ブルーギル (潜水艦)

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艦歴
発注
起工 1942年12月17日
進水 1943年8月8日
就役 1943年11月11日
退役 1969年6月28日
除籍 1969年6月28日
その後 1971年ハワイで引き上げ訓練船として海没処分。
浮揚後1984年に海没処分
性能諸元
排水量 1,526トン(水上)
2,426トン(水中)
全長 307ft (93.6m)(水線長)
311ft 9in (95m)(全長)
全幅 27.3 ft (8.3 m)
吃水 19.3 ft (5.9 m)
機関 ゼネラル・モーターズ278A16気筒ディーゼルエンジン 4基
ゼネラル・エレクトリック発電機2基
最大速 水上:20.25 ノット (37 km/h)
水中:8.75 ノット (16 km/h)
航続距離 11,000カイリ(10ノット時)
(18.5 km/h 時に 20,400 km)
試験深度 300ft (90m)
巡航期間 75日
乗員 士官6名、兵員54名(平時)
士官、兵員80 - 85名(戦時)
兵装 3インチ砲1基、21インチ魚雷発射管10基

ブルーギル (USS Bluegill, SS-242) は、アメリカ海軍潜水艦ガトー級潜水艦の一隻。艦名はミシシッピ川五大湖に生息するブルーギルに因む。

目次

[編集] 艦歴

ブルーギルは1942年12月17日にコネチカット州グロトンエレクトリック・ボート社で起工する。1943年8月8日にコール夫人(ニューヨーク州選出下院議員W・ステアリング・コールの妻)によって進水し、艦長エリック・L・バール・ジュニア少佐の指揮下1943年11月11日に就役する。その後、真珠湾を経てニューギニアミルン湾に回航された。

[編集] 第1・第2の哨戒

1944年4月1日、ブルーギルは最初の哨戒でミンダナオ島ハルマヘラ島パラオ諸島方面に向かった。ブルーギルには、司令部から「パラオとハルマヘラの間が特に重要である」と念を押されていた。4月27日未明、ブルーギルはソンソロール島の近海を哨戒中、レーダーに大小の目標を探知した。当時、軽巡洋艦夕張駆逐艦夕月がソンソロール島に陸軍兵士を輸送するため航海していた。ブルーギルはその2隻を探知したのである。雨中の中を夕張と夕月の予想進路上に向かい潜航して待ち構えたが、気がつけば夕張と夕月はとっくに通り過ぎてしまい、このときは攻撃は失敗した。ブルーギルはソンソロール島に接近し、兵士を揚陸中の夕月を発見。これを攻撃しようと接近中、視界内に夕張が現れた。諸計算を訂正した上で距離2,400メートルから魚雷を6本発射。うち1本だけが夕張に命中した。命中したときはちょうど潜望鏡を下げるところで、下げてから爆発音が3つ聞こえた。夕張は4時間後の14時過ぎに沈没した。攻撃直後、駆逐艦五月雨が反撃してきたが、何も起こらなかった。5月1日には、北緯7度8分、東経130度0分のパラオ西方でダバオに向かっていた阿蘇山丸三井船舶、8,811トン)を撃沈した。5月20日、ブルーギルはハルマヘラ島沿岸で宮浦丸日本郵船、1,856トン)を撃沈。2日後の5月22日、ブルーギルは第九五四航空隊機の爆撃を受け、一時艦の動力が止まり、舵を人力で操作しなくてはならなかった。またレーダーや電池も損傷したが、ブルーギルは応急修理の上哨戒を続けた。6月7日、ブルーギルは67日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。

7月、ブルーギルは2回目の哨戒でミンダナオ海方面に向かった。8月7日、ブルーギルは北緯6度5分、東経124度23分の地点で海軍徴用船山珠丸(山下汽船、4,642トン)を撃沈。8月13日にはサンオーガスティン岬北方5海里の地点で海軍徴用船広順丸(広海汽船、1,931トン)と特設駆潜艇鶚丸朝鮮総督府、154トン)を撃沈した[1]。8月18日、ブルーギルは49日間の行動を終えてダーウィンに帰投した。[2]

[編集] 第3・第4の哨戒

9月18日、ブルーギルは3回目の哨戒でアングラー (USS Angler, SS-240) とともにパラワン水道、スールー海マニラ近海方面に向かった。10月18日朝、ブルーギルは合流していたレイトン (USS Raton, SS-270) と哨戒していたところ、北緯14度4分、東経119度52分のルバング島北西25キロ地点で輸送船団を発見し、陸軍輸送船のあらびあ丸(大阪商船、9,480トン)と鎮西丸(北海船舶、1,999トン)、白鹿丸(辰馬汽船、8,152トン)の3隻を撃沈した[3]。11月25日、ブルーギルは64日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。[2]

12月19日、ブルーギルは4回目の哨戒で南シナ海に向かった。南シナ海ではブリーム (USS Bream, SS-243) 、バーベル (USS Barbel, SS-316) らとともにウルフパックを組んで哨戒にあたったが、この哨戒では戦果を挙げることはなかったものの、その一方で、アメリカ軍のフィリピン再占領支援の偵察に従事した。1945年2月10日、ブルーギルは52日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。[2]

[編集] 第5・第6の哨戒

3月12日、ブルーギルは5回目の哨戒で南シナ海に向かった。エクスマウス湾で給油の後哨戒海域に到着し、ブラックフィン (USS Blackfin, SS-322) 、ハンマーヘッド (USS Hammerhead, SS-364) とともにウルフパックを組んで哨戒にあたった。3月28日、ブルーギルはインドシナ半島沖で、南方から日本に向かう最後の輸送船団であるヒ88J船団を発見。この時点で船団に残っていた唯一の大型船であるタンカー鳳南丸拿捕船、元イギリス船 ウォー・サイダー/飯野海運委託、5,518トン)を雷撃した。鳳南丸は魚雷の命中を受け船尾が切断され座礁した。この船団は翌日事実上全滅し、こうして日本と南方の補給路は完全に失われることとなった。ブルーギルは4月5日にも座礁している鳳南丸を攻撃し、徹底的に破壊した[4]。4月18日、ブルーギルは37日間の行動を終えてスービック湾に帰投した。[2]

5月11日、ブルーギルは6回目の哨戒で南シナ海に向かったが、アメリカ軍が制海権を手に入れつつあったこの海域に日本の船の姿はもはやなく、代わりに5月28日に東沙諸島への偵察及び攻撃を行う。12名の乗員が上陸し、島から日本海軍の守備隊が撤退した後を発見した。翌日島には星条旗が掲げられ、無名の島と思って「ブルーギル島」として宣言されたが、この島はプラタス島であった。ブルーギルはオーバーホールを受けるために本国に向かうよう指示され、6月12日にサイパン島に寄港の後、6月21日に41日間の行動を終え真珠湾に帰投した[2]。その後、メア・アイランド海軍造船所に回航されてオーバーホール中に終戦を迎え、1946年3月1日に予備役となった。

[編集] 戦後

ブルーギルは1951年5月3日に再就役し、太平洋艦隊に合流して訓練任務に就く。1952年7月7日にブルーギルは予備役となり、対潜潜水艦への改修作業に入る。作業が完了すると SSK-242 (対潜潜水艦)へ艦種変更され、1953年5月2日に現役に復帰する。ブルーギルはベトナム戦争に従軍し、1965年にはトンキン湾で偵察及びパイロットの救助任務に従事した。ブルーギルは1969年6月28日に退役し同日除籍された。1971年にはハワイ島ラハイナ沖2キロの海域、水深40mにサルベージ訓練艦として沈められた。続く13年に渡って、ブルーギルの船体は海中の救助訓練に使用された。1984年11月、一ヶ月に及ぶ準備作業の後エディントン級救難艦のビューフォート (USS Beaufort, ATS-2) とブランズウィック (USS Brunswick, ATS-3) がブルーギルの船体を引き上げた。ブルーギルは沖合に牽引され、その栄誉をたたえられながら深海へ海没処分とされた。

ブルーギルは夕張を沈めた最初の哨戒で海軍殊勲部隊章を受章し、第二次世界大戦の戦功で4個の従軍星章を受章した。また、夕張を含む10隻の日本艦艇を沈めた。その総トン数は46,212トンに上る。

[編集] 脚注

  1. ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II、Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II"などアメリカ側記録では、この時の戦果として広順丸、鶚丸に加え第12号駆潜艇も撃沈したことになっている。一方、『日本海軍護衛艦艇史』では1944年7月13日沈没、永石正孝「大東亜戦争参加艦船表」ではパラオで大破状態で終戦時残存とある。決め手に欠けるので、ここではあえてブルーギルの戦果の中には含めなかった
  2. ^ 出撃日と帰投日はBluegill (SS-242)による
  3. ^ この時、白鹿丸にはサイゴンに移動する途中の大沼哲率いる南方軍総司令部軍楽隊隊員28名が乗船していたが、撃沈により大沼以下29名全員が戦死した
  4. ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War IIによる

[編集] 参考文献

  • Theodore Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II" Naval Institute press、ISBN 0-87021-731-3
  • 財団法人海上労働協会編『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、1962年/2007年、ISBN 978-4-425-30336-6
  • 山口常光『陸軍軍楽隊史 - 吹奏楽物語り』三青社、1968年
  • Clay Blair,Jr. "Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan" Lippincott、1975年、ISBN 0-397-00753-1
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
  • 木俣滋郎『敵潜水艦攻撃』朝日ソノラマ、1989年、ISBN 4-257-17218-5
  • 『日本海軍護衛艦艇史 世界の艦船 1996年2月号増刊』海人社、1996年
  • 野間恒『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』私家版、2004年
  • 林寛司、戦前船舶研究会「特設艦船原簿」「日本海軍徴用船舶原簿」『戦前船舶 第104号』戦前船舶研究会、2004年
  • 永石正孝/正岡勝直「大東亜戦争参加艦船表(永石表)」『戦前船舶資料集 第112号』戦前船舶研究会、2006年
  • 正岡勝直編「小型艦艇正岡調査ノート5 戦利船舶、拿捕船関係」『戦前船舶資料集 第130号』戦前船舶研究会、2006年

[編集] 外部リンク


最終更新 2009年5月5日 (火) 08:49 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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