プロレタリア独裁
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プロレタリア独裁( - どくさい、Dictatorship of the proletariat)とは、マルクス主義において共産主義にいたる過渡期に必要であると言われた政治形態。「資本主義社会と共産主義社会とのあいだには、前者から後者への革命的転化の時期がある。この時期に照応してまた政治上の過渡期がある。 この時期の国家は、プロレタリアートの革命的独裁以外のなにものでもありえない」(カール・マルクス『ゴータ綱領批判』)。
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[編集] 概念の誕生
カール・マルクスは、1848年のドイツ革命で、革命勢力が敗北したプロセスを観察し、革命勢力が立法権のみの掌握にとどまり、それを執行する実体的な権力(行政権や軍事力)を掌握しなかったために旧支配階級の反革命を防げなかったことに敗因の一つを見て、革命の過渡期における「労働者階級による権力掌握」「プロレタリアートの政治支配」の必要性を強調した。マルクスはその後のパリ・コミューンにおいてその政治形態の端緒を発見した。ここから、立法権だけでなく行政権をふくめたすべての権力を労働者階級が掌握すること──これを比喩するため、立法権も行政権も掌握した共和政ローマの独裁官(ディクタトル)になぞらえ、「プロレタリアートのディクタトゥーラ(プロレタリア独裁)」とよんだ。マルクス主義の見解では、資本主義社会は、形式上は三権分立していても、ブルジョアジーが階級としてこの全権を握っているブルジョア独裁であるとみなす(ブルジョアジーのディクタトゥーラ)。これに対置してプロレタリアートのディクタトゥーラを提唱した。プロレタリアートの独裁は、社会の圧倒的多数を占めるプロレタリアートの、極めて少数であるブルジョアジーに対する独裁であるため、実態としては「ブルジョア独裁」に他ならない「ブルジョア民主主義」体制よりも、民主主義的であるとマルクスやその後継者たちは主張した。
- 日本共産党はディクタトゥーラを「独裁」と訳したのは明らかな誤訳であると主張し、「執権」という訳語を提唱しているが、マルクス主義思想研究者の多くはこの主張に賛同していない。だが、党の方針として示されたため、その影響下にある出版社では、ディクタトゥーラを「独裁」と訳出している出版物の改訂を強いられた。ヒトラー政権などを含めた全部を「執権」としては意味が通じなくなるため、同じ単語を文脈によって「独裁」と「執権」のどちらかに割り当てる必要に迫られ、訳し分けに神経を使ったという悲喜劇もあったという。また、共産党はマルクスやレーニンの著作の中でディクタトゥーラを「独裁」と訳出した文献の『赤旗』広告掲載を拒否したため、『マルクス・エンゲルス全集』『レーニン全集』など、マルクス・レーニン主義の基本文献の広告が長らく掲載されなかった時期があった。
それにもかかわらずバクーニンはマルクスの言うプロレタリア独裁の実態は、「プロレタリアに対する共産主義者の独裁にほかならない」と批判した。これをめぐり多数派を形成したバクーニンと、中枢部を掌握していたマルクスとの論争が第一インターナショナル最大の論争となった。
これ以降も、ソ連における支配が、プロレタリアートに対するソ連共産党の独裁であるとして論難したものは多い(ローザ・ルクセンブルグなど)。レーニンに対してトロツキーが「代行主義批判」を展開したことも共産党独裁の萌芽を批判したものであるとと言える。
[編集] 概念の変容
ロシア革命において、レーニンが「独裁は、直接に暴力に立脚し、どんな法律にも束縛されない権力である」(レーニン『プロレタリア革命と背教者カウツキー』)としてプロレタリア独裁を規定し、彼の指導を批判したカール・カウツキー『プロレタリアートの独裁』に反論した。だが実際には、彼の指導する共産党支配は次第に、立法と執行が一体になったソヴィエト型政体、ひいては一党制や、法にもとづかない「反革命」弾圧・「粛清」をおこなう権力を意味するものへ変質していき、さらに「個人の独裁はきわめてしばしば革命的階級の独裁の表現者であり、担い手であり、先導者であった」(レーニン『ソヴエト権力の当面の任務』)として個人の独裁も肯定していった。そして、スターリンがマルクス・レーニン主義を定式化する際にレーニンにおいては社会主義社会への移行段階とされていたプロレタリア独裁段階の社会そのものを社会主義社会とする理論化をおこない、この規定の承認をコミンテルンの加盟要件の一つとしたために、ソ連とその流れをくむマルクス主義においては、プロレタリアート独裁とは、職業革命家による前衛党つまりは共産党の一党支配を意味するものとなった。
一方、コミンテルンから排除された左翼共産主義者や評議会共産主義者は、プロレタリア独裁の概念をあくまでプロレタリア大衆の自発的なイニシアチブによるものと主張し、ソ連型の「プロレタリア独裁」を否定した。
[編集] 現在の共産主義政党におけるこの概念の扱い
現在では、中国、ベトナム、朝鮮民主主義人民共和国などを除く多くの共産党をはじめ共産主義政党また共産主義者は、プロレタリア独裁という規定を明文上もしくは実質上放棄している。この中には、プロレタリア独裁をソ連でおこなわれた一党制の意味に解し放棄するものや、ソ連で行われた一党支配が原義ではないとするものなど、さまざまな見解があるが、ソ連型の一党制を否定する流れでは、ほぼ共通している。
一方、ヘゲモニー政党の立場にある共産党は、衛星政党の存在を認めているものの、事実上ソ連型の一党制に近い政治体制になっている。
[編集] 日本の政党におけるこの概念の扱い
日本共産党は、1961年の第8回党大会で決定した綱領に「プロレタリアート独裁の確立」を明記した。これ以前の綱領はいずれも当面の目標を定めた行動綱領で、綱領上はプロレタリア独裁の規定はない。1973年の第12回党大会での綱領改定時に、プロレタリア独裁とは一党制などの特定の統治のスタイルを意味するものでないとして、「独裁」ではなくプロレタリアートの権力掌握を意味する「プロレタリアートの執権」と言い換え、さらにその後、1976年の第13回大会における改定の際に、用語自体の使用をやめて、「労働者階級の権力」とした(2004年の新綱領ではこの言葉もなくなった)。
日本社会党(現在は社会民主党)は、元々社会民主主義政党であったが、1964年第24回大会で制定した綱領的文書「日本における社会主義への道」(通称「道」)に、社会主義協会系党員の働きかけにより1966年第27回大会の補訂でプロレタリア独裁を肯定する表現を取り入れ、共産主義政党と類似した綱領をもつ政党になった。それは、本文の改訂ではなく文末の「審議経過」で付加するという社会党らしい折衷的なものであったが、党内ではこれで社会党はプロレタリア独裁を肯定しているとみなされた。20年後の1986年に「日本社会党の新宣言」を決定し「道」を「歴史的文書」として棚上げし、革命路線から転換した(但し旧路線を継承するとも取れる付帯決議を加えたため、路線転換とは必ずしも認識しない向きもあった)。
労農派マルクス主義を継承する社会主義協会は、1968年決定の「社会主義協会テーゼ」(78年「社会主義協会の提言」と名称変更)にプロレタリア独裁を明記しており、今日も放棄していない。社会主義協会によれば、プロレタリア独裁という訳語も協会の創始者山川均が考案したものという。ただし、近年は社会主義協会も、ソ連などでおこなわれたプロレタリア独裁は本来の理想から逸脱したもので、将来の日本では同じ形態は取らないことを強調している。
[編集] 関連
- フランソワ・ノエル・バブーフ
- ルイ・オーギュスト・ブランキ
- ピョートル・トカチョーフ
- ミハイル・バクーニン
- ローザ・ルクセンブルク
- 党の指導性
- 民主集中制
- ソ連型社会主義
- マルクス・レーニン主義
- スターリニズム
- 反スターリン主義
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最終更新 2009年11月10日 (火) 20:55 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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