生

普仏戦争後、フランスは再度ドイツと交戦準備をしている中で、1909年12月よりフランス戦争省は軍人に航空訓練を受けさせ始めた。1910年3月に航空軍事訓練所(Établissement Militaire d'Aviation)が設立され、航空機の軍事使用の実験が行われた。同年10月22日に世界初の軍事航空隊(Aéronautique Militaire)が組織された。

その後、1933年8月にフランス陸軍の元で「空軍(Armée de l'Air)」組織が誕生。

[編集] 第一次世界大戦期

第一次世界大戦では、フランスがドイツに対して宣戦布告し、ドイツとの空中戦がたびたび行われた。世界初の空軍パイロットと言われるローラン・ギャロス(Roland Garros)が1915年に飛行機の前面に向けて設置したマシンガンで機銃掃射を行う手法を導入した。

[編集] 第二次世界大戦期

[編集] フランス本国

第二次世界大戦では当初よりフランス政府内での意見が対立し、強固な国防軍を組織することが出来ず、ドイツに対して敗戦を喫した(ナチス・ドイツのフランス侵攻)。

ドイツの承認する占領下のヴィシー政権は空軍組織の解散を指示したが、駐アフリカ空軍は戦闘を継続、レジスタンス運動の様相となった。その後ヴィシー政権はフランス空軍を引き継ぎ、ヴィシー空軍(Armée de l'Air de Vichy)を設立。この空軍は北アフリカでのドイツアフリカ軍団に参加したあと1942年12月に解体された。

一方、シャルル・ド・ゴールの提唱する自由フランス軍(Forces Françaises Libres、FFL)として二重十字をシンボルにしたレジスタンス運動は、1942年11月に英米軍の援助の元、北アフリカにて空軍を組織し、終戦まで活動した。

[編集] 仏領インドシナ

仏領インドシナでのフランス空軍も、1940年6月大東亜共栄圏を提唱した大日本帝国トンキン湾まで艦艇を進めて対峙して以降戦闘に入った。1940年9月に日本軍がハイフォンに上陸し、シャム空軍(日本人パイロットによる攻撃機)として攻撃を開始、フランス側も健闘したが敗北し、現在のラオス及びカンボジアにあたる地域をシャムに明け渡した。

その後1945年3月の日本軍撤退までこの地域のフランス空軍は燃料不足や制空権の失地により航空機を放置した。

第一次インドシナ戦争最中の1954年ディエンビエンフーの戦いでの敗北の後、フランス空軍はすべてのフランス権益とともにインドシナから撤退した。

[編集] 第二次大戦後

北アフリカに残していたフランス領アルジェリアモロッコチュニジアでも、1950年代に混乱に入った。フランス空軍はヘリコプター部隊を初めて使用。その後混戦が続き戦費支出がかさんだため、ド・ゴール首相(当時)は民族自決を支持し、アルジェリア戦争は終了した。このほか、第二次中東戦争でも軍事介入したが国際世論の非難により撤退を余儀なくされた。

また、1960年代からはフランス独自の核戦力運用のために核兵器運搬手段の一翼を担い、核攻撃能力を持つミラージュIVミラージュ2000Nの運用が行われてきた。

チャドにおいては、チャド政府軍を支援するため大規模な飛行隊が派遣され、侵攻してきたリビア軍に対しての迎撃・対地攻撃・近接航空支援任務に従事した。

NATO軍に協力し多国籍軍の一部として1991年湾岸戦争ではイラクに侵攻した。

[編集] 装備

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最終更新 2009年9月6日 (日) 04:31 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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