| フランツ・ベッケンバウアー |
 |
| 名前 |
| 本名 |
フランツ・アントン・ベッケンバウアー |
| 愛称 |
皇帝(der Kaiser) |
| ラテン文字 |
Franz BECKENBAUER |
| 基本情報 |
| 国籍 |
ドイツ
オーストリア |
| 生年月日 |
1945年9月11日(64歳) |
| 出身地 |
ミュンヘン・ギーシング |
| 身長 |
181cm |
| 体重 |
75kg |
| 選手情報 |
| ポジション |
DF/MF |
| 利き足 |
右足 |
| 代表歴 |
| 1965-1977 |
ドイツ |
103 (14) |
| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
フランツ・アントン・ベッケンバウアー(Franz Anton Beckenbauer, 1945年9月11日 - )は、ドイツ(旧西ドイツ)・ミュンヘン出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現在のドイツサッカー協会(DFB)副会長、バイエルン・ミュンヘンクラブ会長、及びバイエルン・ミュンヘン株式会社の監査役長。2006 FIFAワールドカップドイツ大会では組織委員長を務めた。現役時代はリベロ(攻撃に参加するスイーパー)として世界のサッカー界に革新をもたらし、世界的な名声を得た人物である。
[編集] 人物
ピッチ上で味方の選手達を操るその威風堂々とした風格と、『神よ、皇帝フランツを守り給え』に詠われたオーストリア皇帝フランツ1世(最後の神聖ローマ皇帝フランツ2世)と同じファーストネームであることから、der Kaiser(皇帝)と呼ばれた。
同世代の最大のライバルにオランダのヨハン・クライフがいる。現役時代は数々の名勝負を演じ、監督となってからも何かと比較の対象にされる間柄である。
また、キャプテンと監督の両方で母国をFIFAワールドカップの優勝に導いた唯一の人物である(選手と監督としてはブラジルのマリオ・ザガロが1人目)。
[編集] プレースタイル
ベッケンバウアーという選手をリベロ・システム抜きに語ることは出来ない。いわば「攻撃に参加するスイーパー」であるこのポジションは、「ディフェンダーは守備の専門」という従来の概念を根底から覆す革新的なものだった。もちろんこのポジションをベッケンバウアーが確立できた背景にはその理論だけでなく、フィジカル重視で守っていた当時のディフェンダーとは明らかに一線を画す、彼の非常に高いテクニックとユーティリティー性があったことは言うまでも無い(ベッケンバウアーは史上最もテクニックの高い選手の一人である)。
またその絶大なる守備力の裏には、試合の流れを素早く読む天才的な洞察力があった。常にピッチ全体を見回して危険を素早く察知し、自らの早い動き出しと味方への的確な指示で相手攻撃陣を知らず知らずのうちに網にかけていく。その有機的な組織ディフェンスの完成度は、もはや芸術の粋に達していたと評する者もいる。
バイエルン・ミュンヘンでは長らくリベロの役割を任されていたが、代表では1966年と1970年の2つのW杯で中盤の底(今で言うボランチ)で攻守のバランスを取りながら果敢にゴール前に上がり、チャンスメイクと自らゴールに向かう動きをみせていた。 1971年から代表でもリベロに移り、1972年の欧州選手権と1974年のW杯という2大タイトルの制覇に大きく貢献した。
特に1972年の欧州選手権ではゲームメーカーのギュンター・ネッツァーとの間でポジションチェンジを行い、交互にゲームメークを担当する事で二人の天才の共存に成功。圧倒的な強さを誇った同大会の西ドイツ代表をドイツ史上最強に推す声も多い。しかし西ドイツW杯ではネッツァーでは無く、ヴォルフガンク・オフェラートをパートナーに指名している。
[編集] 経歴
[編集] 評価
1970年代にフットボール界で起こった革命、というと多くの人はクライフを中心としたアヤックスやオランダ代表の「トータルフットボール」を挙げるが、バイエルン・ミュンヘンと西ドイツ代表で創り上げられた「リベロ・システム」という理論もこれに匹敵する革命といえる。ただ世界の目に触れたのが皮肉にも、フィールドの全員が目まぐるしくポジションチェンジを行うオランダ代表のトータルフットボールと同じ1974年のワールドカップであったため、リベロ・システムは大会の脇役に置かれた感がある。
日本人最高のストライカーとして名高い釜本邦茂は、かつて対戦したベッケンバウアーの印象について、「後ろのほうでただフワーッと立っているだけという感じだったが、これはいけると思ってボールを持つと、イメージしたシュートコースはすべて塞がれていた」と話している。
[編集] 語録
- (1974年 西ドイツ大会優勝時)[1]
- 「(バロンドールを獲得するために)私はこれ以上何をすればいいんだ」
- (1974年に西ドイツ代表とバイエルン・ミュンヘンのキャプテンとしてワールドカップ優勝、UEFAチャンピオンズカップ優勝という偉業を成し遂げたにもかかわらず、同年代のライバルであるヨハン・クライフがバロンドールに選出された時に漏らしたコメント)
- 「サッカーは人生と同じだ、いつも上手くいくわけじゃない」
- 「サッカーを心の底から愛してこられたこと。強い意志で試合に臨めたこと。そして、運。この三つに自分は支えられた」
- 「まあ、見てみよう、そうすれば、分かるだろう」[2]
[編集] エピソード
- 1982年にオーストリア・チロル州に移住、1990年代前半にはオーストリア国籍を取得した。
- プライベートでは、2006年6月23日にバイエルン・ミュンヘンで秘書をしていた21歳年下のハイディ・ブルメスターと結婚。ドイツW杯期間中に結婚式を挙げたということで話題になった。ベッケンバウアーにとっては、これが3度目の結婚となる。ハイディとの間には既に2児をもうけていたが、同年に3人目を授かったために、W杯期間中であるにもかかわらず大急ぎで結婚式を挙げた。結婚式当時ハイディは40歳、ベッケンバウアーは61歳であった。ちなみにハイディとの間に生まれた2児、先妻との間に生まれた2児を含めると、5人目の子である。
- ベッケンバウアーと同じくバイエルン・ミュンヘンに在籍(2002-2006)したミヒャエル・バラックは、ベッケンバウアー後継者との評価も高く、彼のニックネームに準え、「kleiner Kaiser」(小皇帝)と呼ばれることがある。
- テニスの名手としても非常に名高い。「ベッケンバウアーにラケットを持たせたら、(ワールドカップのみならず)ウィンブルドンをも制したろう」とまで言われた。
- 2007年に公開されたドキュメンタリー映画「ペレを買った男」に出演している。
[編集] 所属クラブ
[編集] 選手
[編集] 監督
- 1984年-1990年 :
西ドイツ代表
- 1990年-1991年 :
オリンピック・マルセイユ
- 1993年-1994年 :
FCバイエルン・ミュンヘン
- 1996年 :
FCバイエルン・ミュンヘン
[編集] 獲得タイトル
- 代表
- クラブ
- 個人タイトル
[編集] 著書
[編集] 個人成績
| 年度 |
クラブ |
リーグ |
背番号 |
リーグ |
カップ |
欧州カップ戦 |
| 出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
| 1965-66 |
バイエルン |
ブンデスリーガ |
|
33 |
4 |
|
|
|
|
| 1966-67 |
バイエルン |
ブンデスリーガ |
|
33 |
0 |
|
|
9 |
0 |
| 1967-68 |
バイエルン |
ブンデスリーガ |
|
28 |
4 |
|
|
7 |
1 |
| 1968^69 |
バイエルン |
ブンデスリーガ |
|
28 |
2 |
|
|
0 |
0 |
| 1969-70 |
バイエルン |
ブンデスリーガ |
|
34 |
6 |
|
|
2 |
0 |
| 1970-71 |
バイエルン |
ブンデスリーガ |
|
33 |
3 |
|
|
8 |
1 |
| 1971-72 |
バイエルン |
ブンデスリーガ |
|
34 |
6 |
|
|
7 |
0 |
| 1972-73 |
バイエルン |
ブンデスリーガ |
|
34 |
4 |
|
|
6 |
1 |
| 1973-74 |
バイエルン |
ブンデスリーガ |
|
33 |
1 |
|
|
10 |
1 |
| 1974-75 |
バイエルン |
ブンデスリーガ |
|
34 |
5 |
|
|
7 |
1 |
| 1975-76 |
バイエルン |
ブンデスリーガ |
|
33 |
3 |
|
|
9 |
0 |
| 1977 |
ニューヨーク |
NASL |
|
21 |
5 |
|
|
|
|
| 1978 |
ニューヨーク |
NASL |
|
33 |
10 |
|
|
|
|
| 1979 |
ニューヨーク |
NASL |
|
18 |
10 |
|
|
|
|
| 1980 |
ニューヨーク |
NASL |
|
33 |
5 |
|
|
|
|
| 1980-81 |
ハンブルガー |
ブンデスリーガ |
|
18 |
0 |
|
|
|
|
| 1981-82 |
ハンブルガー |
ブンデスリーガ |
|
10 |
0 |
|
|
5 |
0 |
| 1983 |
ニューヨーク |
NASL |
|
27 |
2 |
|
|
|
|
| 通算 |
ドイツ |
390 |
38 |
|
|
70 |
5 |
| アメリカ |
137 |
44 |
|
|
|
|
| 合計 |
529 |
66 |
|
|
70 |
5 |
[編集] 脚注
- ^ 産経web・平成18年6月1日付
- ^ バイエルン方言:Schau ma mal, dann seng mas scho.
[編集] 外部リンク
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バロンドール受賞者 |
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| 1950年代 |
|
|
| 1960年代 |
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|
| 1970年代 |
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|
| 1980年代 |
|
|
| 1990年代 |
|
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| 2000年代 |
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