プブリウス・セプティミウス・ゲタ

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プブリウス・セプティミウス・ゲタ

プブリウス・セプティミウス・ゲタ(Publius Septimius Geta, 189年3月7日211年12月26日))は、ローマ帝国皇帝209年から死ぬまで、父セプティミウス・セウェルスと兄カラカラと共同統治を行った。

セプティミウス・セウェルスとその2人目の妻ユリア・ドムナの次男としてローマで生まれた時、父はコンモドゥス帝の地方長官でしかなかった。

彼はいつも、カラカラとして知られる兄ルキウスの次の座を占めた。おそらくこの事が、早い時期に2人の関係を悪化させる原因となった。衝突が常態化し、しばしば彼らの母の仲裁が必要となった。ゲタに譲歩するため、セプティミウス・セウェルスは209年カエサル(副帝)の称号を与えた。

暗殺後、顔を削り取られたゲタのレリーフ(右はカラカラ)

だが、その後対立は決定的となり、わずか2年後にカラカラによりゲタは母の邸宅で暗殺され、記録抹殺刑となった。その際、カラカラはゲタ派とみなした男子を多数(カッシウス・ディオによれば20000人)プロスクリプティオに処し、殺害している。

ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年11月8日 (日) 20:38 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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