フランス軍

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フランス軍
Armées françaises
派生組織 フランス陸軍
フランス海軍
フランス空軍
フランス国家憲兵隊
指揮官
最高司令官 第五共和政第6代大統領 ニコラ・サルコジ
国防大臣 第15代国防大臣 エルヴェ・モラン
司令官 第20代統合参謀総長 ジャン=ルイ・ジョルグラン陸軍大将
総人員
兵役適齢 17歳から
徴兵制度 無し
-適齢総数 13,676,509人 15-49 (2005)、年齢 15-49
-実務総数 11,262,661人 15–49 (2005)、年齢 15-49
-年間適齢
到達人数
389,204人 (2005)
現総人員 259,050人 (2006)
予備役 419,000人 (2006)
国外派遣数 35,000人 (2006)(世界第20位
財政
予算 GDP2.6% (2005)
産業
国内供給 Nexter
DCNS
ダッソー
スネクマ
パナール
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フランス軍(フランス語:Forces armées françaises)とは、フランス軍隊のことである。現在、フランス陸軍(Armée de Terre française)・フランス海軍(Marine nationale)・フランス空軍(Armée de l'air française)さらに第四の軍としてフランス国家憲兵隊(Gendarmerie nationale française)を保有し、それらの質は世界の中でも有数の軍事力であると言われている。

目次

[編集] 組織

[編集] 兵力

フランス軍は全軍合わせて約430,000人の兵力を有する。この内、約100,000人は国家憲兵に属する。以前は徴兵制が存在していたが、2001年に廃止され現在は志願制となっている。兵役義務は存在しないが、男女を問わず一定年齢に達すると徴兵登録を行わなければならない。

[編集] 国際的な立場

[編集] 海外駐留部隊

フランス軍は旧植民地を中心に全世界に常時約35,000名を展開している。

[編集] アメリカ大陸方面

人員1,000名から成り、1個海兵歩兵大隊(第41海兵歩兵大隊)、哨戒艇1隻、ヘリコプター1機のほか国家憲兵隊800名が駐留。(海外県などにおける現地民向けの)適応軍役制度兵(Service militaire adapté:SMA)は550名が所属。
人員3,200名から成り、1個歩兵連隊(第33海兵歩兵連隊)、フリゲート1隻(ヴァントーズ)、曳航船1隻、輸送機3機、ヘリコプター3機のほか国家憲兵隊550名が駐留。適応軍役制度兵は550名が所属。
人員3,800名から成り、2個歩兵連隊(第3外人歩兵連隊第9海兵歩兵連隊)、艦艇2隻、ヘリコプター7機のほか国家憲兵隊800名が駐留。適応軍役制度兵は700名が所属。

[編集] アフリカ大陸およびインド洋方面

人員1,950名から成り、1個歩兵大隊(第43海兵歩兵大隊)の駐留のほか、2つの作戦でフランス本国から部隊が増強駐屯している。
人員1,150名から成り、1個歩兵大隊(第23海兵歩兵大隊)、輸送機1機、偵察機1機、ヘリコプター1機が駐留。
人員1,150名から成り、1個歩兵大隊(第6海兵歩兵大隊)、輸送機2機、ヘリコプター6機が駐留。
人員1,550名から成り、作戦用基地が1箇所と1個統合任務群が駐屯。
人員1,200名から成り、戦闘機6機、輸送機2機、1個歩兵中隊が駐屯。
人員2,900名から成り、2個連隊(第5海外混成連隊第13外人准旅団)、輸送機1機、戦闘機10機、ヘリコプター10機、海上哨戒機1機が駐留。
人員350名から成り、1個歩兵分遣隊(マヨット外人部隊分遣隊)と2個義勇兵隊のほか国家憲兵隊300名が駐留。
人員4,000名から成り、1個空挺連隊(第2海兵歩兵落下傘連隊)、フリゲート2隻(フロレアルニヴォーズ)、偵察機2機、輸送機2機、ヘリコプター2機のほか国家憲兵隊1,050名が駐留。適応軍役制度兵は1,150名が所属。
海軍艦艇を中心に人員1,250名が展開している。

[編集] 太平洋方面

人員2,950名から成り、1個歩兵連隊(太平洋ニューカレドニア海兵歩兵連隊)、フリゲート1隻(ヴァンデミエール)、哨戒艇3隻、輸送機3機、ヘリコプター6機のほか国家憲兵隊900名が駐留。適応軍役制度兵は350名が所属。
人員2,400名から成り、1個歩兵連隊(太平洋ポリネシア海兵歩兵連隊)、フリゲート1隻(プレリアル)、海上哨戒機3機、輸送機2機、ヘリコプター2機、のほか国家憲兵隊540名が駐留。適応軍役制度兵は250名が所属。

[編集] 中東方面

人員2,300名が駐屯。
輸出兵器向け技術者を中心に派遣。2009年5月26日に最大500名規模の陸海空軍部隊の恒久基地をアブダビに新設。
国際連合平和維持活動に人員1,750名を派遣。

[編集] ヨーロッパ方面

KFORに人員2,100名を派遣。
アルテア欧州連合部隊に人員150名を派遣。

[編集] 最近のフランス軍の動向

[編集] NATOへの復帰

シャルル・ド・ゴール大統領による独自路線により、1966年NATOの軍事機構からは脱退していたが、親米派のニコラ・サルコジ大統領によって創設60周年を迎える2009年に全面復帰した。

[編集] 海外への展開

第二次世界大戦前と比べると大幅に少なくなったが、現在のフランス軍も常時海外へ展開している。一つは、南米やカリブ海、インド洋、太平洋に点在するフランスの海外領土の防衛の為に比較的小規模の部隊を常駐させている。一部では独立運動の鎮圧を行っている。

もう一つは、旧フランス植民地(多くはアフリカ)に旧宗主国として内戦や地域紛争に介入したり、ウラン鉱などの利権防衛の為に外人部隊などが派遣されている。植民地の独立後もフランスが利権を持つ地域は多く、過去の領土的野心ではなく、利権の防衛に主眼が置かれている。

さらにもう一つは、NATOやWEUなどと協調して多国籍軍に参加したり、ドイツと合同旅団を構成したり、国際的に多国間の枠組みの中で指導的立場としてふるまっている。

[編集] 核戦力

フランスの独自路線の象徴で、フランス軍の中でも最優先の位置付けで予算配分を受けている。フランス海軍戦略海洋部隊の戦略ミサイル原子力潜水艦にはM45潜水艦発射弾道ミサイルが搭載され、フランス空軍ミラージュ2000Nと海軍のシュペルエタンダールにはASMP空中発射型巡航ミサイルが搭載されている。

フランス陸軍はアルビオン高原にS-3中距離弾道ミサイルを配備していたが、冷戦の終結により撤去されている。

  • フランスの保有する核弾頭数
    • SLBM : 384発
    • ASMP : 空軍45発、海軍20発

[編集] フランス軍の歴史

[編集] 第一次世界大戦時のフランス軍

[編集] 第二次世界大戦時のフランス軍

マジノ線」も参照

詳細は「ナチス・ドイツのフランス侵攻」を参照

フランスは普仏戦争第一次世界大戦で戦火を交えたドイツ対策として、仏独国境線にマジノ線と呼ばれる大要塞群を構築することとした。この要塞線の建築でフランス軍の予算がほとんど使用されたため、装備の更新ができなかったという説があるが、これは正しくない。マジノ線の構築のためにフランスの軍事予算は毎年増額されたものの、1933年には58%、1934年には33%の予算を余らせていた。また、1940年には戦車2380両、軍用機2441機を保持しており、イギリス遠征軍を加えればドイツ軍に匹敵した。また個別の兵器でもソミュア S35ルノーB1などドイツ軍のII号戦車III号戦車を上回る能力を持つ兵器を装備していた[1]

しかしフィリップ・ペタンマキシム・ウェイガンモーリス・ガムランといった軍の首脳部は第一次世界大戦型の陣地戦による防衛を重視しており、戦車は各師団に分配され、機甲師団による集中運用ができなかった。シャルル・ド・ゴールを始めとする一部の軍人は機甲師団の創設などを訴えたが全く無視された。

また空軍も創設されず、陸軍の補助的存在に過ぎなかった。ペタンは配備された飛行機も、乱立する航空機メーカーが多種多様な航空機をそれぞれ生産していたため機種の統一が図れなかった。

海軍は新型戦艦ダンケルク級戦艦リシュリュー級戦艦)や多数の有力な艦艇、航空母艦も保有していたが、作戦海域を地中海に主眼を置いていた上、ナチス・ドイツの侵攻では陸戦が主体であったためさしたる行動も取れぬまま降伏を迎えた。

兵員面でもナポレオン戦争以来の兵員不足を補うため、植民地から徴用された兵士が多かった。また通信分野での理解も遅れており、すでに無線通信やテレタイプなどを採用していたドイツに対し、フランス軍は自動車やオートバイによる伝令、伝書鳩を主軸にしており、迅速な命令を下すことはできなかった。

このような状況で1940年フランスはナチス・ドイツの侵攻に直面した。フランス軍は敗退を重ね、一ヶ月足らずでフランスは降伏する。

降伏後、フランス軍はナチス傀儡のヴィシー政権軍と、ダイナモ作戦などによって亡命した自由フランス軍に分かれた。一部の海軍の艦艇はイギリス軍と戦火を交えたほか(メルセルケビール海戦)、1942年にドイツの接収を防ぐため、1942年に自沈している。その後、ヴィシー政権は中立を標榜したために表向きには戦闘を行わなかった。しかし植民地軍の一部は連合国軍と戦っている。

1942年、トーチ作戦により北アフリカのヴィシー政権軍は連合国軍と戦火を交えたが、フランソワ・ダルラン提督が降伏したため戦いは短期間で終わった。北フランスのヴィシー軍は自由フランス軍に合流したが、ヴィシーフランス本土はドイツ軍に占領された。その後、自由フランス軍は連合軍の一員としてノルマンディー上陸以降の反攻作戦で活躍し、パリ解放なども果たした。

[編集] 第二次世界大戦後のフランス軍

第二次世界大戦が終結すると、フランスは戦勝国としてアメリカやイギリスなどと共に資本主義国として冷戦を迎え、NATOに加盟し欧州の重要な軍事力として存在するようになる。

一方で、植民地内での独立の気運の高まりを押さえ込むために軍事力を行使することもあり、インドシナ戦争では近代的な兵力を投入したにも拘らず敗退してしまった。この他にも、アルジェリア戦争など植民地に於ける戦争が続発したが、フランスの植民地政策が民族自決を容認する方向へと転換されたため次第に植民地に対する軍事介入は減少した。

また、エジプトナセル大統領のスエズ運河国有化に端を発した第二次中東戦争には、イギリス、イスラエルと共に参戦したが、アメリカの圧力や国際社会の非難もあり撤退した。

これ以降、フランスはアメリカに頼らない独自路線を歩む様になり、NATOの軍事機構から脱退(事務レベルでは参加している)し独自の核戦力も保有、強化するようになる。フランス軍は国際平和活動などにも重点を置いていた他、脱退したとはいえNATOとの一定のパートナーシップを保持し続けた。

1991年湾岸戦争に際しては多国籍軍の一員として対イラク戦に参戦した。

冷戦構造崩壊後のフランス軍は、地域紛争に介入しこれの解決のために国連や他国との協調を重視し、NATO諸国との一層の関係強化を行っている。

2009年にサルコジ大統領がNATO創設60周年記念首脳会議にてNATO軍事機構への43年ぶりの完全復帰を宣言した。

[編集] 参考文献

  • La Documentation française, Défense et Sécurité nationale LE Livere Blanc, Odiile Jacob, juin 2008

[編集] 脚注

  1. ^ 児島襄 『誤算の論理』文春文庫 (1990年) 145-183p

[編集] 外部リンク

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最終更新 2009年11月22日 (日) 15:18 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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