プリトゥビ・ナラヤン・シャー
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プリトゥビ・ナラヤン・シャー(ネパール語: पृथ्वीनारायण शाह、英: Prithvi Narayan Shah、1723年 - 1775年)は、18世紀のネパールの国王。ネパール王国を統一し、シャー王朝(またはシャハ王朝)を開く。
当時、カトマンズ盆地はマッラ朝の「カトマンズ」「パタン」「バクタプル」の三つの王国に分かれていた。
1742年、第10代ゴルカ王に即位。ゴルカとカトマンズの中間に位置するヌワコートを攻撃するがマッラの同盟軍に阻まれ、敗退。インドから新式の銃と火薬を買い込み、軍隊の組織を整備し、雪辱を期す。また、執政カールゥ・バンデを周辺諸国へ派遣し、友好関係を結ぶ。三王国同盟関係を崩すため、バクタプル王と同盟関係を結ぶ。こうした周到な布石を打った後、1744年、二度目のヌワコート攻略を行う。バクタプルが動かなかったため、今度は勝利、チベット交易の要衝を押さえる。カトマンズ盆地を囲む要衝を次々押さえる。1756年ごろ、クティ峠を占拠し、チベットとの交易を遮断する。1766年、キルティプルを征服。1768年9月、カトマンズを征服。カトマンズの王、ジャヤ・プラカーシュ・マッラはパタンに逃亡、さらにパタン王とともにバクタプル王に庇護を求める。同年10月、パタンを征服。
1769年11月、バクタプルが陥落しマッラ王朝は完全に終焉。カトマンズ盆地を完全に手中におさめ、ネパール国王に即位し、カトマンズを首都とする。
こうしてネパール王国の基礎を確立した後、プリトゥビ・ナラヤンは東方への野心を抱く。1773年セナ地方のチョウダンディ王国を、続いてビジャヤプール王国を併合。シッキムの一部まで征服した。
1775年、52歳で死去。彼の創設したネパール王国の領土は現在のネパールの1/3以上に達していた。
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最終更新 2009年9月25日 (金) 19:44 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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