フリーメイソン
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フリーメイソン(英: Freemason)は、会員同士の親睦を目的とした友愛団体。イギリスで発生し世界中に派生した男性の入社的秘密結社(「非公開団体」といっている)である。「フリーメイソン」は厳密には各個人会員の事を指しており、団体名としては英: Freemasonry(フリーメイソンリー)、仏: Franc-maçonnerie(フランマソヌリ)、独: Freimaurerei(フライマウレライ)である。以下、英語的な発音である「フリーメイソンリー」と記載する。なお本項目は「フリーメイソン」と記述しているが、日本グランド・ロッジの記述は「フリーメイスン」となっている[1]。
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[編集] 概要
[編集] 活動内容
フリーメイソン日本グランド・ロッジの公式ホームページによれば、「会員相互の特性と人格の向上をはかり、よき人々をさらに良くしようとする団体」であるとされているが、具体的な活動内容は非公開である。対外的には学校設営や、慈善団体への資金援助などのチャリティ活動を行っており、日本では5月に子供祭り、8月にバーベキューが催され、これには会員以外の一般人も参加可能であるという。 会員同士の親睦を深め合うことも活動の一環であり、集会後の食事会も正式な活動である。初期のロッジは、レストランやパブ、居酒屋が多かった。
[編集] 特徴
フリーメイソンリーは、原則として国や州を単位とする、グランド・ロッジと呼ばれる本部があるものの、全体を統制する総本部はない。ただし、最初にグランド・ロッジの成立した、イングランドのグランド・ロッジによる認証が本流であるとする認識から、これを「正規派」「正統派」と称し、同グランド・ロッジが認証しないロッジは非正規な存在と見なされることが多い。以下の「#会員数」「#入会条件」も、正規派とされるフリーメイソンリーの例である。
グランド・ロッジはプロビンシャル・グランド・ロッジ (Provincial Grand Lodge) やディストリクトグランドロッジ (District Grand Lodge) と呼ばれる県・地域支部、および直轄に管理されるロッジで構成され、県・地域支部はロッジと呼ばれる支部から構成される。ただし、活動規模の小さい国や地域では、グランドロッジは県・地域支部を置かず、ロッジを直接管理している場合もある。日本においては厚生労働省認可の財団法人「東京メソニック協会」と任意団体「日本グランド・ロッジ」傘下のロッジ群の2形態で構成され、メソニック協会所有の建物に日本グランド・ロッジが入居し、各ロッジの福祉関連事業は財団の事業予算で支援されている。また、イングランド系、スコットランド系、フィリピン系、アメリカ・マサチューセッツ州の系統、アメリカ・ワシントン州のプリンス・ホール系(黒人系)ロッジが日本グランド・ロッジとは別系統で存在する。それらの殆どは在日米軍基地内にある軍事ロッジ(軍人により設営されるロッジ)である。
ロッジは他のロッジから認証されることで、フリーメイソンのネットワークに加入できる。あるロッジの振る舞いがフリーメイソンリーとして不適切であった場合、他のロッジはそのロッジへの認証を取り消すことで排除する。正式名称が Free and Accepted(承認された) Masons であるのはそのためである。
会員は"Brother"(兄弟)と互いに呼びあう。会員は秘密の符牒(ふちょう)で「兄弟」かどうかを見分け、「兄弟」はいざという時は助け合うことになっている。欧米には有力者の会員も多いため、さまざまな場面で有利に働くことがあるという。ただし、ロッジには外の問題を持ち込まない決まりになっているため、即物的に利益が得られるわけではない。
[編集] 会員数
会員数は、同じく日本グランド・ロッジによれば、世界に約300万人。『朝日新聞』に明らかにしたところによれば、日本での会員数は約2000人で、多くは在日米軍関係者。日本人は300人程度という[2]。
[編集] 入会条件
入会資格として何らかの真摯(しんし)な信仰を要求しており、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教(以上アブラハムの宗教)の信徒はもちろん、仏教徒などであっても入会できるが、無神論者、共産主義者は入会できない。たとえ信仰する宗教があったとしても、社会的地位の確立していない宗教(例として新宗教各派)である場合は入会できない。ただし、特定の宗教を信仰していなくても、神(あるいはそれに類する創造者)の存在を信じるものであれば、入会資格はある。これらの信仰を総称して、「至高の存在への尊崇と信仰」と呼ぶ。
そのほかの入会資格として、成年男子で、世間での評判が良く、高い道徳的品性の持ち主であり、健全な心に恵まれ、定職と一定の定収があって家族を養っていること、身体障害者でないことが求められる。ロッジ会員の投票で全会一致の承認を得た上で、さらに身辺調査を行い最終的に決定する。また、入会時には4万円から6万円程度の一時金が必要である。そしていざ入会する際には儀式の暗記と宣誓の暗唱が求められる。そのため事前にコーチが付いてレクチャーも行われる(なお、昇級においても儀式の暗記と宣誓の暗唱が求められる)。入会を拒否された場合でも、一定期間を置いて再申請は可能。 儀式の中にはソロモン神殿の築家棟梁ヒラム・アビフの伝承等をメイソンの理念に絡めた演劇を行うものが存在する。
日本グランド・ロッジでは、月に1度無料説明会を行っている[3]。1970年代には会員数が5000人規模に達したが、その後減り続け、2000人規模まで落ち込んだ。2006年、『ダ・ヴィンチ・コード』が映画化され、これを観た入会志望者が増加。無料説明会を開くようになった。しかし、広報担当の渡辺一弘によると、「人脈作りを期待したり、秘密結社という想像を膨らませたりして入って、期待と違うとやめていく人が多い」という[2]。
また、ロッジにおける政治活動も禁じられており、宗教や政治問題を持ち込んではならないとしている。
自分が会員であることを隠す必要はなく、会員であることを公言している人もいる。ただし、自分以外の会員について、その者が存命中に会員であることを公表することは禁じられている。入会勧誘は内規で禁じており、公募はしていない。入会には2人の推薦者(保証人)が必要とされる。
外部の取材については、かつては厳しく制限していたが、近年はグランドマスターの就任式を公開したり、テレビカメラの前で会員が儀式劇を再現するなど少しずつ情報公開に方向転換している[4]。ちなみに、日本グランド・ロッジの儀式見学を許された初めての取材者は赤間剛である[5]。これはあくまで外部取材についての話で、会員のジャーナリストはこれ以前から少なからず存在する。
女性は入会することができないが、第3階級マスター・メイソンの妻、母、姉妹だけが入会できる外郭団体イースタン・スター (The International Order of Easten Star) が存在する。女性が入会できない理由は、石工職人団体時代において、女性が男性と同様の危険な作業を行うことが困難であったことに起因している。
また、一部のロッジでは、女性会員を認めているところもあるが、多くのロッジでは伝統などを理由にこれを認めておらず、排除している。ちなみに女性会員の場合でも呼び方は「シスター」ではなく「ブラザー」である。
[編集] 「非正規」なロッジについて
イングランドのロッジが認証していない「非正規」ロッジと、フリーメイソン以外の秘密結社の区別は、しばしばあいまいである。
[編集] フランス大東社とフランスでの動向
「非正規」派のグランド・ロッジとして有力なのは、フランスの「フランス大東社」である。ただし、当初は英米系と相互承認関係にあった。同ロッジは従来のフランス・グランド・ロッジから独立した勢力を統合し、1773年10月22日発足した。仏大東社は、英米系のロッジと違い、組織として政治活動に加わる者も少なくなかった(フランス革命では、フリーメイソン思想のかかわりが指摘される反面、関係者が多数処刑されている。また、ロッジとしてはむしろアンシャン・レジームの立場で、革命は彼等の予想外の出来事だったとする研究もある[6]。従って、政治活動に加わっていても、組織だって革命に与したかどうかは議論がある)。
フランスでフリーメイソンリーが政治的影響を強めるのは19世紀後半、第三共和制期に入ってからである。政治活動を禁じた「正規派」と異なり、仏大東社は圧力団体としても機能した。
1877年9月13日、仏大東社は憲章を改訂して「至高の存在への尊崇と信仰」の義務規定を撤廃し、「良心の自由と人間性の確立」を新たな基本理念と定めた。これを基本理念の逸脱と見なした英系ロッジは、仏大東社の認証を取り消した。ただし、「正規派」メイソンの片桐三郎によれば、1867年、仏大東社がアメリカ・ルイジアナ州に設立したスコティッシュ・ライト評議会(上位階級授与のための組織、後述)が、同州のグランド・ロッジに管轄権を要求したため、米国系ロッジはこれを不服とするルイジアナ州のグランド・ロッジの要請に基づき、仏大東社の認証を取り消した事件があった。片桐によれば、英米系との対立はこの事件がきっかけであり、憲章改訂はだめ押しに過ぎなかったとしている[7]。その結果、仏大東社は「無神論者」のレッテルを貼られたが、これは信仰しない自由を認めたものであり、信仰そのものの否定ではない。さらに、その後共産主義者の入会も認めたが、実際に入会する者はまれである。
また、フランスのロッジに女性会員(仏大東社自体は認めていない[8])やアフリカ系(黒人系)会員を認めたことも、「正規派」による非難の理由とされた。すなわち、当時の「正規派」が人種差別思想を多分に持っていたことを意味する。
現在でも、フランスでは仏大東社系のフリーメイソンリーが最大勢力である[9]。政治的には、19世紀末から20世紀初めに、カトリックとの対立の所産でもある政教分離推進に強い影響力を持った。そのため、1904年にはフランスはローマ教皇庁との国交断絶に至った(現在は国交回復)。その後影響力を低下させたが、1936年の総選挙で人民戦線が勝利した背景にも、仏大東社の仲介があったという。戦後も、民族自決の立場からフランス植民地だったアルジェリア独立を支持するなど、仏大東社は政治的発言を行っている(特定の支持政党はないが、おおむね社会党に近いとされる)。
仏大東社は、ベルギー大東社などとCLIPSASを設立している。「正規派」に比べて少数ではあるが、欧州や中南米を中心に約8万人がこれに属しているという。
[編集] プリンス・ホール(黒人ロッジ)
過去に「非正規」派として知られていたのが、アメリカの黒人によるグランド・ロッジ(プリンス・ホール系)である。1784年9月20日、ボストンで設立された。こちらも1787年に一度イングランドのグランド・ロッジから認証を受けていた。しかし、活動が休眠状態となり、納付金滞納を理由に1813年に認証を取り消された。
1827年、活動を再開し納付金支払いを英グランド・ロッジに願い出たが、英側はこれを無視した。やむなく、同年6月28日、独自のグランド・ロッジ設立を宣言。仏大東社との大きな違いは、黒人によるロッジは、従来の英米系ロッジと全く変わることのない憲章を奉じていたことである。そのため、最初の納付金滞納はともかく、その後支払いを願い出ても相手にせず、英米系ロッジが黒人のグランド・ロッジを無視し続けたことは、英米系ロッジによる人種差別思想の表れといえた。
黒人によるロッジは独自に勢力を拡大し、米国とカナダを中心に、日本にもロッジを設けている。「正規派」が黒人によるロッジを再認証するようになったのは、1980年代も後半になってからである。1994年には、イングランド・グランド・ロッジとの相互認証を回復した[10]。
[編集] 陰謀論と社会的影響
フリーメイソンリーはユダヤ系の団体ではない。確かに旧約聖書が儀式に用いられ、ソロモン王など古代ユダヤ系の人物が儀式に登場するが、それだけでユダヤ系、ユダヤ教的とは言えない。また、ユダヤ人の参加も当然あるが、それは団体の理念が人間の理性や博愛にあり(超宗教的思想)、特に近代以前の社会において、日常におけるポグロムの恐怖からの解放を願うユダヤ人にとっては、積極的に参加する動機が十分にあったことによると考えられる。また、ドイツにおいては第一次世界大戦敗戦まで、ユダヤ人を排除したロッジも少なくなかった。
太田龍やオウム真理教(現:アーレフ)の麻原彰晃など、ユダヤ陰謀論者はユダヤ人による陰謀の関連組織として、イルミナティや300人委員会などと並んで非難している。こうしたユダヤ人とフリーメイソンを結びつける陰謀論は、現在は偽書であることが判明している『シオン賢者の議定書』や、ドイツのエーリヒ・ルーデンドルフ、ナチス党政権下のドイツによって広められたものが原形となっているといわれる。前述のように、ドイツのフリーメイソンリーは第一次大戦までユダヤ人を差別していたので矛盾するが、民衆の英仏への反感と結び付いて広まり、特にアドルフ・ヒトラー政権下では猛威を振るった。よって、いわゆる暴露本の情報を元に安易に結論を下すのは避けたほうがよい。
また、都市伝説・陰謀論を扱った書籍・テレビ番組やWEBページなどでしばしば国家の転覆や戦争などを目論む秘密結社として扱われる。これは活動内容がよく分かっていないことや、フリーメイソン自体が日本であまり知られていないこと、さらにアメリカ大統領など政財界の大物に会員が多いことと関係がある。日本では後述のように長く日本国内での日本人の入会、日本社会への接触・宣伝が行われなかった中、ドイツ経由などで陰謀論が先に広まり、陰謀論によってフリーメイソンの存在を知った人も多いことからその傾向は強い。
実際問題として、組織としての政治へのかかわりを禁じているといっても、有力者が会員として存在し、また世界的な組織である以上、国際政治に無縁な組織と見なすことは難しい。たとえば1981年には、すでにフリーメイソンのロッジとしての承認を取り消されていたイタリアのロッジ「P2」が、承認取り消し後にも元会長で極右政党幹部のリーチオ・ジェッリや、アンブロシアーノ銀行頭取のロベルト・カルヴィらの元メンバーがその後も「P2」として活動し、イタリア共産党を除く政財界やマフィア、ヴァチカンとの間を結び付けていた。そして、国際的に反共勢力の援助を行い、さらに国内ではクーデターを企図したことが明るみに出た事件があった(P2事件)。その結果、P2の関係者で、他のロッジのメンバーとなっていた者はフリーメイソンリーを追放された。このように、個々のロッジの次元を超えた政治的、社会的活動や陰謀の存在がないとはいえない。
過去には、第一次世界大戦中に「イングランド・グランド・ロッジ」は、敵国となったドイツ、オーストリア、ハンガリー、トルコ(オスマン帝国)出身者の会員すべてを追放し、戦後もしばらく解除されなかったことがあった。戦後、フランスとドイツのフリーメイソンリーが両者の親善を協議したものの、戦争犯罪については意見が折り合わなかった。このように、フランス系は元より、政治と距離を置く正規派(英米系)においても、政治の影響は避けられなかった。
[編集] 起源
- 中世イギリスの石工職人のロッジ説
- 1360年、イギリス、ウィンザー宮殿の建造の際に徴用された568人の石工職人達が、数百年に渡るゴシック建築のプロジェクトを遂行しようとしたときに自分たちの権利・技術・知識が他の職人に渡らないようにロッジで暗号を使用したのが始まりとされる。成立の時期は諸説あるが、石工組合説が現在の通説である。なお、ロッジとギルドはしばしば混同されるが、厳密には別のものである。ギルドは自治都市を基盤としていたため、よそ者に排他的だった。しかし、石工は工事の状況に応じて雇用する必要があり、工事現場を渡り歩く職人も珍しくなかった。そのため、古くからロッジ間の交流があり、また他所のロッジに出向く時に同業者を見分ける手段として、暗号や符牒が発達したのである。もっとも、中にはギルドとロッジが同居している場合もあった。また、ロッジという形態を生んだのはスコットランド・イングランド・アイルランドだけで、さらに現在のフリーメイソンリーに発展したのは、直接的にはほぼスコットランドのみとされている。他の地方では、最後まで文字通りの石工のギルドとして存在した。
- テンプル騎士団説
- ソロモン神殿建築家説
- ソロモン神殿の建築家を起源とする説はフリーメイソンリーの自称である。ソロモン神殿建築の際の建築家棟梁ヒラム・アビフが建築家集団を「親方」「職人」「徒弟」からなる集団に分け、それぞれに秘密の合言葉や符牒を定めて仕事に当たらせた。神殿伝説を参照。
- 近代設立説
- 起源がどこにあるにせよ、現代のフリーメイソンリーの発足を1717年6月24日のロンドン、グランド・ロッジの結成とする説。これはこのロッジの結成を転機としてフリーメイソンリー自体の性格が大きく変貌を遂げるからである。そして1723年、ジェームズ・アンダーソンにより「フリーメイソン憲章」が制定された。
- ピラミッド建設の際の石工集団説
[編集] 歴史
[編集] 総説
石工職人団体としてのフリーメイソンリー(実務的メイソンリー)は衰えたが、イギリスでは建築に関係のない貴族、紳士、知識人がフリーメイソンリーに加入し始めた(思索的メイソンリー。「思弁的-」とも)。それと共に、フリーメイソンリーは職人団体から、友愛団体に変貌したとするのが通説である。
または、実務的メイソンリーとの直接の関係はなく、その組織を参考に、貴族たちが別個に作ったのが、思索的メイソンリーであるともいう。中世ヨーロッパでは、建築はあらゆる分野の技術に精通する必要がある「王者の技術」とされ、建築学や職人の社会的地位は高かった。また、技術の伝承についても、厳しい掟(おきて)が設けられた。その神秘性から、実務的メイソンリーが貴族などに注目され、薔薇十字団の正体ではないかと期待する者もあった。もっとも、これについては実務的メイソンリーはあくまでも石工団体であり、期待は裏切られた結果に終わったようである。
石工団体を元にした名残りとして、石工の道具であったコンパスと直角定規がシンボルマークとして描かれ、内部の階位制度には「徒弟(Entered Apprentice)、職人(Fellow Craft)、親方 (棟梁とも訳す。Master Mason)」の呼称が残っており、集会においては、元は石工の作業着であるエプロンを着用する。なお、ピラミッドに目の「プロビデンスの目」はイルミナティのシンボルとよく誤解されるが、フリーメーソンのシンボルである。しかしフリーメイソンのオリジナルではなく、このシンボルはかつて啓蒙思想の者が好んで使用し、ヨーロッパで流行したシンボルであった。
友愛団体に変貌したフリーメイソンリーは、イギリスから、商業や文化のネットワークを介して、ヨーロッパ諸国、ロシア、アメリカ大陸、さらには西欧諸国従属下にあるアフリカやアジアの植民地にまで広まった(ただし、植民地や居留地におけるロッジは初期はあくまで居留民のためのものであり、現地人の入会は認められなかった)。民間人を対象とする国際的な互助組織がない時代だったので、会員であれば相互に助け合うというフリーメイソンリーは、困難を抱えた人間にとって非常にありがたかった。ウィーンのロッジに加入していたモーツァルトはフリーメイソン兄弟に借金の無心をするなど、つてを頼っている。
フリーメイソンリーが広まった時期は、絶対王政から啓蒙君主、市民革命へと政治的な激動が続く時代でもあり、特定の宗教を持たずに理性や自由博愛の思想を掲げるヨーロッパ系フリーメイソンリーは、特定の宗教を否定することから、自由思想としてカトリック教会などの宗教権力からは敵視された。とりわけフランス革命の当事者たちの多くがフリーメイソンであったため、しばしば旧体制側から体制を転覆するための陰謀組織とみなされた。アメリカにおいても独立戦争にかかわった多くの会員がいたにもかかわらず同様であった。なお、自由の女神像はフランス系フリーメイソンリーとアメリカ系フリーメイソンリーの間に交わされた贈り物であった[要出典]。
カトリックとの対立関係は長く、1738年に時のローマ教皇クレメンス12世がフリーメイソンの破門を教書で宣告した(ただし、直接対立したのは前述のフランス大東社系が中心)。もっとも、カトリックの影響力低下もあり、もとよりイギリスなどプロテスタント(あるいはイギリス国教会)諸国では破門の影響はほとんどなかった。一方カトリックの少なくないフランスでは、両者の対立はカトリックによる一方的な圧力に留まらず、逆に政教分離を主張したフリーメイソンリーなどの影響で、公立学校から聖職者が追放される事態も起こった。1983年に破門は一応解除されたが、カトリックは公的にフリーメイソンを危険視する姿勢を崩していない。しかし、カトリックでフリーメイソンリーに入会する者は少なくないという。
フリーメイソンリーの入会儀式は秘密とされたが、そのために、かえってさまざまな好奇心をかきたてた。トルストイの『戦争と平和』では1810年代のロシアのフリーメイソンの会合が描写されている。またモーツァルトの『魔笛』にフリーメイソンリーの入会儀式の影響を指摘する意見もある。
フリーメイソンに関する歴史やテンプル騎士団との関係については、M.ベイジェント、R.リー『テンプル騎士団とフリーメーソン』(林和彦訳、三交社刊)に詳説されている。
元フリーメイソンであった創始者による新宗教も多く、モルモン教の創始者ジョセフ・スミス、エホバの証人の創始者チャールズ・テイズ・ラッセル、クリスチャンサイエンスの創始者メリー・ベーカー・エディらがいる。
また、ロータリークラブの創始者であるポール・ハリスはフリーメイソンであったが、社会奉仕と慈善活動に専念する公開結社として、ロータリークラブを設立したといわれている。ただし、ロータリークラブ側は、組織としてのフリーメイソンリーとのつながりは否定している。
[編集] 日本
2007年(平成19年)現在、日本では北は北海道南は九州まで、20~25のロッジが存在し約2,300人のメンバーが日本のGrand Lodgeに存在する[11] 。
日本でフリーメイソンリーとのかかわりが始まるのは、江戸末期、開国してからである。それ以前については、現在のところ記録はない。 ペリーの横浜来航によってすぐに日本にもたらされた暗黙の友愛は徐々に日本に浸透して行き、 林董初代陸軍軍医総監は最初のFreemasonryだったと言われる。
1860年2月26日(安政7年2月5日)、横浜で攘夷派によってオランダ人船長W・デ・フォスと、商人N・デッケルが暗殺された。外国人達は攘夷派への示威行動の意味もあり、できるだけ盛大に二人の葬儀を行おうとした。この時、殺された二人はフリーメイソンであると言われており、外国人のメイソン達は、儀式用の正装であるエプロン着用で葬儀に臨んだ。これが日本におけるフリーメイソンの最初の記録という(ただし、二人が会員であった証拠は見つかっていない)。二人は横浜の外国人墓地に埋葬され、その墓は現存している[12]。
1864年(元治元年)、イギリスは居留民保護のため英国歩兵第20連隊、ランカシャー・フュージリア隊を香港から横浜に移動させた。同隊の軍隊ロッジ「スフィンクス」は、隊員のためのロッジであるが、在日イギリス人のためのロッジとしても機能し、また恒久的な民間ロッジ設立のための手助けをした。1865年1月、スフィンクス・ロッジは横浜在住のフリーメイソンから家を借り、これをロッジとして日本初の集会を行った。スフィンクス・ロッジは1866年(慶応2年)3月に離日したが、改めて民間ロッジとしてイングランド・グランド・ロッジの承認を受け、6月26日、「横浜ロッジ」として恒久的な民間ロッジとなった。このロッジは現存しないが、1870年(明治3年)発足のロッジ・兵庫・大阪(神戸)が現存最古の日本のロッジである。
薩長同盟が坂本竜馬の海援隊から入手した武器は、イギリス人武器商人トーマス・ブレーク・グラバーが仲介しており、彼はフリーメイソンだったという説がある。しかし、グラバーは幕末長崎に住んでいたが、かれがフリーメイソンだった証拠はなく、また長崎にロッジが設立されたのは1885年で、両者の関係ははっきりしていないが、グラバー邸は今も長崎の観光名所である。
日本人のフリーメイソンは、1864年、留学先のオランダで入会した西周と津田真道が最初という[13]。しかし、第二次世界大戦以前の日本では、日本人の会員はほとんどいなかった。明治政府は結社の自由・集会の自由を厳しく制限しており、1887年(明治20年)、事前届け出がなく、あるいは警察官の立ち会いのない集会を禁じる保安条例を発令した。直接的には自由民権運動を弾圧するものであったが、同法は秘密結社を禁止しており、フリーメイソンリーにとっても保安条例が適用されれば、最低でも集会に警察官の立ち入りを要求されるのは明らかであった。この時期、不平等条約によって外国人は治外法権に置かれていたが、不平等条約が是正されれば、フリーメイソンリーに官憲の手が及ぶのは時間の問題と思われた。
そこで、フリーメイソンで、お雇い外国人として日本政府の通信技術顧問であったW・H・ストーンを代表として、日本政府と協議した。フリーメイソンリーは日本政府と対立する意志はなかったので、ストーンはフリーメイソンリーの非政治・非宗教性を説き、欧米各国で政府に承認・支持されていると強調した。その結果、フリーメイソンリーは保安条例の対象外とする代わり、日本人を入会させないこと、日本社会への接触・宣伝をしないという「紳士協定」を交わしたという。この協定は口頭によるもので、日本側の書類としては発見されていない。ただ、フリーメイソンリー側には、協定遵守を申し合わせた記録が残っているという[14]。保安条例の廃止後も、治安警察法によって結社は届出制(内務大臣権限によりいつでも禁止可能)とされ、秘密結社の禁止は続いた。フリーメイソンリーは日本人への働きかけを自粛し、日本人から隔絶した存在であり続けた。戦前にフリーメイソンリーに入会した日本人は、海外のロッジでの入会者に限られていた。
しかし、そのために「外国人だけが入会するスパイ団体」「日本人はのけものにされ、入会はおろか見学さえもさせぬ反日・反国体的人種差別団体」という非難にさらされることになった。昭和期、日独伊三国同盟が成立すると、ナチス・ドイツの影響でフリーメイソン陰謀論、ユダヤ陰謀論が広まった。既に大正時代、今井時郎や樋口艶之助は、フリーメイソンリーの自由主義・民主主義的理念を共産主義の発生源と非難していた。昭和にはいると、陸軍中将の四王天延孝は、ナチスの影響を否定しつつ、ユダヤ・フリーメイソン陰謀論を流布した。四王天は、『シオン賢者の議定書』を陰謀の物証とした。
1941年(昭和16年)、日本がアメリカに宣戦布告すると(太平洋戦争)、ロッジはことごとく憲兵・特別高等警察によって閉鎖に追い込まれ、書類・備品は全て押収された。
1945年、日本の敗戦で第二次世界大戦が終わると、1946年よりロッジの再建が始まった。そして、1950年1月5日、佐藤尚武、植原悦二郎、三島通陽、高橋龍太郎、芝均平らが、初めての日本における日本人会員となった[15]。この時点で日本のロッジはフィリピン・グランド・ロッジの傘下にあり、フィリピンの対日感情は最悪だった。4月8日フィリピン代表のマウロ・バラディが来日し、「世界平和のために、日本人を兄弟として握手しようと決心し、過去の罪を許してメーソンとして迎えるべく決意した」と演説した。星島二郎はこれに応え、国会にフィリピンに対する謝罪決議を提出し、全会一致で可決させたという[16]。
自身も会員であったダグラス・マッカーサーは、対日政策の一環として、皇族を皮切りに日本の指導者層を入会させ、最後は昭和天皇を入会させる腹づもりであったという(フリーメイソンリーは直接的な勧誘はしないことになっているので、それとなく興味を持たせるようにした)。フリーメイソンリーは、米国にとっては冷戦下の反共の砦としても期待されていた[17]。昭和天皇の入会は実現しなかったが、はるか後年の1995年にも、リチャード・クライプ元グランド・マスターが取材に「日本でも天皇陛下がメンバーだったら、偏見がなくなり、もっともっと簡単にメンバーを集めることができるでしょう。もし、天皇陛下に入っていただければ、私は名誉グランド・マスターにしてさしあげたい(笑)。」[4]と答えており、現在でも天皇の入会を期待しているものと思われる。
フリーメイソンリーの初代使用人となった東久邇宮稔彦王は鳩山一郎らと共に現代日本の礎を築く事になる。幣原喜重郎は「自由、平等、および仲間を歓迎するのは素晴らしい。私は何十年も前からロンドンで参加している。」と述べている。 1955年3月26日に鳩山一郎は最初のDegree Masonsとしてグランドマスターの位を授かっている。
1957年には会員数が2500人を超え、独立したグランド・ロッジを構えるべきという気運が高まり、3月に東京グランド・ロッジを設立した。初代グランド・マスターは、ベネズエラの外交官カルロス・ロドリゲス=ヒメネスであった。
[編集] 階級
| 階級 | 名称 | 和訳名称[18] | 区分1 | 区分2 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | Entered Apprentice | 徒弟 | Blue Lodge (ブルー・ロッジ、青ロッジ) |
|
| 2 | Fellow Craft | 職人 | ||
| 3 | Master Mason | 親方 | ||
フリーメイソンリーの階級はこれだけである。ただし、実務的メイソンリーの組織では「徒弟」「職人」の2階級のみで、親方は職人の代表者という位置付けであり、階級ではなかった。また、徒弟のさらに下に、ロッジに加入していない下働きの石工も存在した。親方が階級として分化したのは18世紀に入ってから、思索的メイソンリーによるものである。1717年のグランド・ロッジの成立から、遅くとも1730年には導入され、次第に定着していった[19]。これは、他の職業のギルドが、早くから3階級に分かれていた影響もあったといわれる。
実務的メイソンリーでは、徒弟から職人への進級は最低7年を必要とし、さらに技能試験に合格する必要があった[20]。しかし、現在の思索的メイソンリーでは、石工の実務を修行するわけではないため、親方への進級は3-4か月で可能である[21]。
一般的にフリーメイソンリーの上位階級として知られているのは、関連組織のスコティッシュ・ライト(スコッチ儀礼)、ヨーク・ライト(ヨーク儀礼)が用意した階級[22]である。スコティッシュ・ライトは30階級、ヨーク・ライトは9階級の上位階級を用意している。かつてのオリエンタル・ライト・メンフィス(メンフィス東方儀礼)では、94もの上位階級を設けていた(後に30階級に削減)。
1737年3月21日、フランス・パリで、騎士のアンドリュー・M・ラムゼイがフリーメイソンリーの目標は世界を一大共和国となすことで、起源は石工組合ではなく十字軍であると主張した演説を行った。上位階級が記録されているのはこれ以降のことであり、ラムゼイの演説をきっかけに創設された可能性が高い。また、ラムゼイは暗にテンプル騎士団とのかかわりもほのめかしたという。なお、陰謀論でフリーメイソンリーが「ワン・ワールド」を目指す組織とされることがあるのは、ラムゼイのこの発言が原因と思われる。「ワン・ワールド」思想についてはフリーメイソンリー側も否定していないが、組織的に特定政府の転覆を図ることはないとしている[4]。
この結果、一時は数百の階級が乱立し、また基本階級のロッジに対する優位権を主張して対立するなど、混乱を引き起こした。さらに上位階級はパテントとして階級授与者が独自の判断で第三者に階級を授与する権利を与える方式だったので、基本階級を経ず、ロッジに足を踏み入れたことのない上位階級者さえ現れた。
現在では、上位階級の組織はフリーメイソンリーの上位団体ではなく、関連組織として位置付けられている。そして、上位階級の授与資格者を、親方階級を得た者に限っている。しかし、オカルト色の強い階級が多数あることも影響して、陰謀論ではしばしば闇の組織として取りざたされる。また、ロッジによっては、上位階級を用意していても、内容を秘密にしているところもあるという。上位階級の昇級の詳細については非公開だが、暴露本によって公開された内容は(少なくとも一部は)事実であることを認めている[4]。たとえば、ある階級の儀式には、バチカンの教皇の帽子とヨーロッパの王様の王冠を模した帽子を踏みつぶすというものがあり、教皇権や王権との対立の歴史を物語っている(前掲『陰謀がいっぱい!』では、メイソン側は独裁者に反対し、言論・思想の自由を奪うことに反対する意思表示であって、王権そのものの否定ではないと説明している)。
特殊な例として、スウェーデン儀礼の上位階級(9階級)がある。スウェーデンでは、最上位階級はスウェーデン国王専用(スウェーデン・グランド・ロッジは、国王が代々グランド・マスターに就任している[23])となっており、国権とフリーメイソンリーが一体化している。しかし、「正規派」ロッジとは相互承認関係にある。
基本の3階級は、「ブルー・ロッジ(青ロッジ)」と呼ばれる。単に「ロッジ」と呼ぶ場合は、この「ブルー・ロッジ」で構成された集会所を指すことが多い。これに対し、上位階級はさらにいくつかに分けられるが、総称して「レッド・ロッジ(赤ロッジ)」と呼ぶ(狭義には、赤をシンボルカラーに持つ「ロイヤル・アーチ」階級を含んだロッジを意味する)。
[編集] スコティッシュ・ライトの上位階級
| 階級 | 名称 | 和訳名称[18] | 区分1 | 区分2 | 主題 |
|---|---|---|---|---|---|
| 4 | Secret Master | 秘密の親方 | 十全会 | Lodge of Perfection (完成のロッジ) |
ハイラム伝承 |
| 5 | Perfect Master | 完全な親方 | |||
| 6 | Intimate Secretary | 親密な秘書 | |||
| 7 | Provost and Judge | 主監と判事 | |||
| 8 | Intendant of the Building | 建物の管理者 | |||
| 9 | Elected Master of Nine | 選ばれた9人 | |||
| 10 | Illustrious Elect of Fifteen | 選ばれた15人 | |||
| 11 | Sublime Elect of the Twelve, or Prince Ameth | 選ばれた12人 | |||
| 12 | Grand Master Architect | 建築の大親方 | |||
| 13 | Royal Arch of Enoch, or Royal Arch of Solomon | エノクまたはソロモンのロイヤル・アーチ | エノク伝承 | ||
| 14 | Perfect Elu, Grand elect, Perfect, and Sublime Mason | 完全なる被選抜者または完全にして崇高な石工 | ソロモン伝承 | ||
| 15 | Knight of the East | 東方または剣の騎士 | 薔薇十字会 | Council of the Princes of Jerusalem (エルサレムの王子の会議) |
アポクリファ(外典) |
| 16 | Prince of Jerusalem | エルサレムの王子 | |||
| 17 | Knight of the East and West | 東西の騎士 | Chapter of the Rose Croix (薔薇十字の支部) |
テンプル騎士団 | |
| 18 | Knight Rose Croix | 薔薇十字の騎士 | 十字軍伝承 | ||
| 19 | Grand Pontiff | 大司教 | Council of Kadosh (神聖会) |
王者の秘密の王子の法院 | 旧約聖書 |
| 20 | Grand Master of All Symbolic Lodges | 象徴的ロッジの親方 | 自由友愛理念 | ||
| 21 | Noachite, or Prussian Knight | ノアの末裔またはプロイセンの騎士 | プロイセン騎士伝承 | ||
| 22 | Knight of the Royal Axe, or Prince of Libanus | 王者の斧の騎士またはレバノンの王子 | ソロモン伝説 | ||
| 23 | Chief of the Tabernacle | 幕屋の長 | モーゼ伝承 | ||
| 24 | Prince of the Tabernacle | 幕屋の王子 | |||
| 25 | Knight of the Brazen Serpent | 青銅の蛇の騎士 | |||
| 26 | Prince of Mercy, or Scottish Trinitarian | 恩寵の王子 | 初期キリスト教 | ||
| 27 | Knight Commander of the Temple | 殿堂の指揮官 | 十字軍伝承 | ||
| 28 | Knight of the Sun, or Prince Adept | 太陽の騎士または熟達した王子 | 哲理 | ||
| 29 | Grand Scottish Knight of St. Andrew | スコットランドの騎士聖アンドリュー | テンプル騎士団伝承 | ||
| 30 | Knight Kadosh | カドシュの(聖なる)騎士 | |||
| 31 | Grand Inquisitor Commander | 大審問長官 | Consistory (法院会議) |
古代エジプト伝承 | |
| 32 | Sublime Prince of the Royal Secret | 王者の秘密の至高の王子 | 哲理 | ||
| 33 | Grand Inspector General | 最高大総監 | Supreme Council(最高法院) | 総合理念 | |
英語版wikipediaのSwedish Riteも参照。
片桐三郎(32階級)によれば、33階級(最高大総監)は功労者に与えられる名誉階級であるという[4]。
基本階級は必ず正規の参入儀礼を必要とするが、上位階級は4、9、12-14、18、22、28-33階級は正規の参入儀礼で、それ以外は「通達」により昇級が行われるという[24]。
33階級の上にさらに3階級を付け加えられているとする説もある[25]。
[編集] ヨーク・ライトの上位階級
| 階級 | 名称 | 和訳名称[18] | 区分 |
|---|---|---|---|
| 4 | Mark Master | 著名な親方 | 深奥儀礼 |
| 5 | Past Master | 巨匠の親方 | |
| 6 | Most Excellent Master | 最優秀の親方 | |
| 7 | Royal Arch | ロイヤル・アーチ | |
| 8 | Royal Master | 王者の親方 | 秘処儀礼 |
| 9 | Select Master | 選りすぐりの親方 | |
| 10 | Super Excellent Master | 超越した親方 | |
| 11 | Illustrious Order of the Red Cross | 赤十字の騎士 | 騎士儀礼 |
| 12 | Order of the Knights of Malta (or simply Order of Malta) | マルタ騎士 | |
| 13 | Order of the Temple | テンプル騎士 |
英語版wikipediaのYork Riteも参照。
[編集] スウェーデン儀礼の上位階級
| 階級 | 名称 | 和訳名称[18] | 区分 |
|---|---|---|---|
| 4 | Apprentice of St. Andrew | 聖アンドリューの徒弟 | 聖アンドリューのロッジ(St. Andrew's degrees) |
| 5 | Companion of St. Andrew | 聖アンドリューの仲間 | |
| 6 | Master of St. Andrew | 聖アンドリューの親方 | |
| 7 | Very Illustrious Brother, Knight of the East | 非常に高名な兄弟または東方の騎士 | 地方支部(Chapter degrees) |
| 8 | Most Illustrious Brother, Knight of the West | もっとも輝かしい兄弟または西方の騎士 | |
| 9 | Enlightened Brother of St. John's Lodge | 賢明な兄弟の聖ヨハネのロッジ | |
| 10 | Very Enlightened Brother of St. Andrew's Lodge | 非常に賢明な兄弟の聖アンドリューのロッジ | |
| 11 | Most Enlightened Brother, Knight Commander of the Red Cross | 最も賢明な兄弟または赤十字の騎士司令官 | 大評議会の名誉学位(Grand Council honorary degree) |
| 12 | Vicar of Solomon | ソロモンの代理者[26] |
英語版wikipediaのSwedish Riteも参照。4階級と5階級は、まとめて扱われているようである(The Swedish Rite スウェーデン・グランド・ロッジ英語版)。
[編集] 人物
フリーメイソンであるとされる著名人のリストである(国籍別、生年順)。なお、このリストはあくまで参考文献にフリーメイソンであると記されていることを示すに留まり、各々の人物が本当にフリーメイソンであると断言するものではない。
フリーメイソンであるとされる人物にも、結社に所属していたという直接の証拠が残っている者(例:モーツァルト)もいれば、資料によってはフリーメイソンであったとされる者(例:ヴェルディ)もいる[27]。中にはジョージ・ワシントンのようにフリーメイソンの礼装姿の肖像画や写真が残っている者も存在する。
また、フリーメイソンであったか否か、文献間で争いがある者もいる。たとえばワーグナーは、ある本では1841年に加入したことになっているが[28]、別の本ではそのことには触れられておらず、代わりに、1872年に入団申し込みをしたが断られたエピソードが挙げられている[29]。
[編集] 日本
- 西周 (1829年生)[30]
- 津田真道 (1829年生)[30]
- 林董 (1850年生)[30]
- 高橋龍太郎 (1875年生)[31]
- 河井彌八 (1877年)[32]
- 佐藤尚武 (1882年生)[33]
- 鳩山一郎 (1883年生)[30]
- 加納久朗 (1887年生)[34]
- 星島二郎 (1887年生)[35]
- 東久邇宮稔彦王 (1887年生)[30]
- 三島通陽 (1897年生)[36]
- 村山有 (1905年生)[37] - アメリカ生まれの二世。
- 沢田教一 (1936年生)[30]
[編集] アメリカ
- ベンジャミン・フランクリン (1706年生)[38], [39]
- ジョージ・ワシントン (1732年生)[38], [39]
- ジェームズ・モンロー (1758年生)[39]
- アンドリュー・ジャクソン (1767年生)[39]
- ジェームズ・ブキャナン (1791年生)[39]
- サミュエル・ヒューストン (1793年生)[40]
- マシュー・ペリー (1794年生)[41]
- ジェームズ・ポーク (1795年生)[39]
- アンドリュー・ジョンソン (1808年生)[39]
- ジェームズ・ガーフィールド (1831年生)[39]
- マーク・トウェイン (1835年生)[38]
- ウィリアム・マッキンリー (1843年生)[39]
- バッファロー・ビル (1846年生)[42]
- ジョン・フィリップ・スーザ (1854年生)[39], [43]
- ロバート・ピアリー (1856年生)[39], [43]
- ウィリアム・タフト (1857年生)[39]
- セオドア・ルーズベルト (1858年生)[38], [39]
- ヘンリー・フォード (1863年生)[38], [39]
- ウオレン・ハーディング (1865年生)[39]
- ガットスン・ボーグラム (1867年生)[39], [43]
- ダグラス・マッカーサー (1880年生)[43], [44]
- フランクリン・ルーズベルト (1882年生)[38], [39]
- ハリー・トルーマン (1884年生)[39]
- タイ・カッブ (1886年生)[45]
- リチャード・バード (1888年生)[46]
- カーネル・サンダース (1890年生)[39], [4]
- デューク・エリントン (1899年生)[38]
- ルイ・アームストロング (1901年生)[38]
- カウント・ベイシー (1904年生)[38]
- ジョゼフィン・ベーカー (1906年生)[47]
- ベニー・グッドマン (1909年生)[48]
- ジェラルド・フォード (1913年生)[38], [39]
- ナット・キング・コール (1919年生)[49]
[編集] ハワイ
[編集] カナダ
- ジェームズ・ネイスミス (1861年生)[39]
[編集] フランス
- ヴォルテール (1694年生)[38]
- ドゥニ・ディドロ (1713年生)[50] - 吉村正和は、彼がフリーメイソンであったかについて「確証がない」としている[51]。
- ラファイエット (1757年生)[38]
- アンリ・ド・サン=シモン (1760年生)[52]
- クロード・ジョゼフ・ルージェ・ド・リール[53] - フランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」の作曲者。
- ナポレオン・ボナパルト (1769年生)[39]
- フレデリク・バルトルディ (1834年生)[38]
[編集] ドイツ
- レオポルト・モーツァルト (1719年生) [54]
- ゴットホールト・エフライム・レッシング (1729年生)[38]
- ヨハン・クリスティアン・バッハ (1735年生)[39]
- ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (1749年生)[38]
- ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ (1762年生)[55]
- ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン (1770年生)[38] - 彼がフリーメイソンであったかについては専門家の中でも意見が分かれている。詳細は吉田進『フリーメイソンと大音楽家たち』(国書刊行会)のp.158以下を参照。
- ルイ・シュポーア (1784年生)[56]
- ジャーコモ・マイアーベーア (1791年生)[57]
- カール・レーヴェ (1796年生)[58]
- オットー・クレンペラー (1885年生)[59]
[編集] イタリア
- フランチェスコ・ジェミニアーニ (1687年生)[60]
- ジャコモ・カサノヴァ (1725年生)[38]
- カリオストロ (1743年生)[61]
- アントニオ・サリエリ (1750年生)[62]
- ルイジ・ケルビーニ (1760年生) [63]
- ジュゼッペ・マッツィーニ (1805年生)[64]
- ジュゼッペ・ガリバルディ (1807年生)[38]
[編集] オーストリア
- フランツ1世 (神聖ローマ皇帝)(1708年生)[65]
- イグナーツ・フォン・ボルン[66]
- フランツ・ヨーゼフ・ハイドン (1732年生)[38]
- エマヌエル・シカネーダー (1751年生)[67]
- ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (1756年生)[38] - フリーメイソン関連の作品をいくつか残したこともあって、この団体と彼の関係、または彼が音楽にほどこした「シンボリズム」については、日本でも専門書が数冊出版されている。
[編集] イギリス
- イーフレイム・チェンバーズ (1680年頃生)[68]
- エドワード・ギボン (1737年生)[69]
- ジョージ4世 (1762年生)[38]
- エドワード7世 (1841年生)[38]
- アーサー・サリヴァン (1842年生)[39]
- アーサー・コナン・ドイル (1859年生)[38], [39] - 『シャーロック・ホームズの冒険』の「赤毛組合」において、ホームズが依頼人をフリーメイソンだと言い当てるシーンがある。
- ラドヤード・キップリング (1865年生)[70]
- ウィンストン・チャーチル (1874年生)[38]
- エドワード8世 (1894年生)[38]
- ジョージ6世 (1895年生)[38]
- ケント公エドワード王子 (1935年生)[71]-現在のイングランド・グランド・ロッジのグランドマスター。
[編集] スコットランド
- ウォルター・スコット (1771年生)[72]
- トーマス・カーライル (1795年生)[73]
[編集] アイルランド
- ジョナサン・スウィフト (1667年生) [74]
[編集] ベルギー
[編集] ポーランド
- アダム・イエジィ・チャルトリスキ[77] (1770年生)
- アダム・ミツキェヴィチ[77] (1798年生)
- スタニスワフ2世[77] (1732年生)
- タデウシュ・コシチュシュコ[77] (1746年生)
- ヤン・ヘンリク・ドンブロフスキ[77] (1755年生)
- ユーゼフ・ポニャトフスキ[77] (1763年生)
[編集] チェコ
- アルフォンス・ミュシャ (1860年生)[78]-1898年パリでロッジに入り、1918年にはプラハのコメンスキー・ロッジ設立に協力した。その後にチェコスロヴァキア本部のグランド・マスター、後に同国第2ソヴリン・グランド・コマンダーになった。チェコスロヴァキアの支部のためにレターヘッドやメダル等のデザインを手掛けた。
- エドヴァルド・ベネシュ (1884年生)[79]
[編集] プロイセン
[編集] ハンガリー
- フランツ・リスト (1811年生)[38] - 彼の男声合唱曲「労働者の合唱 Arbeiterchor」はフリーメイソン主催のイベントのために作曲されたもの。彼とフリーメイソンの関係については、福田弥『リスト』(音楽之友社)pp.70-72や、吉田進『フリーメイソンと大音楽家たち』(国書刊行会)pp.312-326を参照。
[編集] フィンランド
[編集] ロシア
- セルゲイ・クーセヴィツキー (1874年生)[80]
[編集] フィリピン
[編集] ブラジル
- デオドロ・ダ・フォンセカ (1827年生)[82]
[編集] チリ
- サルバドール・アジェンデ (1908年生)[38]
[編集] ベネスエラ
[編集] ニカラグア
[編集] 出生地不詳
[編集] その他
- 会員数はアメリカが世界最大である。初期の移民は宗教闘争から逃れてきた者が多く、その中にフリーメイソンの会員が数多く含まれていたことに起因し、フリーメイソンの理念と集会はコロニーの人々をまとめる役割を持った。アメリカの建国にたずさわったベンジャミン・フランクリンもジョージ・ワシントンなど、「アメリカ建国の父」56人の内、53人が会員であった。歴代アメリカ合衆国大統領のうち、ワシントンを含めて14人が会員となっている(吉村正和『フリーメイソン』講談社)。吉村は、アメリカの本質を「道徳国家」ととらえ、フリーメイソンの理念との共通点を示唆している。フリーメイソンのアメリカ合衆国大統領は15人であったとする説もある[87]。1ドル紙幣にはフリーメイソンのシンボルの1つである「万物を見透す目」が描かれている。英語ではAll Seeing Eyeと呼ばれている。
- 日本では市販の書籍で陰謀論のみが目につくが、欧米では会員である事は一種のステータスでもある。元日本グランド・ロッジの大親方(Grand Master)であるリチャード・クライプは、10年前の米国のある雑誌の調査であるとして、全米トップビジネスマン1万5千人中、1万人が会員であり、英国でも男性王族は入会が伝統になっていると述べた[4]。しかし、欧米での社会的影響力の大きさが、日本での陰謀論を助長させ、また地位の高さを自負するが故に、フリーメイソン側の対応も遅れたのである。
- フランス革命と同様に日本でもフリーメイソンの影響がみられる。連合国軍最高司令官総司令部はマッカーサーをはじめ多くのメンバーがフリーメイソンであり、日本国憲法のGHQ草案の作成にあたった総司令部民政局の25人も多くがフリーメイソンであったとされ[要出典]、日本国憲法第21条は集会の自由、結社の自由、言論の自由とフリーメイソンの理想が並んでいる。フランス革命の自由、平等、博愛もフリーメイソンの理念である。
- コナン・ドイル作「赤毛連盟(Red-Headed League)」(シャーロック・ホームズの冒険に所収)に登場するJ・ウィルソン氏は、作中にフリーメイソン会員であることを示す描写がある。
- 現在、日本グランド・ロッジがあるビルは、戦前は日本海軍のOB団体である水交社の本部ビルであった。しかし終戦後のGHQの解散命令により水交社は解散し、本部は空きビルとなり、その空きビルを米軍関係者がサロンとして使用し始めた。そこからフリーメイソンのロッジとして使用されるようになり、会員であるマッカーサーの尽力などにより、このビルに日本グランド・ロッジが創設された。後に復活した水交社から返還を要求する訴訟が起こされたが和解が成立し現在に至っている。現在は建て替えられたが、一室には水交社の応接室が再現されている。ちなみにこのビルは東京タワーの側にあることでも有名であり、それにまつわる陰謀論も存在する。また東京メソニック協会はこの周辺にいくつかのビルを所有している。
[編集] 関連団体
[編集] デモレー
デモレーは、14世紀のテンプル騎士団の最後の総長であり、フリーメイソンのメンバーであったジャック・ド・モレー(Jacques DeMolay)の優れた騎士道精神にちなんで名づけられた団体。
デモレーは12歳から21歳の若者のための人格育成を目指している組織である。現在の活動地域は東京のみ。場所は東京メソニック協会。
[編集] フリーメイソン関連の作品
[編集] メイソンのために書かれた作品
- フランソワ・ジルースト:葬送カンタータ「大洪水」
- ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト:フリーメイソンのための葬送音楽 ハ短調 K.477、小カンタータ「無限なる宇宙の創造主を崇敬する汝らが」 K.619、フリーメーソン小カンタータ「高らかにわれらの喜びを告げよ」 K.623 ほか
- ジャン・シベリウス:フリーメイソンの典礼音楽 作品113
[編集] フリーメイソンが登場する作品
[編集] 映画
- 『フロム・ヘル』2001年/アメリカ
- 『ナショナル・トレジャー』2004年/アメリカ
- 『ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記』2007年/アメリカ
[編集] 小説
[編集] コメディ
- 『空飛ぶモンティ・パイソン』1969年-1974年/イギリス 第2シリーズの第4話で登場人物がフリーメイソンの会員を見分ける方法を伝授するというネタが用いられている。
[編集] 漫画
- 『探偵学園Q』-原作天樹征丸・作画さとうふみや/2001年/日本/作中でフリーメイソンの暗号について触れている。
- 『ゴルゴ13』- 第53巻-3「ズドロナス・マリヨ」で依頼するのがフリーメイソンの人間。整形手術でゴルゴと瓜二つの神父をバチカンに送り込みゴルゴの怒りを買った。
[編集] フリーメイソンをモデルにしたと思われる組織が登場する作品
[編集] アニメ
- 『ルパン三世 バイバイ・リバティー・危機一発!』 1989年/日本 - 「スリーメイソン」という秘密結社が登場する。
- 『ザ・シンプソンズ Homer the Great』 1995年/アメリカ
[編集] 脚注
- ^ 日本グランド・ロッジ
- ^ い ろ 『朝日新聞』2008年1月4日号「「秘密結社」フリーメイソン日本本部50年 一般入会も」
- ^ 覆面社長「2006年06月30日 覆面社長、フリーメーソンの説明会に…行く? 」
- ^ い ろ は に ほ へ と 別冊宝島233『陰謀がいっぱい!』(宝島社、1995年、ISBN 4-7966-9233-9)
- ^ 『フリーメーソンの秘密 世界最大の結社の真実』赤間剛 p75
- ^ ジェラール・ガイヨ 「フランス革命はフリーメーソンの陰謀か?」『歴史』49号 『フリーメーソン』リュック・ヌフォンテーヌ、村上伸子訳、吉村正和監修 pp.129-133
- ^ 『入門 フリーメイスン全史 ―偏見と真実―』片桐三郎 pp.152-156
- ^ 1894年、仏大東社から分離した男女混成のロッジ「人権」がある。「人権」と仏大東社は、現在相互承認関係にある。他、1952年に女性専用のロッジ「フランス女性グランド・ロッジ」も発足した。もちろん、「正規派」はこれらのロッジを承認していない。
- ^ 「正規派」としては、1913年に仏大東社から分裂した「フランス国民グランド・ロッジ」がある。
- ^ 片桐、同書 p173
- ^ History of Freemasonry in Japan
- ^ 片桐、同書 pp.214-215
- ^ 片桐、同書 p214
- ^ 片桐、同書 p217
- ^ 村山有『終戦のころ ―思い出の人びと―』 p.139
- ^ 村山、同書 p.140-141
- ^ 赤間、同書 p.86-89
- ^ い ろ は に 片桐によれば、日本のフリーメイソンリーは、英語表記をそのまま使っている。よって和訳は非公式な物である。
- ^ 片桐、同書 pp.34-35、pp.94-95
- ^ 片桐、同書 p.35
- ^ 日本グランド・ロッジ「入会希望者の手引き」
- ^ 片桐は、実務上の根拠のある基本階級と区別して、「階位」と呼んでいる。片桐、同書 pp125-126
- ^ 片桐、同書 p149
- ^ 『秘密結社の事典 暗殺教団からフリーメイソンまで』有澤玲 附表26頁
- ^ ルシファー及びロスチャイルド家を36階級とし、ロスチャイルド、ロックフェラー家など「ロイヤル・ファミリー」とユダヤ教パリサイ派ラビ集団などを35階級、ロスチャイルド・トリビューン(壇)などを34階級とする説があるが、陰謀論の域を出ない。また、特に功績の大きな会員に、33階級相当だが最高大総監より格上の"Grand Cross"(大十字)を授与しているという説もある。
- ^ スウェーデン国王専用。
- ^ 吉田進『フリーメイソンと大音楽家たち』(国書刊行会、2006年、ISBN 4-336-04811-8)pp.339-341
- ^ パウル・ネットゥル『モーツァルトとフリーメイスン結社』(音楽之友社、1981年、ISBN 4-276-22117-X)p.222
- ^ 吉田、同著、pp.326-328
- ^ い ろ は に ほ へ 東京メソニックセンター「七人の有名な日本人メィーソン」(2006年12月26日取得)
- ^ 赤間、同書 p.81
- ^ 赤間、同書 p.80
- ^ 赤間、同書 p.81
- ^ 赤間、同書 p.80
- ^ 赤間、同書 p.82
- ^ 赤間、同書 p.82
- ^ 赤間、同書 p.80
- ^ い ろ は に ほ へ と ち り ぬ る を わ か よ た れ そ つ ね な ら む う ゐ の お く や ま リュック・ヌフォンテーヌ『フリーメーソン』(創元社、1996年、村上伸子訳、ISBN 4-422-21121-8)pp. 160-161
- ^ い ろ は に ほ へ と ち り ぬ る を わ か よ た れ そ つ ね な ら む う ゐ Grand Lodge of British Columbia and Yukon, "A few famous freemasons"(2006年12月27日取得)
- ^ 吉村、同書、p.157
- ^ Bicentenial Commemorative Volume of Holland Lodge No. 8, Published by the Lodge, New York, 1988
- ^ John Hamill and Robert Gilert (Eds.), Freemasonry, A Celebration Of The Craft p. 230 (J.G. Press, 1998)
- ^ い ろ は に ほ へ と Hamill, John et al., Freemasonry: A Celebration of the Craft, World Publications, 1999, ISBN 1-57215-267-2
- ^ Gardiner, Herbert G., Douglas MacArthur, A Freemason For All Seasons, Northern California Research Lodge (2006年12月26日取得)
- ^ 吉村正和『フリーメイソン』(講談社、1989年、ISBN 4-06-148930-5)p.161
- ^ 吉村、同書、p.160
- ^ 吉田、同著、p.389
- ^ 吉田、同著、p.384
- ^ 吉田、同著、pp.388-389
- ^ The Annihilation of Freemasonry by Sven G. Lunden
- ^ 吉村、同書、p.109
- ^ 吉田、同著、p.250
- ^ 吉田、同著、p.248
- ^ メイナード・ソロモン『モーツァルト』(新書館、1999年、ISBN 4-403-12006-7)ほか。
- ^ 吉田、同著、p.46
- ^ 吉田、同著、p.275
- ^ 吉田、同著、p.293
- ^ 吉田、同著、p.273
- ^ 吉田、同著、p.381
- ^ 吉田、同著、p.54
- ^ 吉村、同書、p.55-56
- ^ 吉田、同著、p.266
- ^ 吉田、同著、p.227
- ^ 吉田、同著、p.340
- ^ テア・ライトナー『ハプスブルクの子供たち』(新書館、1997年、p118 ISBN 4-403-24042-9)
- ^ テア・ライトナー『ハプスブルクの子供たち』(新書館、1997年、p119 ISBN 4-403-24042-9)
- ^ 茅田俊一『フリーメイスンとモーツァルト』(講談社、1997年、p.257 ISBN 4-06-149369-8)
- ^ 吉村、同書、p.108
- ^ 吉村、同書、p.11
- ^ 吉村、同書、p.11
- ^ Who's Who at The United Grand Lodge of England
- ^ 吉村、同書、p.11
- ^ 吉村、同書、p.11
- ^ 吉村、同書、p.11
- ^ 吉田、同著、p.300
- ^ Famous Belgian freemasons Grand Orient of Belgium
- ^ い ろ は に ほ へ http://www.wolnomularstwo.pl/
- ^ ミュシャ・リミテッド編 島田紀夫・坂上桂子訳『アルフォンス・ミュシャ 波乱の生涯と芸術』(講談社、2001年、ISBN 4-403-12006-7)p.154
- ^ Exsequi Lodge History: Famous Freemasons
- ^ 吉田、同著、p.379
- ^ Famous Filipino Masons - Jose Rizal
- ^ The History of Masonry in Brazil – Bibliography: Menezes, Manuel Joaquim de, Exposição Histórica da Maçonaria no Brasil (1857); Mello, Mário Carneiro do Rego, A Maçonaria e a Revolução Republicana de 1817 (1912); Amaral, Braz do, A Conspiração Republicana da Bahia de 1798 (1926); Barros, F. Borges de, Primórdios das Sociedades Secretas na Bahia (1928); Kloppenburg, Boaventura, A Maçonaria no Brasil (Orientação para os Católicos) (1961)
- ^ 神代修『シモン・ボリーバル』
- ^ 高橋均『サンディーノ戦記』
- ^ 同上
- ^ 吉村、同書、p.56
- ^ Grand Lodge of British Columbia and Yukon, "Anti-masonry Frequently Asked Questions"
[編集] 参考文献
- 『入門 フリーメイスン全史 ―偏見と真実―』片桐三郎 アムアソシエイツ 2006年11月20日 ISBN4-903388-20-4 税抜き2200円
- 『秘密結社の事典 暗殺教団からフリーメイソンまで』有澤玲 柏書房 1998年 ISBN4-7601-1697-4 税抜き2800円
- 『ローマ教皇とフリーメーソン』ダッドレイ・ライト 吉田弘之 訳 三交社 1996年 ISBN 4-87919-131-0
- 『フリーメーソンの秘密 世界最大の結社の真実』赤間剛 三一書房 1983年8月31日 ISBN 4-380-83233-3
- 『フリーメーソンとは何か』赤間剛 三一書房・三一新書 1992年 ISBN 4-380-92002-X
- 『フリーメイソン 西欧神秘主義の変容』講談社現代新書 930 吉村正和 講談社 1989年 ISBN 4-06-148930-5
- 『終戦のころ ―思い出の人びと―』村山有 時事通信社・時事新書 1968年12月1日
- 『フリーメーソン』リュック・ヌフォンテーヌ 村上伸子訳 吉村正和監修 創元社 1996年10月20日 ISBN4-422-21121-8 税抜き1359円
- フランスでの出来事が中心であり、フランス大東社系の記述が多い。
[編集] 外部リンク
- Grand Lodge of Japan(英語)
- 日本グランド・ロッジ
- 財団法人 東京メソニック協会(Zaidan Hojin Tokyo Masonic Association、通称: メイスン財団, Masonic Foundation of Japan)
- 東京メソニックセンター
- United Grand Lodge of England (UGLE) (英語)
- Grand Orient de France (GOdF、フランス大東社) (フランス語)
- Anti-Masonry: Points of View(英語)
- アイン・ランドとフリーメイソン
- Freemasonry.fm
- FreemasonCollection
- Freemasonry from Spain
- Freemasonry in Poland - formerly and today
- Yahoo(米国)に登録されているロッジ
- 日本ロッジ元グランドマスター インタビュー(別冊宝島233『陰謀がいっぱい!』収録のインタビューに加筆したもの)
最終更新 2009年10月25日 (日) 13:09 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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