ブカレスト
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ブクレシュティ(Bucureşti)は、ルーマニア南部・ワラキアにある同国の首都。マジャル(ハンガリー)語ではブカレシュト(Bukarest)、ドイツ語ではブカレスト(Bukarest)、英語ではビューカレスト(Bucharest)という。日本では「ブカレスト」と呼ぶことが多く、以下「ブカレスト」と呼称する。
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| 面積 Metropolitan - Total |
228 km2 1,521 km2 |
| 人口 - 総人口(2002年) - 人口密度 |
2,354,510 1,548/km2 |
| 市長 | ソリン・オプレスク |
| タイムゾーン | UTC+2 |
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44° 25' N; |
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| 公式サイト | www.pmb.ro |
目次 |
[編集] 地理
ブカレストは、ドゥンボビツァ川の支流コレンティナ川の沿岸にあり、市内にはフロレアスカ湖、テイ湖、コレンティナ湖など、いくつか湖がある。さらに、市中心部にはチシミジウ湖(Cişmigiu)という小さい人口湖がある。周辺には庭園や公園があり、著名な詩人・作家が訪れた。
ブカレスト市の面積は約226km2で、市は6つの行政区に分かれている。
近年まで、ブカレスト市は近郊の農村地帯も区域に含んでいたが、1989年に郊外地域がイルフォヴ郡となった。
[編集] 気候
大陸性気候。ワラキア平原のため冬は風が強い日が多い。夏は乾燥するが、時として激しい降雨に見舞われる。
| ブカレストの平均気温 | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
| 平均最高気温 °C (°F) | 2 (36) | 3 (37) | 10 (50) | 16 (61) | 22 (72) | 26 (79) | 27 (81) | 27 (81) | 23 (73) | 17 (63) | 8 (46) | 3 (37) | 16 (61) |
| 平均最低気温 °C (°F) | -5 (23) | -3 (27) | 2 (36) | 5 (41) | 10 (50) | 14 (57) | 15 (59) | 15 (59) | 11 (52) | 6 (43) | 0 (32) | -2 (28) | 5 (41) |
| 降水量 mm (inches) | 40 (1.6) | 36 (1.4) | 38 (1.5) | 46 (1.8) | 70 (2.8) | 77 (3) | 64 (2.5) | 58 (2.3) | 42 (1.7) | 32 (1.3) | 49 (1.9) | 43 (1.7) | 595 (23.4) |
| 出典: weatherbase.com | |||||||||||||
[編集] 歴史
1459年にこの地に作られた城塞がワラキア公・ヴラド・ツェペシュの居城となった、というのがブカレストが史書に登場する最初である。以降、ヴォイヴォダであったミルチャ・チョバヌル(Mircea Ciobanul)によって王宮の夏の離宮として整備されていく。オスマン帝国の政策でムンテニアの重要性が増す中で、公国の都があったトゥルゴヴィシュテに比肩する都市へと成長していく。1698年、公国の都となり、貿易でも最重要都市になる。1813年にはペストが猛威を振るう。ハプスブルク君主国(1716年、1737年、1789年)、帝政ロシア(1768年、1806年)など度重なる侵攻を経験する。1828年からクリミア戦争の間は、ロシア軍政下に置かれる。1848年にはワラキアでクーデターが発生、オーストリア帝国の管理下に置かれる、など激動の時代を経験する。1847年の大火でブカレストの3分の1を焼失した。1861年、ワラキアとモルダヴィアが合同、この新しい公国の都となる。さらに連合公国は1881年にルーマニア王国に発展、町の人口は劇的に増加した。絢爛たる建造物で都市が整備され、「東欧の小パリ」(Little Paris, "Micul Paris")と讃えられる国際的な都市に成長する。
第一次世界大戦中の1916年12月6日に、町はドイツ軍によって占領され、首都はヤシに移転した。その後、連合軍によって1918年11月に奪還された。大戦後、大ルーマニアの首都となった。1941年には大規模なポグロムが発生。
第二次世界大戦の間、ブカレストは枢軸国の首都として、アメリカ軍とイギリス軍の重爆撃機によって大きな打撃を受け、その後ルーマニアは連合国に降伏した。1945年11月8日には、共産主義者が君主制主義者の集会を鎮圧する事件が起きた。
1967年に大統領に就任したニコラエ・チャウシェスクは、スピーレア教会、コトロチェニ修道院など中世から残る古い教会を含む多くの歴史的建造物を破壊し、無機質な社会主義的計画都市に代えていった。このような都市計画は1971年に北朝鮮の平壌を訪問した時にその着想を得たという。特に市民センターや議会宮殿などにそれが顕著に現れている。それでもいくつか歴史的な地区は残ったものの、かつて「東欧の小パリ」と呼ばれた美しい街並みの面影は殆どない。
またチャウシェスクは労働力の確保のため人口大増進政策をすすめた。しかし多くの家が貧困にあえいでいたため、子供を育てきれなくなった親が子供を捨てる事例が頻発し、膨大な数の孤児を出してしまい、ブカレストの孤児院は常時満員状態となった。 この時の影響でルーマニアの人口はバルカン半島一となっている。因みに、当時国民を監視し、震え上がらせた秘密警察セクリタテアの職員は国営孤児院出身者で構成されていた。
その後、1989年のルーマニア革命で民主化されたが、経済は低迷し活気の無い街と化した。 また前述の孤児院は機能しなくなり大量の孤児がストリートチルドレンとなり、その多くは下水道での生活を余儀なくされた。中には臓器売買などのために連れ去られる子供達や、生活のために売春や麻薬などの犯罪に手を染める子供達も少なくなかったという。彼らは“チャウシェスクの子供たち”と呼ばれ、共産主義時代の負の遺産として大きな社会問題となっている。 2000年代に入り、経済が回復し好調になると共に、町は近代化され、歴史的地域はかつての輝きを取り戻しつつある。
[編集] ブカレストで調印された条約
- 1812年5月28日、ブカレスト条約。これにより露土戦争は終結し、ベッサラビアがロシアに割譲される。
- 1886年3月3日、セルビアとブルガリアとの戦争が終結する。
- 1913年8月10日、第二次バルカン戦争終結
[編集] 人口
都市としての重要度が高まったこの2世紀の間に人口は大幅に増えた。これは、19世紀まで大部分が農民であり農村地域に暮らしていたルーマニア人が都会化してきたことにもよっている。
- 1800年: 32,000
- 1859年: 122,000
- 1900年: 282,000
- 1918年: 383,000
- 1930年: 639,000
- 1966年: 1,452,000
- 2000年: 2,300,000
2000年から2002年までのブカレストの平均余命は 73.1 歳で、ルーマニア人の平均値よりおよそ2年長い。
[編集] 経済
ブカレストは、ルーマニアにおいてもっとも高度に産業が発展している地域であり、人口はルーマニアの総人口の9%ほどだが、ブカレストの総生産はルーマニアのGDPの約21%を占める。ただし、ルーマニアの通貨ルーマニア・レウは国際的に弱い通貨であり、ブカレストの総生産をEU諸国と比較するのは困難である。購買力に基づいて比較した場合、ブカレストの総生産は他のEU諸国の首都の約50%、ルーマニアの平均の約二倍である(ただし、他のルーマニアの都市と比べた場合、ほぼ同じである。)。[1] ブカレストの総生産が、ルーマニアのGDPの21%を占める、という事実と、ブカレストの人口から推定すると、一人あたりのGDPは16,300ドルになる、と見られる。[2]
[編集] 交通
ブカレストの交通ネットワークはルーマニア最大で、中東欧でも最大のものの一つである。ブカレストの交通は、以下の三つの占める割合が大きい。
[編集] 地下鉄
詳細は「ブカレスト地下鉄」を参照
地下鉄はM1、M2, M3、M4と呼ばれる4路線からなり、総延長は63km、45駅からなる。平均駅間は1.5kmである。
[編集] バス及びトロリーバス (RATB)
1990年代には、ブカレストの交通システムは貧弱だと言われていたが、RATBはその当時からブカレストを回るのに効率的で便利な交通機関である。地下鉄と同じように現在リニューアルの時期にあり、東欧の中でも近代的で快適な交通機関の一つにしようとしている。特に、トロリーバスは新しい駅構内放送に一新しようとしている。
[編集] タクシー
ブカレストのタクシーは安価で手ごろな交通機関であるが、信頼できないタクシー会社も多い。1kmあたりの料金を確認したほうが良い。
[編集] 国鉄線 (CFR)
ブカレストでは、ルーマニア国営鉄道 (CFR) が通勤路線を走らせている。しかし、この路線ネットワークは全国規模で走っているため、非効率で不便である。国営鉄道はブカレストからSnagovに向かって走っており、都市型路線は走っていない。
首都ブカレストとコンスタンツァの間、約225kmの鉄道は、ルーマニアの大動脈であり、老朽化した施設の更新と輸送力の増強が急務となっていた。欧州連合と日本は、ルーマニアに対する援助として、鉄道の近代化を支援することとし、日本分は政府開発援助により2005年-2009年の間に、約80kmの区間で改良工事が行われた。改良工事が完成した後には、旅客輸送で最大速度160km/h、貨物輸送で最大速度120km/hという高速による運行が可能となる予定。
[編集] ブカレストへのアクセス
[編集] 航空
タロム航空がアンリ・コアンダ国際空港から、ロンドン、パリ、マドリッド、ミュンヘン、ローマなどの都市に就航している。また、Angel Airlinesがバニャサ空港から国内線で就航している。
[編集] 鉄道
ルーマニアの国際列車の質は非常に高く、特にルーマニア・ハンガリー・ポーランドの鉄道会社が運行する列車の質は良い。これらのユーロシティ・ユーロナイトは、アラド経由でブダペストに向かう列車、ティミショアラ経由でベオグラードに向かう列車などがある。これらの料金は、欧米の基準より安い。
また、通勤用の都市と周辺の小さい街を結ぶ列車が走っているが、国際列車とは対照的に劣悪な状況である。
[編集] 観光および名所
[編集] 議会宮殿
ニコラエ・チャウシェスクが権力を誇示するために作らせた宮殿で、当時「国民の館」として知られた。床面積の広さはペンタゴンに次いで世界第2位の広さを持つ建造物である。
[編集] 農村博物館
1936年に設立され、10ヘクタールの敷地の中に、ルーマニア中から集められた272戸の実際の農家の建物を展示している。
[編集] 凱旋門
最初に作られたものは木製で、ルーマニアの独立(1878年)を記念して立てられた。このときは凱旋軍が門を通るために大急ぎで作られた。その後、第一次世界大戦後に同じ場所にまた木製のものが建てられ、現在の石造のものは1935年に完成した。
[編集] チシミジウ公園
チシミジウ公園はブカレストの中心地にある公園で、1847年にドイツ人建築家のカールF.Wによって設計された。
[編集] ルーマニア国立美術館
ルーマニア国立美術館の建物はかつての王宮の建物を使用し、ルーマニア王室のコレクションを中心に、中世、現代のルーマニア芸術や世界中の美術品のコレクションなど10万点以上の規模を誇る。現代ルーマニア芸術のコレクションではコンスタンティン・ブランクーシの彫刻などを特色としている。
[編集] その他の名所
- ルーマニア歴史博物館
- コレクション美術館
- ヘラストラウ公園
- 大学広場
- オボール市場
- 国立ユダヤ劇場
- 内務省(旧共産党本部、チャウシェスク最期の演説の地)
[編集] ブカレストが登場する作品
- 漫画『MASTERキートン』第18巻(浦沢直樹・勝鹿北星)
- 映画『沈黙の奪還』監督:ミヒャエル・ケウシュ
- 漫画『ブラック・ラグーン』広江礼威(「チャウシェスクの子供たち」と「国民の館」が登場)
[編集] 姉妹都市
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] 公式サイト
[編集] ガイド
- Travel information on Bucharest at Wikitravel
- In Your Pocket guide (also a downloadable PDF guide)
- Bucharest Travel Guide - locations tested and recommended
ace:Bucharèstarz:بوخارستpnb:بخارسٹ
最終更新 2009年12月4日 (金) 21:50 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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