ヘイキ・コバライネン

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ヘイキ・コバライネン
基本情報
フルネーム ヘイキ・ヨハンネス・コバライネン
国籍 フィンランド フィンランド
出身地 同・スオムッサルミ
生年月日 1981年10月19日(28歳)
F1での経歴
所属チーム TBA
活動時期 2007 -
過去の所属チーム '07 ルノー
'08-'09 マクラーレン
出走回数 52
優勝回数 1
通算獲得ポイント 105
表彰台(3位以内)回数 4
ポールポジション 1
ファステストラップ 2
初戦 2007年オーストラリアGP
初勝利 2008年ハンガリーGP
2009年順位 12位(22ポイント)
タイトル 0
(記録は2009年終了時)

ヘイキ・ヨハンネス・コバライネンHeikki Johannes Kovalainen, 1981年10月19日 - )は、フィンランドスオムッサルミ出身のレーシングドライバーである。

目次

[編集] 初期の経歴

[編集] カート

1991年レーシングカートのキャリアを始め、2000年まで続け、フィンランドのトップカテゴリーにおいて、1999年から2000年にかけ2年連続でランキング2位を記録した。2000年には、北欧選手権(ノルディック・チャンピオンシップ)、エルフマスターズを制覇し、その年のフィンランド国内のドライバーズ・オブ・ザ・イヤーに選出された。

[編集] フォーミュラ・ルノー

2001年イギリス・フォーミュラ・ルノー(UKシリーズ)に参戦し、初年度から2勝、ポールポジション2回、ファステストラップ3回という結果で、ランキング4位となり、その年のルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。

[編集] フォーミュラ3

2002年イギリスF3選手権に参戦し、5勝、3PP、3FLという結果を残し、ランキング3位で終え、フォーミュラ・ルノー同様、このカテゴリでもルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。国際レースにおいても、マールボロマスターズで4位、マカオGPでは2位という好戦績を残した。

この1年のみでF3を終え、翌年はワールドシリーズ・バイ・ニッサンにステップアップした。

[編集] ワールドシリーズ・バイ・ニッサン

2003年からワールドシリーズ・バイ・ニッサンに参戦。この年はフランク・モンタニーが序盤から独走して選手権を支配した年であるが、コバライネンはシーズン通算1勝にとどまったが堅調に得点を重ね、バス・ラインダース、ナレイン・カーティケヤンとの接戦を制して、初年度ながらランキング2位でシーズンを終えた。

2004年はシーズン序盤こそティアゴ・モンテイロにリードを許したものの、中盤に優勝を重ね、全18戦のシーズンで6勝を挙げてチャンピオンに輝いた。この年にはルノーチームのテストに参加し、初めてF1を駆った。

[編集] レース・オブ・チャンピオンズ

2007年ROC
コバライネン対シューマッハ

2004年末、フォーミュラレースやラリーなどの各選手権のチャンピオンらを集め毎年年末に開催されているレース・オブ・チャンピオンズに参加した。2004年のF1世界選手権を圧倒的な強さで制したF1世界チャンピオンミハエル・シューマッハも出場したことから注目を浴びたが、コバライネンはトーナメント初戦でデビッド・クルサード、第2回戦でジャン・アレジ、準決勝でシューマッハ、決勝では同年の世界ラリー選手権(WRC)チャンピオンのセバスチャン・ローブ、と、名だたるドライバーをことごとく撃破してチャンピオンに輝き、「シューマッハを破った男」として一躍注目を浴びた。

[編集] GP2

2005年、前年まで開催されていた国際F3000から改組されて初開催されたGP2に、アーデン・インターナショナルから参戦した。開幕レースで優勝を収めたのをはじめ、シーズン中盤までは選手権をリードすることに成功した。しかし、シーズン後半ニコ・ロズベルグに追い上げられ、スパ・フランコルシャンバーレーンインターナショナルサーキットの最終2ラウンド(4レース)を残して4ポイント差まで迫られた。ロズベルグが最終ラウンドを2レースとも制すという奮闘を見せたのに対し、この間にわずかなポイントをあげるにとどまったため逆転を許し、最終的にランキング2位に終わった。

この年はGP2に参戦するかたわら、テストドライバーとしてルノーのテストに参加した。

[編集] F1での経歴

2006年2月、ルノーR26をテストするコバライネン

[編集] 2006年・2007年

2006年ルノーに所属し、テストドライバーとして28,000kmを走りこみ、翌年に同チームからF1に参戦することが発表された[1]

2007年、前年度のチャンピオンチーム、ルノーからF1デビュー。しかし、2007年のルノーには優勝を争うような速さはなく、苦戦を強いられる。開幕戦オーストラリアGPでは何度もコースアウトを喫し、その後の数戦もミスが目立った。第6戦カナダGPでは予選Q1でクラッシュして19位。車体後部から壁に激突したためにエンジン交換を余儀なくされ、それによるグリッド降格処分により最後尾に沈んだ。しかし決勝レースでは、セーフティカーが4度も入る大荒れの展開の中、混乱に乗じてポジションを上げて4位入賞を果たした。これ以後はコンスタントに入賞を続け、チームメイトのジャンカルロ・フィジケラを得点で上回る活躍を見せた。

第15戦日本GPでは、同郷の先輩であるキミ・ライコネンの追撃を最後まで抑えきり、初の表彰台を獲得(2位)した[2]。続く第16戦中国GPでは、デビューから16戦連続完走を果たし、ティアゴ・モンテイロの記録に並んだものの、最終戦ブラジルGPで初のリタイアを経験し、記録更新には至らなかった。 シーズン終了後、ルノーのシートを失ったが、マクラーレンとの長期契約が発表された。

MP4-23をテスト走行するコバライネン(2008年)

[編集] 2008年

2008年は、開幕戦オーストラリアGPでは序盤から2位を走行するも、3度のセーフティカーが導入される荒れた展開の中、ピットストップのタイミングにより後退し、5位に終わった。このレースでは自身初のファステストラップを記録した。第2戦マレーシアGPでは、他車の進路を妨害したとして5グリッド降格ペナルティを受けた。第4戦スペインGPでは、22周目に突然左フロントホイールが破損[3]するトラブルに見舞われ時速130kmでタイヤバリヤに激突し(衝突した瞬間の衝撃は26Gに達した)、一時は安否が危ぶまれたが無事救助され、軽い脳震盪のみで済んだ。その後はリタイアこそないものの、チームメイトのハミルトンが優勝を重ねるのとは対照的に、6戦に渡り表彰台すら獲得できないレースが続く。しかし第8戦フランスGPの予選では再び他車への進路妨害で、5グリッド降格ペナルティを受けたが決勝では見事な追い上げを見せ,ヤルノ・トゥルーリから0.7秒差の4位入賞を果たした。第9戦イギリスGPでは初のポールポジションを獲得したが、ここでも5位入賞にとどまった。

そんな中、初優勝は突然やってきた。第11戦ハンガリーGP、2番グリッドからスタートし、直後にフェリペ・マッサにかわされ3位に落ちた。41周目にパンクによりピットインしたハミルトンの前に出ると、首位マッサを追いかける立場となる。 残り3周で20秒以上の差があり逆転は不可能に思われた68周目、突如マッサのエンジンがブロー。首位に立つと、そのままゴールし初優勝を果たした。

しかしその後の7戦は予選・決勝とも目立った活躍はなく、表彰台1回と2度の入賞という結果に終わった。

マシントラブルやセーフティカーによる後退など、不運により失ったと思われるレースもあるが、チームメイトがチャンピオンを獲得したのとは対照的に、芳しくない成績に終わった。

[編集] 2009年

2009年は困難な出だしとなった。この年のマシン、MP4-24は競争力があるとは言えず、開幕戦オーストラリアGP第2戦マレーシアGPともに予選14番手からスタートし、両レースとも良いスタートを決めたものの、2戦続けて0周リタイアに終わった。

その後も成績は向上せず、第8戦イギリスGPまでに入賞は1回にとどまり、2レースを得点圏外で完走した以外には5つのレースでリタイアに終わった。

ようやく好転の兆しが見え始めたのは第9戦ドイツGPからで、以降第14戦シンガポールグランプリまで6戦連続入賞を果たしている。

ルーキー時代と比べて遥かに見劣りする走りの背景に、マクラーレンの徹底したナンバー2扱いが影響しているとも言われる[誰?]

[編集] エピソード

[編集] F1での年度別成績

(2009年終了時)

所属チーム 車番 ランキング 獲得ポイント 決勝最高位・回数 表彰台回数 予選最高位・回数 FL記録回数
2007年 ルノー 4 7位 30 2位・1回 1回 6位・2回 0回
2008年 マクラーレン 23 7位 53 1位・1回 3回 1位・1回 2回
2009年 2 12位 22 4位・1回 0回 2位・1回 0回
所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 WDC ポイント
2007 ルノーF1 R27 AUS
10
MAL
8
BHR
9
ESP
7
MON
13
CAN
4
USA
5
FRA
15
GBR
7
EUR
8
HUN
8
TUR
6
ITA
7
BEL
8
JPN
2
CHN
9
BRA
Ret
7位 30
2008 マクラーレン MP4-23 AUS
5
MAL
3
BHR
5
ESP
Ret
TUR
12
MON
8
CAN
9
FRA
4
GBR
5
GER
5
HUN
1
EUR
4
BEL
10
ITA
2
SIN
10
JPN
Ret
CHN
Ret
BRA
7
7位 53
2009 MP4-24 AUS
Ret
MAL
Ret
CHN
5
BHR
12
ESP
Ret
MON
Ret
TUR
14
GBR
Ret
GER
8
HUN
5
EUR
4
BEL
6
ITA
6
SIN
7
JPN
11
BRA
12
ABU
11

12位 22

太字ポールポジション 斜字ファステストラップ

[編集] 脚注

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  1. ^ F1-Live.com 2006年9月6日
  2. ^ このレースではマクラーレンのルイス・ハミルトンが優勝しており、F1史上初のルーキードライバーによる1-2フィニッシュであった。またフィンランド人ドライバーが2人表彰台に上がるのもF1史上初のことだった。
  3. ^ F1-Live.com 2008年6月27日
  4. ^ F1-Live.com 2008年3月20日
  5. ^ F1-Live.com 2008年3月18日

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年11月23日 (月) 11:08 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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