ブーゲンビル島

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ブーゲンビル島
面積 9,318km²
海岸線長 -km
最高標高 2,715m
所属国・地域 パプアニューギニア
  
パプアニューギニア独立国のソロモン諸島の北部に位置する。

ブーゲンビル島(ブーゲンビルとう、Bougainville Island)は、パプアニューギニアの島。島全体がブーゲンビル州に属している。島名はフランスの探検家ブーガンヴィルにちなむ。

目次

[編集] 地理

ニューギニア島の東に位置し、国では無い地理区分としてのソロモン諸島の中で最大の面積を誇る(10,049Km²)。火山性の島で、最高地点は3100mのバルビ山。

人口は約18万人で、中心的都市でありブーゲンビル自治政府の首都はブカ(Buka)。

[編集] 歴史

1768年、世界周航の探検を行っていたフランスの探検家ブーガンヴィルがこの島の沿岸を航海し、のちに彼の名前が島につけられた。

1885年ドイツ帝国の植民地となり、ドイツ領ニューギニアの一部となる。その後第一次世界大戦に伴い、1914年オーストラリアが占領するも、1918年から国際連盟によりオーストラリアの委任統治領となる。

第二次世界大戦中は、アメリカ合衆国、オーストラリア、日本などによって占領される。ブーゲンビル島はアメリカ陸軍航空軍(USAAF)、オーストラリア空軍(RAAF)、ニュージーランド空軍(RNZAF)の各軍にとって重要な航空基地となる。

1943年4月18日、前線の視察に向かう連合艦隊司令長官山本五十六が、この島の上空で搭乗機アメリカ陸軍航空隊P-38戦闘機に撃墜され、戦死する事件が起こる(海軍甲事件)。同年11月2日には島にアメリカ軍が上陸し、以後終戦まで戦闘が続いた(ブーゲンビル島の戦い)。結果として多数の死者を出した為、日本ではブーゲンビル島(当時は「ボーゲンビル島」と表記された)を指して墓島と呼ぶ者も現れた。

その後国際連合の働きかけにより、1975年パプアニューギニアの一部として独立を果たす。

ブーゲンビル島の旗

しかし同年、「北ソロモン共和国」(または「ブーゲンビル共和国」)を国名とする分離独立運動が起きる。この背景には島にある世界最大級の銅山、パングナ銅山を巡る事情が絡んでいる。当時の銅山は「ブーゲンビル銅鉱会社(Bougainville Copper Limited)」という形でオーストラリアの実質的な支配下にあり、島の住民が補償を求めて抗議運動を起こし、それが引き金となったのである。

1988年、島の分離独立を求めるブーゲンビル革命軍(BRA)は銅山妨害の運動を開始し、翌年に銅山は暴動を受けて閉鎖に追い込まれる(ブーゲンビル銅鉱会社は現在、リオ・ティント・グループが保有しており、パプアニューギニア政府と操業再開の交渉を行っている)。BRAは地理的に近いソロモン諸島の支持も受けてパプアニューギニア政府との内戦を展開するが、1998年、オーストラリアとニュージーランドの仲介の下、政府と停戦に合意する。

2005年6月15日に初の自治政府が設立され、ジョセフ・カブイ(Joseph Kabui)が大統領に就任する。同年7月25日には、分離独立運動のリーダー、フランシス・オナ(Francis Ona)が病死した。またカブイ大統領は2008年6月7日心臓発作のため亡くなった(54歳)。その後ジョン・タビナマン(John Tabinaman)が自治政府大統領代行を務めている。

[編集] 住民

オーストロネシア語系のメラネシア人が中心である。ブーゲンビルクライシスを契機にブーゲンビル人以外は住めなくなった。それまで主にBCL(ブーゲンビル銅鉱山)、その関連の仕事や州政府などに従事していた人(PNGの中でもブーゲンビル以外の出身者)がいたが現在は全くと言ってよいほどいない。

この島では、英語ピジン英語トク・ピシン)の他にロトカ語が話されている。

[編集] 産業

長期に渡る内戦のためインフラは疲弊しており、政治経済の中心は島の北にあるブカ島に移っている。本島ではコプラコーヒーの生産が中心だが、銅山の開発も進められている。

[編集] 日本との交流

2006年10月、ジョセフ・カブイ大統領、ニック・ペニアイ議会議長、アルバート・キナニ領土開発長官、デニス・クイニ儀典長の4名がブーゲンビル自治政府として初来日。浅草観光や靖国神社参拝、トヨタ工場見学などを行った。

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年11月7日 (土) 08:23 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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