フリスト・ストイチコフ

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フリスト・ストイチコフ
名前
愛称 イッツォ (Itso)
バルカンの暴れん坊
ラテン文字 Hristo STOICHKOV
ブルガリア語 Христо Стоичков
基本情報
国籍 ブルガリア ブルガリア
生年月日 1966年2月8日(43歳)
出身地 プロヴディフ
身長 178cm
体重 73kg
選手情報
ポジション FW/MF
利き足 左足
代表歴
1986-1999 ブルガリア 83 (37)
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

フリスト・ストイチコフХристо Стоичков、Hristo Stoichkov、1966年2月8日-)はブルガリア出身のサッカー選手指導者。現役時代はフォワードとして活躍し、同国代表にも選ばれた。現役引退後はブルガリア代表やリーガ・エスパニョーラセルタ・デ・ビーゴで監督を務めた。

目次

[編集] 来歴

[編集] クラブ

少年時代は陸上競技選手として活躍し、100m走でブルガリアのチャンピオンとなった経験を持つ。1976年に地元のサッカークラブ、マリツァ・プロフディフに入団し、ヘブロス・ハルマンを経て1984年に国内最強のクラブであるCSKAソフィアに移籍。1989-90のシーズンにはリーグ戦で38得点を挙げ、ヨーロッパのリーグでの最多得点者に与えられるゴールデンブーツ賞を受賞した。

1990年スペインバルセロナに移籍。1991-92のシーズンにはUEFAチャンピオンズカップの優勝に大きく貢献した。1992年トヨタカップではブラジルサンパウロに敗れはしたものの、先制点となる20m弾丸シュートを決める活躍を見せた。

1994年にはブルガリア代表での活躍(後述)などもあってバロンドールを受賞している。

現役時代終盤にはJリーグ柏レイソル)やアメリカMLSでプレー。なお、バロンドール受賞者唯一のJリーガーである。2003年に引退。

[編集] ブルガリア代表

ブルガリア代表としては1986年にデビュー。1994年に開かれたワールドカップ・アメリカ大会ではクラシミル・バラコフと共にチームを牽引。準々決勝のドイツ戦において、75分に1-1の同点に追いつくフリーキックを決め勝利に貢献し、過去5回出場しながら1勝もあげることが出来なかった同国を初のベスト4進出に導いた。ストイチコフはこの試合を含め6得点を挙げ、ロシアオレグ・サレンコと共に大会の得点王に輝いた。

その後、1996年UEFA欧州選手権1996、1998年のワールドカップ・フランス大会にも出場したが、いずれもグループリーグ敗退に終わり、1999年に代表から退いた。ストイチコフは国際Aマッチ83試合に出場し37得点を挙げた。

[編集] 指導者

2004年7月から2007年4月までブルガリア代表の監督を務めたが、成績不振により辞任。同2007年4月にセルタ・デ・ビーゴの監督に就任した。就任時に降格圏内にいたセルタはその後も成績が上昇せず、セグンダ・ディビシオンに降格することとなった。2007-08シーズンも続投したが、2007年10月に解任された。

[編集] 評価

スピードと力強さを兼ね備え、左足での正確なプレースキックなど高い技術を持ち左右どちらのサイドでもプレーでき、また正確なインステップキックでのシュート力、決定力の高さを併せ持った、サッカー史上最高のウインガーの一人。守りで貢献する選手でないために試合では「消えている」時間も多い反面、その分緩急をつけたプレーに長けており、ワールドカップアメリカ大会でのアルゼンチン戦、メキシコ戦の先制ゴールはいずれも前がかりになった相手DFの裏へのスルーパスからトップスピードで抜け出してもぎ取ったものである。

我の強さからワンマンプレーヤーと見られがちだが、視野の広さや味方を活かすプレーも超一流。バルセロナ時代のロマーリオとのコンビプレーはその典型で、サイドチェンジやピンポイントのロングフィードで味方のチャンスを演出することもあった。

また、「ブルガリアサッカー史上最高の選手」といわれるほど高い評価を得ている。2004年3月にはペレが選ぶ『偉大なサッカー選手100人』にブルガリアから唯一選出された。

その一方で、気性の激しい性格から敵・味方双方に怒鳴り散らしたり、審判に執拗に食い下がって抗議する場面もしばしばみられ、CSKAソフィア時代には無期限出場停止処分を受けたこともある。バルセロナにおいては、抗議の域を超えて審判の足を踏みつけ、2ヶ月間の出場停止処分を受けた。またインタビューではよく大口を叩くことで知られ、物議を醸すこともあった。

バルセロナでキャリアのピークを迎えたためライバルのレアル・マドリーの事を嫌悪しており、マドリーに対する批判をたびたび公言している。(そのためバルサファンからは引退した今でも人気がある)

[編集] 所属クラブ

[編集] 指導歴

[編集] エピソード

  • 大相撲の琴欧洲はストイチコフのファンである。自身が“角界のベッカム”とあだ名されていることについて、「僕はベッカムよりストイチコフのほうが好きだ」という旨の返答をした。
  • 2006年5月に行われたキリンカップでブルガリア代表を率いて日本代表と対戦する際に、試合が行われた長居スタジアムにストイチコフの名前を告げる場内アナウンスが流れると、スタジアムからは大きな拍手が起こった。
  • そのパワフルなプレーに反してピッチの内外での紳士振りが評価されたが、自らの引退試合でまだ学生の相手選手に対し非常識な体勢からのファウルを行い、骨折させた。悪意あるプレーだとして当時のタブロイド紙や雑誌に批判を受けた。
  • 母国の新聞で、バルセロナの監督をするのが夢だと語っている。バルセロナを率いた経験のあるルイス・ファン・ハールについては、「頭は大きいものの脳みその小さい無能な人物」と酷評している。
  • 1993-94シーズンを前にロマーリオがバルセロナに移籍。双方ともにアクの強い悪童としても名前が知れており、衝突も予想されたが実際はお互いに認め合う親友となった。
  • レイソル時代に、自らの得点を味方に奪われる形にあった際には試合中にも関らず激怒していた。

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ブルガリア リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
1982-83 ハルマンリ 11 4
1983-84 ハルマンリ 21 10
1984-85 CSKAソフィア 11 0
1985-86 CSKAソフィア 0 0
1986-87 CSKAソフィア 25 6
1987-88 CSKAソフィア 27 14
1988-89 CSKAソフィア 26 23
1989-90 CSKAソフィア 30 38
スペイン リーグ戦 国王杯 オープン杯 期間通算
1990-91 バルセロナ プリメーラ 24 14
1991-92 バルセロナ プリメーラ 32 17
1992-93 バルセロナ プリメーラ 34 20
1993-94 バルセロナ プリメーラ 34 16
1994-95 バルセロナ プリメーラ 27 9
イタリア リーグ戦 イタリア杯 オープン杯 期間通算
1995-96 パルマ セリエA 23 5
スペイン リーグ戦 国王杯 オープン杯 期間通算
1996-97 バルセロナ プリメーラ 22 7
1997-98 バルセロナ プリメーラ 4 0
ブルガリア リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
1997-98 CSKAソフィア 4 1
サウジアラビア リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
1997-98 アル・ナスル 5 1
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1998 31 J 16 8 0 0 1 0 17 8
1999 8 J1 11 4 1 1 - 12 5
アメリカ リーグ戦 リーグ杯 USオープン杯 期間通算
2000 シカゴ・ファイアー 18 9
2001 シカゴ・ファイアー 17 6
2002 シカゴ・ファイアー 16 2
2003 D.C. ユナイテッド 21 5
通算 ブルガリア
スペイン プリメーラ 177 83
イタリア セリエA 23 5
サウジアラビア
日本 J1 27 12 1 1 1 0 29 13
アメリカ
総通算

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月17日 (火) 00:13 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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